ケイオーイズムが輝いた一戦   (HPOB 菅井康二)

塾野球部はこのコロナ禍のため変則ルールではありますが春季リーグ戦では3季ぶり38回目の優勝を果たし、東京六大学代表として第70回大学選手権記念大会においても34年ぶり4度目の日本一になりました。
選手たちは秋季リーグ戦の前から四冠(リーグ戦の春・秋連覇、大学選手権と神宮大会制覇のグランド・スラム)達成を目指して練習に励んでおりました。開幕直前に法政野球部では30余名の感染者が出てしまい、他のリーグでは不戦敗となるところですが法政が参加できるようにさらなる変則スケジュールを組んで秋季リーグ戦が開催されております。

総当りの対校戦は同じなのですが、春と同様で延長戦は行わず2試合 までで勝利で 1点、引き分けで0.5、敗戦で0という 通常の先に2勝して勝ち点1とは違うルールでやっています。法政は9月中は出場が無理 なので10月からの参戦ということでチームによっては月曜を空けて火水という5日間で4試合を行うことがあるという変則 スケジュールです(火水のあと木金を 空けて土日という6日間で4試合というチームもあります)。 法政の監督は六大学の友情に感謝して涙を流していたそうです。

塾野球部は第1週目は東大と 対戦し大過なく二連勝し、先週末は 相変わらず甲子園常連の野球強豪校からの選手を取り揃えた 明治戦に臨みました。応援に 行った土曜日の1回戦は6回裏まで31でリードするも7回表に同点、さらに8回表には43と逆転され後半の流れは明治に行っていたのですが8回裏に 明治の暴投で同点に追いつきそのまま引き分けました。

リーグ戦連覇のためには負けられない日曜日の2回戦 なのですが、ジャズ・ポップス三田会の同期から10/17(日)にリモート開催の 連合三田会で流す演奏の撮影を依賴されていたので 日吉に行っていました。撮影の合間にスマフォで試合経過を追っていました。3回に 先取点を取るもその裏に逆転され21の まま8回裏まで 経過してしまい 、「もはやこれまで!」を諦めておりました。撮影が終わってスマフォでチェックすると なんと9回表に1点を取り 22で2試合連続の引き分けで終了していました。これは勝ちに等しい引き分け(第1試合では開幕以来3連勝していた立教に東大が74で土を つけました)といえます。

同点にした経緯を調べたら、9回表二死ランナーなしで代打の東筑高校出身の北村兼介選手(右・左、3年)が神宮で放った初ヒットが低い弾道で ライトにスタンドインしたとのこと!勝つことこそ出来ませんでしたが貴重な引き分けを拾いました。現在は東大の頑張りも手伝って塾野球部は暫定ではありますが首位に立っております。

値千金のホームランを打った北村選手(内野手・捕手)は高2夏・高3春と2度 甲子園に出場していますが、 オープン戦で見た限りでは守備は六大学レヴェルではちょっと難しいが思い切りの良いバッティングを するのでDH制のない六大学では左の代打の切り札かな?と勝手に想像していました。まさかあの土壇場であのような大仕事をするとは全く 予想していませんでした。最近は2003年に導入された 推薦 入試 制度で実績のあるポテンシャルの高い 生徒が入学するようになった塾高 出身選手を頼りに する傾向が強い塾野球部ですが、 公立進学校 の選手が活躍 するKEIO野球の伝統が現在でも継承されており嬉しい限りです(2回戦で先発した増居投手と ショートの朝日選手は 彦根東出身の3年生)。

ベンチ入りして活躍している文武両道の公立進学校出身者をまとめると以下の通りです。心意気に感じて応援したいものですね(最後の数字はは各選手が甲子園出場した年です。橋本は甲子園には出場していません)。

投手 増居 翔太(左・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
投手 橋本 達弥(右・右、3年、兵庫県立長田高)
内野手 北村 謙介(右・左、3年、福岡県立東筑高)17年夏、18年春
外野手 橋本 典之(右・左、4年、島根県立出雲高)16年夏
内野手 朝日 晴人(右・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春

神宮に行っていた応援仲間から聞いた話では 北村選手の応援に来ていたご両親は泣いていたそうです。ベンチ入りしているとはいえレギュラーではないので出るかどうかは分からないのに北九州から両親が応援に来てくれる今時の選手は幸せです。

昭和35 年のセンバツ に出場してベスト8になり 大学では六大学初の完全試合を達成した直方出身の大投手渡邊泰輔さん(塾高大学南海)と神宮でお目に掛かった際には「中学生の頃は小倉高校から甲子園 に出場して早稲田で野球をしたいと思っていた」と仰っておられました。慶應の野球応援仲間 では 密かに「泰輔さんが塾高の元祖推薦 (AO)入学」と囁いておりました。