「一帯一路」と「援蒋ルート」を訪ねてきた        (41 斎藤孝)

 ヨレヨレ旅人夫婦は「昆明」を初めて訪れた。「昆明」(Kunming)は何処にあるのか。広大な中国の地図を広げて探した。中国西南部のミャンマー(ビルマ)とベトナム・ラオスに隣接する雲南省の省都である。

雲南昆明は中国奥地の辺境と思い込んでいたが人口一千万人の巨大な都市だった。高層ビルが立ち並び高速道路も整備されている。車社会の近代中国、人力車時代を知る中国からは想像もできなかった。ただ人々の洋装姿はぎこちなく田舎臭い着こなしである。雲南は、標高2000mの高原にあるが鉱物資源に恵まれて経済的にも大発展している裕福な辺境である。雲南省は雪を頂くロッキー山脈に囲まれたコロラド州にとても似ている。すると昆明はデンバーに相当するだろう。

「一帯一路」と「中老鉄道」ー「昆明」は、習近平主席の提唱する「一帯一路」の東南アジアの拠点なのである。「一帯一路」とは中国と中央アジア・中東・ヨーロッパ・アフリカにかけての広域経済圏の構想の名前である。昆明新幹線(中老鉄道)に乗車した。巨大な列車は揺れもなく静かである。鉄路は直線でトンネルは雲南の山々を貫く。

「昆明」から「シーサンパンナ」を経てラオス国境を越えてルアンパバーンとビエンチャンまで全長1,035km。将来はタイのバンコックを経てマレー半島を縦断してシンガポールまで繋げ東南アジアの大動脈とするのが目標とされる。総工費の多くを中国が負担、残りのラオス分も大半は中国からの融資で「債務のわな」に陥る懸念が指摘されている。

身なりや会話を聞いている限りでは、乗客はほとんどが中国人。ハードもソフトも「中国流」で荒っぽい新幹線だった。これが「一帯一路」の実体なのかと驚いた。スローガンはどうやら本物になりそうだ。中国の底力を実感できた。

「援蒋ルート」について、中国生まれの83歳の老人は80年前の歴史を回顧した。まず思い浮かべるのは映画『ビルマの竪琴』である。「インパール作戦」で亡くなった戦友を弔う水島上等兵の物語だった。ビルマ僧の姿になり竪琴を弾く。「埴生の宿」だったと思う。切ない琴の音色は日本人捕虜を癒していた。

「援蒋ルート」はインパールから昆明まで建設された。インパールはインドのアッサム州の隣にあるマニプル州の町だった。「援蒋ルート」は昆明を最後の拠点とした蒋介石国民党軍を援助するために設けた軍事道路であった。

1942年頃に中国本土の多くは日本軍に占拠されていた。蒋介石が指揮する中華民国は「昆明」と「重慶」だけを支配していた。一方の毛沢東が率いる中共は「延安」に立てこもっていた。国民党と共産党も内戦状態だった。「援蒋ルート」は蒋介石だけでなく毛沢東も救援する目的で連合国によって建設されたわけである。

「インンパール作戦」は数万人の戦死者を出し日本軍史上最悪の無謀な作戦だった。80年後になり「援蒋ルート」は「一帯一路」として存在しているようだ。感慨深く歴史を回顧した。