乱読報告ファイル (41)   孤城 春たり    (普通部OB 菅原勲)

この本の帯に、「借財10万両から蓄財10万両へーわずか7年で財政を建て直した備中松山藩(今の岡山県)の改革」とあったから、てっきり、儒学者である山田方谷(ほうこく)が、どうやって10万両を返済し、どうやって10万両を蓄えたのかが、縷々述べられるものと思っていた。ところが、この本は、羊頭を掲げて狗肉を売る類いの話しではないが、全く違って、何のことはない、返済し終わった後の後日談で、その主題は、正に江戸時代が終わらんとする幕末の動乱期を扱っている。

確かに、当初の思惑とは違った内容となっており、470頁をも超える長丁場となったが、大変、面白かった。松山藩の藩主である板倉勝靜(かつきよ)を江戸幕府の老中に召し出されたが故に、松山藩に降りかかって来る、朝敵の汚名をどのように漱ぐのか。そして、山田方谷を筆頭に時代の波に揉まれながら、懸命に生きる人々を描く、幕末群像劇でもある。

なかでも、極めて印象的だったのが熊田恰(あたか)の生き様だ。鳥羽伏見の戦いでは、藩主板倉勝靜の親衛隊長として大阪に詰め、その後、藩兵157人を率いて海路玉島(現在の岡山県倉敷市)に逃れるものの、朝敵として岡山藩に包囲され、恭順の証として、1868年1月22日、熊田は切腹し(43歳)、藩兵の生命と玉島を戦火から救うこととなった。年寄役200石取りの武士だったが、没後、300石取の家老となり、また、朝敵ではあるが、神となって熊田神社に祀られている。

物語りは、その熊田が山田を襲うところから始まる。何故なら、山田が卑賎の商家の出にもかかわらず、藩の財政を建て直したことにより、異例の昇進を遂げ、藩内の怨嗟の的となっていたことから、「君側の奸は除かねばならん」。しかし、山田を直接知り、その謦咳に接するに及んで、山田の並外れた無私さに敬服し、素直に、山田の用心棒となる。それが、最後の最後、逆に熊田が切腹することになるとは、何とも皮肉な話しではないか。

山田の藩財政を建て直したと言う盛名は、それこそ全国の津々浦々まで鳴り響いており、越後長岡藩の河井継之助、会津藩の秋月悌次郎などが弟子入りのため山田の下にやって来る。

加えて、伊豆の韮山代官、江川太郎左衛門、上州安中藩、新島七五三太(しめた。後の襄)などが登場し、その他に、澤田の架空人物が数多登場するのは言うまでもない。

確かに、江戸城は無血開城された。とは言え、革命には、つきものなのだが、会津の白虎隊しかり、五稜郭の幕府軍しかり、あるいは、この熊田しかりなど、その犠牲になった人々は枚挙に暇がない。そこに悲劇が生まれることになるのは言を俟たない。

最後、山田の詞、「世は移ろい、孤城は春にして、人は変わらぬ今日を迎える」でこの本は終わるのだが、その題名「孤城 春たり」はそこからとったものと思われる。

これは余談となるが、その後、山田は、岩倉具視、大久保利通らからその能力を高く評価され、明治政府の会計局(旧大蔵省)への出仕を求められ続けたが、老齢と病、郷学(一種の教育機関)に専念したいことから固辞し続け、明治10年、73歳にして亡くなった。なお、これも全くの余談だが、地元では、山田方谷をNHKの大河ドラマにと言う運動もあるらしい。また、板倉勝靜は、最後の最後まで佐幕を貫き通し、明治5年、特旨によりやっと赦免された。

なお、澤田瞳子には、画家、河鍋暁斎(きょうさい)の娘、暁翠を描き、直木賞を受賞した「星落ちて、なお」があり、これも、また面白かったことを付け加えておく。

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山田 方谷(やまだ ほうこく)は、幕末期の儒家陽明学者、備中松山藩士。方谷は(きゅう)、(りんけい)、通称安五郎備中聖人小蕃山と称された[1

昭和の日に思いだした   (大学クラスメート 飯田武昭)

昭和の日というのが元々の昭和天皇誕生日(祝)だったと、毎年のように思い出すのは殆どの我々の世代人の感傷的な感覚かも知れない。

思い出す昭和の情景は人それぞれ又、その時々によって違って当たり前だが、今年の昭和の日に偶々思い出したのは新規開店したスーパーの商品棚に並ぶ各種の“飲料水”と“缶ビール”のことだ。私が初めて飛行機で外国へ行ったのは昭和38年(1963年)からの1年間に西ドイツへ滞在した時だった。日本では空気と水とはタダ(無料)で、どこででも飲める物であって、水に金を払って生活するなんて、何たることだと思っている人がほとんどだった。当時、ヨーロッパへ出張に来る日本人とレストランに食事に行くと、注文しないと何も出てこないのを訝って、殆どの人は先ず私に向かって発する言葉は“何故、先ずテーブルに水を持ってきて注文を取らないのか?“という習慣の違いからくる質問だった。理由が理解できた日本人は漸く、飲み物の注文に入ろうとするが、“昼間だから水にしておこうか”となったとする。注文取りに来たフロイライン(Fraulein)又はヘア・オーバー(Herr,Ober)、つまりウエイター又はウエイトレスから、“Mit Gas oder Ohne Gas”と必ず質問が来る。つまり、水(Wasser)は分かったが、“ガス入りかガス無しか“という2者選択をしないとWasser(水)の注文が決まらないのである。日本ではガス入りの水などは当時は殆ど飲まれていないので、説明すると理解した人は、“それでは、ガス無し”とやっと注文が終わる。私に限らず、少々、ドイツ慣れした輩は“Mit Gas”と何となく注文するようになっていた。これらの日本からの来客との会話の中で、必ずと言ってよいほど出てくるのは、“ドイツではビールより、水の方が高いくらい“という話題だった。一般には当時でも航空機内で出されるミネラル・ウオーターはフランス産のEvianが高級でVittel etcはやや落ちるイメージを持ったものだ。

その後60数年後の今日の日本のスーパーマーケットの飲料棚には、ところ狭しと各種ビールとミネラル・ウオーターが目白押しで、先日買って初めて飲んでみた≪新!All FREE(ノンアルコール≫(サントリー)まで入れると、最早、日本でも安いのはビールかミネラル・ウオーターか分らない状態になっている。つまらないことを思い出した昭和の日だった。

エーガ愛好会 (323) 教皇選挙    (44 安田耕太郎)

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映画公開と時期をいつにするようにローマ教皇フランシスコが逝去した。ローマ教皇は正称、ローマ法王はローマ教皇の通称である。

全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会の最高権力者であると同時にヴァチカン市国の元首であるローマ教皇の選挙を「コンクラーヴェ」(conclave)と言うのを知ったのはイタリア在住の女流作家・塩野七生(ななみ)の著書「神の代理人」を読んだ時、半世紀以上昔。「神の代理人」とはキリスト教カソリック教会の「ローマ教皇」を意味する。

何らかの組織の構成員である人間は、個人各自の持つ業の深さ、権力への誘惑と欲から無縁ではない。ヒエラルキーを持つローマカソリック教会(聖ピエトロ寺院)の教皇選挙においても当てはまることを彼女の著書とこの映画で知る。

そのカトリック教会の総本山・バチカン市国・聖ピエトロ寺院内のシスティーナ礼拝堂で行われるローマ教皇選挙の内幕を描いたサスペンス映画。

嘗て観た「薔薇の名前」1986年(ショーン・コネリー主演、14世紀初頭、北イタリアのカソリック教修道院で起きた連続殺人事件が題材)、「善き人のためのソナタ」2006年(アカデミー外国映画賞受賞のドイツ映画、ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツ諜報機関シュタージのスパイ活動を描く) と同じ味わいを感じた。渋い映画だか、噛めば噛むほど旨味が出てくるような。

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教皇選挙を指すconclave(英: コンクラーヴェ)の語源は、ラテン語の”cum clavi”(鍵がかかった)で、枢機卿(英: cardinal)たちが教皇を選出する際に、外部からの干渉を防ぐため、システィーナ礼拝堂の密室に籠って会議を行うことから来ている。選挙権を有する80歳以下の枢機卿は被選挙人・候補者でもあり、互選で決める。密室における権力闘争そのものであるが、結論が出るまで外部には一切知らせることはない。長期間にわたる選挙過程と密室性から、日本ではコンクラーヴェをもじって「根比べ」と呼ばれ、イメージにぴったりで言い得て妙である。新教皇が決定すると礼拝堂の煙突から白煙が立ち上り市民は教皇選挙が終わったことを知る。教皇の死から15〜20日後に選挙は始まる。世界中から候補者兼選挙人である枢機卿がローマに集まるのに時間を要するからだ。投票者の2/3を占めた候補者が、選挙結果に同意(受諾)すれば、最終決定となる。最長のコンクラーヴェ期間は13世紀に3年かかったとある。イタリアとフランスの枢機卿が激しく対立して多数派工作が功を奏せず長引いたのだ。因みに、今度の教皇選挙は5月6日に始まると伝えられた。

そのくらい、まさに根比べを必要とする権謀術数が支配するのが教皇選挙なのだ。1500年以上に亘るキリスト教カソリックローマ教皇の存在であるが、現在の教皇選挙方法がほぼ確立されたのは中世の11〜13世紀頃であるという。従って1000年近い歴史があることになる。

さて映画だが、ローマ教皇が死去し、新教皇を選ぶ教皇選挙が行われる。ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)が、教皇選挙のまとめ役を務めることになり、108人の候補者たちが世界中から集まる中で、密室での投票が始まる。

コンクラーヴェを仕切ることとなった主人公ローレンスは公正にコンクラーヴェを取り仕切りたい、と思いながらも不正や差別、スキャンダルな人材には教皇になって欲しくない。自分は教皇になりたくないという強い願望の中でコンクラーヴェを進めていく。

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公開中の映画なので、誰が教皇になったかネタバレしないが、相応しい人物が選ばれたかについては甲論乙駁ありそうだ。有力な候補者たちも女性や成年者に対する性的ハラスメント、汚職など世俗的問題の関与が明るみになり次々に脱落。また、ローマではイスラム教徒によるテコ事件の勃発もあって、選挙の行方は混沌としてくる。宗教は確信だけではなく疑いや寛容が必要とのローレンスの考えはまさに人間社会の難しさを表した姿ではあった。

予想通り神に仕える聖職者も、人間なんだと思う映画。選挙に勝つために、票を金で買い、弱みを握って他人を蹴落とす卑劣な手法。人の心をくすぐる耳打ち。政治家の選挙と同じだ。聖職者達とは思えないドロドロとした人間らしいドラマ展開が秀逸である。

そして映像は、舞台が歴史的建造物でもあり、独特の衣装も手伝って気高さを感じ丁寧であり光の加減が絶妙である。話がきな臭くても映像が丁寧で細部に心を配っているために品性が感じられた。最終投票に向かう白い傘をさした枢機卿たちを上空から撮った芸術的な映像は、この後の結果を予見させとても印象的だった。映画序盤は出演者と顔と役割が分かりにくく戸惑うが、やがてしっくりしてきて映画が面白くなっていく。

出演俳優たちの中では、ローレンス役の「イングリッシュ・ペイシェント」、「シンドラーのリスト」で好演した英国の名優レイフ・ファインズが目立つ。
いろいろな苦悩を抱えつつも正義感に溢れる首席枢機卿を演じた。ローレンスは結構な高齢(ファインズ出演時62歳)だが人間的に成長し続け前に進んでいく。イ

タリア人映画監督ロベルト・ロッセリーニを父にイングリット・バーグマンを母に持つイザベラ・ロッセリーニは彼女の若き日の名画「ブルーベルベッド」(1986年)の印象が強く残っていたが、

今度は随分お年を召した役(出演時72歳)を演じて、その変遷を吹っ飛ばしてしまっているのにはてとても驚いた。だが、その気品と品格と潔さは全く正反対と言える役どころなのに「ブルーベルベッド」のドロシーに通じるものがあった気がする。一番気になったのはローレンスを補佐していた俳優で、名は知らないがて控えめだが有能振りがほとばしり印象深かった。

最後には原作者が標榜する候補者が選ばれるが、そこまでいく間の悲喜交々の勢力争いはまさに社会の縮図のようだ。聖職者と思えないみっともない話が続出するが、その生々しさが人間の生き様のリアリティを産んでいるので、まさに見応えがあった。そして「根比べ」の最終局面で「戦争は心の中でのみ行うべきものだ」と名演説をした候補者が見事に新教皇に選出されるが、その新教皇には重大な秘密が隠されていた。最後の大仕掛けで、なぜ、この映画を今やらねばならないのか、信仰とは、など、深いテーマが投げかけられているようにも思える。

娯楽映画と割り切って観れば良いと思う。ローレンスの肩の荷が一生降ろせなくなる結末ではなかったか?一生これで良かったのかという”疑念”を抱き続ける結末。これも映画を面白くする結末だ。ミステリーとちょっぴりサスペンスに人間ドラマが味付けされていた、面白い映画だった。

卯月から皐月へと時は移る (普通部OB 船津於菟彦)

もう今年も卯月から皐月へと時は過ぎていきます。海の向こうではトラさんの狂気が続いて居ますが、米国の民主主義って何回か斯様な大統領が出たりして変化しているんですよね。まあハシカみたいなもんと思って冷静にじっくり対処していくしか無いですね。日本の食糧。日本の防衛は此方の事情でやることが一番。

自動車もお米も売りたい物何でも売ってみなはれ。国で総て作れない米国になって今から素材から作るのは無理では。中国・独逸等は日本仕様にして売り込んでくる。
戦後の日本じゃないのであの馬鹿でかくガソリン食う車誰が買うか。米も今やコシヒカリとか独自銘柄で微妙な美味しさで日本は作っている。勝てるわけ無い。
暫し、我慢して行くしかないですね。欲しがりません勝つまでは——鬼畜トランプ—-なんか昔聞いたなぁ。まぁそんなことは忘れて「冬牡丹」は菰を被りややひっそりですが、「春牡丹」は牡丹と芍薬が入り混じり、陽除けの日傘がアクセントで綺麗ですね。「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合の花」という美しい女性を表した都々逸にも登場しているとおり、芍薬と牡丹は、昔から華やかな花として好まれてきました。芍薬は香りか良い、葉は艶があり切れ込みが無い、茎は真っ直ぐに伸びている。立てば芍薬ですね。でもあんまり違いが分かりません。
芍薬も牡丹も英語では「Peony(ピオニー)」と表現します。しかし、この都々逸の元は「婦人の生薬の使い方を示す漢方の言で、イラ立ちやすい女性は芍薬の根を、座りがちの女性は牡丹の根の皮を、フラフラ歩く女性は百合の根を用いると良いという意味だとする説が語られ、実際に応用されている」とのこと???艶消しですね!ボタン科ボタン属の落葉小低木。原産は中国北西部と考えられている。日本には天平時代に渡ったといわれる。日本に伝わる前から園芸品種が作られ、江戸期には百六十以上もの品種があったとされる。木の丈は一メートルから一メートル半くらい。葉は二回三出羽状複葉で互生する。葉の長さは四センチから十センチくらいで裏は白っぽい。五月ころ、今年のびた枝に二十センチにもなる大輪の花を咲かせる。花の色は、白、赤、ピンク、黄などさまざま。多数の花弁が重なり合うようにぼってりと咲く。ボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草本である。高さは約60 cm。芍薬を画く牡丹に似も似ずも 政岡子規
芍薬かわるがわるに 嗅いで 女系家族 伊丹三樹彦
芍薬の芽のほぐれたる明るさよ 星野立子

友人からこんな言葉を戴きました。元気出して人生100歳時代を謳歌して参りましょう。        Get Better As Time goes by、Life begins to feel short

(編集子)
5月1日、八ヶ岳南麓、標高1100メートルの我が家の庭で石楠花が開き始めた。八ヶ岳主稜の路傍に咲くのはあと何日だろうか。そういえば、三国峠から平票へ、あの稜線も石楠花の中を歩くんだったな。

乱読報告ファイル(40)明治波濤歌    (普通部OB 菅原勲)

「明治波濤歌」上・下(著者:山田風太郎。発行:筑摩書房、1997年)。

ちくま文庫に、「山田風太郎明治小説全集」がある。全14巻で、この「明治波濤歌」上・下は、9/10巻目に当たる。この内、小生が読んだことがあるのは、「警視庁草子」上・下、「幻燈辻馬車」上・下、「地の果ての獄」上・下の六冊だ。なかでも、最も面白かったのは、「幻燈辻馬車」だ。旧会津藩生き残りの薩長新政府への反感を通奏低音に、物語りが幻想的に語られる。山田には、他に、忍法ものもあるが、小生、それを、大変、苦手としており、一冊も読んだことはない。

 

波濤(ナミ)は運び来(キタ)り

波濤(ナミ)は運び去る

明治の歌・・・・・

と巻頭にあるように、この「明治波濤歌」上・下は、一言で言えば、「明治維新」と言う波が来て去った後の物語だ。そして、山田独特の虚実ないまぜになった、以下、六つの短編から成り立っている。

それからの咸臨丸:咸臨丸で米国へ航海した吉岡良太夫を通じて榎本武揚を語る。

風の中の蝶:南方熊楠、北村透谷を語る。

からゆき草子:樋口一葉、黒岩涙香を語る。

巴里に雪のふるごとく:川路利良、詩人ヴェルレーヌ、作家ヴィクトル・ユーゴー、画家の玉子ポール・ゴーギャン、それに、作家E.ガボリオが創作したルコック探偵を語る。こりゃー、映画で言うオールスターキャストだ。

築地精養軒:森鴎外を、ドイツから追っかけて来たエリス(エリーゼ・ワイゲルト)が語る。

横浜オッペケペ:浪士芝居の川上音次郎、その妻の貞奴、野口英世、永井荷風を語る。

虚実ないまぜ、と言っても、所詮、小説だから全てが虚であるのだが、それを感情移入させて最後まで読者に読ませるのが腕の見せ所。この点で、山田は極めて卓越しており、勘所を抑えて外さない。

一番、印象に残っているのは、樋口一葉のことを述べている「からゆき草子」だ。樋口は24歳で逝去した。従って、薄幸悲劇の小説家と言う印象が甚だ強いが、それに反するように、相場師に金を貸せと依頼する。それは、母親が奉公した家が零落し、娘を吉原に売り渡すまでになったため、その娘を救うために、原稿の前借を黒岩に泣きつくものの拒絶され、見るに見かねての樋口の行動だった。つまり、山田は、樋口の従来の印象を大きく覆そうとした。

樋口については、確か、「たけくらべ」を読んだ記憶がある。しかし、文章が文語体であること、それに句読点がないことなど、小生、歯が立たず、2/3頁、頑張ったものの早々に途中で棄権してしまった。それに懲りて、その翻訳本も試してみたが、これは、まるきり樋口の文章のリズムが喪われ、全くの別物になっていることから、これすらも途中棄権。つまり、樋口の本は一冊も読んでいない。樋口の作家生活は僅か14ヵ月で終わってしまうのだが、その間、「大つごもり」、「たけくらべ」、「にごりえ」など、森鴎外、幸田露伴などの文豪からも絶賛され、高い評価を受ける作品を発表し、奇跡の14ヵ月とまで呼ばれている。小生、5000円札が、樋口から津田梅子に変わったのが残念でならない。

次いで、「巴里に雪のふるごとく」。マルセイユから巴里までの列車の途中、後に警視総監となった川路が大便を催したくなるものの、列車の便所が満員のため、致し方なく新聞紙を便器替わりにし、それを、走っている窓から放り投げて捨てる。ところが、巴里につくや、糞を包んだ新聞が発見され、それが日本語であることから、犯人は日本人ではないかとの嫌疑を掛けられる。新聞紙が日本語であることころがミソなのだが、山田にはこんなオアソビモある。作家がふざけているのだから、臭いのを覚悟で、それを満喫しよう。

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山田 風太郎は本名は山田 誠也。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。
受賞歴: 菊池寛賞
デビュー作: 『達磨峠の事件』
主な受賞歴: 探偵作家クラブ賞(1949年); 菊池寛賞(1997年); 日本ミステリー文学大賞(2000年)