シリコンバレーで考えるウクライナ戦争 (在パロアルト HPOG 五十嵐恵美)
今、世界各国(特にヨーロッパ諸国)が何をすべきか、また何ができるかというと正直解らない.現在、NATO加盟国、及びEU加盟国が、軍事、経済・金融、技術、医療方面で(自国の軍隊を送らずに)ウクライナを援助していく以外に方法はないように思う.その援助を止めてしまえば恐らくウクライナはロシアの侵略に屈するであろうし、戦場がウクライナの国境を越え、他国への拡大化も懸念される.その前にロシアが核を使った場合、もちろん、状況は変わる.
2023年半期以降になる見通しではあっても、米国、英国、ドイツ、フランスがウクライナに戦車 (tanks)を送る計画が発表され、現在、米国では戦闘機 (jet fighters)を送る案が軍部からペンタゴンに推薦されている.依って、戦争の長期化、エスカレート化は避けられないように見え、見通しは決してよくない.
希望的観測として(プーティンは病気説を否定したが、最近の写真から)「プーティンは病に侵されていて余命短く、平和交渉が彼の死後再開する」というアナリストもいる.
ロシアのウクライナでの初期の(昨年5月の予測)戦争のコストは(一日に) 5 億ドルから 10 億ドルの費用だという.ロシアの経済を考えた場合、このレベルのコストはいつまで保てるのであろうか? 一つの見方として、今のところロシア経済はしぶとく生き延びており戦争は長期化する.平和交渉はない.(ウクライナに多大の被害、損害を与えたのち)ロシアの経済が中長期的に実物経済の面で苦境に立たされ、自然にロシアの攻撃が(一旦)止む.これも現実的なシナリオだと思う.軍需産業の利権は米国に限らずどの国にも当てはまると思う.2021年の資料によると米国の軍事費はGDPの3.2%、ロシア3.1%、イギリス2.3%、フランス2.0%、ドイツ1.9%と並び、増大していく軍産複合体 (Military industrial complex)を含むと軍需産業が各国の経済に及ぼす影響は決して小さいとは言えない.
List by the Stockholm International Peace Research Institute
2022 Fact Sheet (for 2021)
SIPRI Military Expenditure database
シリコンバレー在住のドイツ人の友人が帰国中、下記のメールをくれた.「戦車を含むウクライナ/ロシア全体の状況は、ドイツでは非常な物議を醸しています.私の両親 (特に私の母) は、「私たちは完全にこれに近づかないようにするべきだ」という陣営に属しています.私は両親の要点も理解できますが、正直なところ、何をするのが「正しい」のかわかりません.」The whole Ukraine/Russia situation including the tanks is very controversial here. My parents (in particular my mother) are more in the “we should completely stay out of this” camp. I can see their point. To be honest, I have no idea what’s the “right” thing to do.
何をするのが「正しい」のか解らないというのは物理学者である友人らしいと思った.ウクライナでの戦闘の特徴の一つは、軍事機器を大量に破壊したり放棄したりすることで「最後の古典戦争」と呼ばれている.「核戦争」にまでエスカレートしないが、戦争の長期化は避けられない、というのは私の楽観的な見方であろうか.
(編集子)平井さんからの情報を違った目でフォローしてもらった。日本で、そう、たとえば白金とか宝塚とかで、考えてみる人はいないか?
エーガ愛好会 (190) カルメン故郷に帰る (大学クラスメート 飯田武昭)
高峰秀子の映画は「二十四の瞳」「浮雲」「カルメン故郷に帰る」
話は上州北軽井沢の村の娘が東京へ出てストリッパーになり、女友
馬の群れが長閑に闊歩している場面は、「サウンド・オブ・ミュー
高峰秀子は当時27歳ですが、このコミカルな役柄を伸び伸びと陽
(保屋野)
なお、「カルメン故郷に帰る」の主題歌は「同名の歌」ともう一つ
この撮影中、軽井沢に滞在してた「梅原龍三郎」のモデルとなって
(編集子)日本初のカラーフィルムということで映画の存在は知っていたが見る機会を逸してしまった。ただ飯田兄が書いている主題歌のうちのひとつは小生の愛唱歌のひとつだが、タイトルを忘れてしまった―誰か教えてーと書こうと思っていたら、保屋野君からの同様のメールが届いた。哀調を帯びて、いいメロディである。一部しか思い出せないがどなたか補足していただけると嬉しいのだが。出だしは次の通りだった。正式?なタイトルも知りたいのだけど。
火の山の 麓の 村よ
なつかしの ふるさと
花に木に 梢の鳥に
光満てる わが里
(保屋野)ブログ拝見しました。「カルメン故郷に帰る」の挿入歌「そばの花咲く」(映画では「我が故郷」)は私も大好きな歌です。作曲、作詞は木下忠司(木下恵介の弟)です。彼は、水戸黄門や桃太郎侍も作曲しています。
火の山の 麓の村よ 懐かしの故郷 花に木に 梢の鳥に 光満てる わが里
からまつの林をぬけて 石清水湧くほとり 白樺は 白く気高く さ霧に濡れて立つよ
緑濃き 牧場の柵に たたずめる 若き日は 牛よ馬よ 真白き雲が 憧れのせて行くよ
子らも又 旅立ち行けど いつの日にか 帰り来る 火の山の 山の麓の そばの花咲く ふるさと
(編集子)ありがとう。僕らが2年のころ、
エーガ愛好会 (189) 1月にこれだけ見ました (HPOB 小田篤子)
①《ロイヤル·ナイト 英国王女の秘密の外出》(英·2015年)
「ローマの休日」のイギリス一部分実話版。英国王女のエリザベス(19歳)
フランスで考えるウクライナ戦争 (在パリ友人 平井愛子)
乱読報告ファイル (40) 丸山眞男の時代 (普通部OB 菅原勲)
丸山眞男と言う政治学者はいささか気になっていたが、例え読んだとしてもチンプンカンプンで全く分からないだろうと、敬して遠ざけて来た。従って、中公新書ならもう少し分かり易くしてくれるだろうと思いきや、やっぱりさっぱり分からない。
戦前、日本にも赤狩りに近いことがあった。その主導者は、慶応義塾大学予科教授、国士館専門学校教授、右翼思想家、反共主義者、蓑田胸喜(ムネキ)。特に、帝大の教授をやり玉に挙げて、それこそ名前の狂気のように赤狩りを行った。その主な犠牲者は、美濃部達吉(東大)、滝川幸辰(京大)、大内兵衛(東大)、津田左右吉(早稲田大)、末弘厳太郎(東大)などと言った錚々たる連中だ。しかし、最終的に、ご存知の通り、日本全体が右傾化して、彼はその中に埋没し、最後は役立たずとなって、「狡兎死して走狗煮らる」(これは、すばらしい兎も捕り尽くされれば、猟犬は不用になって鍋で煮られることから、 人も不用になれば惜しげもなく捨てられることを言う)となった。戦後、最後は縊死することになる(著者の竹内洋が中心となって、蓑田の価値を再評価し、論文を編んで全七巻の全集にしている)。丸山はその対象にはならなかったが、この赤狩りを目の当たりにしている。余談だが、後の慶応義塾大学文学部教授、奥野信太郎によると、蓑田の講義「論理学」は、その殆どが、マルクス主義への攻撃と、国体明徴(統治権は天皇にあり)に終始し、試験には明治天皇の御製を三首書けば及第点が貰えたそうだ。
戦後は、1960年の安保闘争に尽きる。しかし、左翼全盛時代だったとは言え、今にして思えば、死者(樺美智子)まで出した、あのキチガイ沙汰は果たして何だったのだろうか。
全学連は安保に反対し、丸山は、むしろ強行採決が民主主義に悖ると主張したことから、丸山は全学連から吊るし上げられたことがある。採決を強行した首相・岸信介については、満州時代を含め毀誉褒貶はあろうが、当時、彼がやったことは正しかったし、今、日本があるのも安保のお陰だ。評論家、江藤淳は、「“戦後”知識人の破算」(文芸春秋、1960年11月号)で、「戦後という(知識人の)仮構をとり去ってみるがいい。日本を支えて来たものが生活する実際家たちの努力で、それを危地においやったのが理想化の幻影であったという一本の筋が今日までつながっているのが見えるであろう」、と喝破している。
余談だが、岸(首相)と対峙してデモを主導した元全学連のリーダーは、岸が没した際(1987年)、「あなたは正しかった」という弔文を書いてその死を悼んだと伝えられている。
当時、安保に反対した輩たちは、現在、日本がおかれている環境、即ち、核を持ったロシア、北朝鮮、中国などのならずもの国家に取り巻かれていることをどう判断するのだろうか。やっぱり、そして、依然として、安保は戦争に巻き込まれると妄想しているのだろうか。しかし、彼らの思った通りの日本になっていたならば、国を誤まった方向に持って行っているのは間違いない。
結局、丸山を語ることは出来なかった。これ偏に、小生が誠にボンクラで、丸山の言説を全く理解できなかったからに他ならない。縁なき衆生は度し難し、か。しかし、悔し紛れに、翻って言うと、江藤の言うように、小生の如き一般大衆にとって丸山の言説はいか程の価値もなかったことになる。
(編集子)会社時代、ある大掛かりな事業計画に関わって、名前を言えばだれでも知っている、日本を代表するビッグビジネスの実力者と近づきになったことがある。その会社ではだれでも知っている剛腕の持ち主だったが、ある席で、”中司さん、私は学生時代はちょっと知られたものでね” と自慢げに話をはじめた。安保改定騒動から浅間山荘事件といえば我々の時代では忘れることのできない、我が国でのみ起き得た事実だが、かれは当時極左で知られた大学での運動家で、グループの首領格だったというのだ。その人物が当時彼らの用語で言えば米国帝国主義・ベーテ―の、その典型たる米国のビッグビジネスとの融合計画を主宰する立場にいる、というあたりが日本における左翼運動の実態なのかな、と振舞い酒をご馳走になりながら思ったものだ。
スガチューに言われて思い出したことがある。当時の大学に左旋風が吹き荒れていたのはご存じの通りだが、三田の山ではその吹き方も激しくはなかった。しかし ”君たちも社会思想の学徒であれば、今の社会に参画しないでいていいと思うのかね” と、ゼミの助手先生にたきつけられ、ゼミ友の翠川幹夫とふたり、(そおーっと、めだたねえようにな)と言い合わせてデモの集合場所へ行って、(めだたねえように)と列の最後尾にならんだ。しかしなんと、その隊列は途中で反転し、(おい、やべえぜ、こりゃあ)という間もなく、あっという間に我々はケーシチョーは桜田門正門へなだれ込む先頭に立っていた。(写真にでも写ってたら、就職できねえかもなあ)としょげたものだった。結果、ふたりとも文字どおりベーテーに碌を食む生活になったのだが。
エーガ愛好会 (188) 明日に向かって撃て (34 小泉幾多郎)
「明日に向って撃て!」は、組織的権力に対抗する個人的力で銀行
冒頭モノクロ映像、「これは実話に基ずく」という字幕から始まり
其処に、エッタ(キャサリン・ロス)という女性が加わるが、三角
乱読報告ファイル (39) 再読: 深夜プラスワン
ホームズもルパンも明智小五郎(乱歩の怪奇趣味小説ではなく少年少女向けの)も普通部で卒業していた編集子にミステリー、というものの存在を吹き込んだのは小生より何年もオトナだった、菅原勲である。もし高校進学の時、彼と同じクラスにならなかったら、ミステリなぞという迷路にはまらずに小生も当時品行方正なる若者の辿るべきとされていた道どおり、ジャンクリストフだとか魅せられたる魂だとかドストエフスキイなんてものをさかしらに論ずる嫌味な高校生になっていたに違いない。スガチューにはやはり感謝すべきだろうか。
ともかく、編集子が(どんなものかな)と手に取った、ミステリ古典第一号は英国文学の巨峰、A.E.メイソン の ″矢の家” だった。推理小説としてはその道の通の評判はよろしくないというか、あまり聞かない作品だが、この1冊がそもそもの始まりだった。ただ、僕が菅原道に踏み込んだのは、今考えてみるとこの本のミステリとしての完成度とか、トリックのすばらしさなどではなく、この翻訳の文体が醸し出した雰囲気だったような気がする。原作が持っていた(原書を読んでいないので想像だが)はずの、当時の高級社会のもつ陰鬱さとか、時代というものを感じさせる、形容しがたい感覚だったのだ。しかし当時はそうだとはわからず、(俺にはミステリがむいてるらしい、などと思い込んで)気がついてみると推理小説百選にでてくるような名作リストを片っ端から乱読し始めていて、大学へ進んだころの本棚にはハヤカワポケットミステリ、通称ポケミスがずらりと並んでいた。
クリスティやらクイーンの代表作を読み終え、古典名作とはいえ鼻持ちならない衒学趣味だらけのヴァン・ダイン12冊をなんとか読みえたころ、ぶつかったのがハードボイルドミステリ、というものだった。きっかけはお定まりの 長いお別れ。これを読んだのはちょうど大学を卒業するくらいだっただろうか。サラリーマン時代はすこしそのペースが落ち、引退後、これからの余生の楽しみ方を模索しているとき、まだ残っていた闘争心のはけ口として(原書でミステリを読む)というアイデアが浮かんだ。翻訳を読み、それとなく原文と和文とを比べて見たりすることも増えてくると(どうもこの日本語が気にいらねえ)と思うことが増えた。もちろんプロの作品だから誤訳だのなんだのという次元ではなく、読後にのこる感じ、という程度だが、この感覚が”矢の家” で感じたものとはどうも違うことがあるのだ。
それを一番感じたのが、一時、ミステリファンの領域を越えて流行小説みたいな売れ行きを記録した、かの ロバート・パーカーの スペンサー シリーズ である。チャンドラーともマクドナルドとも違い、まさに現代アメリカ、を描いたこのシリーズは全巻、本棚の一角を独占しているのだから、愛読した、と言ってもいいのだが、菊池光、という著名な翻訳者の文体、とくに会話が不自然に聞えて仕方がなかった。この人は翻訳者の中でも著名な大家なのだが、最近、たまたまグーグルで調べ物をしていた時、この人の翻訳には高名な文学者や翻訳者のなかにも、議論があることが分かった。ある人は (気に入らないから一切読まないことにした)と言っているのに違う大家は(特に会話の部分がいい)とのたまうではないか。そうか、素人の直感もまんざらではないか、と思いはじめていたところ、酔い覚ましに立ち寄った本屋でギャビン・ライアルの出世作 深夜プラスワン の新訳をみつけ、もう一度読もうという酔狂な気を起こした。この本はだいぶ以前、内藤陳なんかが雑文を書きまくっていたころ、興奮してこれぞハードボイルド、と騒ぎ立て、事実、ハヤカワが出した読者選出ベストテンではこの分野で第一位になったりした作品であり、日本での初訳が上記の菊池光だったことを思い出したからだ。菊池本とこの本(翻訳者は鈴木恵氏)がどんな違いを持つのか。鈴木氏はこの版のあとがきで、菊池訳を ”……その切りつめた独特の訳文” と評しており、さらに ”…..翻訳というのは、後から来るもののほうが有利である” としてうえで、”冒頭の一文、パリは四月である、は菊池氏の訳文をそのまま拝借した” と言っている(原文は It was April in Paris,so the rain was’t as it had been a month before..)。このあたり、プロの世界の感覚は素人にはわかる訳もないのだが、ある種の対抗意識がほの見える気もする。
前触れが長くなった。”深夜プラスワン” の著者ギャビン・ライアルは英国空軍のパイロットだった経験があり、それを生かした小説、 ”ちがった空(The wrong side of the sky)”でデビューし、2003年になくなるまで15冊の作品があり、小生は知らなかったがノンフィクションを除くすべてが翻訳されているということだ。この作品の主人公、第二次大戦中英国情報部の腕扱きだったマイケル・ケインがパリのカフェで戦時中に使っていた偽名で呼び出しを受けるところから話は始まる。この時使われたキャントンという偽名というかコードネームは作品の中でしばしば使われ、ケインの持つ二重の存在を効果的に意識させる。ケインは電話をかけてきた旧友から、ある重要な人物をリヒテンシュタインまで護送するという仕事を依頼される。現在とは交通体系も違うし、なにか秘密のある(同時にフランス官憲から追われているらしい)人物の国境越えを無事に済ませるためには、空路ではなく陸路を行かなければならないということなのだが、重要なのは指定された日のうち(深夜零時まで)に現地につく、という事が必至な護送なのだった。ケイン本人にも明らかでない事情があり、本人が襲撃される危険もあるということで、その間の護衛としてケインのほかにフランスの暗黒街では著名なガンマン、ハーヴェイ・ラヴェルが同行することになる。ミステリなので筋を書くわけにいかないのは毎度のことだが、フランス国境にさしかかるあたりから見知らぬ敵から襲撃を受ける。ケインは戦時中反ナチグループを支援するために滞在していた村を訪れて支援を頼むが、当時ほのかな恋愛関係にあった女性と再会する、という場面もある(これがお定まりのハピーエンドにならないあたりもHB的で好ましい)。
さて、詳細は別として、筋も結論もわかっていてなおミステリを読む、というのはある意味で難しかった。だが予想した通り、鈴木訳は菊池訳よりも特に会話のやり取りがスムーズで、不自然さが感じられなかった。これは予期通りだったと言える。鈴木氏はこの小説にハードボイルド、という烙印は押さずに無難に冒険小説、という位置づけをしている。この二つがどう違うか、などというのはかなり身勝手な話であり, どうでもいいのかもしれないが、なにせ読者ランキングでベストワンになったり、早川の ”冒険スパイ小説ハンドブック” の ”好きな脇役” の第一位はこのハーヴェイ・ラヴェルだということをみると、やはり何か、ふたつのジャンルには差を論じたくなる、違う雰囲気がある、ということなのだろうか。
”ハードボイルド” とは何か、については今更論じることはしないが、HBと定義される作品は文体とともに作品の主人公が 非情に徹する という行動原理に生き、片方では 自分の存在はわすれても友情とか義理とかに忠実である というストイックな感覚を持っていることが欠かせない。この 深夜プラスワン が冒険小説であるとともにハードボイルドの傑作のひとつに挙げられるのはこの最後の点だということを再認識した。この本、現在新品で入手できるのはこの鈴木訳の早川文庫版のものだけのはずだが、そのページで言えば416頁からの5ページ、終末までの題34章がそのすべてだ、と僕は考える。今回再読してみて、やはりプラスワン、は優れたハードボイルドなのだ、と納得した。だから何だ、と言われても困るのだが。
僕が最も気に入った、この本の最後をしめくくる一節を紹介しておく(ここまで来てはじめて 深夜プラスワン、の意味が分かるのもしゃれた結末だ)。
It was still snowing gently. Halfway down the mountain I rememberd that I’d never collected my pay – four thousand francs. I kept going but looked at my watch. It was a minute after midnight. Ahead of me, the mountain road was a dark tunnel without any end.
(雪はまだ静かに降っていた。山を半分下ったところで、残金の四千フランをもらっていないのを思い出した。そのままはしりつづけながら時計を見た。零時一分過ぎだった。前方には山道が終わりのない暗いトンネルとなってつづいていた)
(安田)小生の場合、ここまで読書にジャンルを絞り傾倒したことはない。これは説得力のない言い訳だが、中学・高校・大学受験は思春期の感受性豊かな時期、3年毎に邪魔が入った一面もあった感が強くする。団塊世代のそれは尚更熾烈で受験前々年あたりから学校と同僚生徒たちは受験モードだった、と懐古する。
勿論、本人の選択判断次第であろうが、矢張り勉強以外で自分の好きなことに相対的に多くの時間を割く選択が可能であり、実際に時間をかけてきたであろう中・高・大一貫校生徒を羨ましい、とさえ思ったものだった。切磋琢磨、刺激しあう 肝胆相照らす友 と巡り会うチャンスも、きっと多いのだろう。ブログ上言及された菅原さんはそんな親友のお一人でしょう。生まれ変われるのであれば一貫校で学びたいとは思う。
そんなハンディ(?)を背負いつつも、僕が好んで読んだのは歴史小説であったろうか。長年かけて殆どの著書を読んだ司馬遼太郎、塩野七生が僕にとっての双璧。他はとても網羅仕切れないが、若かりし頃は、山岡荘八「徳川家康」、吉川英治「宮本武蔵」「三国志」「新・平家物語」「私本太平記」、海音寺潮五郎「天と地」、大佛次郎「天皇の世紀」、子母沢寛「勝海舟」、山本周五郎「樅の木は残った」、井上靖「風林火山」「敦煌」「天平の甍」「おろしや国粋夢譚」など愛読した。池波正太郎、野村胡堂、五味康祐、柴田錬三郎などの時代小説・武芸ものなどもつまみ食いしていた。
僕の楽しみの一つは、歴史(小説上であっても)を遡って辿り謂わば時間軸上の歴史の旅を放浪しつつ、それと地理的な水平の放浪の旅をドッキングさせ、人間が編み込んだ綾に想いを巡らせることだ。
エーガ愛好会 (187) ブロンコ・ビリー (34 小泉幾多郎)
ブロンコ・ビリー 1980」はクリント・イーストウッド7作目の監督作品。
ワイルド・ウエスタン・ショウを監督自身が、引っ張っていく頼もしい親部の王者(1944ジョエル・マックリー)、ビッグ・アメリカン(1976 ポール・ニューマン)がある。
冒頭カントリーウエスタン「カウボーイと道化師」が主題歌として
其処へ30歳までに結婚しなければ父の遺産を継入ることになったから、さあ大変。しかも母親と悪徳弁護士が
(編集子)西部の王者 たあなつかしい。セーブゲキではないが 地上最大のショウ も興奮してみたもんだ。まだ中学生のころだったが、どういうもんか脇役のグロリア・グラハムにあこがれたことを思いだす。今考えてみてもなぜだったのかわからない、少年の日のできごとではあったな。この人と言い、ドロシー・マローンといい、脇役とか準主演級の女優にほれこんで各位ご存じの大女優に心を動かさなかったのはそれ、思春期❔特有の一種のコンプレックスとかいうやつだったのか?