名曲のたくらみ」副題:音楽史から解き明かす10章(著者:松本直美。発行:朝日新書/2026年)を読む。
著者(英国、ロンドン大学音楽学部準教授)は、名曲の条件を、「有名であること」、更に、「演奏される機会が多いこと」を挙げ、以下の10曲を名曲として列挙している。
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集(四季)
ショパン:練習曲・作品10―12「革命」、夜想曲・作品15―3
J.S.バッハ:「トッカータとフーガ」ニ短調
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」
モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」
ストラヴィンスキー:「春の祭典」
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:典礼聖歌「おお、貴方の教会」
テクラ・バジェフスカ:「乙女の祈り」
ドビュッシー:交響詩「海」
フレディー・マーキュリー:「ボヘミアン・ラプソディー」
先ず、ヴィヴァルディの「四季」は誰にも文句をつけられないほどの名曲だと述べている。小生、この10曲が名曲かどうかは全く分からないが、ヴィヴァルディの「四季」が、大変、好きな音楽であるのは間違いない。それどころか、「四季」以外も、ヴィヴァルディの音楽は大変好きだ。確かに、その音楽が単純と言うとそれまでなのだが、その魅力はその音楽が、音を楽しむと言う点で、大変生き生きしていることにある。ただし、小生より音楽に知悉している友人にヴィヴァルディの話しをすると、常に馬鹿にされ、あんな単純至極な音楽はノー天気だ、とまるで相手にもされない(著者の松本によると、20世紀のイタリアの作曲家、ルイージ・ダッラピッコラ(1904年―1975年)は、「ヴィヴァルディは500本近い協奏曲を書いたのではない。同じ協奏曲を500回書いたのだ」と酷評していると述べているが、これは、天に唾するようなもので、この現代音楽の作曲家の作品は、まるで雑音の塊で誠に聴くに堪えない)。しかし、こう言う時に、小生は、友人を、音楽とは、音を楽しむことなのにそれがまるで分かっていないなーと腹の底では軽蔑している。
ここで異色なのは、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの「聖歌」であり、フレディー・マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディー」だろう。
フォン・ビンゲン(1098年―1179年)なんて名前の女性の作曲家は今まで全く知らなかった。そこでYouTubeで聴いてみた。11/12世紀の人だけあって、その曲はまるで日本のお経に近く、音楽と呼べるような代物ではない。従って、これを名曲と呼ぶのは著者の単なる趣味が昂じたものに過ぎないと言わざるを得ない。何故なら、音を楽しむと言う音楽の基本領域にはまるで達していない稚拙なものだからだ。
マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディー」は、名前だけは知っていたが、その音楽は一度も聴いたことがなかった。「レッド・ツェッペリン」が全盛時代、今から50年ほど前になろうか、余りにも「レッド・ツェッペリン」が持て囃されていたことから、実物はどんなものかと、ラジオからテープに落として聴いてみたことがある。何やら、「ガンガン、ガンガン」と言う雑音が聴こえて来るだけで、音楽の類いではない。そんな経験があったものだから、所謂、ハード・ロック、或いは、へヴィー・メタル、は、以後、敬して遠ざけて来た。そこで、この曲もYouTubeで初めて聴いてみたのだが、確かに、ロックなんだろうけれど、それだけでなく、バラードも混ざっている、何とも魔訶不可思議な音楽だった。これがフレディー・マーキュリーなのかと暫し感じ入った次第だが、それにしても、これを、ヴィヴァルディなんかと同列に論じて良いものなのだろうか。これは、飽くまでも、ポピュラー音楽として論ずるべきであり、クラシックの名曲の中に含むのは可なり無理があるのではないか。ここは、「ボヘミアン・ラプソディー」に代って、例えば、グスタフ・マーラーの「交響曲第一番」なんかを取り上げるべきではなかろうかと思ったりした
************************
松本直美
愛知県立芸術大学音楽学部声楽専攻卒業。英国トリニティ音楽大学大学院ディプロマ課程声楽専攻修了。トリニティ音楽大学演奏家資格取得。声楽家としての活動の後、音楽学研究を始め、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ音楽学部修士課程音楽学専攻をディスティンクションを得て首席終了、2005年論文「The Operatic Mad Scene: Its Origins and Early Development up to c.1700」により同大学より博士号授与。特に17・19世紀のイタリアオペラの研究を展開している。また学際的・国際的研究プロジェクトのコーディネーターとしても活動している。

