東京支社ミニ忘年会

YHP(横河ヒューレットパッカード)が日本HPに変わろうかというころ、営業部門は4つの支社体制を敷いていた。編集子が支社長だった東京支社の担当は官庁とか大企業の本社とか、手間はかかるがなかなか注文の来ない地域であり、当時のドル箱だった測定器のユーザもすくない、というところだった。4支社の中では貧乏くじを引き当てたような具合で苦戦したが、その為か団結心がつよく、チームワークでことに当たる、今考えても気持ちのいい集団だった。支社体制を辞めた時点から数えれば50年を超えようかという昔の仲間たちのうち、いまでも交流が続いているグループの恒例の集まりである。このブログがきっかけで他の仲間たちからの声がかかるのを楽しみに待つ。

出席者、左から木内和夫、楠路夫、浅原弥生、菅野節子、天堀平衛、麻生洋、田中一夫、中司。