2024年12月 月いち高尾   (47 関谷誠)

色々あった2024年も後わずか、高尾山塊から冠雪の霊峰「富士」を拝みながら、楽しかった・嬉しかった出来事・思い出等に感謝するとともに、悲しかった・嫌気がさした出来事・思い出等を拭きはらい、明るく・輝かしい2025年を迎えることをテーマに第96回「月いち高尾」を、12月11日(水)に実施した。ここ最近の「月いち高尾」は天候に恵まれなかったが、今回は冬晴れの下、「シニア・コース」に9名、「一般コース」に18名が参加し、各々のコースで初冬の山歩きを楽しみながら、目的の「富士」を拝んできた。

1.シニア・コース 

(1)参加者9名: <敬称略> S36/遠藤、高橋、大塚  S38/町井  S39/岡沢 S40/藍原 S62/木谷 S47/伊川、関谷

(2)ケーブルは定期点検の為、1時間に1本の間引き運転にて、久々に、リフトで山頂駅まで。リフト乗り場までの階段が、思いの外、厳しく、ゼイゼイしながらリフトに乗るも、スキーを付けずズボ足でのリフト乗りは思いの他難しく、戸惑ってしまったが、リフトは残っていた紅葉の中、気持ちよかった。薬王院参拝後、高尾山頂へ。山頂からは目的の霊峰「富士」が拝めた。

山頂では、初参加の木谷君(現KWV三田会親睦委員長)と合流。木谷君は、稲荷山コースを、何と、1時間10分ほどで登頂。若いとは良いもんだと思い知らされた!

下りは、この若い力に引っ張られ、遠藤、藍原、木谷の面々は1号路を一気に下山。 他は往路と同じくリフトにて下山。今回の平均年齢80歳のワンダー岳人は、2024年最後の「月いち高尾」を、無事、終えることが出来た。                              (文責: 関谷誠)

2. 一般コース 「能岳/八重山542m」

(1) 参加者:18名、堀川義夫(S39)武鑓宰(S40)相川汎(S41)安田耕太郎(S44)吉田俊六(S44)徳尾和弘(S44)平井利三郎(S47)水町敬(S47)佐藤充良(S48)実方義宣(S50)丸満隆司(S50)家徳洋一(S50)羽田野洋子(S51)斎藤邦彦(S51)後藤眞(S59)鈴木一史(S60)斎藤伸介(S63)大場陽子(BWV)

(2)コースタイム等

(アクセス)JR上野原駅(バス乗り場5番)光電製作所行きバス9:13⇒(バス17分)⇒9:30光電製作所前

光電製作所前220m9:40⇒(40分)⇒10:20虎丸山10:30⇒(40分)⇒11:10能岳見晴所11:20⇒(30分)⇒11:50八重山展望台12:20⇒(60分)⇒13:20大堀バス停13:38

(帰路)上野原駅からJR14:07 (高尾駅まで所要18分)

(3)概要

中央線の遅れでぎりぎりでの上野原駅のバスに乗車、慌ただしく出発、バスの終点の光電製作所の前で入山し墓地の中を通って山道に入る。

総勢18名の団体での山行は落ち葉の絨毯の山道の中、とても快調だったため予定外の虎丸山にも立ち寄りながら能岳を目指す。能岳見晴所は以前より伐採が進んで展望やぐらの建設も進んでおり北側にゴルフ場(上野原CC)を見下ろし、南に冠雪の富士山の雄姿を眺め全員で感動の声を上げる。見晴所からは陽だまりの能岳と八重山の頂上を巡りながら富士山の眺めが素晴らしい八重山展望デッキに到着、昼食を摂る。毎回楽しみな焼き菓子のフィナンシェを頂き雄大な景色を楽しんだあと、上野原中学校前の駐車場まで下る。駐車場からは大堀のバス停までロードを歩き路線バスで上野原駅まで帰途に着く。   (文責: 斎藤)

3.下山後、両パーティーの有志24名が高尾駅「テング飯店」で合流。今年の「月いち高尾」を、何はともあれ無事故で終えたことを祝して、忘年会を楽しんだ。

(編集子)これからこの3番目を ウルトラシニアコース と命名し、ワンデルングとして認知したいと思うのだが、賛同者はいねえかなあ。

エーガ愛好会 (296) 裸の拍車  (34 小泉幾多郎)

アンソニー・マン監督が、ジェームス・スチュアート主演の西部劇「ウインチェスター銃‘73 1950」のヒットによって、その後「怒りの河1952」「裸の拍車1952」「遠い国1954」「ララミーから来た男1955」と、スチュアート主演の西部劇を連作するが、3作目がこれだ。出演者は、途中襲ってくる先住民を除くと5人のみ。脚本が、当時TVラジオの新進ライターだったサム・ロルフとハロルド・ジャック・ブルームでアカデミー脚本賞にノミネートされた。5人のみながらもシンプルなストーリーラインの中にスリルとサスペンスそして心理戦を提供して呉れる。主人公を演じるのは、愛する人の裏切りから曾って所有していた牧場を売払われ、その上駆け落ちまでされた身の上のジェームス・スチュアート、途中で道ずれになる金発堀の夢を捨てきれない老人ミラード・ミッチェル、素行不良で退役となった元騎兵隊大尉ラルフ・ミーカー。スチュアートは売り払われた牧場分を取り返すべく賞金稼ぎとして、目当ての無法者ロバート・ライアンを追う。途中で知り合ったミッチェルとミーカーの助けを借り、崖の上に見付けた無法者ライアンとライアンに連れ添う女性ジャネット・リーを捕えアビリーンまで護送することになり、ここでライアンには賞金5000ドルがかかっていたことを知られ、漁夫の利を得たいミッチェルとミーカー、3人を仲間割れさせて逃亡の機会を狙うライアン、進行と共に、ライアンとスチュアートの間で揺れ動く女心のリーが夫々の思惑でのロードムービーとなる。女心、男を簡単に乗り換えると言えば身も蓋もないが、ライアンからスチュアートへの変心は、雨の洞窟で、置かれたアルミ食器に落ちた雨だれの音が、フォスターの夢見る人になるシーンとなり、二人が心を通わせるのだった。音楽は「リリー1953」でアカデミー作曲賞のブロニスラウ・ケーパー。リーは「若草物語1949」の長女から4年後、「サイコ1960」の7年前で、へアーがショートカットの一番美しい時か。

開巻早々から雪を被った山々が背景に見える自然の景色が美しく、青空の下の疑心暗鬼な人間模様が小さく見える。いきなりの断崖を挟んだ登攀から始まり、断崖の垂直の構図に崖からの落石等高低差を活かした戦いはスリル満点。最後の渓谷を挟む断崖での戦い迄続く。撮影監督が「陽のあたる場所1951」でアカデミー撮影賞の名匠ウイリアム・C・メラー。この5人以外の戦いは、ミーカーが先住民女性に悪さをしたことから先住民に襲われ、スチュアートが脚に怪我をするも撃退する事件のみ。ミッチェルは、ライアンから金鉱の在り処を教えると巧みに持ち掛けられリーと共に、脱出させられ射殺される。これを知ったスチュアートとミーカーは激しい射ち合いの末、ライアンは激流に落ち、ライアンの死体を拾い上げたミーカーは流木に流されてしまう。この最後の戦いも渓谷沿いの断崖での戦いとなる。開幕でスチュアートの拍車が大写しで描写されるが、最後にスチュアートが断崖を登るのにピッケルとしての助けと相手ライアンの顔面をやつける飛び道具となる題名通り重要な小道具だった。結果は、一人になったスチュアートが賞金を独り占めできることになり、ライアンの死体を馬に括り付けようとしているとき、リーからそれでも一緒に行くと言われ、賞金稼ぎの生き方と牧場をやっていた自分とは違うのではないか、自問自答の結果賞金をやめても新しい生活を求めることを決心し、死体を埋葬し、二人新天地カリフォルニアに向けて旅立つのだった。

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拍車(はくしゃ)は、乗馬用のブーツのかかとに取り付ける金具のこと。 西部劇に登場するカウボーイのブーツについている、あの歯車です。 拍車を馬の脇腹に当てて、刺激を与えることで馬を加速させます。 金属製ですが、先端は尖らせず丸くするなどの工夫があり、馬を傷付けることはありません。

 

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(飯田)異色の西部劇「裸の拍車」を再々見しました。さすが、アンソニー・マン監督だけあって見どころ満載に仕立ててあり、観終わって疲れを感じるほど次々と見どころが出てきます。小泉さんの解説・感想文の ≪5人のみながらもシンプルなストーリーラインの中にスリルとサスペンスそして心理戦を提供して呉れる≫ の部分が、この映画の組立を十分表現していると思います。

本当に5人以外は途中で襲って来るインディアンが出て来るだけで、コロラド州を撮影現場にした雪を頂くロッキー山脈が幾度も遠方に背景として見える風景は、この映画の影の主役とも言える光景です。後半の銃撃戦からは“空と陸と川の3つの要素“を上手に使って、J.スチュワートの崖をよじ登る場面では「空と陸」、旅の途中で川の畔で野宿するシーンやR.ライアンが撃たれて川に転落死した後の場面では「陸と川」というように、UPを多く取り入れた撮影を交えて上手く製作されていると思います。

5人の中では、善良なアメリカ人の代表のような(この映画では賞金目当ての元保安官で故障した愛馬を殺してしまうやや複雑な善人役)J.スチュアートよりも、悪人役の(他の映画では善人役も演じる)R.ライアンの方が味が出た映画かな~とも思いました。

 

エーガ愛好会 (295) SHOGUN  (44 安田耕太郎)

原作は、1980年にもアメリカで実写ドラマ化されたジェームズ・クラヴェル(James Clavell)の1975年発表のベストセラー小説「SHŌGUN 将軍」。リチャード・チェンバレン主演(三浦按針役)、三船敏郎(吉井虎長役)共演でドラマ化されており、本作はそのリメイクになる。

2024年の本作では、真田広之が『ラストサムライ』(2003年)以降海外での活動を本格化し、プロデューサーとして本作を実現するに至った。20年に及ぶ海外活動の集大成とも思える獅子奮迅の活躍だ。真田本人も「この20年間の集大成。自分にとって非常に大きな第一歩だった」と強い思いを馳せている。黒澤映画の三船敏郎、「ラストサムライ」「SAYURI」「硫黄島からの手紙」の渡辺謙に続く逸材だと思う。

全10話のドラマの内、第1話「按針」(英:Anjin)と第2話「二人の主君に仕えて」(英:Servants to Two Masters)の映画を映画館で観た。アメリカ映画ながら、日本人出演者のセリフは全て日本語。ヨーロッパ人の役柄(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなど)出演者は全て英語で邦訳字幕が画面に。1950〜60年代の黒澤映画を彷彿とさせる殺陣シーンでの迫力と臨場感はこの先3話以降を期待させるに充分であった。
ドラマ界のアカデミー賞と言われる第76回エミー賞のドラマシリーズ部門で作品賞、主演男優賞(真田広之)、主演女優賞(アンナ・サワイ)など18部門を受賞するという快挙を成し遂げた。

ヨーロッパとはまったく違う社会制度や生活習慣に驚きながらも、吉井虎長(徳川家康)らの武将やヨーロッパ人宣教師らなどと関わり、政治的に激動する日本で生きていく 実在したイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)をモデルにしているが、内容は実在の人物を架空の人名に置き換えた史実と異なるフィクシンである。吉井虎長とジョン・ブラックソーン(三浦安針)を軸に物語が展開していく。僕には興味深く面白かったのは、知っている史実とフィクションのストーリーが展開する未知との遭遇の対比だった。

映画の時代は、天下を治めていた太閤豊臣秀吉亡き後(1598年)、太閤の遺言で世継ぎの八重千代(秀頼)が元服するまでの政治を任された「五大老」のひとりである戦国武将の吉井虎永(徳川家康)は、覇権を狙うほかの五大老たちと対立し、包囲網を徐々に狭められていた。そんなある日、イギリス人の航海士ジョン・ブラックソーン(按針)が虎永の領地である伊豆半島網代へ漂着する。虎永は、家臣である戸田文太郎(細川忠興)の妻で、キリスト教を信仰して語学にも堪能な戸田鞠子(細川ガラシャ)に按針の通訳を命じる。按針と鞠子の間には次第に絆が生まれていき、按針を利用して窮地を脱した虎永は、按針をサムライの地位に取り立てることになるが、第2話まではそこまでの展開は未だ描かれていない。ガラシャ演じる俳優アンナ・サワイはニュージーランド生まれの海外を拠点に活躍する日米両語堪能な日本の女優。いかにも欧米人好みの頬骨の高い顔立ちと姿は、1980年「将軍」の同役を演じた島田陽子とは好対照だ。

プロデューサー真田の関与によって、その時代、身分によって異なる歩き方、座り方、立ち方、お辞儀の所作、デザイン衣装と衣服生地と色彩、室内装飾、建物の巨大セット、日本の美の時代考証、そしてセリフの一言一句まで日本人が観ても違和感ない戦国時代の日本と日本人を描くべくアメリカ人監督・スタッフと打ち合わせを重ねたと言う。これまでのハリウッド作品における日本描写の違和感を克服して見応えのある映画に仕上がっていると思った。電灯がない蝋燭の明かりによる当時の室内の薄暗さ具合が時代に忠実で流石だとも思った。
「SHOGUN 将軍」が描く日本は“本物”なのか? 主演・プロデューサーを務めた真田の功績を引き続き第3話から第10話まで楽しみたい。

 

細川ガラシャ:

明智光秀の三女で、後に細川ガラシャと呼ばれる明智たまにインスパイア。1563年生まれのたまは、父親が織田信長の家臣として出世する間、恵まれた少女時代を過ごす。1578年、15歳で、同じく信長の家臣であった細川藤孝の長男・忠興と結婚し、5人の子供に恵まれた。しかし、1582年に父親が本能寺の変を起こすと、たまも幽閉の身となる。この間にたまはキリスト教を学び、忠興が九州に遠征に出ている間に洗礼を受ける。しかし、洗礼を受ける直前に秀吉がイエズス会禁教令を出したため、九州から戻った忠興は、たまに棄教を迫った。これが2人の間に深刻な不和を引き起こしたと言われる。1600年、細川家が家康に加勢したとき、たまは大坂に残り、やがて来るべき戦争で重要な役割を果たすことになる。

女優アンナ・サワイ

ニュージーランドで生まれ、東京で育つ。来日してすぐオーディションで選ばれ舞台で俳優デビュー。2009年に『ニンジャ・アサシン』で映画デビューを果たし、英BBC製作のドラマ「Giri /Haji』やApple TV+で配備された「パチンコーPachinko』、映画『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』(21)に出演し、高い評価を得る。 Apple TV+で配中のドラマシリーズ『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ」では主要キャラクター、ケイト・ランダ役を演じ、カート・ラッセルらと共に主要キャストとして出演した。

キャスト (史実で相当するキャラクターは[ ]内で表記)
・吉井虎永[徳川家康  – 真田広之
・ジョン・ブラックソーン[ウィリアム・アダムス/三浦按針]- コスモ・ジャーヴィス
・戸田鞠子[細川ガラシャ]- アンナ・サワイ
・樫木藪重[本多正信] – 浅野忠信
・樫木央海[本多正純] – 金井浩人
・石堂和成[石田三成] – 平岳大
・戸田文太郎広勝[細川忠興] – 阿部進之介
・戸田広松[細川藤孝] – 西岡徳馬
・落葉の方[淀殿] – 二階堂ふみ
・桐の方[阿茶局] – 洞口依子
・ロドリゲス司祭 – ネスター・カーボネル
・マルティン・アルヴィト司祭[ジョアン
・ロドリゲス] – トミー・バストウ
・中村八重千代[豊臣秀頼] – セン・マーズ
・中村秀俊(太閤)[豊臣秀吉] – 螢雪次朗
・大蓉院[高台院・北政所] – AKO
・大野晴信[大谷吉継] – 黒川武
・木山右近定長[小西行長] – 井田裕基
・杉山如水[前田利家] – 戸田年治(ドイツ語版)
・伊藤輝鈍[宇喜多秀家] – 篠井英介
・明智仁斎[明智光秀]- ユタカ・タケウチ
・黒田信久[織田信長]- 尾崎英二郎

冬支度の富士山です    (グリンビラ総合管理HPより転載)

今朝の冷え込み現在の外気温マイナス2度となっています。日中は寒気も次第に緩んで日差しの温もりを感じれるかもしれません。

一昨日大泉から事務所に帰る際、甲府盆地の明かりの向こうに富士山が見えました。すっかり冬の装いですね. 長坂小荒間地区の富士見坂周辺からの冬姿です。

 

”時代の証言” ー 加山雄三

読売新聞のシリーズ 時代の証言 が今回は加山雄三(池端直亮)だった。上原謙 という戦中から戦後にかけて、日本の映画界を代表する二枚目スターの長男として生まれた彼は小生と同じ昭和12年生まれ。僕は満州からの引き揚げ組だが、帰国した時点ではだいぶ衰弱していたらしく、用心深かった母は帰国後すぐ復学させず、ほぼ半年遅れで小学校へ戻ったので、同い年よりは一学年遅れであった。もしこのことがなければ、彼とは慶応高校で同期だったはずだから、多分知り合いになり、(おい、池端ア)なんていう仲になっていたかもしれない。KWVの1年先輩(つまりひょっとしたら同期だったはずの)の何人かが彼と高校時代に交友があって、その関係で一度、蔵王で彼と遭遇、華麗なスキーをみたこともある。そんな因縁があって、今回の31回にわたった連載は自分の時代の思い出、と思いながら完読した。

映画スターの息子、という環境でいろいろ難しい問題もあったのだろうが、高校入学以前、というより幼少のころからミュージシャンとしての天分に恵まれ、一方ではその後ヨットを自作するまでの才能豊かな少年だったことが書かれている。何かといえば上原謙の息子、とみられることに反発して高校時代は硬派で通そうと髪を五分刈りで通してスキーに熱中し、妙高高原ではパトロールをやっていたし国体にも出場したというから、当時赤倉燕に通い詰めていた僕らとひょっとしたらゲレンデですれ違っていたかもしれないし、レベルの違いはあれ、同じような生活だったのだろうと親しみを覚える。この時代、僕らを引き付けた音楽シーンのことどもは曲名をきくだけでも懐かしい。大学卒業にあたって就職を考えた時点で意に反するような形で俳優になった、いうのも、同じ時期、あるハプニングがきっかけで新聞記者になろうという意思をなくしてサラリーマン生活を選んだ、僕自身のありように引き比べて感ずることが多かった。

俳優、ミュージシャンとしてのサクセスストーリーは今更いうまでもない。ただ、彼の映画の中核として触れられている若大将シリーズは、例によって起きてしまった天邪鬼症状で、一本も見ていないが、椿三十郎の若武者ぶりは素晴らしかったし、”独立愚連隊西へ” での活躍も面白かった。しかしこの新聞コラムを続けて読もうと思い立ったのは、高校同窓、という親近感もさることながら、その第一回目の見出しが100歳まで生きる宣言、となっていたからだ。そしてそのために生活態度をあらためている、という意気込みに賛同したからでもある。先輩にあたるわけだから、池端さん、と言わなければならないのかもしれないが、お互い他人さまから見れば恵まれた環境を生きてきた同時代人として、俺だって100歳まで生きてやらあ、という意気込みにさせてくれた読み物だった。

 

エーガ愛好会 (294)ロイ・ビーンとニューマン  (大学クラスメート 飯田武昭)

小泉さんに感想を詳しく書いて頂いた「ロイ・ビーン」を初見でみました。

私はポール・ニューマンは「傷だらけの栄光」「熱いトタン屋根の」「ハスラー」等々、多数見ていますが、好きな俳優の一人です。この映画「ロイ・ビーン」(1972年)は、絶頂期の彼の代表作明日に向かって撃て!」(1969年)と「スティング」(1973年)の間に製作された作品ですが、それを考えると正直、ちょっとがっかりしました。小泉さんの記述にあるように≪気に入らない者は首を吊るして行くという人間を無邪気さとのギャップを込めながら描いている≫ということでしょうが、見ている本人(私)としてはあまり面白くない。

ジョン・ヒューストンという監督は“鬼才“とあだ名がつけられていたと思いますが、奇をてらって演出する所があり、「キー・ラーゴ」「赤い風車」「白鯨」などは成功した部類ですが、「アフリカの女王」はアカデミー賞を取ったというので、数回見てやっと良さが分ったのが正直な所でした。この映画、薄汚い格好のK.ヘップバーンとH.ボガートが延々とボートで漂流するシーンが続きました。
翻って「ロイ・ビーン」にもポーカー賭博シーンが2~3回出てきますが、ストーリー展開の割には場面転換が少ない感じがしたのとP.ニューマンが女性たちを呼ぶのに娼婦と売女と言い分けて呼んだり(菲才な小生には聴き分けられなかったですが)するシーンも、あまり戴けない感じがしました。

折角のP.ニューマン主演の映画でしたが残念でした。率直な感想です。

(小泉) 飯田さんの言われること、もっともと思うことが多々あります。小生の感想、映画
の内容を紹介するだけの、個々のエピソードをごたごた書きすぎて、感想らしくないものになってしまっているようです。どうやらジョン・ヒューストン監督としては、気に入らない者の首を吊ることの正義感は法律の手先であることへの反発としているかのようです。妻を失ったことへの責任を医師のせいにして、縛り首にしようとして、阻まれ、町を出て行く場面等も、本人は正義の裁きを下せない不条理を感じての行動のようだが、心から納得するところまでは行きません。

(編集子)この人(ニューマン)のことは良く知らないので見当はずれかもしれないが、基本的にセーブ劇向きの人じゃなかったと思うな。スマートすぎるというか、うまく言えないんだが、いつも冷笑的な、都市人特有の感じが抜けない気がする。

京都紅葉   (42 保屋野伸)

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9年ぶりに、京都の紅葉をJRのツアー(往復新幹線とホテル京阪2泊のみ)で楽しんできました。今年の紅葉は夏の猛暑でイマイチとの不安もありましたが、色づきはまあまあだったと思います

名所の、光明寺、真如堂、常寂光寺、北野天満宮のモミジ宛、そしてNo1の永観堂、素晴らしい紅葉でした。また、同期の,京都にマンションを持っているモツ(田中ひろみさん)から紹介された「智積院」が今回のサプライズ。

まっ黄色の大銀杏と真っ赤な楓も見事でしたが、昨年開館した「宝物館」の「長谷川等伯の国宝絵画」に目を奪われました。「雪松図」、「桜図(久蔵)」「楓図」、「松に秋草図」、「松に黄蜀葵図」、「松に立ち葵図」の6点は全て国宝です。

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YHP東京支社 旧友集合の一夕

 

12月3日、YHP  (今の正式社名は日本HPなのだが俺達にはYHPがよく似合うのだ)東京支社時代の悪友が一夕を共にした。苦労話、今だから打ち明ける話、あの娘はきれいだった話など、あっという間に3時間が経過していた。心温まる時間だった。

左から麻生洋、沖本重之、木内和夫、田中一夫、中司、天堀平衛。

 

富士山が見える朝です   (小学校クラスメ―ト 板橋喜佐子)

こんな小さな姿でも富士山には元気が貰えます、電車から見えるとその日は良いことが有るような。

(編集子)大田区立赤松小学校昭和26年卒6年2組。戦後の混乱はようやく一段落したものの、朝鮮動乱が始まり、新たな世界が始まったころ、遊び場はまだ焼け跡で(ここでよく 匂いガラス なんてものを探したもんだ。B29の窓ガラスの破片だ、なんていう説があって見つけると宝物みたいにしたりしたのを思い出す)、今は見かけることもないが ”コッペパン” に甘いだけの安ジャムがのっている、それだけで大ご馳走になり、北千束と大岡山の子供料金が50銭だった、そういう時代だった。GHQ(占領軍司令部)の押しつけ改革にあおられて教育現場にも混乱が絶えなかったあのころ、戦線から帰国し、新時代には新しい教育が必要と信じて教員免許を取ったひとりの熱血青年が僕らのクラスの仲間を育てた。旧態依然の古手教師とは子供たちとの向き合い方をめぐって真っ向から張り合い、噂では殴り合いも辞さなかったという ”会津っぽ” そのものの人、今の世の中にこそ求められる、まさに僕らの 恩師 と呼ぶにふさわしい人だった。その教え子たる僕ら2組はいまだに ”クラス仲間” と誇れる友情を保ち続けている。

そのクラス仲間の一人の筆者は小柄で、すばしこくて、ほがらかで、男の子だったらさしずめ 弾丸小僧なんて呼ばれていたかもしれない少女だった。彼女をはじめとして、お互い米寿をうかがう年齢になっても続いている小学校クラス会、というのは調べたことはないが慶応幼稚舎みたいな特例は別として、あまりないのではないか。春になったらまた誰かが言い出して集まることになるだろう。

 

エーガ愛好会 (293)  ロイ・ビーン (34 小泉幾多郎)

無法の地となった町を自らの手で一変させようとするロイ・ビーンという人物となれば「西部の男1940」でウオルター・ブレナンが扮し、アカデミー助演賞を獲得したことが思い出される。主演のゲーリー・クーパーをも凌駕する主演賞と言っても過言ではない演技だった。今回は、ポール・ニューマンが扮し、これまた西部劇のレクイエムとも言える殆んど非現実的なような世界を男の無骨な愛嬌で演じている。監督はジョン・ヒューストン、まずはハンフリー・ボガートの「黄金1948」等の主演作、他に「白鯨1956」のグレゴリー・ペック、「許されざる者1959」のバート・ランカスター、「荒馬と女1961」のクラークゲーブル等々豪快で野生的で独断的な男臭いヒーロー像を作り上げてきた。この映画でも、神たちに向っての代行者を自称し、気に入らない者は首を吊るして行くという人間を無邪気さとのギャップを込めながら描いている。

冒頭テキサスのペコス川は文明の境界線で、川より西は法も秩序もなく、無法者とガラガラ蛇だけが住む荒野が広がっていた。と説明が入ると、酒場で、銀行を襲ったという流れ者ロイ・ビーンが酒場にいる連中と争いになり、首に縄を付けられ馬に引きずられ痛めつけられる。メキシコ娘マリー・エレーナ(ヴィクトリア・プリンシパル)に助けられ、娘から拳銃を受け取ったビーンは悪党連中に復讐する。そこにラサール牧師(アンソニー・パーキンス)が現れ、死臭が漂うから死体を埋葬するよう説教した。ビーンはその後判事として正義となることを決め、牧師に告げる。ビーンは敬愛する女優リリー・ラングトリー(エヴァ・ガードナー)のポスターを壁に貼り、仕事をこなして行く。

これからは、暴力的なのに、何処か滑稽な個々のエピソードの積み重ねによって構成される。無法者たち5人を保安官に任命し、押収金が大量に集まり、荒野は街に変貌して行く。ビーンは5人の保安官の妻に娼婦を斡旋したりもする。また流れ者グリズリー・アダムズ(ジョン・ヒューストン)から黒熊を譲り受け相棒となったりする。美しく変貌したマリーと熊がビリーと共に暮れなずむ夕陽を背景にたたずむ。「テキサスの黄色いバラ」が下手だがビーンによって唄われ、その後アンディ・ウイリアムスにより「ママレードと蜂蜜より甘い恋」が唄われる。これはアカデミー歌曲賞にノミネートされた。音楽はあのモーリス・ジャールだが、耳慣れた交響的な雰囲気はなく、牧歌的な土俗的なほのぼのとした曲が流れる。その後、白塗りの無法者バッド・ボブ(ステイシー・キーチ)が町で、暴れまわるのを、ビーンは後ろから一撃で仕留めたり、弁護士フランク・ガス(ロディ・マクドナルド)が現れ、ビーンの土地の所有権を主張する。ガスが仕組んだと思われる殺し屋がビーンを殺そうとし、殺し屋はクマと格闘し死亡、熊も撃ち殺される。その後、リリーが公演でサンアントニオにやって来ることになり、正装したビーンは公演会場に向かうもチケット完売で、リリーに会うことが出来ず帰還。妊娠していたマリーは、子供を産んだが、臨終を迎える。遅れて来た医者をビーンは絞首刑にしようとするが、町長に任命されたガスがそれを制し、保安官たちもガスに丸め込まれたことを知りビーンは町から姿を消してし
まう。それから20年、石油王となったガスは自分に盾突く者は撃ち殺し、再び無法の町と化す。ビーンの娘ローズ(ジャクリーン・ビセット)は、ガスによる立ち退きを拒否しているとき、馬に乗る老人ロイ・ビーンを見かける。ビーンは、落ちぶれていた元保安官たちを集め、町の悪を一掃して姿を消すのだった。その後、町は昔に戻り、その地に、美しさの変らないリリーが町を訪れる。リリーは、今ではロイ・ビーン記念館となった、かっての酒場を訪れる。其処でリリーは記念館の館長から 拳銃と一通の手紙を受け取る。「・・・貴方への愛が俺の生きる喜びだ。命ある限りそして死んでも永遠に貴方の崇拝者。 ロイ・ビーン判事」

ポール・ニューマンが西部の実在した人物を演じた映画は他に、ビリー・ザ・キッドの「左利きの拳銃1958」ブッチ・キャシディの「明日に向って撃て1969」バッファロー・ビルの「ビッグ・アメリカン1976」がある。

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「ペコスの西」

テキサス州西部の牧場が全盛期を迎えた時代、その中でも西端に位置するペコス川よりも西の地域は「ペコスの西」(“West of the Pecos”)と呼ばれ、未開の荒々しい地域をさす語とされた。ここから「ダッジの西に法はなく、ペコスの西に神はない」(“There’s no law west of Dodge, and no God west of the Pecos”)といった西部劇の譬えが生まれ、『ロイ・ビーン』、『チザム』といった当地を舞台とした作品にそのような土地柄がみられる。