ザイラーは黒い稲妻なのだ

飯田兄、ザイラーの映画について、玉講拝受。ありがとう。いつも通り、プロはだしの評論、さすが。

しかしだな、トニー・ザイラーのエーガは、黒い稲妻、これだ。ほかの作品なんかはどーでもよろしい。

このエーガが上映されるとすぐ、彼が着ていた黒いキルティングのヤッケが大流行になった。そのヤッケ、銀座までスキー仲間の翠川なんかと買い物に行ったものだが、そのあとの春合宿では、新しもの好きだった森永さんとか徳生さんなんかが早速、この通称キルティング、を誇らしげに来ておられた。森永さんが気楽に履いていた蒼、赤、白に縁取りされたクナイスルにただあこがれたことを共に思い出す
この冬、このエーガのロードショウを東劇でみて、その後劇場で確か3回は見たし、社会人になった冬、ボーナスで当時は希少だったフィッシャーのメタルを買い、同じころ、上司が知っておられた八方尾根山麓のヒュッテ 白い小屋 を知り、その後、シーズン3回はこの小屋に通った。著名なクライマーである大野廸朗夫妻の小屋は大きくはないが建て方そのものがすばらしく、夫人の榧さんの手料理がそこらの店ではお目にかかれないほどのもの、朝起きて玄関先でスキーを履けばリフトまで2分、尾根をすべりおりてフィナーレは人に知られた名木山の壁。なんせ俺たちには天国みたいだった。
この小屋には卒業後も毎シーズン通い詰め、そこで必ずみたのがビデオのこのエーガだった。筋はもちろん、どこでどんなターンをしたかまで覚えている。
しかし栄枯盛衰、月去り星は移り,大野さんが亡くなってからはい小屋通いもなくなってしまった。それでも気障に言えば SCHWARZE BLITZ はいまでもただなつかしく、心にある。大野さんご健在のころ、退職金をはたいて建てた小生の山荘は、彼の許可を得て 蒼い小屋 と名付けた。 残念ながらもう、スキーを履くことはないが小屋そのものは健在。 今年から管理を娘夫婦にあづけてあるが、デッキからうっそうとした八ヶ岳南麓の樹林を見ていると、なんとなく八方尾根での日々を思い出すこともたびたびある。(一度、中司さんの小屋へ
呼んでよ)、なんて大野さんが言っていたのを思い出すこともあるからだろうか。