「イスラム移民」(著者:飯山 陽(アカリ)、発売:扶桑社、発行:2024年)を読んだ。これは、正に紛れもない警世の書であり、飯山なくして世に出る類いのものでもない。そこで、飯山に満腔の謝意と敬意を表する次第だ。
ここで少し長いが、本書の主題であるイスラム移民の問題を適確に表現している「はじめに」の中からその一部を引用しよう(一部、補足説明を付け足している)。「日本はなんだかわからないけれど、「多様性」とか「多文化共生」というものが「いいものだ」とされており、イスラム教徒を受け入れることが、その企業、学校、地方自治体、ひいては日本と言う国家にとって良いことだとされているのではないか。しかし、日本に先んじて大量のイスラム教徒を受け入れたヨーロッパ諸国では、犯罪が増加し、文化や秩序が破壊され、社会が変質した。と言うのも、イスラム教徒は移住先の法や文化に適応し順応しそれを受け入れるのではなく、自分たちの法や文化を移住先に持ち込むからである」。つまり、「郷に入れば郷に従え」とか「When in Rome、Do as the Romans Do」なんてのは、イスラム教徒には全く通用しないのだ。
一例を挙げる。土葬墓地問題がある。亡くなった場合、日本では、殆どの場合、火葬にされてただの灰となる。ところが、イスラム教では、土葬することしか許されていない。何故なら、イスラム教徒は来世を信じており、その最後に、神の審判を受け、天国に行くか地獄に行くかが決められるからだ。それに加えて、火は地獄の象徴でもある。従って、火葬は断じて許されていない。しかるに、近傍に土葬墓地が計画される、これは、普通の日本人にとって誠に堪えがたいことではないだろうか(実際に、例えば、大分県日出町、宮城県石巻市などで問題が起きている)。しかし、例えば、朝日新聞、毎日新聞などは、周辺住民の抵抗は、多様性を受け入れない、無知蒙昧で頑固な差別主義者だと断じて、日本人を非難し、周辺住民の困惑など一顧だにしていない。
また、イスラム教は、一端、イスラム教徒になったならば棄教することは許されないし、その子孫はイスラム教徒になることが求められている。従って、現在、地球上の全人類の1/4がイスラムと言われている。
オールド・メディアと言われる新聞、テレビの殆どが、産経新聞を除き、これらの事実を全く報道していない。例え報道したとしても、それらは全て「多様性」の名のもとにイスラム支援に回っている。蛇足だが、それが故にオールド・メディアと言われるのだが。それは、彼らが金科玉条としている「多様性」なるものが、この一事で一挙に崩れ去ってしまうからに他ならない。つまり、SNSに限らず、オールド・メディアこそがフェイク・ニュースを垂れ流し続けて来た。また、それを、いささかも顧みることすらしていない。
従って、ここには数々の貴重な情報が満載されており、その点では、肝を冷やす恐ろしい本だ。このまま何もしなければ、正に日本消滅に向かっていると言っても過言ではない。例えば、イスラム教徒であるクルド人が跋扈する埼玉県川口市は、最早、住民が安寧に暮らす環境からは程遠いものとなっているようだ。
今や、日本には、イスラム教徒が約27万人いるそうだ。確かに、ここまで、その問題点を摘出することについて、誠に舌鋒鋭い飯山なのだが、残念ながら、イスラムを含む移民問題の根本的な解決策を提示しているわけではない。移民は何故発生するのだろうか。そこを解決しなければ、根本的な解決とはなり得ないだろう。それは豊かさを求めてのものなのだろう。さすれば、E.マスク、J.ベゾスなどの億万長者が、その貧しさにいくらかでも寄付してくれれば、解決の糸口が掴めるのではないか、との妄想も抱きたくなる。