By the time I get to Phoenix

8月10日、朝の読売新聞がグレン・キャンベルの訃報を伝えた。1937年生まれ、ということだから僕と同い年である。新聞記事では”カントリーソングの大御所”、と書かれていたが、僕にはそういうありきたりの形容詞には収まり切れない、特別の感情がある。

1967年、生まれて初めてアメリカの土を踏み、2週間モーテルでの仮住まいのあと、新聞広告で探し当てたデュープレックス、日本でいう二軒長屋に落ち着き、船便で送った家財道具が何とか届いて、どうやら生活が始まったちょうどそのころ、あの, By the time I get to Phoenix を聞いた。初めて聞いたのがラジオだったのかテレビだったのか、今では記憶がないが、とにかく心にしみるメロディーだった。この曲があっという間に大ヒットし、一躍有名になって、ラジオの定番になっていた大きなシリーズ番組(エド・サリバンショウだったか?)でキャスタが夏休みのあいだ、その代理に彼が抜擢されたことを覚えている。

実はカントリーソング、という用語が何を指すのか、僕にはよくわかっていない。昔からカウボーイソングとかウエスタンミュージックと呼ばれていたものと、ヒルビリーとかブルーグラスとよばれるアパラチアの鉱山地帯からグレートスモ―キー山脈のあたりの人々の歌、その代表がいうまでもなくハンク・ウイリアムズなのだろうが、そういういわばアメリカ人の演歌、といえばいいのだろうか。それはもちろんカリフォルニアでも人々の愛好するものだが、ジャズでもウエストコーストジャズ、というのが独立したジャンルで扱われるように、この”カントリー”にもそのような、いわばシティ感覚でとらえたものがあって、キャンベルはその文脈のなかにあらわれるもののように思える。

アメリカ到着早々に月賦で買った車はとにかく金がなかったからエアコンもつけなかったが、さすがにラジオはあったので、まもなくKEEN,というラジオ局があるのを知った。アナウンサがKEEN,というコールサインを ”キーン”と発音して”Radio KEEN, 24 hours country music station”とアナウンスしていたから、車に乗ればまずこのチャネルがつけっぱなしになった。この局では当時、バック・オウエンスの曲をよく流していた。今考えるといわゆるベイカーズフィールドサウンド、という奴だったのだろうが、やはり素人の耳にも伝統的なカントリーとはどこか違う、都会的なセンスが感じられた。だが、キャンベルの”フェニックス”には、そのほかのいろんな曲にはない、うまい形容詞がみつからないのだが、ほんのりとしたぬくみ、カントリソング定番の失恋話をテーマとしながら、それを超えた人々の間の共感というようなものがあるように僕には感じられた。

住み始めた長屋にはちいさな裏庭があったが、右隣が学校の敷地でプラタナスの樹とクリンプ塀で仕切られていた。その塀の上をつたってリスがよく現れた。東京では考えられない環境であったが、異国で初めて迎える深い秋の日差しの下に醸し出される平和な時間に、憂愁を帯びたあの”フェニックス”のメロディがピッタリ調和していた。あの歌詞には、常に何かを追い求めて動き続けるアメリカ人の、いわば業とでもいえる人生観と、一方ではその中にしみこんでいかざるを得ない一種の諦観と、最後にそれを自分の事だけでなく、(おお、お前もそうだったのかい、こっちへ来なよ)というような仲間意識、つまり、良き、懐かしきアメリカ人の、というのが、いい過ぎならばカリフォルニア人の、感覚がにじんでいるのだと思われる。

当時はアメリカ自体がベトナム戦争で疲弊し、特に僕の住んでいたサンフランシスコ周辺は反戦運動の聖地であったわけだから、そういうメランコリックな雰囲気もいつの日か失われるのでは、という予感があった。果たしてある朝、ロバート・ケネディ暗殺の報が飛び込んできて、会社でも異様な緊張感が感じられた事を覚えている。この事件を境に、アメリカの変質が始まった。その後、仕事を辞めるまで、カリフォルニアは常に僕のそばに意識されていたが、”フェニックス”を聞きながらに感じていた、あの秋の日の、よきアメリカは戻ってこなかった。いま自分が人生の黄昏にかかろうとするときに、ほんのりと思い出されるものが僕らが垣間見ることができた、good old Americaの中での時間であり、グレン・キャンベルなのである。だから、僕は”恋のフェニックス”などというまったく馬鹿げた、おざなりの日本語タイトルは気に入らない。というより憎悪を感じる。僕にとって、グレン・キャンベルのこの曲は、あくまで、By the time I get to Phoenix でなければならない。

さよなら、そしてありがとう、グレン。

 

 

 

 

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