エーガ愛好会 (175) マカロニウエスタン礼賛   (34 小泉幾多郎)

「荒野の一ドル銀貨UnDollaroBucato 1965」は「荒野の用心棒1965」に続き、1966年7月日本で公開された2番目のマカロニウエスタン。

この二本によりマカロニウエスタンはブームとなり、主演のジュリアーノ・ジェンマの名を一躍広めることとなった。公開当時は、「荒野の用心棒」の監督セルジオ・レオーネがボブ・ロバートソンと名乗っていたのと同じ理由で、ジュリア―ノ・ジェンマはモンゴメリー・ウッドだった。続になるとモンゴメリー・ウッド(ジュリアーノ・ジェンマ)と両名でタイトルクレジットされ、その後本名のジュリアーノ・ジェンマで出ている。

マカロニウエスタンを一言で言えば、ハリウッド製西部劇のヒーローである開拓民,保安官、騎兵隊とは異なり、無頼漢であり、アンチヒーローだ。往々にして守銭奴であり、賞金稼ぎの彼らにとって自分以外に信じるものは銃とカネだけ。しかしこのジェンマだけは、端正な顔ということもあるが、髭ずらの顔と異なる甘いマスクとアクロバティックなアクションで人気があった。正確かどうか不明だが、小生が調べた限りでも西部劇22本、西部劇以外で21本計43本もの映画に主演している。これだけ多くの主演作のある俳優は殆んどいないのではなかかろうか。

あらすじは、イエローストーンという町で、街の顔役マッコリ―(ピーター・クロス)に雇われたゲイリー(ジェンマ)が、顔役と敵対する男を倒すという筋だが、それが弟フィル(ニコラス・セントジョン)だった。フィルは兄と知らず抜き打ちで撃った。フィルもマッコリ―一味に撃たれ倒れる。ゲイリーは弟から貰った1ドル銀貨をお守りとして胸のポケットに入れておいたお蔭で命を取りとめる。復讐の鬼と化したゲイリーがマッコリ―一味をやつけるまでの戦いを描く。その間ゲイリーの妻ジュディ(イヴリン・スチュアート)が人質になったり、手渡したピストルが冒頭北軍から南軍であるゲイリーに手渡された銃身の短い当らないピストルとか小道具の使い方もうまい。音楽がジャンニ・フェリオだが、主題歌が、”Give me Back” & “A Man a Story” 口笛がリードし、情熱的なトランペットで盛り上げる等素晴らしい。ラストシーンに、フレッド・ポングストの歌唱で、A Man a Storyが英語詩により哀愁を帯びて歌われる。

「続荒野の一ドル銀貨 Il Ritorno di Ringo 1965」は音楽が、あのエンニオ・モ
リコーネ。タイトルバックと共に主題歌がマウリッツオ・グラーフにより英語詩で歌われ、随時あのモリコーネ調のスピード感とワイルドな迫力が表現されている。物語としては、続とはあるが、上記とは関係がなく、1ドル銀貨は出て来ないし、上記ジェンマは南軍兵士、続は北軍兵士だった。その南北戦争後故郷に帰還したリンゴ(ジェンマ)は、故郷が砂金に眼を付けたメキシコ人フェンテス兄(フェルナンド・サンチョ)弟パコ(ジョージ・マーティン)に乗っ取られ。美しい妻ハリー(ロレーラ・デ・ルーカ)はパコの愛人に収まっている。妻と街を奪還すべくリンゴが奮闘し、フェンテス兄弟その手下を次々と撃ち殺し、妻と幼い娘との幸せを取り戻すという光景で締める。久しぶりのマカロニウエスタン、他愛ないと言えばそれまでだが、ジェンマ主演ということから、それ程の残虐などぎついシーンもなく、気分の良い音楽にも乗り。気分よく観ることが出来た。

この”マカロニウエスタン”の誕生はアメリカ人の手によったらしい。当時70ミリスぺクタル全盛のハリウッド映画は費用節約のためアメリカ本土を逃れ。イタリアへ、スペインへとロケ地を求め、安い人件費でマドリッド近郊、チネチッタ撮影所をフルに使って製作していたところ、「北京の55日」「エル・シド」など70ミリスぺクタルを制作していたサミュエル・ブロンストンのプロダクションが倒産。一挙に数百人のアメリカ人スタッフが現地で失業。本国へ帰れない人が、広大なロケ地であるスペインの低い山岳地帯が、アメリカ本土の西南部やニューメキシコの地形に似ていることに気づいたスペインに残っていた豊富なスタントマンたちがメキシコ革命軍に変貌したことから始まったという。スペインでロケされた一連のスペイン製ウエスタンは最後の仕上げをローマ、チネチタで行われマカロニウエスタンが誕生したとのこと。

(編集子)米国に駐在していた間、仲良くしていた男が週末に家族を連れて出かけた先で見つけてきたからと言って、古い1ドル銀貨をくれた。ずっしりと重くてとてもうれしいプレゼントだったので、帰国後、それを古いタイピンに張り付けてネクタイピンにして愛用していたのだが、いつの間にか、まぎれて見えなくなってしまった。くれたのはもと警官をやっていたという、善きアメリカ人の典型みたいないい男だった。彼の記憶がこの小泉さんの投稿からふいに蘇った。

Jay Savy, rest in peace….

(なお、うっすらとした記憶だが、会社の仲間たちは マカロニ ではなく スパゲティウエスタン、と呼んでいたような気がする。そういえば安い食堂ではスパゲティはよく見たが、マカロニにはあまりお目にかからなった。日本とかの地ではイタリアについての感覚が違うのかな。)