ブログ「ピッツバーグに煙突が何本あるか見てこい!」を大変面白く読ませて頂きました。
山本五十六の滞米(1919〜21年、ハーバード大学留学)から約50年後、今から57年前の1968年に初めてアメリカの土を踏んだ時、「こんな富んだ工業強国と戦争を始めるなんて日本は馬鹿のことをしたもんだ」と強く思ったものだ。今では rust state (錆びついた州)と呼ばれる中西部、特に製鉄生産の中心都市ピッツバーグの煙突の数に、山本が驚愕したのも頷ける。山本は経済のエネルギー源石油採掘・精製過程にも大いなる関心を示したと伝えられている。
だが、平家物語冒頭の一説「盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず」の気配が漂う、今日のアメリカの困難の象徴的な一例としてrust satesの惨状!を、現在の我々は目の当たるにする。これもROE(Return on Equity)至上主義の経営のやり方の結果であろうと思っている。つまり企業の利益を株主資本(自己資本)で割った比率、要するに株主から提供を受けた資金を使って、企業がどれほどの富を生み出したかを測る指標である。
企業経営 ROE或いはROI (Ruturn on investment,投資対利益比率)を高めるための対策は大きく2つある。その第1は分子対策(当期利益向上)、すなわち経営効率向上を狙って事業の選択や集中、場合によってはリストラ(工場閉鎖、従業員解雇)による経費軽減を進めることにより企業全体としての利益率を引き上げることであり、その第2は分母対策すなわち自己株式の買い入れなどの方法により1株当たりの利益を濃縮することである。
見落としてならないのは、アメリカの経営者は業績如何で莫大な収入増もあれば、逆に上手くいかねば直ぐ解雇の憂き目にも遭い、短期的にROE或いはROI業績向上を目指す傾向が強く、中長期的に必須な経営資源(人材、設備、研究開発ノウハウなど)を削減して即ち犠牲にして、短期的(経営者の任期内)な利益を稼ごうとする。将来性を犠牲にする近視眼的経営に陥るリスクが高い。特に工場、生産設備、研究開発人材に巨大な資本・経費を必要とする第二次産業製造業に於いては顕著にこの現象が見られる。且つ、製造業における品質管理、製造従事者の量的・質的低下の問題を抱え、厳しい状況に陥っている。かつてのピッツバーグの雄US Steelなどはその最たる好例ではないだろうか。第三次産業(情報通信・医薬/医療・教育・ナノ・金融業・外食産業・観光業など)では工場・設備などの固定資産への資本投資(即ち経費)が相対的に少ないので、アメリカが有する先進的且つ付加価値の高い企業経営能力と先進技術がが依然として発揮される産業分野ではあろう。
山本五十六は新潟県長岡市出身だが、幕末から明治維新期に活躍した長岡藩牧野家の重臣に河井継之助がいた。司馬遼太郎著「峠」は彼と長岡藩の運命に詳しい。河井は江戸への往来は隧道のない三国峠を通った。浅貝に泊まった(本陣であろう)との記述もある。三国峠には峠を越えた歴史上の人物が記されている標識が立っているが、河井継之助介の他、坂上田村麻呂、弘法大師、上杉謙信、伊能忠敬、良寛、小栗上野介、西園寺公望の名も見える。河井は戊辰戦争で幕府側に徹底抗戦し薩長の官軍との戦いで長岡から福島へ通じる村で戦死、享年41。生き残って明治維新以後の日本の発展に寄与して欲しかった逸材ではあった。
山本五十六は、戦場視察の際、暗号を傍受されソロモン諸島ブーゲンビリア島上空で搭乗機が撃墜された。1943年。享年59。日米両国、経済の地力の差は如何ともし難く物量面のみだけではなく、彼我の差は情報通信の面でも明らかであった。五十六は短期決戦に持ち込まねば、結果は彼には目に見えていたのだろう。聡明な五十六も継之助も負けるのは戦う前から分かっていたのだと思う。
(編集子)山本元帥戦死のきっかけは、現地で前線視察にむかった元帥搭乗機の目的地到着時間を打電した現地司令官の信号をアメリカ軍が傍受。これを知って現地米空軍司令官は、攻撃していいかどうかを大統領に問い合わせ、許可を得て戦闘機を迎撃にむかわせたという。なぜそうしたのか、はわからないが、考えられるのは元帥機を待ち伏せすれば撃墜はできるが日本の暗号を米軍は解読していることがわかってしまう、という懸念があって、最高司令官の判断を仰いだのだろう(もっともある本では現地の司令官は平文で送信したといわれている)。
ナチの暗号機エニグマの解読に成功した英国では、チャーチルは成功したことをドイツには知らせないことで逆手にとることを選び、ドイツ空軍の大規模空襲を察知しながらあえて防備をしなかった。その結果、たしかコヴェントリーだったと思うのだが街が大被害を受けることになった。戦争と政治の冷酷さを見せつけられる気がする。日本だったら、多分、起きなかったと思われる史実である。
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