懐かしい顔です  (34 小泉幾多郎)

安田さんから尾白川渓谷遡行の記事に、船津さんの清涼感満点と保屋野さんお西沢渓谷とのメールを拝見。大分昔のことですが、歩いたことを思い出し、メールを書かないではいられなくなりました。

あれは今から12年前の2011年7月28日、安田君同様、二人で、ご存知?KWV同期の矢郷君と自家用車経由で行ったことを昨日のように想い出しました。当時は、KWV34年卒は、年間行事として、新年会、お花見、納涼会、忘年登山を持ち回りでやる決まりがあり、その年も忘年登山として、2011年11月23-24日西沢渓谷を歩いたのでした。三人の文章を読むと当時のことが思い起こされます。まあ当時と似たような年齢?小生今歩こうにもチョットムリのようです。

歩くのは今のうちです。大いに歩き回って下さい。 素晴らしい滝の写真思い出されます。西沢渓谷の集合写真がありましたので巻頭に紹介させてもらいます。。合計参加人員16名、うち奥方2名、先に逝ってしまった仲間5人もいるのには、今更ながら残念。

(編集子)小生などから見れば、一番怖かった 鬼の三年生 先輩各位、いろんなことが次々と思い出されます。まさに ブリック なんかで歌った歌の文句どおりですね。

 

彼岸に思い出すことなど

KWV同期の仲間で、月に一度、高尾山くらい歩こうぜ、と気楽にはじめた “月いち高尾” という行事が、1年も続けば上出来、と思っていたのに後輩の年代からうわさを聞いて参加してくれる人が増え、いまでは言い出しっぺの我々(昭和36年度卒)とは現役時代会うこともなかった ”若い“ 諸君が主力となり、毎回参加が増え、リーダーも僕らの用語でいう ”50年代“ に移ってOB仲間の交流の場として定着した。僕らKWV卒業生にはOB会の存在が何よりのものだと改めて感じる。

この種プランでもちろん欠かせない二次会、その定番となったJR高尾駅南口にある 天狗飯店、通称テング、は中華料理店、といいながら日本蕎麦からデザートまで豊富なのだが、そこで壁に貼られたメニューを冷かしているうちに “汁粉と と ”ぜんざい” はどう違うか、という議論になったことがあった。居合わせた40年卒、通称 “あいちゃん” こと藍原瑞明君が律儀にこの事情を調べてこのブログに投稿してくれたことがあった(2018年1月21日付本稿)。大体がのん兵衛仲間で出来ているプランでこの種の話題自体、珍しいのだが、日ごろからのほほんとしている(ように見える)”アイちゃん” の意外な几帳面さを発見して一同感心したものだった。

さて浮世はお彼岸とあって、9月20日付け読売新聞のコラムに彼岸のお供え物に関する記事が掲載された。その書き始めに、・・・・ぼた餅かおはぎか、和菓子として同じものだが・・・・とあったので、この汁粉ぜんざい論争?を思い出したというわけだ。新聞記事の中でもこの種のコラムを書く人は論説(社説)を担当する人が其の新聞の表の顔とすれば、裏の顔と言われるくらいのベテランであるのが通例である。読売でここを担当しておられる方を存じ上げているわけはないのだが、たびたび心に響く記事を多く拝見したり、なるほど、そういうことかと納得することもたびたびある。

今回の記事は彼岸にちなんだ話で、それによると、この時期に登場することが多いぼた餅は春に咲く牡丹、おはぎは秋に咲く萩の花にちなんだもので、江戸時代には同じものを夏には 夜舟、冬に 北窓 と言ったそうだ。餅米を突かず、つぶして作ることから “着き知らず” の夜舟、寒いときにはこれを ”月知らず“ の北の窓、としたという。コトバ遊びかも知れないが、なんとも優雅ではないか。正岡子規は “梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな” と詠んだそうだ。

小生この肝心の彼岸、という行事にいままであまり関心をもったこともないし、父母の墓参りもろくにしていないのだが、(そういえば彼岸だなあ)と気がつけば、ここ数年の間に申し合せたように彼の岸にわたってしまった幾人かの友人のことがなんとなく心に浮かぶ。季節もうつり替わるこのころ、日本という国のもつ優しさみたいなものを感じている。

あすあたり、夜舟、でも買いに行こうか。

尾白川渓谷散歩     (44 安田耕太郎)

”おじらがわ”(尾白川)と読む、甲斐駒ヶ岳を源とする富士川の支流の雄大で優雅な渓谷に友人二人と一緒に行ってきました。上流部の花崗岩層を通った清らかな水は、「日本名水百選」に選ばれ、「南アルプスの天然水」としても有名。北杜市白州の絶景スポット。20余の色とりどりの滝の織りなす絵巻物の景色を堪能しました

都内から車で2時間、中央高速道・須玉ICで降りて、20分で尾白川渓谷駐車場へ。そこから5分ほど歩くと標高770mの駒ヶ岳神社が渓谷の入り口。そこは甲斐駒ヶ岳へ登山する、頂上まで標高差2200mある日本三大急登のひとつ黒戸尾根の登山口でもあります。吊り橋を渡って、左へ行けば黒戸尾根へ、右(尾根の北側の沢)へ行けば尾白川渓谷です。

渓谷の最終地点・不動滝(標高1100m)まで往復6.5キロの道のり。標高差は350mほどだが登り・下りの累計標高差は道がアップ&ダウンしていて、それぞれ600mもあります。高尾山登山口から頂上までの約2倍。道はサンダル履きで気軽に歩ける渓谷と異なり、登山靴が必須の本格的登山コース。渓谷沿いの道は狭く急勾配、岩場、崖、梯子階段、安全確保用のロープあり、滑りやすい木の根っこは随所にありと、安全第一の慎重な歩行が必要なコースでした。滑落事故も起こっているとのこと。黒部渓谷の欅平・阿曽原間の水平歩道を彷彿とさせる箇所もあり、往復4時間超を要したものの、深い森の中オゾンをたっぷり吸って、滝も近くマイナスイオンを感じられた涼、雄大な渓谷美、登山気分を満喫できた渓谷探訪でした。

西国も秋の気配です  (大学クラスメート 飯田武昭)

宝塚はマンションだらけで秋を感じる場所は少ないですが、自宅横の武庫川の浅瀬に40~50羽の群れで鵜(う)が、羽根干しに両羽根を広げて休んでいる姿がこの季節は毎日見られます。

六甲山の東端が直ぐそばまで迫っているので、もう暫くして涼しさが増したら六甲山か五月山(東方面の川西市、池田市方面)に行けば秋が感じられます。でも私は兵庫県の不便さだらけの北部(太平洋側の神戸、姫路から日本海沿いの城崎温泉までが兵庫県です)の丹波篠山市、豊岡市などに近年は興味を持っています。

兵庫県の中部・北部は列車の本数が少ない、宿泊する宿が少ないなど不便さでは結構楽しめます。以前、レポートした≪丹波の森公苑-オオムラサキの会≫が、その一つです。

(編集子)学生時代、父親が阪神芦屋駅前にあった、戦前の富豪の家だったというところを改造した社宅に入っていたので、毎夏、1週間ほど滞在するのを常にしていた。家から芦屋の浜まで、海パンにサンダルで泳ぎに行けたものだ。宝塚には2度ほど行ったことがあるが、飯田兄のご指摘の様な風流を楽しむには幼過ぎたのだろうか。いずれにせよ、暑い武蔵野くんだりでは味わえない秋かな。

 

八ヶ岳南麓ー収穫の秋がそこまで (グリーンビラ総合管理HPより転載)

現在の外気温24度、雲が多い空模様ですが晴れとなっております。湿度が高めでジメッとした空気に感じます。

「八ケ岳シャイン」として栽培している葡萄を本日、「よってけし長坂」に初出荷してきました。朝5時に収穫して、仕分け、梱包等を済ませ、店舗内に置かせてもらいました。少しづつですが、出荷していきますので目に付きましたら、手に取って頂けたら幸いです。

乱読報告ファイル (43) ”戦争もの” 乱読記 (普通部OB 菅原勲)

以下の“戦争もの”を立て続けに読んだ。

1.「暁の宇品」(ノンフィクション)。添付の感想をご覧ください。

2.「銃弾の庭」(フィクション)。著者:S.ハンター。連合軍、ノルマンディー上陸後、米軍を悩ませて来たドイツのスナイパー(狙撃手)を、同じくスナイパーのアール・スワッガーがやっつけるお話し。

3.「暗い波濤」(フィクション)。著者:阿川弘之。ミッドウェイで米国にボロクソに負けて以降、終戦(敗戦)までを、海軍第二期予備学生たちの群像を中心に描いた負け戦のお話し。

ノンフィクション、「暁の宇品」、副題が「陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」を読む(著者:堀川恵子、出版:講談社、発行:2021年)。宇品港(現広島港)を作った広島県令(知事)、千田貞暁の一字を取って、その司令部は「暁部隊」と呼ばれた。

亡くなったノンフィクション作家、立花隆(例えば、「田中角栄研究」、「日本共産党の研究」など)が堀川を極めて高く評価していたが、それを裏切らない出色のノンフィクションだっ

た。ただし、以前、堀川が亡夫、林新の原稿を基に書いた「狼の義 新犬養木堂伝」を読んでいたから、これが初めてのことではない。

勿論、題材が殆ど知られていない陸軍の船舶部隊のことだったことにもよるが、事実を徹底的に調べぬき、それを一つの物語に仕立てた手腕は並大抵のものではない。

その内容は、陸軍と言っても戦闘の話しではなく、戦闘に欠かせない兵員輸送と兵站の話しだ。日本と言う島国からは、戦闘員を目的の大陸、島などに輸送する手段が必要となる。勿論、兵站についても同様だ。だが、日本では、海軍が自分のことで手一杯であったことから、そう言った輸送は陸軍がやることになった(他の主な国では海軍がやっており、日本の場合は長州[陸軍]、薩摩[海軍]の軋轢があったが故の話しとも言われている)。

しかし、陸軍に船舶の建造能力などある筈がなく、船員も含め全て民間の商船などを徴用して輸送船とせざるを得なかった(この戦争で、7200隻以上の商船が、撃沈されたと言われている)。これら裏方の業務を一手に引き受けたのが、軍港である宇品にあった陸軍船舶司令部だ。呉が海軍の軍港であり、宇品は陸軍の軍港だったわけだ。

なかでも注目すべきは、陸軍の船舶輸送制度を整備し「船舶の神」と言われ、昭和12年(西暦1937年)から15年(同1940年)、宇品の陸軍船舶司令官だった中将、田尻昌次の止むに止まれぬ建白書だ。田尻は、日本の兵站の脆弱性、致命傷を充分に知悉、熟知していただけに、米国との戦争は勿論のこと東南アジアに南進することさえも無謀であることを陸軍の中枢のみならず各省にも訴えている。しかし、船舶司令部内で不審火があったことを理由に、事実上、解任されてしまった。

また、原子爆弾が広島に投下された際、陸軍船舶司令官だった佐伯文郎中将の果敢な行動も忘れ難い。当時は、本土決戦も有り得る戦況だったが、佐伯は、独自の判断で(広島の陸軍は壊滅)、全兵力を燃え盛る市内の人名救助と災害復旧に割いた。放射能汚染の危険をも顧みず、戦闘司令部を市内の中心部に置き、自ら陣頭指揮を執った。実は、彼には、関東大震災の時の陸軍の支援活動の経験があったのだ。

その結果、今、呉が、依然として、海上自衛隊の拠点になっているのに対し、宇品には陸軍船舶部隊の影も形も残っていない。

これを読むと、作中、田尻が建言して、実質、解任されたように、当初から、日本は戦闘に必要な兵站を充分に考慮しておらず、大東亜戦争が全く無謀な試みであったことが良く分かる。それにしても、今にして思えば、日本は、途轍もなくバカなことをやったもので、つまるところ、その実体は、「ナントカナル」と言う得体の知れない代物だった。

(編集子)むむ。”暗い波濤” を読んだか。俺は感動して読んだね。いま、ひょととしたきっかけがあって、逢坂剛の イベリアシリーズというのを中古で買ってきて(アマゾンで一冊150円)最後の一冊を読んでる。貴兄ご指摘の全く無謀な戦争に至る背景(英国はアメリカの参戦を待つためどうしても日本に戦争を始めさせたかった、という見方)がメインの筋立てで、スペインという結局は中立で押し通した国の事情がなるほど、と思わせる。

直接関係はないが、貴兄の文章でながいこと疑問に思ってることがある。はなし、という単語に し という送り仮名は必要なのか? 小生かなづかいなんか気にしたことがないので、当用漢字が設定された時になにか決まりが設定されたんだろうか、という事を今さら尋ねるのも気が引けて今まで来た。ご解説賜れば幸甚にて候。

 

今度は帯状疱疹についてです  (普通部OB 篠原幸人)

9月5日、私も遂に第1回目の帯状疱疹不活化ワクチンを打ちました。筋肉内注射です。やはり高齢になってからの帯状疱疹は怖いからです。しかし、コロナのワクチン接種の時は何の副反応も起こらなくて,効いているのかと心配だった私が、今回は接種翌日に早朝テニスしたのが良くなかったのか、接種部位(テニスのことを考えて左腕に打ったのですが)の発赤・熱感・圧痛があり、体温も36.8℃に上昇(平熱は36.1~36.2℃)。熱は1日ですぐ下がったものの、注射部位の熱感と圧痛は3~4日以上続きました。まあ軽い副反応ですね。しかし仕事や日常生活・運動には何の支障もありませんでした。今後、接種する人はこのぐらいの副反応は覚悟しておいてください。

 

何故、そんな副反応を我慢して(たいした副反応ではありませんが)、しかも自腹を切って、帯状疱疹ワクチンの接種をしたかの理由をお話ししましょう。

 

子供に感染する「水ぼうそう(水疱瘡)」というウイルスの病気があります。これに一度でも感染すると、背骨の近くにある神経の塊(神経節)にそのウイルスはズーと潜んでいることが多いのです。静かに潜んでいるだけなら問題ありませんが、加齢・ストレス・過度の疲労・抗がん薬の使用などで貴方の体力・免疫力などが落ちた時に、チャンスとばかり一気にウイルスが増殖を開始することがあるのです。

50歳過ぎると、特に女性は、無論男性も、発症の危険があります。またお孫さんなどから改めて直接移ることもあり得ます。あるデータでは70歳以上の日本人の1/3はこの病気に罹るとか。そして最近、特に増えていることは確実です。

 

症状は、最初は紅色のポツンとした胸や背中、腕などの出来る発疹ですが、放置するとアッという間に発疹は拡がります。我慢できない痒みと痛みがあり、水疱(小さな水ぶくれ)が発疹の中にみられることもあります。その水泡の中にはウイルスが詰まっている可能性があります。この水泡に触れても、或いは飛沫感染も、また体液や物品を介しての感染もあり得ます。

さらに厄介なのは、発疹がはっきりしなくても、神経痛(肋間神経痛・腹痛・上腕痛・顔面痛など)だけの症状も出ることです。目の近くの感染で失明したり、あるいは難聴や排尿・排便障害が起こることもあります。

 

その予防がワクチンです。ワクチンは2種類、生ワクチンと不活化ワクチンがあります。発症予防効果は前者が50~70%、後者は90~97%と言われていますから、後者を私は選びましたが。不活化ワクチンは高額でかつ2回も接種しなければならないのが欠点です。費用は医院によって多少異なりますが、平均すると前者で8000円から1万円、後者で2万円前後(後者はそれを2回、すなわち4万円です)。

しかし、50歳以上の方なら、お住まいの都道府県によっても違いますが、ワクチン接種に補助金が出るところが多いようです。ちなみに私の住んでいる東京都港区では前者で6,500円、後者では1回あたり15,000円の補助がでますから、後者で2回打っても10,000円前後の持ち出しで済みます。一方、ある方の話では横浜市では補助金がでなかったとか?

まあ、港区は区民税がバカ高いからね。この点は、お住まいの区市町村の保険機関に注射を申し込む前に必ず問い合わせて、必要書類を貰ってください。

 

発症してしまったらどうするかって? なるべく早く、皮膚科の先生に相談することです。早めの診断と対応が必要で、抗ウイルス薬の内服・点滴などあります。しかし、皮膚科の先生の中には発疹の治療だけに気を取られ、神経痛などの合併症には気を使われない方もいるのでご注意を!! 読者に皮膚科の先生が居られたら、ごめんなさい。

 

私も2か月以上先の、2回目接種の副反応だけが、一寸だけ、心配です。

Hey, don’t worry, Joe.

I am at the said age and have no problem fully managing  my dear wife. 

(本日朝、読売新聞いわく)

・・・バイデン政権は関心が高い経済政策では、低水準の失業率を実現するなど一定の成果を上げている。それでも不人気なのは ”高齢”不安が広がっているためだ。現在80歳のバイデン氏が当選した場合、2期目を終えた際は86歳を迎える・・・バイデン氏が次の任期を全うできるか疑問視する声は76%に上った。

どうする、タツノリ ?

9回、秋広の2ベースから期待した奇蹟は起こらず。なんたって阪神に負けすぎだよな、辰徳くんよ。

あんた、来期、どうするの? 人間、引き際が大事だよ。おなじ若大将同士、加山雄三の捨て台詞は見事だったぜ。

(菅原)                                どうするもこうするも、原は賞味期限を過ぎた。リーグ優勝9回、日本シリーズ優勝3回、WBC優勝1回、やってんだから、晩節を汚すな。読売が、再び常勝軍団に戻るためには、監督、落合。これは、少なくとも、ナベツネが生きてる間は有り得ない。要するに、弱い読売は、クソの役にも立たない。

(安田)                                読売巨人軍の監督にはだれがなろうと興味はありませんが、外野席の傍目八目としては、広岡達郎、野村克也、落合博満の巨人軍監督の采配をみたかったです。原は東海大学が産んだ、柔道の山下康裕と並ぶ有名人(原が一歳若い)。東海大学の前総長・松前達郎はなかなの活躍した人物。彼は一歳ナベツネより若い。ナベツネが松前前総長と昵懇の仲であったなら(事実関係は全く知らず)、東海出身の原に引導は渡しにくいかも。

西武で成功を収めたV9時代のキャッチャー森祇晶もナベツネ(あるいは正力)に嫌われたのですかね?江川の声も全く聞かれませんでした。

慶大出身者は水原、藤田、高橋といましたが、絶対的カリスマ性は不足した感がしました。高橋の再登板の芽があるかも!?

 

(編集子)現在の岡本をつくったのはなんたってヨシノブ。松井をつくったのがチョーさんだった。現在の御贔屓、秋広を育ててくれるのもョシノブみたいな気がするんだけど。

 

なぜラグビー日本チームに外国選手が多いのか? (普通部OB 田村耕一郎)

1ヵ月前に友人M氏から、日本チームの外国人選手に関し、その資格についての
説明メールを貰っていましたので、ご参考までにそのまま転送します。
これに合点して、Global Japanの次のマッチも盛大に応援しましょう。

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先日、最近のRugbyのJapan 代表は他の競技と比べると外国人選手が多いのは何故というご質問があったので「Japanの代表になる資格」を下記にて説明いたします。

「代表になる資格」

先ず、日本をはじめ各国の代表になるには、ワールドラグビーの国際統括団体が定めた条件をクリアーする必要があります。

「他国での代表経験が無い」というのが「大前提」ですが、(つまり他の国でその国の代表選手としてプレーした選手は他の国の代表選手にはなれませんが、最近このルールも見直しをされ以前の代表チームの活動から3年離れるなどの条件を満たせば、別の国・地域の代表になることを認めることになりました。)

下記条件のうち「1つ」でもクリアーできれば、例え日本国籍を取得しなくても日本代表になることが出来ます。

1, 当該国で出生している。

生まれた国が当該国(ここでいう日本)なら、国籍が他の国でも日本代表になる資格があります。

2.      両親・祖父母のうち一人が当該国で出生している。

自身が当該国で生まれていなくても、両親、祖父母のうち一人が当該国で生まれていたら、日本代表になる資格があります。

3.      60カ月(5年)継続して当該国を居住地としている。(プレーする直前の60カ月間継続して当該国に居住していれば、日本代表になる資格がありま
す。)

4.      累積で10年間当該国に居住している。

プレーする直前に60カ月継続して当該国に居住していなくても、累積で10年間当該国に居住している場合は日本代表になる資格があります。

では何故他の競技と異なり「ラグビー」だけこのような「ルール」があるのでしょうか?このような「代表資格の条件」が定められた背景は「大英帝国時代」にさかのぼります。当時の「大英帝国」は世界中に「植民地」を広げ、それに伴い「イギリス発祥のラグビー」も各国に伝わりました。

その中には「ニュージーランド」や「オーストラリア」「南アフリカ」もあり、「イギリスの植民地」だったことからラグビーが盛んになりました。そしてこれらの国には、ラグビーを伝えたイギリス人(移住者)が住んでいます

そこで、これらの国に移住したイギリス人が、国籍に関係なく当該国の代表になれるように、このようなルールになったと言われてます。
従い、現在で、日本のみならず、World Cupに出場する各国には、上記の条件を満たす外国選手が多数参加しています。

(参考)

帝国とは?世界史上に見る大きさランキング | 世界雑学ノート

(菅井)ラグビーがサッカー以上に国を代表するチームの選手の国籍に拘らない理由はなんとなく分っていたのですが、そのルーツは嘗て世界を支配した大英帝国のパクス・ブリタニカあったことが以下の記事をお読みになると分かると思います。
近代において約200年間国を閉ざし、基本的には移民を認めない(今後はどうなるか分かりません)モノカルチャーともいえる普通の日本人が違和感を覚えるのは当然なこととは感じますが…。ラグビー代表に外国人選手がいる理由は? 発祥地「大英帝国」の歴史が背景に
https://shiruto.jp/sports/1573/