サラリーマン生活引退後、外資系企業勤務の間に多少は使えるようになった英語をなんとか無駄にしたくないと思い、会話學校へ通ったりいろいろやっているのだが、たまたま、偶然の機会から読んでみたジャック・ヒギンズの The Eagle has landed (鷲は舞い降りた) の印象と読後の一種の充実感とから、ビジネス文
この道に誘い込んだヒギンズ。30冊くらい読んだ中でおすすめは East of desolation (廃墟の東)である 書では得られなかった英語の面白さにいわばはまってしまった。そのころ読んだある本に、ポケットブックを百冊読めば英語の達人になれる!と書かれていたのにうまうまとのってしまい、それに挑戦しようと思い立った。 この本の著者は百冊を1年でこなせというのだが、これはとてもできないとあきらめた。年に百冊、となれば1年を50週として1週に2冊、つまり3日に1冊は読まねばならぬとわかったからだ。そこで目標をもう少し長期にとって、目が黒い間に10万頁、読んでやろうと思い立った。ペリカンなど一般的なポケットブックは1冊300頁くらいのものが多いので、ま、300冊読めば何とかなるという勘定である。
ヒギンズをアマゾンで徹底的に探し、20冊くらい読み終えてから、思い立って読書の記録を取り始めたのが2013年3月13日読了のリー・チャイルド “Killing Floor” という、トム・クルーズ主演の映画 アウトロー の原作、主人公ジャック・リーチャーシリーズの第一号作品である。以後、ハードボイルド中心のミステリ、英国伝統の海洋冒険ものなどを読み、その結果、特に第二次大戦(欧州戦線)の戦史に興味が湧いてきて関係する記録文学など(これらはポケットブックには入っていない単行本)を中心に今月すなわち2021年9月まで、ちょうど8年で256冊累積82,178頁を読み終えた。今年は無理だが来年中には9万の大台に乗りそうで、これなら何とか初期の目標は何とかなりそうな気がしている。
読んでいる対象がやれドストエフスキーだフォークナーだなどという世間体のいいものではないし、そもそも動機がそういう意味では不純?なので、興味も妙なことに行く。今面白いと思い始めたのが物語に出てくる人物の名前である。ミステリだとか冒険小説だとかいうジャンルの作品の主人公は、エラリー・クイーンにはじまってエルキュール・ポアロにせよ明智小五郎にせよ、大体変わった名前のものが多い。間違っても中村一郎だとか山本太郎なんていう名前は出てこないし、ポケットブックにしてもやれスミスだのブラウンなどという探偵にはお目に書かれない。前に述べたリーチャー、という名前は著者がどうしようかと夫人に相談しながら、棚の上の本に手を伸ばした(reach した)とき、夫人が、ああ、それ、reach がいいなじゃない?といったのでReacher という主人公が誕生したのだそうである。いずれにせよ、著者にはそれぞれの思惑があるのだろうが、主人公はともかくとして、なんといってもミステリ物はいわば人間関係が主題の本だから、登場人物は数多い。筋が込み入ってくれば混乱も起きる。特にロシア人とかアラブ系の名前は満足に発音さえむずかしいのが多いのでなおさらである。だからどうしても名前、に注意がいかざるを得なくなるのである。
一体、どんな名前が多いか。このあたりは当然グーグルの出番になる。検索結果の一部を転載してみよう。
アメリカの名字ランキング
1位~10位 順位 英字 カタ カナ表記 由来 1位 Smith スミス 鍛冶屋 2位 Johnson ジョンソン John(ジョン)の息子 3位 Williams ウィリアムズ William(ウィリアム)の息子 4位 Jones ジョーンズ Jone(ジョーン)の息子 5位 Brown ブラウン 黒い髪の人 6位 Davis デービス David(デービッド)の息子 7位 Miller ミラー 粉屋 8位 Wilson ウィルソン William(ウィリアム)の息子 9位 Moore ムーア 沼沢地・高地の荒野に住んでいる人 10位 Taylor テイラー 仕立屋
ほんの初級レベルだが、恐る恐る読み始めたドイツ語(前記のページ数には3冊ばかりドイツ語のものも入っている)で言えば、第一位がミュラー、以下シュミット、シュナイダー、フィッシャー、メイヤー、ウエーバー、シュルツ、ワグナー、ベッカー、云々となるそうだ。 これら人名の文章の中での現れ方だが、英語ではご承知の通り、固有名詞は大文字で始まるので、パターン認識といえば大げさかもしれないが、ページを開いた時に人名と地名が無意識に頭に入る。ところがドイツ語はすべての名詞は初めの文字を大文字で書く、という厳格なルールがでんと居座っているので、そういう意識が働かない。ぱっと見たときには文面のイメージがえらくごちゃごちゃしている。いわばパターン認識が難しいのである。
日本語ではどうか。日本人の苗字の代表は周知のとおり佐藤が第一位はゆるがず、以下、鈴木、高橋、田中、伊藤、渡辺、ついで山本、中村、小林、加藤となり、吉田、山田、佐々木、山口、松本、井上、木村、林、云々となっている。だいぶ以前(僕らが高校のころ)、“おーい中村君” という歌が流行ったことがあった。この時点では中村姓が日本人の代表だったらしいのだ。だがいずれにせよ、これらの名前がほかの品詞と混乱することはまずない。大文字で表記されなくても、また100%とはいえないまでも(地名もあり得る)人名だということはとっさに認識できる。かな漢字交じりの文面は混乱しているようでもあるが、この意味では混乱することがない。
さて、この “日本人のお名前“ で言うと、代表的な姓がほとんどすべて、環境とか植物とか日本という国の自然を表す文字を含んでいることに気がつく。上記したいわば代表もそうだが、とっさに思いつくだけでも、山、川、原、岡、林、森、木、沼、田, 野、水に沢、さらに松、竹、梅,藤といった日本固有に近い植物の名前が使われるケースが圧倒的に多いように思える。これが英語では、たとえば Woods なんて例もあるが、一般的には人名はそれ自身、一つの体系というかルールというようなものを持っていて、ほかの名詞から隔絶した存在を主張しているように思える。もちろん、歴史を先史時代までさかのぼれば、名前というものは世界どこでも同じようなやり方で発生し、それぞれの国や地方の歴史とともに変わってきたのだろうが、何らかの形で自然とのかかわりあいを持ち続ける日本人の名前には、やはり自然との共生をよしとする民族性がつながっているのではないだろうか、と想像する。日本に生まれはぐくまれてきた、すべての自然に神が宿る、とする宗教観、逆に言えば特定の唯一の神のみを信じる狭隘なものの見方にこだわらない思想、という背景につながるのではないか、と感じるのである。
ところで、自分の苗字は珍名とは言わないまでもあまり多いほうではない(山口県や広島県あたりでは決して珍しくない)が、関東地方では少ないほうなので、時として特に電話などでは聞き返されることがしばしばある。英語ならば、戦争映画なんかによくでてくるフォネティックコードというやつで、ノヴェンバー、アルファ、云々とやればいいのだが、日本語では漢字を説明しなければならないうえ、このコードのように標準化されたものがない。一昔前は、中原ひとみのナカに司葉子のツカサに青山恭子のキョウです 、とやって結構面白かったが昨今はいい方法がない。キョウはある時どこかの店で女子店員に教えられて、深田恭子のキョウ 、とやれば通じることが分かったのだが苗字については目下研究中。
また日本びいきのアメリカ人は何にでも興味があって、名前が持つ意味は何だ、という連中が多かった。いろいろやったが、中は central, 司は administer, 恭は respectful 、という意味だから、俺の名前の意味は Respected Central Headquarters だ、どうだ、とやって喜ばれたものだった。
潜水艦物の始まりはやはりレッドオクトーバーを追え!だった ところで今週読んでいるのは現在売り出し中のジェラルド・バトラーが主演した映画、ハンター・キラー と同じ著者の書いた潜水艦物語で Arabian Storm という本だが、当然とはいえ発音に苦労するアラビア人とか、著者の趣味なんだかどうだか知らないが潜水艦の乗り組みにやたらとヒスパニック系が多い本で、またまた名前に苦労しそうだ。次はあまり名前に苦労しなそうな本がいいのだが、さすがのアマゾンもそこまでのインテリジェンスは持ち合わせていないようだ。