“カ三カゼ”のこと

数日前の読売新聞9面に、現在起きている米国政府機関の閉鎖に関する記事がのっていた。よその国の法律問題なんかに興味はないし、トランプの専横が引き起こした波紋の一つなんだが、そのトランプが敵役の民主党が ”カミカゼ攻撃をしている”と嘲笑した、という記事だ。トランプ先生の歴史の知識にはおおよその見当はつくので、なぜここにカ三カゼが引用されたのかはわかるような気もするのだが、小生の興味はこのことではない。読売の記事はその解説の中に、わざわざ ”太平洋戦争中に捨て身の体当たり攻撃を採用した旧日本軍の ”神風特別攻撃隊” になぞらえて”、という一節をいれていることである。つまり”カ三カゼ”という単語の解説をわざわざ繰り返していることだった。すなわち、日本の読者にもこの有名な史実の引用が通じない(と危惧される、というべきか)人たちがいるのだ、という含意にショックを受けたのだ。

時間とともに史実や故事が忘れ去られるのは仕方がない。僕たちが明治時代の人たちと同じ常識を持っているということはないだろう。ただ、時間の経過、という絶対的なことを改めて感じた。今のギャルたちがゲイリー・クーパーを知らないと嘆いてみても仕方のないことなのだから。

高校生のころ、太平洋戦争に関する本はだいぶ読んだ。アメリカ軍の圧倒的優勢に抵抗するために、大勢挽回のためには爆弾を抱いた飛行機に搭乗して敵艦に自爆するしかなし、という現場からこの戦術が上奏されたときの軍指導部がうけた衝撃は想像に難くないが、結局、やむに已まれずその制度化が行われた経緯を胸が痛む中で読んだものだ。上層部はせめてもの慚愧の表れとして、それまでなかったことだが攻撃部隊に特別な名前をつけることとし、元寇に対応した時の史実、すなわち猛烈な台風が九州を襲い元軍の艦船を破壊した史実を神の風、と呼んだことから、”しんぷう”という呼称を与えたのだ。 ”しんぷう” を ”かみかぜ” と呼ぶことになったのはなぜか、は定かではないが、天が風を起こして国を救ってくれた、と信じた時代と、自分が天に代わる風になる、という心情。その重さがある四文字が歴史も知らないトランプあたりが気楽に使ってくれる用語になってしまっているのも時間の経過、ということなのだろうか。

夕べ、例によって駅前の本屋で立ち読みをしていて、北方謙三がモンゴルの史実から書き起こし、日本で彼らを迎え撃った北条時宗を語る長編に着手したことを知った。半年くらい前にはまってしまった居眠り磐音、とはだいぶ違うが挑戦したくなったことだった。