写真とはと言う問いに何度も答えてきているか、答えは無いと思う。小学一年生の記念写真も立派な写真で在り、決定的瞬間のショットも写真。またブレていても「美」と感じる写真もある。
今澁谷ヒカリエホールで開催中の「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色 生誕100年記念写真展」が多くの人を呼んでいる。何がそんなに良いのか。
ファション写真もモデルがチョット気を抜いた瞬間とかモデルからずれてショットなど何とも不思議なファッション写真に成っていて人気が出たのでは。矢張り「気を抜く。チョット間を置く」事が何でも必要なのかも。
ソール・ライター(Saul Leiter、1923年12月3日 – 2013年11月26日)は、アメリカ合衆国の写真家・画家。1940年代と1950年代の初期作品は、のちに「“ニューヨーク派”写真」と認識されるものに重要な貢献をした。
83歳にして「衝撃の世界デビュー」を飾った写真家ソール・ライター(1923-2013)の全貌を明らかにする展覧会がいよいよ日本で開催される。2006年、ドイツのシュタイデル社が出版した作品集『Early Color』は写真界にとって「事件」といっても良い出来事だった。1940年代から50年代に撮影されながら長い間、光を見ることがなかったカラー写真の作品群は、写真界にとどまらず各界に大きな驚きをもたらした。その後、世界各地で展覧会の開催や作品集の出版が相次ぎ、2012年にはトーマス・リーチ監督によるドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」が制作される。本作は、2015年に日本でも公開され、独自の哲学に満ちたライターの人生観と作品が多くの人々の共感を呼んだ。
ソール・ライターはユダヤ教の祭主の家に生まれ小坊主になれと言われてが、「脱走」してニューヨークで個展を開催したところでほとんど絵が売れない状況の中、ソール・ライターは写真を生活の糧に生かすことを思いつく。1948年頃からカラー・スライドフィルムでも撮影をはじめていたライターの写真は、次第にファッション誌の誌面を飾るようになっていく。
絵画で培われた色彩感覚、ものを見つめる繊細な視点、独特なユーモア、エレガンスに対する適確な理解などから生まれるライターの写真は、多くの雑誌関係者の注目を浴びた。
アート・ディレクターとして名を馳せていたヘンリー・ウルフもその一人だった。1958年、ウルフが『ハーパーズ・バザー』誌のアート・ディレクターに就任すると、ほぼ毎号ソール・ライターのファッション写真が同誌に登場するようになる。以後、『エル』『ヴォーグ』『ノヴァ』などファッション誌を中心に数多くの雑誌で活躍するが、1981年、5番街にあったスタジオは閉鎖される。時代が変わり写真家の自由な創造性が束縛されることが多くなった現状にフラストレーションを抱えていたのも事実だが、現実的に仕事が減少しスタジオを維持していけなくなったのが直接的要因だった。以後、ソール・ライターは忘れられた存在として、自分のためだけに作品を創造する「隠遁生活」へ入っていく。その部屋の再現ルームが作られている
絵を描くことが好きでで家出同然でニューヨークに飛びで来る。絵は売れない。写真で身を立てるべく友人-当時の若き前衛文化人とグリニッチビレジの貧しい中で出会い色々な刺激を受け、彼らの写真を撮っている。若き日のアンディー・ウォーホル。ロバート・ラウシェンバーグ。ジョン・ケージ。セロニアス・モンク。写真家のユージン・スミス.この時彼らは「藝術は爆破だぁ」と言う意気に燃えている人々だった。それが幸いして花開く。
ソール・ライターのカラー写真が、世に出るまでに時間がかかった理由はいくつかある。まず、「自分を売り込む」ことをその美意識が許さなかった頑なな性格だ。ライターは、イースト・ヴィレッジのアパートとその界隈が存在すれば、写真を取り続けられれば、そして絵を描き続けられれば、それで満足だったのだ。
もう一つの理由は、カラー現像を取り巻く問題だった。ソール・ライターがカラー写真を撮りはじめた時代、モノクロ現像に比べ金銭的に負担が大きく、また写真家自身がコントロールしにくい現実があった。1994年頃、未現像のままアパートに保管されていたカラー写真の現像に、英国の写真感材メーカー・イルフォード社が補助金を提供したことで事態は一変する。ライターの作品を扱っていたニューヨークの名門写真ギャラリー、ハワード・グリーンバーグ・ギャラリーで、1940年代後半から1950年代に撮影されたカラー・プリントが関係者に初披露された瞬間は、まさに「歴史的瞬間」となった。ソール・ライターのアシスタント、マーギット・アーブ(現在、ソール・ライター財団代表)は、この時の感動を次のように回想している。「その瞬間を私は一生忘れないでしょう。私たちの前に、突然、画家の眼を通してとらえられた写真のイメージが広がったのです。灰色がかった雪と緑の信号、赤い傘、店のウィンドーに反射する太陽の光、赤と黄色の中で走るタクシー、オレンジのネクタイをした男性…」。1996年、早速、同ギャラリーでカラー作品の展覧会の開催が決定した。
1950年代に撮影されスタジオの中で眠り続けていた一連のカラー写真の発見は、世界の写真界を驚かせるに十分なものだった。以後、ソール・ライターの名は「カラー写真のパイオニア」として語られるようになる。
「私はモノクロ写真のみが、取り上げる価値のあるものだと信じている人たちが不思議でならない。美術の歴史は色彩の歴史だ。洞窟の壁画にだって色が施されているのだから」(ソール・ライター)。そしてこんな事を言っている「キャラリーで見ず知らずの人にこう言われたんだ<朝、君の写真を観るとといもいい気分だったよ>私の写真も無駄では無かったと」
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/23_saulleiter/
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