霜柱で思い出したこと

北日本の豪雪ニューズの中、今朝の東京は抜けるような青空であたたかだった。

いつもの散歩ルートで道端の小さな草間地に霜柱を見つけた。かつては都心でも冬になれば当たりまえの風物だったが、最近はあまり見かけない。そんなものに出会うと全く忘れていた記憶が蘇って来るのは誠に不思議なものだ。

昭和22年、満州から引き揚げてきた一家は大田区南千束の伯母の家に同居させてもらっていた。伯母夫婦、従兄弟夫婦と三所帯がどうやってすみ分けていたのか記憶にないが、今では瀟洒な住宅地も当時は一面の焼け跡で、冬は家の残骸にこびりついた、霜柱で固まった泥の塊を投げつけあった記憶がある。そのころの悪童ふたりと中学3年生の時、当時所属していたラグビー部の対外試合で全く予想もしていなかった再会をしたことがあった。その後は二人とも素行不良で放校され、暴力団でいい顔になったとうわさで聞いた。人生の暗転、というのだろうか。

当時の小学校ではよく學校単位で文集が作られたりしていた。その一つに載った1年下の女生徒の俳句が素晴らしいとされたことがあった。その句は未だに覚えているが、

ポケットに 手をいれて踏む 初氷

というものだった。昨夜の夕食が何だったかも覚えていないのに、なぜこんな記憶が残っているのだろうか。人間の記憶というものの不思議さを改めて感じる。

高尾山歩きで地元のガイドさんについてもらって草花の話を聞いたことがある。シモバシラ、という花のことも確かに聞いたことだけは記憶しているのだが。