読売新聞のシリーズ 時代の証言 が今回は加山雄三(池端直亮)だった。上原謙 という戦中から戦後にかけて、日本の映画界を代表する二枚目スターの長男として生まれた彼は小生と同じ昭和12年生まれ。僕は満州からの引き揚げ組だが、帰国した時点ではだいぶ衰弱していたらしく、用心深かった母は帰国後すぐ復学させず、ほぼ半年遅れで小学校へ戻ったので、同い年よりは一学年遅れであった。もしこのことがなければ、彼とは慶応高校で同期だったはずだから、多分知り合いになり、(おい、池端ア)なんていう仲になっていたかもしれない。KWVの1年先輩(つまりひょっとしたら同期だったはずの)の何人かが彼と高校時代に交友があって、その関係で一度、蔵王で彼と遭遇、華麗なスキーをみたこともある。そんな因縁があって、今回の31回にわたった連載は自分の時代の思い出、と思いながら完読した。
映画スターの息子、という環境でいろいろ難しい問題もあったのだろうが、高校入学以前、というより幼少のころからミュージシャンとしての天分に恵まれ、一方ではその後ヨットを自作するまでの才能豊かな少年だったことが書かれている。何かといえば上原謙の息子、とみられることに反発して高校時代は硬派で通そうと髪を五分刈りで通してスキーに熱中し、妙高高原ではパトロールをやっていたし国体にも出場したというから、当時赤倉燕に通い詰めていた僕らとひょっとしたらゲレンデですれ違っていたかもしれないし、レベルの違いはあれ、同じような生活だったのだろうと親しみを覚える。この時代、僕らを引き付けた音楽シーンのことどもは曲名をきくだけでも懐かしい。大学卒業にあたって就職を考えた時点で意に反するような形で俳優になった、いうのも、同じ時期、あるハプニングがきっかけで新聞記者になろうという意思をなくしてサラリーマン生活を選んだ、僕自身のありように引き比べて感ずることが多かった。
俳優、ミュージシャンとしてのサクセスストーリーは今更いうまでもない。ただ、彼の映画の中核として触れられている若大将シリーズは、例によって起きてしまった天邪鬼症状で、一本も見ていないが、椿三十郎の若武者ぶりは素晴らしかったし、”独立愚連隊西へ” での活躍も面白かった。しかしこの新聞コラムを続けて読もうと思い立ったのは、高校同窓、という親近感もさることながら、その第一回目の見出しが100歳まで生きる宣言、となっていたからだ。そしてそのために生活態度をあらためている、という意気込みに賛同したからでもある。先輩にあたるわけだから、池端さん、と言わなければならないのかもしれないが、お互い他人さまから見れば恵まれた環境を生きてきた同時代人として、俺だって100歳まで生きてやらあ、という意気込みにさせてくれた読み物だった。