“蛍の光” をめぐって

42年卒保屋野君の何気ないメールが引き金になった話題である。

(保屋野)先日、(シモさんの)原村山荘で、バンジョーを持ってきた同期のフランキー(五十嵐君)が「冬の星座」(木枯らしとだえてさゆる空より・・)を歌っていましたが、この曲はご承知の通りアメリカのヘイズ作曲の「モリー・ダーリン」というカントリー曲に堀内敬三が(全く違った)歌詞を付けたものです。これで想起されるのが、(アメリカ民謡で、荒野の決闘のテーマ曲)「愛しのクレメンタイン」と、このメロディーに西堀栄三郎等がテント中で(ヒマつぶしに)作詞した「雪山賛歌」ですね。これも、どちらも名曲です。

更に他にないか、と探したら、「故郷の空」(夕空晴れて秋風吹き・・)が浮かびました。この原曲は、スコットランド民謡「麦畑」で、大和田建樹が(全く違った)歌詞を付けたものです。これもユーチューブで聴き比べてみました。ちなみに、これを、なかにし礼が訳し、ドリフターズがヒットさせた、「誰かさんと誰かさんが麦畑・・」も有名ですね。

(安田)「蛍の光」と言えば、スコットランド民謡・非公式のスコットランド準国歌。原題は「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne。スコットランドの現地語(ケルト語)で、英訳すると逐語訳では old long since、意訳では times gone by となる。日本では「久しき昔」などと訳す。

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映画への登場となればなんと言っても、一推しのヴィヴィアン・リー主演の悲恋映画「哀愁」(Water Bridge、1940年)が忘れ難い。

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日本では卒業式とかお店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」というイメージが強いが、実は、英語圏の国では新年を迎えるときに歌うのが恒例。伝統的に、大晦日のカウントダウンのあと、新年になった瞬間に「Happy New Year!」とともに歌うようだ。

(保屋野)「蛍の光」の解説ありがとうございます。ネットによると、「麦畑」と同じルーツらしいですね。中に、「久しき昔」とありましたが、もう一つ、有名な「久しき昔」という曲がありますよね。原曲は、イングランド民謡「ロング・ロング・ア・ゴー」で「語れめでし真心・・」という歌詞です。またもう一つ「思い出」というのもあります。「垣に赤い花咲く昔の・・・」という歌詞です。

両方とも同じメロディーで「愛唱歌」として定着している珍しい楽曲だと思います。もう一つ、フランス民謡を原曲とする、「一日の終わり」(星影さやかに・・・)という曲もありますが、これは、ファイアーで良く歌った「燃えろよ燃えろ」と同じ曲ですね。

(金藤)日本では卒業式とか、お店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」というイメージが強いですが、ダイソーでは 外国人の観光客には「蛍の光」では伝わらない?とさりげなく閉店時間であることを伝えながらも、快く帰ってもらえるような新しい閉店音楽を目指し、「Good Day 〜閉店の音楽〜」を制作し11日から店内で流しているそうです。

「Good Day ~閉店の音楽~」は、早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所との共同研究により得られた、閉店のイメージを持つ音楽の特徴に基づき、USENが制作したオリジナル楽曲。「郷愁感」をキーワードに小編成のオーケストラでゆったりとした曲調に仕上げたといいます。

(河瀬)蛍の光の元はスコットランドの歌と聞いていましたが、その解説映像ありがとうございます。

Auld Lang Syne (old long since) の歌を実際初めて聞きました。また映画「哀愁」の主題歌もそこからとったものなんですね。両者とも「時は去りゆく、別れる」雰囲気なので、日本の歌も「別れの曲」として歌詞ができていますが、英語圏の人がカウントダウン後にそれを歌うのは『明けて今朝は別れゆく』ことになっていないから?

ところで「蛍の光」の歌詞は『蛍の光窓の雪、文読む月日重ねつつ。。』ですが、自分が研修医の時の信濃町の環境は「トイレの鳩の巣、わが個室、文読めない日を重ねつつ。。」という惨状でした(後日注釈要す)

(編集子)蛍の光はともかく、Molly Darling とはまた懐かしい。1960年代、いまでいう カントリー という用語が定着せず、なんとなく ウエスターン などと呼ばれていて、小難しい顔をして名曲喫茶、なんてものに出入りしていた自称インテリには小馬鹿にされていた時代、エディ・アーノルドのレコードを買って来た時、(あ、これ、聞いたメロディだな)と気に入り、、アルバムについていた歌詞を覚えて歌うようになった。
KWV入部後、どこかのワンデルングで歌った(当時はキャンプサイトで新人は歌を歌わされるのがワンダーへのイニシエーションだった)ことがあった。
1年上の名総務、荒木庄平さんの周りには彼の人格にひかれてワンダーだけでなく多くの友人の輪があって、その中に塾レスリング部の中堅選手ながら私設のハワイアンバンドを率いていた河村先輩がおられた。某証券会社のサラリーマンだったが、勤務中のはずなのにホテルで歌っていて、そこへ運悪く上役が現れて大変だったという伝説の持ち主だった。彼が荒木さんから聞いたのか、小生がこの歌を歌ったということを知っていて、たまたま野次馬で聞きに行った、名前は忘れたがどこかのホテルでの演奏に飛び入りさせられ、Won’t you tell me, Molly darling….なんて歌わされたこともあった。Red River Valley を覚え、エーガの影響で River of no return それから My Rifle My Pony and Me に入れ込む前まで、小生のいわば ”持ち歌” だった。同期の歌姫(?)栗田ビーバー、鬼籍に入ってしまったが親友横山美佐子などがとても気に入っていてよく歌わされたものだった。歌は世につれ、か。