まったくの偶然から外資系会社でサラリーマン生活を終え、その結果、曲りなりも英語に親しみ、アメリカ(より正確に言えばその西部地域)の文化を知ることができた。かの国がいくら日本に近いといっても、こういう経験を持つ人は、たとえば若くして留学するとか、家族が米国にいたとかの例外を除けば、まだまだ少ない。一部の人が信じているように,英語がわかれば人間の格があがったような論説には組しないが、とにかく退職後もそのレベルを維持しようと、いろんなことをやってみた結果、読書マニアである自分にとって一番親しみやすいのが趣味のミステリを中心とした小説を読むことが性に合っているとわかったので、ポケットブックの乱読を続けてきた(こうなるとアマゾンはありがたい)。推理小説発祥の地英国の古典的作家たち、その影響を受けてニューヨークを中心とする地域でアメリカ推理小説が勃興し、それの発展というか反作用的に生まれたいわゆるアメリカンハードボイルド、いろいろつまみ食いして毎日を楽しんでいる。
僕はもちろん言語学者でも専門家でもないが、素人なりに、英国発のものと米国産のものの英語、が違うものなのだ、ということがわかりだした。もちろん国にかかわらず、1920年代の英語が21世紀の今日と違うのは当たり前なのだが、ミステリの女王アガサ・クリスティの登場人物の会話や、同じころNYで書かれたエラリー・クインの英語と、現代のHBやスリラー、たとえば本稿で小泉さんが取り上げられたリー・チャイルドなんかの文章には大きな違いがある。第一、現代ものには、辞書を引かなければ見当もつかない難解語、big word はまず出てこない。はばかりながらサラリーマン卒業後取得した英検一級必須のボキャブラリーでまず十分なのだが、今挑戦しているクイーン国名シリーズなんかには、およそ想像もつかない単語だの、フランス語だの、時にはラテン語なんかがしょっちゅう出てきて、それが当時の知識階級の会話なんだ、と改めて時の流れを知る羽目になる。
そんなことを背景に現時点では小生の余命との競争なのだが今やっている ポケットブック20万ページ読破(10万は昨年突破)は夢でもあり大げさに言えば生きがいである。しかしそれなりに何年学んでいても、判然としない、よく間違えるのが、依然として単数、複数の用法だ。日本語との懸隔、は大きいのだが、それでもドイツ語だイタリー語ださらにはフランス語なんてのに比べればまだ楽なのは体験済みなんだが。
カリフォルニアにいたころ、高速道路をがたがたの、確かフォードだったと思うが、壊れかけたやつを自分で手入れすることを趣味にしているらしい若者の後ろについたことがある。バンパーのひしゃげた後に何か書いてある。ちかづいてみたら、MY ANOTHER CAR IS PORSCHE とあった。思わず吹き出してしまい、持ち主のセンスに感心した。この時、ANOTHER という単語が OTHER だったらどんなことになるか、考えてみた。another は明確に もうひとつの という意味だ、と辞書にあるから、彼は車を2台持っていることを意味するんだろう。だから Porsche でいい。もし3台もっていたら another とはいえないから、other というんだろうな。そうすると その2台ともポルシェなら MY OTHER CARS ARE PORSCHES と書くんだろうか。ポルシェ、なんていう固有名詞も複数形にするんだろうか。このあたりがどうもすっきりしなかった。
文法書というものが大嫌いな性格なので、それっきり疑問も消えてしまっていたのだが、帰国後の会社で、セールス担当者に1台ずつクルマを持たせる、という方針ができた。今では当たり前のことだが、当時としてはこんな待遇をしている会社はそうはなかったのだ。このあたりはいわば進駐軍としてアメリカ本社の威光をバックにした米人マネージャだからできたことだった。それはともかく、彼の話を聞いていたら、We purchase 20 Toyotas と言っている。そうか、それならあの時の答えは MY OTHER CARS ARE PORSCHES だったんだ、とうなずいた。その間に考えてみたら3年かかって違和感がなくなった。もっともあの青年のひしゃげたバンパーにそんな長い文章が書けたかどうかは別だが。
この間、テレビの番組でだいぶ古いんだがポール・ニューマン主演の 動く標的 というのをやっていた。何度目かになるのだが、愛読書#1のロス・マクドナルドの代表作、とっくりとみた。主演のニューマンは過去に不幸な結婚をして現在独身、という設定なのだが、悪党どもに追い詰められて逃げ場がなくなり、元妻の家に転がり込む。まだ気持ちが整理されていない彼女はそれでも翌朝には昔通りの朝食を作って待つ。別室から起きてきたポールはそのまま、また街へ飛び出して行ってしまう。ドアが閉まった後、彼女は作ってあった二皿のベーコンエッグにフォークを何度も突き刺してため息をつきながらすべて捨てる。このあたりの描写が実にこころにひびくのだが、アメリカ西部のしきたり通り、その皿の上に卵は2個、焼かれていた。この時の料理はさて、Bacon and egg なのか Bacon and eggs なのか。卵が2こあるから eggsは納得しても、ベーコンだって明らかに2枚はある。それでも bacons にはならないのか。
先週、孫をふたりつれて、なじみのバーへ行った。大学生なり立て、社会人なり立ての二人に、大人の雰囲気の感じられるバー、というものを教えたかったからだ。バーテンを趣味としてやっている(本業はさる大手会社の中堅エンジニアなんだがこういう時はバーの向こう側に立つのが趣味、という快男児である)S君は同時にバー業界の専門資格の持ち主でもある。ここでそうだ、on the rock なのか on the rocks なのか、確かめてみようと思っていたのだが孫に付き合って、ジントニック (ス、がいるのか?なんては考えなかったが)などに酔いしれてすっかり忘れてしまった。ま、三世代家族でバーのスツールにすわれるのは日本ひろしといえどもそうはいないだろうから、ま、いいとするか。