今朝の朝刊でレッドフォードの逝去を知った。また一つ、星が落ちた感じがする。このブログをおっかなびっくり始めてみたころ、グレン・キャンベルの訃報に接して書いた一文を一部、コピーした。
キャンベルのことで書いたが、この二人にまつわる思い出は、同時に僕の短かったが、”古き、良き時代のカリフォルニア” への郷愁とともにある。レッドフォードがまだ売り出し中のころで、たまたま勤務していたオフィスの受付のおばさんがファンだと知って、エーゴの勉強、とばかりにつたないジョークなんかひねり出していたころ、サンフランシスコの街がヴェトナムの後遺症におかされはじめていたころの懐かしいカリフォルニア、の思い出である。
レッドフォードのどの作品がどうとか、そういう感傷は沸いてこない。キャンベルのことで書いた,すこしばかり気障なしめくくりになるようだ。
ありがとう、ロバート。
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(2017年8月11日投稿記事の一部)
By the time I get to Phoenix
8月10日、朝の読売新聞がグレン・キャンベルの訃報を伝えた。1937年生まれ、ということだから僕と同い年である。新聞記事では”カントリーソングの大御所”、と書かれていたが、僕にはそういうありきたりの形容詞には収まり切れない、特別の感情がある。
1967年、生まれて初めてアメリカの土を踏み、2週間モーテルでの仮住まいのあと、新聞広告で探し当てたデュープレックス、日本でいう二軒長屋に落ち着き、船便で送った家財道具が何とか届いて、どうやら生活が始まったちょうどそのころ、あの, By the time I get to Phoenix を聞いた。初めて聞いたのがラジオだったのかテレビだったのか、今では記憶がないが、とにかく心にしみるメロディーだった。この曲があっという間に大ヒットし、一躍有名になって、ラジオの定番になっていた大きなシリーズ番組(エド・サリバンショウだったか?)でキャスタが夏休みのあいだ、その代理に彼が抜擢されたことを覚えている。