なにも パリは燃えているか の向こうを張ったわけではない。直木賞候補にあげられたり、ミステリでいえば大藪春彦賞を争ったりしている新進女性作家、深緑野分(ふかみどり のわき)の作品である。
大藪賞に擬せられたことからわかるようにハードボイルド風の推理小説なのだが、非常に変わった仕立てといえる。この作品に日本人はひとりも登場しない。作者本人はドイツに住んでいた経験はないようなので、すべて取材と文献から再生された、終戦直後のベルリンの実態の描写は実に綿密と感心する。巻末にある参考文献の数は半端ではない。
主人公アウグステは連合軍の空襲で徹底的に破壊されたベルリンで、占領軍である米軍の食堂で働くウエイトレスである。彼女は突然、米軍憲兵によって連行されるが、連れていかれた先はソ連(当時)の支配下にある警察署で、ある遺体の確認を求められる。その人物は知人で、彼女にとっては恩人というべき男であり、その死因が歯磨き粉に混ぜられた青酸によるものだ、と告げられる。話は混みいった人間関係の中からこの殺人の解決までの話がアウグステの一人称で語られる。ストーリーはミステリだから内容をここで明かすわけにはいかないが、この作品の凄さはミステリとしての構成は当然として、その背景として描かれる終戦直後のベルリン市民の生活、それとナチドイツの残した悪夢であるユダヤ人迫害の描写であろう。その陰惨さをみせつけられると、現在世界の注目をあびているウイグル人の人権侵害だのアメリカ南部での黒人排斥などは大したことではないのではないか、と無責任承知の上だが思えてくるくらいだ。作品の語り口はなめらかで読みやすく、副主人公となるカフカという青年の屈折した心情にも感じるところがある。
当時のベルリン市民のありようを著者が自分で知る訳はないので、当然文献やいろいろと取材した結果だろうが、戦後の東京を思い出させる光景がストレートに描写される。ベルリンを知らない編集子には分からないが、現地を訪れた人には懐かしく感じるだろう地名が次々と現れる。ミステリである以上の内容が感じられた一冊だった。同地にゆかりのある方には一読の価値があろうか。
話の筋とは関係ないが、作者の珍しい名前が本名なのかペンネームなのか、もまたミステリのようだ。例によってグーグルなどで調べてみても、本人自身、話をはぐらかせていて事実がどうなのかはわからない。ただ深緑、という珍しい姓を持つ人は最新のデータでは全国に20人おられ、ご承知日本で一番多い佐藤さんから数えて68571番めとのことだ(ついでに小生の苗字は3183位で4100人。金藤姓は2000人で5083番め、保屋野姓は13,303位、450人だそうだ。小川だ飯田だ小田だ安田だなぞという一杯いくらの苗字ではないのだ)。
(菅原)首件のブログ拝読。
深緑野分ってのは全く知らない。それで思い出したのが、1980年(昭和55年)、下期の直木賞となった、中村正軌(マサノリ。正確には、車の右は九ではなく几)の「元首の謀叛」。何故かって言うと、ドイツが東西に分かれていた頃の話しで、日本人は一人も出て来ない。もう内容は忘れてしまった。東はホーネッカー、西はシュミットだったかな。
(安田) ブログ面白く拝読いたしました。早速、買い求めて読みたいと思い
ベルリンの壁が建設されて8年後、1969年に東ベルリンを訪れ
それから20余年経ち壁が撤去された‘90年代に新生ベルリンを
写真中、空き地になっている場所は無数のクレーンが林立して近代