慶應義塾創立50年の記念事業の一環で建設された。
三田キャンパスの中央に位置する本校舎は、
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
三田キャンパスの中央に位置する本校舎は、
「マーヴェリック」で有名になり、アクショ
1857年、未だ奴隷制廃止以前、白クインシー・ドルー(ジェー
にすることにしたが、話をしていて、全財産1万ドルの預金通帳が
主演者ジェームス・ガーナーの出演の「TVマーヴェリック」の第
(安田)1982年制作の「愛と青春の旅だち」(An Officer and a Gentleman)は40年前、
丹波の森国際音楽祭ガラ・コンサート≪シューベルティアーデ たんば2023≫(副題~ウイーンから愛のことづて~)を11月12日に聴きに行った。
この音楽会は派手さこそ無いが、今回第29回目で、毎年のようにウイーンからゲスト演奏者を迎え、約1カ月間に10回程度の各種コンサートが近隣各地で催され、ガラ・コンサートは兵庫県丹波市の「丹波の森公苑ホール」で開催されている。私の住む宝塚市からはJR福知山線の特急列車こうのとり号で約1時間にところの小さな駅(柏原駅)から徒歩20分程度にあるホールがガラ・コンサート会場になっている。一帯は里山、親水河川、芝生広場などの自然環境に恵まれた広大な地域で、略30年前からオーストリアのウイーンの森や南ドイツ・バイエルン地方の黒い森(シュヴァルツバルド(Schwartzwald))と提携関係を深め、丹波国際音楽祭をウイーンから演奏者を招聘してシューベルティアーデを毎年開催し、オオムラサキ(日本国蝶)の会が幼虫の羽化でウイーンのシェーンブルン動物園と提携して成功するなど、地道で且つ地域の住民の協力により徐々に大きなうねりになりつつある気のする兵庫県の一地域だ。私はオオムラキの会の会員として関心が高かったが、この度、ガラ・コンサートに参加して、その感を更に深くした。
世界の大都市以外での音楽会として有名なものは、アメリカでは私も1980年代のニューヨーク支店勤務時代に聴きに出かけたボストン郊外タングルウッド音楽祭があり、又は可って私の娘家族が住んでいたニューヨーク州北部の5つの湖フィンガーレイクの一つスキニアテレス(Skaneateles)湖畔で毎年開催される夏の音楽祭、ヨーロッパではオーストリアのウイーン郊外シェーンブルン宮殿庭園でのウイーンフィルの夏の夜のコンサートやドイツ・ベルリン郊外のワルトビューネ野外音楽堂でのベルリンフィルのコンサートがあるが、そこまで比較しないで考えると、丹波の森公苑での音楽祭は、それを鑑賞するには丸一日か二日の時間的余裕があるほうが楽しみは倍加されるという点では似ている気がする。
この地域は丹波栗や丹波の黒豆の産地であるが、宿泊施設が極めて少なく、JR列車で約30分離れた篠山口駅から徒歩10分のところにあるホテルを1泊2食付き予約して、翌日は丹波篠山市の篠山城跡とその武家屋敷群を観光した。駅からホテルまでの道は国道一本で徒歩約5分とのことだったが、この日、今シーズンで一番寒い日となった気温の低下もあり、実際には約10分が酷く長く感じた。ホテルの建物の前の広告塔にはホテル名以外に、丹波ひろし歌謡ホール、ヘアーサロンなど、如何にも昭和レトロ時代を彷彿される雑居ビルのネオン橙が淡く光っているのも気に入った。夕食はビル内の食事処で、これまたおでんの提灯が吊るされているカウンターもあるレストランで大きな四角いテーブルに2~3組がそれぞれ席を取り談笑も出来るユニークな場所だった。
シューベルティアーデ(Schubertiade)とはシューベルトが仲の良い友だちを呼んで自宅のサロンで開催したコンサートの意味。 丹波市ではテノール歌手で指揮者の畑儀文氏が中心となり、地元住民及び地元出身者主体の実行委員会が企画運営を行い、丹波地域の各地で大小様々なクラシックコンサートを行っている。
(追記)
ところで大都会以外での音楽会の一つ、長野県松本市で毎年開催されている小澤征爾主宰のサイトウキネン・オーケストラの今年の演奏会の録画を先日観たが、アメリカの映画音楽に足跡を残しつつある作曲家ジョン・ウイリアムズ特集で本人も来日して指揮したE.T.やスーパーマン、ハリーポッター、スターウオーズなどの曲であった。映画音楽も時代と共に変わってしまうのは仕方ないが、心に残るメロディアスな映画テーマ音楽と言えばやはり1950年代、60年代の映画音楽曲になると思う。口をついて出るのはやはり“真昼の決斗”のハイ・ヌーン、“第三の男”、“道”、“シェーン”、“荒野の決闘”のいとしのクレメンタイン、“旅情”、“慕情”など枚挙に暇がないこれらテーマ曲。これを脳が昭和回顧に侵された世代の感性と現代の人達は思うだろうが・・・実はこれらの曲を知らない人が言うだけで本当なんだと思う。
現在、米中対立の一極をなす台湾問題については、先に赤阪氏の論評を紹介したが、ここ数日、台湾と日本との歴史的な関連についての話が持ち上がっている。関連したメールのやりとりをご紹介する。
(飯田)“暗い波濤”の再度のご紹介、有難うございます。今、読みかけの本を終えたら次に是非読みたいと思います。読みかけの本は「台湾の歴史と文化」(大東和重著)ですが、すぐ前に「人民は弱し 官吏は強し」(星 新一著)(新潮文庫)を読み終えたところです。この著書は角川文庫(既に絶版)から出版された分を以前読んでいますが、その後に出版された新潮文庫が増販を重ねていて読みやすく、読み直した次第です。私の母方の祖父が台湾総督府に勤務していた時代があって、子供の頃に、母親から台湾のことを色々聞いていたので、最近になって再び関心が強くなっています。
(菅原)非常に差し出がましいが、台湾に興味があれば、是非、下記の本を試してみてください。渡辺利夫、「後藤新平の台湾」(中央選書)。題名が、後藤新平と台湾ではなく、後藤新平の台湾であることが、この本のミソです。
余計なことを言いますが、現在の台湾の礎は、清でもなければ、蒋介石でもなく、ましてや、中共とは全く関係がありません。
(飯田)
少し前(9/21)の菅原さんのメールで「後藤新平の台湾」(渡辺利夫著)を推薦頂きましたが、その時、直ぐに買い求めてすぐ横に置いてあったこの著書を、漸く最近一気に読み終えました。
日本が日清戦争の戦勝の結果に領有した台湾に、当時は政治は愚かマレー・ポリネシア系蛮族と清国の福建、広東から移住した民族が入り乱れて住み着いていた状態から、土地所有観念を持ち込み、幹線鉄道を敷設し、港湾を整備するという大事業を、4代目台湾総督の児玉源太郎との信頼関係で一挙に纏め上げた後、児玉源太郎の急逝の後には、その意思を継いで初代満鉄総裁の職に就くが、その頃から愚痴や不満が多くなりという、人間としての後藤新平とその台湾統治過程を鮮明に描いた名著と感じました。著者の筆致は時には淡々と史実を書き進め、時には伊藤博文、西園寺公望などの大物政治家との対話形式で、その場のやり取りの雰囲気を臨場感を持って読者の伝える手法で、当時の思想的背景を理解しつつ、誠に読み易い、感動を覚える近世史でした。この種の近世史に興味を持つ遠方に住む私の娘と知人1名に、この著書を購入して送ることにしました。名著のご紹介を深謝します。
(中司)飯田兄、児玉源太郎についての小生の知識は例によって司馬遼太郎の 坂の上の雲 での記述だけですが、その曽孫にあたる児玉博はKWV時代の親友のひとりです。元帥の血筋は明らかで、秀才(
俺が行くから君も行け 狭い日本にゃ住み飽いた 海の向こうにゃ シナがある シナには四億の民が待つ
というもので、明治以降、新天地とされた中国、
(菅原)中国の満州(今の東北地方)は、今でも日本が統治すべきだったんじゃないかね。関東軍が真っ先に逃げ出しちゃったから、どうしようもなかったんだろうけど。色んな人に話しを聞くと(名前を秘すが、或る満州人を含む)、当時の満州は、いろんな点で日本より遥かに先を行っていたようだ。
(編集子)台湾の話がきっかけだが、菅原勲の指摘にもあるように、西欧のいいなりになってきたアジアの近代化に日本が果たした役割とその資産はもっと評価されるべきものだと思う。不幸、戦争中に起きた問題をネガティブな見方だけでとらえるのが一種の贖罪意識と一緒になってしまっているのは残念だ。台湾葉まさに好例だが、韓国だってインフラの基礎は日本が築きあげたものだし、文字通りゼロから理想の国を目指した満州の都市計画などは現在でも高い評価を受けていいはずのレベルだった。歴史は勝者のものしか残らない、というのはまことに残念なことだ。
今年の夏の甲子園で107年ぶり(
この夏の甲子園、107年ぶりの全国優勝を遂げた慶応義塾高(
夏の甲子園3回戦の広陵(広島)戦で、
高校2年の夏、上田誠監督が『
チームの決め事を守り、人と同じことをするだけでは人生、
もちろん、ただ笑顔でやればうまくいくというものではない。
頑張り度合いとパフォーマンスの関係を調べると、100%
打者が横目で捕手の位置を確認する『カンニング』は今年の甲子園でだいぶ減ったと感じたが、ゼロではない。
「チームの目標は『慶応日本一』だが、その先の目的として『
甲子園では選手たちの自由な髪形が注目されたが、いまだにそんなことが話題になるのかと残念に思う一方、
野球がどういう人材を社会に送り出せるか、
「高校野球には堅苦しい部分、
もりばやし・たかひこ 1973年東京都渋谷区生まれ。慶大法卒業後NTTへ。
あえて寄り道、柔軟性養う(インタビュアーから)
慶応の選手たちが夏の甲子園を「エンジョイ」できたのは「
あえて寄り道し、様々な価値観に触れることで「野球オンリー」
先日、”地下室のメロディ” を見たとき、実は ”死刑台のエレベータ” とごっちゃにしていたことは書いた。また、やってしまった、というのがこれである。新聞で放映を知り、録画しておいてみたのだが、実は ロバート・フランシス の遺作になった ”彼らは馬で西へ行く” とごっちゃになっていて、”ケイン号の反乱” で気に入ってしまったフランシスに久しぶりに会うつもりだったのだ。ところがタイトルからして ジェームス・スチュア―ト で始まるのだから、間違いはすぐ分かった。しかし出演者を見ていくとハリー・ケリー・ジュニアだのアンディ・ディヴァインだのと,フォード一家の面々が出てくるではないか。此処でようやく、ジョン・フォードという事に気がついて、ひさしぶりのフォード節を楽しもうと腰を据え変えた。
スチュア―トと親友役のリチャード・ウイドマークが開拓民たちの中で、以前に子供をさらわれた、という話に同情して、コマンチ族のところに乗り込み、首尾よく若い女性と少年を連れ帰ることに成功する。しかし女性の方が昔のことを覚えていて帰ることに同意するのだが、少年のほうは自分はコマンチだ、と言い張って抵抗する。とにかく二人を連れ帰って、親元に返し、落着となるはずだったのだが、そのほかの開拓民は彼らを軽蔑し、露骨に差別する。そして少年はあろうことか食事用に与えられたナイフで人を殺してしまい、形ばかりの裁判で絞首刑にされてしまう。此処に至るまでの偏見やコマンチ族に対する憎悪など、現在の人種差別問題につながる暗い話題がテーマで、期待していたフォード調とはかけ離れた物語だった。しいて言えば救いはアンディ・ディヴァインの、あの ”駅馬車” 以来の変わらない飄々とした演技がうれしかったが、ま、見終わって、フォードは何を言いたかったのか、という疑問だけが残る、はっきり言って後味のあまりよくない映画だった。小泉西部劇博士のご意見を拝聴したいものだ。
感想と関係ないが、この映画を見るきっかけになった、ロバート・フランシスのことを改めて考えた。小生が見たのは,長い灰色の線 と 実質的なデビュー作 ケイン号の反乱 だけだが、灰色の線、の方の印象はほとんどなく、ケイン号での初々しい新人少尉役でのデビューの印象だけしかない。期待されながら、自動車事故で早逝してしまい、ケイン号での相手役で期待されていたメイ・ウイン(この芸名は原作での役の名前をもらったもの)もすぐ忘れられてしまった。ハリウッド全盛時代の一齣としてこのふたりのことはなんとなく心に残っている。
余計なことだが、”ケイン号の反乱” は読む価値のある本であることを付記しておこう。映画は変質狂的な艦長をハンフリー・ボガートが好演。サブキャラクタのヴァン・ジョンスンとフレッド・マクマレーに挟まれて、主人公のウイリー・キースを演じたのがフランシスである。嵐の中で起きた反乱騒動の軍法会議を裁くホセ・ファーラーの重厚な演技が印象的だった。
ウイキペディア解説:
ロバート・フランシス(Robert Francis、1930年2月26日 – 1955年7月31日)は、アメリカ合衆国の俳優。 「ケイン号の叛乱」の主演等でその後を嘱望されるも、公開翌年に自ら操縦する飛行機の墜落事故にて25歳の若さで亡くなった。
(先に本稿で紹介させていただいた赤阪清隆氏の、今度は台湾問題についての論評を安田君経由でご紹介する。原文はかなり長文なので要旨のみにとどめる)
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「台湾有事」を考えるのはあまり心地よいものではありませんが、とりあえず論点をいくつか挙げてみます。まず、台湾有事の可能性についての論点です。
(1)中国の意図
(2)台湾に武力攻撃があるとすれば、、いつ?
(3)武力侵攻は、どのような形で展開されうるのか?
(4)台湾の戦略的重要性と、その防衛能力
(5)米国は、台湾防衛のために派兵するか?
(6)国際的な反応、特に国連はどうするか?
2021年に米インド太平洋軍のデービッドソン司令官(当時)が「6年以内に中国が台湾に進行する可能性がある」と発言して以来,2027年という数字がメディアなどでもひんぱんに引用されるようになりました。2027年というともうあと3年ちょっとです。武力攻撃の展開の仕方については、日本国際問題研究所ほかたくさんのシュミレーションが行われています。注目すべきは、日本およびグアムの米軍基地への弾道ミサイル攻撃があることを想定する向きが多く、否が応にも日本が巻き込まれてしまうとの可能性が指摘されていることです。
台湾の国防予算は、中国の17分の一(2022年)で、兵力などの運用可能な軍事体制は中国の約10分の一程度ですが、台湾民意基金会による2021年10月の調査によれば、台湾の6割強の人々は、中国との間で軍事衝突が起きないと見ているというのは、注目に値すると思います。ひょっとして、われわれ日本人の方が台湾の人々よりも、「台湾有事」の可能性が現実に大いにありうると見ているのでしょうか?
また、米国世論ですが、2022年7月にシカゴ外交問題評議会が行った世論調査では、外交的、経済的な制裁や武器の提供を支持する人が多かったものの、台湾防衛のために米軍を派兵することを支持したのは、40%にとどまったというのも注目されます。米国の軍事的支援なしでは、台湾が中国からの攻撃に長期間耐えることは難しいと考えられるだけに、これまでの台湾への軍事的介入を確約しない米国の「あいまい戦略」を、いざという時にはどう行動に移すのかは、台湾の運命を左右する極めて重要なカギです。
そして、「台湾有事」の際の日本の対応ぶりについての論点ですが、以下が考えられます:
(1)台湾有事は、日本の有事なのか?
(2)日本の対応策は?米国との間の集団的自衛権行使の可能性は?
(3)日本は、国連を活用して何らかの役割を果たしうるか?
(4)日本の若者に、国のために戦う意思があるか?
このうち特に、台湾有事が日本の有事といえるのかについては、1972年の日中共同声明が重要な資料ですね。日本政府は、台湾が中国の領土の一部であるとの中国側の立場を、「十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」と表明しました。この結論に至るまでの大変な交渉ぶりは、栗山尚一条約課長(当時)の外交証言録などに詳しく記されています。
要するに、日本政府は、中国が台湾武力攻撃に踏み切って、これは中国の内戦であり、国内問題だと主張しても、「いいえ、その主張は認めませんよ」という主張ができるよう、ぎりぎり担保してあるということですね。「十分理解し、尊重する」というのは、法的には何の意味も持ちませんから。台湾防衛のための米軍の軍事活動を日本が後方支援する法的根拠は担保したわけです。ただし、ポツダム宣言に言及することによって、日本は、しょせん台湾はいずれ「中華民国」に返還されるべきことは認めたわけですね。
国連は、残念ながら、ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス紛争と同様、あまり頼りにすることはできないでしょう。中国が拒否権を持った安保理の常任理事国である以上、安保理が中国を侵略国として非難するような決議は通りそうにありません。国連総会が決議を採択することは考えられますが、ウクライナ戦争でのロシア非難決議やイスラエルに人道的休戦を迫る最近の総会決議同様、総会決議には法的拘束力はなく、実効性に欠きます。
ただ、武力攻撃があった際には、それを非難する国際的な世論を喚起するという国連総会の役割は残っています。その際、台湾は国連の加盟国ではなく、また、中国は台湾が中国の領土の一部だと主張しているわけですから、台湾への武力攻撃が、中国の「国内問題」なのか、あるいは、国連憲章に言う「国際紛争」とみなすかどうかが争われると思います。前述の通り、米国や日本は、極東の平和と安全を脅かす紛争とみなすのでしょうが、中国側の主張を認める国連加盟国もかなりの数に上るかもしれません。
1950年の朝鮮戦争の際の国連の対応ぶりが参考になるかもしれません。韓国は当時国連加盟国ではありませんでしたが、安保理が法的に正当に設立された政府であると認めたうえで韓国への国連軍(多国籍軍)による軍事支援を決め(ソ連は欠席中)、次いで国連総会も中国が韓国を侵略したと認定したうえで、韓国内の国連軍への支援と侵略への追加的対策を呼びかけました。今回は、安保理の決定は中国の拒否権がありますので無理としても、総会がこれに似たような決議を台湾についても検討することが可能かどうかです。こうした事態が生じた際には、日本としても、台湾擁護の目的で国際的な連帯を呼びかけるために、いくばくかの重要な貢献をすることができるのではないかと思います。
国連とは別に、日本自身は、国会の事前または事後の承認を得て、「重要影響事態」と認定した際は、補給や捜索救難活動など米軍への幅広い後方支援が可能となります。さらに、「存立危機状態」と認定された場合には、集団的自衛権を行使し、必要最小限の武力行使が可能となります。詳細は、「平和安全法制」に関する内閣官房の説明に譲ります。
日本は、沖縄の米軍基地などへの攻撃があった際には、米軍を後方支援するだけですむのでしょうか?これも考えておかなければならない大事な論点ですね。そして、もし日本が戦争に巻き込まれて、武力攻撃を受けるような事態になった際に、自衛隊が発動するのは当然としても、日本の若者は、国のために戦う意思を持っているのでしょうか? この点、2021年の世界価値観調査(WVS)によれば、中国、ノルウエー、インドネシアなどの若者の80%以上が、戦争が起きたら国のために「はい、戦います」と答えているのに対し、日本の若者はたかだか13%しか「はい」と答えませんでした。これは、日本財団が2023年2月に発表した「18歳意識調査」報告書でも、日本を敵国が攻撃し、自分の身近な人に危害が及ぶ可能性があるとき、「戦闘員として志願し戦う」と答えたのは、13%しかなかったのとちょうど符合しています。
要するに、日本の大多数の若者は、たとえ武力攻撃が身近に迫ろうとも、戦争に参加する意思は持っていないという驚愕の事実です。これをどう判断するかは、大きな論点ですし、家族、友人との間でも侃々諤々の議論のタネとなる恐れがあります。わたしなど、「ああ、もし自分が20代であったなら、真っ先かけて。。。」と思わないではないのですが、もう遅すぎます。それに、自分は安全なところにいて、若者に危険を冒せというのはあまりに無責任です。これは人生観を問われる大問題ですね。それにしても、いざという時に、日本はどうなるのか、本当に心配ですね。だから、このような話題は、話のタネにしたくはなかったのです。お気を悪くしたとしたら、どうぞお許しください。