福沢の見た米国はどこへ行ったのか?  (42 下村祥介)

「ピッツバーグの煙突」に関連して、たまたま日経新聞「風見鶏」欄に160年ほど前にアメリカをおとずれた福沢諭吉の米国感がで紹介されていたので概要をご紹介したい。

「諭吉がサンフランシスコに着いたのは日本を出て37日目だった。港に着くなり馬車が迎えに来て、まず休憩のためのホテルに招き入れられた。そこにサンフランシスコ市の要人が次々に現れ、さまざまな接待をしてくれた。日本人が魚を食べたり、風呂が好きなことを知っており、毎日魚が届けられ、風呂が沸かされたという。帰国に際して船の修理代を支払おうとしたが、何といっても受け取らなかった。ペリーの黒船来航により開国を迫られてから7年しかたっていなかったが、人々が対等な立場で議論し、協力して社会をよりよくしていこうとするこの国がすっかり好きになった福沢は、米国を『極楽世界』と評した。

今や米国第一を振りかざし、討論ではなくディールで相手をねじ伏せ、自らの意に沿わない大学からは留学生を追い出し、学問の自由にも露骨に介入しようとしている。世界があこがれた米国の時代は終わりの告げたのだろうか」と。

別の話になるが、日本製鉄によるUSスチール買収(投資?)問題も、日本の製鉄技術なしでは再建が難しいと流石のトランプも思い始めたのだろうか。交渉条件がかなり緩和してきているようだ。以下に日経新聞による解説を紹介する。

「USスチールは1960年代までは世界最大の鉄鋼メーカーだった。1980年代に日本に抜かれ、90年代には中国に抜かれた。経営危機のたびに政府が関税などの輸入規制で雇用や生産を守ることに終始し、技術革新は停滞したままだった。対して日鉄はトヨタ自動車など顧客の品質要求や電動化などの技術革新に合わせて成分を調整したり表面加工の技術を磨いてきた。高張力鋼板や電磁鋼板などの製造だ。鉄鋼業は操業技術で大きな違いが出る。日鉄は独自の操業技術を生かし、USスチールの既存設備も高級鋼の生産に生かせるとみている。」と。

(編集子)今日の報道で、USスチール社員との会話が紹介されていたが、インタビューされた男性が嘆いていわく、(18年代に設置された機械がまだ使われている。新日鉄が来ればこれも新しくなるだろうと思ってる)と。

先に安田君が嘆いていたように、短期の業績だけを追求する姿勢からは長期の投資に挑む姿勢はでてこない。パクスアメリカーナはついえた。パクスジャポニカの時代が夢ではなくなったね。経済や軍事の指標はあれこれあるが、以前にも本稿で触れたけれど、80年間、一人の若者も戦争で死なせたことのない国が存在する、というのは現実なのだから。

いま、この稿をアップしようとしているデスクの前に今朝の読売が1面で、”日鉄、完全子会社化へ” とUSS買収の決着を報じている。いろんなことが起き、いろんな議論が沸騰するだろうが、福沢時代の日米関係を思い起こせば、これは明治維新に匹敵する、歴史的な出来事のような気がする。KWVには何人も日鉄OBがおられる。もし彼らがまだ現役社員であったら、この事件をどう受け止めただろうか、ぜひとも聞かせてほしいものだが。