”弱者”の戦略は結果として現在の主流となっている  (HPOB 菅井康二)

同窓であり、しかも学部・学科も同じという縁を持つ大先輩に、我が国のコンピュータ黎明期、日本IBMの社長・会長を務められた椎名武雄さんがおられる。
当時、IBMはメインフレームで確固たる地位を築き、日本のコンピュータ市場を牽引していた。さらに、富士通、日立、NEC、東芝、三菱、沖といった国産メーカー6社が市場を席巻し、外資・国産を問わず、新規参入の余地はほとんど見えない状況であった。そうした巨大で強力な競合の只中にあって、日本人として外資企業を率い、日本市場の特殊性と向き合い続けた椎名武雄さんのご苦労は、同じ業界に身を置いた者として、後年になってこそ実感を伴って理解できる。そのような環境下で、ヒューレット・パッカード(日本法人は横河HP-YHP)は日本コンピュータ市場への参入を試みたが、当時のHPはメインフレーム製品を持たず、正面からこの市場に挑むことは構造的に不可能であった。そこでHPは、日本市場でも優位なポジションを築いていた電子計測器ビジネスを起点に、その制御用途や科学技術計算分野向けのミニコンを主な対象として参入を図った。しかし、この分野においても競争は激しく、外資ではData General(DG)やDigital Equipment Corporation(DEC)が存在感を示し、国産勢もまた、メインフレームを提供する各社が例外なくミニコンを手がけていた。規模的には大きく劣るものの、HPは自らがターゲットとした分野において、徐々に実績を積み上げていった。一方、HPは米国市場において、強力なメインフレームによるバッチ処理を前提とした中央集中的な処理スタイルに対し、ミニコンを用いたリアルタイムの分散処理というコンセプトを打ち出していた。HPはもともと電子計測器を中心とするテクニカル分野に強みを持つ企業であったが、ここで打ち出した戦略は、そうした従来の主戦場とは異なる市場を視野に入れたものであった。その具体化として、HPは1973年に主としてビジネス用途を想定したミニコンピュータ・システムであるHP3000を米国市場に投入した。HP3000は16ビットのCISCスタックマシンであり、オンライン・トランザクション処理(OLTP)や分散処理に強みを発揮するなど、事務処理を中心とするビジネス分野を明確にターゲットとした製品であった。

当初、HPはHP3000によってメインフレームを直接リプレイスすることを狙ったのではなく、オンライン・トランザクション処理(OLTP)や分散処理といった特性を武器に、新たな市場の開拓を志向していた。その過程ではDECに加え、IBMのSystem/38などの強力な競合も存在したが、そうした環境下にあってもHP3000は新市場の創出に成功し、結果として、市場に一定の存在感を示す成果を収めた。日本市場ではなおかつ多くの課題があり、米国本社の期待には残念ながら十分答えてはいない。しかしその中で燃焼した時間や、(ただひとつのお荷物)などと言われながら苦闘を共にした仲間との時間は忘れられない財産である。

(編集子)HPは本業であった電子計測分野では世界を凌駕する存在であったが、この時点でコンピュータ事業を分社化するという決断をし(計測部門は現在社名をキーサイトテクノロジーとしている)、HPという社名は新規事業であったコンピュータ部門が継承することで現在に至っている。現状のHPについてはこの場で論じることは控えてもらうが、菅井君がここでいう、当時はまだ萌芽期にあったコンピュータシステム間の通信とか、それを前提にした OLTP という発想、USER-FRIENDLY というコンセプトは、文字通り、現代のIT分野での基本的なコンセプトになっている。
当時はコンピュータとコミュニケーションの融合、ということがまだ現実にはなっておらず、現代社会の基本的インフラになっているインタネットの出現には至っていなかった。しかし現在でいう電子メールシステムはHP社内では実現しており、当時社長だったヒューレットはこういうシステムを実用化しているのは米国国防省とIBMとHPだけだ、と豪語したものだった。この経験が新分野への挑戦のベースにあったことは間違いない。

社会改革のきっかけになるものが何か、は後日、歴史家によってのみ記述されるものだが、今や文字通り社会生活の基盤となった ”コンセプト” を紡ぎだした時代、その場にいあわせたものとして、菅井君同様、感慨深いものがある

The HP 3000 refers primarily to a legendary series of Hewlett-Packard minicomputers, launched in 1972, known for its successful, long-running business servers that supported time-sharing for multiple users with its proprietary MPE operating system and TurboIMAGE database, evolving from 16-bit to PA-RISC architectures until its sunset in the 2000s