今回の話題のきっかけはスガチューの一文だが、なんせコロナ日和(?)で暇なことと見えていろんな話がでてきた。今の子供だったらどんなゲームが初めてだった?とでも、俺たちがいなくなって(多分それからしばらくして)話題にするのかなあ。
(菅原)本日、いつもの如くボーットしていたら、閃きました、いや、大した事ではありません。「俺が、初めて見たエーガは何だったか」と言う疑問です。いくら思い出そうとしても、曖昧模糊。紅茶を飲んでも駄目、マドレーヌなんてないから食べていませんが、失われたエーガを求めても忘却の彼方。そして、考えに考えぬいて、以下の2本ではないかと。どっちが先でどっちが後かは、判然としません。
1.「石の花」(1946年)。ソ連、初めての総天然色。叔父夫婦に連れられて見に行きましたが、劇場は、それこそ立錐の余地もなく超満員。大人と大人の間から覗いていましたが、覚えているのは、色が付いていたことだけで、他は、全く覚えていません(これを、見たと言えるのか)。因みに、ソ連のエーガでは、「戦艦ポチョムキン」を除くと、一番、面白かったのは、G.チュフライ監督の「誓いの休暇」(1959年)です。
2.「ターザンの???」(題名は完全に忘れました)。小学校の映画観賞会で見ました。しかし、覚えているのは、ジェインが危機に陥り、それを助けるターザンが奇声発して登場するところで、館内が一斉に地鳴りのようにどよめいたことだけです。ただ、ターザンがジョニー・ワイズミューラー(以下。ワイズ)だったことだけは覚えています。ワイズは、てっきり米国人だとばかり思っていましたが、先ほどネットを見たら、ルーマニアからの移民であることを初めて知りました。
皆さんは、小生ほど間抜けではないことから、初めて見たエーガはキチンと覚えておられるとお察しします。
(安田)菅原さんの初めての映画、想像も出来ない2本を挙げておられました。「石の花」1946年、終戦の翌年・僕の生まれた年・菅原さん多分8歳。ようまぁ~そんな難しいエーガに行かれましたね!しかも、終戦の翌年はどんな焼け野原だったのでしょうか?人間やはりホモルーデンス、遊びがないと生きて行けません。菅原家の格調と文化の香りが匂い立ちます。
さて僕は何を初めて観たか思い出そうにも思い出せません。3本候補があります。「しいのみ学園」、「紅孔雀」、「笛吹童子」。しいのみ学園は1955年公開とある。小学校2年か3年生で先生に引率されて生徒全員で観に行った。オイオイ泣いたことを覚えている。出演した香川京子は素敵なお姉さんだというのも鮮明に覚えていて、以後10年間は彼女のファンであった。あと2本は東映のチャンバラ映画。ラジオ放送でドラマを聞いていて映画になったので早速観に行ったと思う。これらも’55~’56年頃だったと記憶する。三角形の真ん中に東映の文字が海岸の荒々しい波しぶきの中に浮き上がってくるとそれだけで興奮したのを覚えている。当時の東映のチャンバラ映画の主役俳優はいつも同じ。中村錦之助、東千代之介、大友柳太郎、悪役は常に月形龍之介と吉田義夫、女優陣は高千穂ひづる、千原しのぶ・・・。’50年代は名作が目白押しだった洋画は高校生になるまで全く観に行かなかった。
(中司)なるほどなあ。初めて見たエーガ、ねえ。夫婦二人で首をひねったが、たぶんジョニー・ワイズミュラーのターザンものだったのかな、というのが結論。
それと、当時まだ学校の講堂に付近の小学校の生徒と一緒に映画演劇をみる、というのがときどきあって、空気のなくなる日 というのを見たことがあった。これかな。5年くらいになるとセーブゲキてえのがあるとわかって、兄貴に頼んで連れていてもらうことが何回かあった。場所は自由が丘の南風座だったろうな。その時は傑作だなんてわからず、クレジットが牧場の柵に焼き判ででてくるのに感動した記憶があるから、かの 荒野の決闘も早い時期に見ていたのは間違いないし、床屋で主人公んが闇討ちされるのに子供心にショックを受けた記憶があるから、西部魂もみていたはず。
(相川)学校から見にいった 「仔鹿物語」(日本公開昭和24年) が最初だったと思います。カラーにびっくり。少年の気持ちになって撃ち殺される子鹿に涙しました。先日BSで見ました。南北戦争後のフロリダでの開拓民生活と知り、印象が変わりました。「シェーン」(日本28年) でも少年になって 「シェーン・カムバック」と叫んでました。ジャイさんの「空気のなくなる日」(昭24)は 私も見て印象強く残っています。ハレー彗星が接近して空気がなくなる というので、大騒ぎになり、タイヤのチューブを買ったり風呂場に隠れたりするユーモラスな話。学校推薦らしい内容。
(保屋野)初めて観た映画ですか・・・私も全く覚えていません。
ただ、いずれにしても、小学校の課外授業で観たのでしょう。校庭で観た記憶はあります。候補は、裸の島、ファンタジア、菩提樹、野バラ・・・多分違うでしょう。チビ太の「笛吹童子」「紅孔雀」はNHKラジオの新諸国物語(昭28年頃)で聞いた記憶が。その後に「剣を持ったら日本一の少年剣士」の「赤胴鈴之助」(昭32)が 登場、TVドラマでは吉永小百合が初出演。 その頃 我が家にもなんとかTVが入ってました。
子供心に見て感動したのはディズニーの「ファンタジア」(昭30)です。クラシックの名曲とファンタジックなアニメーションを合体させて見せる試みに びっくりしました。「魔法使いの弟子」は今でも思い出します。
(金藤)初めて見た映画は・・・昨年も書きましたが、
(船津)最初に観た映画なんて記憶力テストみたいなこと仕掛けてきたのは
(小田)初めの頃は両親の好みの映画に連れて行かれていたように思います
(小泉) 初めて見た映画、残念ながら記憶が遠く、どの映画かわからないの
「石の花」が話題になってましたので、カラー映画について一言。
(飯田)長野県豊科町安曇野の田舎の小学校低学年時代に学校の校庭に映写幕を張って見た(多分、村民と一緒だった?)数本の映画です。タイトルは覚えていませんが、ちゃんばらの日本映画に混じって「若草物語」(総天然色)を見ました。
(久米)映画大好き人間の両親に連れられて月に一回は映画を見に行っていたようです。私は1943年生まれで我が家では末っ子です。長女の姉は6歳上ですからその子供達を連れて映画に行く時にはどこに照準を当ててたのかと思いますが他の作品も連れていかれていると思うのですがはっきりと記憶にあるのはワイズミューラーの「ターザン」です。アアアーアーアーと右手を口に当てて叫び、樹から樹に飛び移るターザン、面白かったとの記憶があります。兄と映画を真似て落とし穴を作ったり致しました。「キングコング」も見ましたが恐ろしくて幼い私にはこのサルの顔が只々憎らしく思えました。
続いて「ターザン紐育に行く」背広を着させられたターザンが都会で戸惑うという筋書きでした。モイラーシャーラ―主演の「赤い靴」も記憶にあります。「名犬ラッシー・家路」はポロ涙一杯のお気に入りの映画でした。初めてのディズニー映画「白雪姫」楽しかてうっとりしました。交通博物館で常時上映されているミッキーマウスよりずっと夢がありました。」それから「バンビ」「ダンボ」「ファンタジア」と欠かさず見ました。。「踊る艦隊」「凸凹カーボーイ」「仔鹿物語」「カーネギーホール」など見た記憶があるのですが不思議に思うことは小学校低学年の私が良く字幕を追いかけて映画を見ることができたなあという事です。「馬」という日本映画も見たような気がしますが調べてみると高峰秀子主演で封切作品ではないものを観たと思われます。今、見直しますと幼い時に見た印象と全く違う印象の物も多くその映画に適した年齢で観賞することが大事なことだと思うようになりました。