コロナ罹患者の話    (42 下村祥介)

 このところコロナ患者が連日減少し曙光が見え始めていますが、緊急事態宣言解除の2週間後の感染者数はどうなるでしょうか。人流が増えても感染者が増えなければ多少安心できそうですが・・・。

ところで先日、取引先で知り合った知人がコロナに感染したとのこと。40代半ばの人です。感染者の体験談に接することはあまりありませんので、ご参考にお知らせします。

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8月下旬に感染。職場の同僚が3日ほど前に感染し、濃厚接触者にあたる職場全員(7~8名)がPCR検査を受けた。陰性の人も何人かいたが自分は感染していることが判明。ホテルに隔離され治療に入ったが、治療と言っても放置されたままだった。何日間か39度ほどの熱が出たが何の薬を与えられるわけでもなく、1日3回保健所と連絡を取るだけで自然治癒を待つだけだった。家族とも離れて1人でのホテル療養で連日気分がすぐれず不安の毎日だった。途中で気絶して倒れたようだが自分ではどれぐらいの時間倒れていたのか分からない。気がついたら倒れていた。自分で気がつかなければほったらかしの状態になるところだった。9月半ばに退院できたが、感染してからもう1か月以上たっているのに今だに食欲がなく痩せてしまった。コロナには絶対にかかるべきではない。

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医療関係の知人の話によると、変異して急速に増えるウイルスは、消滅するのも早い。第5波で感染者が急速に減っている理由はこのためだ(緊急事態宣言で人流が減っているからではない)。但し、ウイルスの根が残っているので、いつぶり返してくるか分からないとのこと。

また今のウイルスは空気感染であり、接触や飛沫を避けるだけでは防御にならず、フェイスシールドやアクリル板などはほとんど意味がない。空気中の水の分子にウイルスが付着して浮遊し、それを吸い込むことによって感染するからだ。手やテーブルの消毒よりは不織布マスクを鼻の両脇やほっぺたに密着させてつける方がはるかに効果がある、とも言っています。1日から緊急事態宣言が解除されていますが、小生は引き続きマスクと人混みを避ける対策を続けるつもりです。

我が家にも秋がきました   (33 小川義視)

ジャイさん、宣言解除で来春のシニアワンダラーズの新年会は開催されますか? 開催なれば上京するつもりです。愛好会の皆さんのご尊顔を拝見できないのは残念ですが、解除されて余り羽根を伸ばさないようにご健勝を祈っております。

*玄関脇のキンモクセイ、素敵な秋の芳香と秋バラの開花一号, の写真を添付しておきます。

(編集子)相変わらずお元気なご様子、心強いです。シニアワンダラーズ会のほうはまだ何ともわかりません。しかし昨年企画してできなかったエーガ愛好会の会合はぜひやりたいと思っています。ご都合を最優先に考えますので、ぜひともご上京いただきますように今からお願いしておきます。

エーガ愛好会 (90)  駅馬車

(菅原)「駅馬車」をいつ見たのか、その時期は定かではない。普通部の頃だったろうか。とにかく、猛烈な勢いで疾駆する駅馬車、それを追い駆けるインディアン。それが、しつこいこと、しつこいこと、いい加減に諦めたらと思っても、何時まで経っても止めない。実は、カー・チェイスならぬ、このインディアンによる駅馬車チェイスの迫力が凄まじく、これしか覚えていないのだ。ジョン・ウェインもクレア・トレヴァーも記憶にないし、挙句の果てに、話し自体も忘却の彼方だ。従って、インディアンに何も悪さをしていない善良な駅馬車と乗客に、執拗にも襲い掛かるインディアンとは誠に悪い奴だとの印象が深く刻み込まれた。

ところが、後年、それなりに米国の歴史に関し、色々な本を紐解くと、大違い。米国には、既に土着民(インディアン)がおり、あとから移民してきた白人が、その土地を収奪し略奪し、ある場合は虐殺、または保留地に閉じ込めるなど、むしろ、善人はインディアンであり、悪人は白人であることに気付かされた。余談だが、西部開拓史など、いかにも浪漫の漂うような心地よい言葉だが、正しくは、西部収奪/略奪史だろう。

つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。

(34 小泉)先ずは、駅馬車のテーマ音楽、「俺を淋しい草原に埋めてくれるな」を音楽担当のリチャード・ヘイジマンが編曲し、アカデミー音楽賞を受賞した曲が、各シーンに合わせ、時には元気に速く 時には暗く遅いテンポで奏され、駅馬車のリズムとなり、其の侭映画のリズムとなって、もう何回観たか忘れたが最後まで、あっという間に観終わってしまった。

駅馬車はアリゾナ州南部のトントからメキシコ国境のローズバーグまでを走るのだが、乗客は町から追い立てを食った酒場女ダラス(クレア・トレバー)、酔いどれ医師ブーン(トーマス・ミッチェル)、ウイスキー商人ピーコック(ドナルド・ミーク)、銀行家ゲートウッド(バートン・チャーチル)、将校夫人ルーシー(ルイーズ・ブラット)、賭博師ハット・フィールド(ジョン・キャラダイン)、馭者台には、馭者(アンディ・ディバイン)、保安官カーリー(ジョン・バンクロフト)、途中から。gi-sanお気に入りの、ライフルを片手にぐるりと回して登場の脱獄囚リンゴ(ジョン・ウエイン)の面々。

当時西部劇がハリウッドの主要路線から外れた時期でもあったこともあり、ジョン・フォード監督としては西部劇を「三悪人1926」以降13年間作っていなかった。西部劇とは何たるかを示したと共に、ジョン・ウエインは、その間の二流西部劇役者から、この映画でスターへの脱皮を図れ、一流役者ジョン・ウエインの誕生となった。またこの映画は、乗客の淫売、酔払い、賭博者、脱獄者といった社会の最下層を流れ歩く人間たちの中に、高貴な献身的な精神や勇敢さ、弱き者や女性に対する真のやさしさなどが描かれ、資金を掠め取る銀行頭取や淫売婦を街から追う婦人団体の偽善との対比を示している。ただ当時としては、黒人やインディアンはその範疇にはなくインディアンこそは憎き敵でしかなかった。

最初の宿場ドライフォークでは、ハットフィールドが、ダラスを除け者にするのをリンゴがかばい、二人が親しく振舞い、次のアパッチウエルズでは、ルーシーが倒れるが、酔いどれ医師がコーヒーで酔いを醒ましながらの対応で、無事出産に漕ぎつける。ダラスがリンゴを逃がそうとするもアパッチの狼煙を見て断念。一本の矢がピーコックを倒すことから始まるアパッチの追跡から逃げる駅馬車のスピード感とカメラに物語を語らせた迫力には何回観ても圧倒される。このシーンのフィルムを流用した作品が数本以上あるとか。何回か見た記憶がある。ラスト、ローズバーグに着いてからの決闘。医師ブーンが、リンゴの敵ルーク・クラマー(トム・タイラー)の持つ卑怯者が持つという散弾銃を取り上げるとか細かい。決闘はあっけなく終わるが、投獄されるべきリンゴを保安官カーリーと医師ブーンが、ダラスと共に馬車に載せ叩き送るラストは心地よい気分。

蛇足ながら、1966年と1986年に同じ駅馬車の題名でリメイクされている。前者はゴードン・ダグラス監督アレックス・コードがリンゴ、アン・マーグレットがダラス、ビング・クロスビーが医師ブーンで、いい味を出してはいたが、背景が

アレックス・コード

ワイオミングの緑では実感が湧かなかった。後者は、テッド・ポスト監督クリス・クリストファーソンがリンゴで他に当時ザ・ハイウエイメンというバンドを結成していたカントリーミュージックのメンバーだったウイリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、ウエイロン・ジェニングスの4人が揃って主要な役で出演したということだが未見。

(保屋野)通しでは初めて観ました。モニュメントバレー、・・・駅馬車が疾走する道を、2回車で通ったことがあります。
この作品は、西部劇定番の、勧善懲悪ヒーローも、美形のヒロインも登場しない不思議な映画ですが、主役はまさにモニュメントバレーの景観と駅馬車そのものなのでしょうね。

西部劇の傑作、ということですが、確かに1939年制作の映画としては素晴らしい作品だと思います。ただ、やはり映像は古めかしいし、あまりパットしない「リンゴ役」のジョン・ウエインもまだ貫禄不足。
車内の人間模様も、賭博師や銀行家の役割が今ひとつ分らない。更に、最後の決闘シーンは欲求不満。また、ヒーローたるリンゴが医者崩れのドクに食われた感じもしないではありませんでした。少々ケチを付けましたが、総じて、テンポも良く、アパッチの襲撃シーンはじめ見応えある西部劇でした。賭博師が絶体絶命の駅馬車の中でヒロインを撃とうとする場面がありましたよね。
私は、何故、と思いネットを見たら、アパッチに連れ去られる前に、あえて殺す、という「愛の表現」とありました。納得。
駅馬車は主題歌も良いですね。黄色いリボンも楽しみです。

ちなみに、昨年観た西部劇では、「大いなる西部」がダントツで赤い河」、ダンス・ウイズ。ウルプス」がこれに続き「真昼の決闘」、「OK牧場の決闘」がさらに続くという私の評価です。駅馬車は、その次ぐらいではないでしょうか。

(小田)黄色いリボンと、シェーンそして駅馬車のDVDを安かったのか、まとめて夫が以前買ってきましたが、駅馬車はその中で一番好きです。銀行の頭取以外の登場人物のキャラクターが皆善くて面白く、

小田さん提供のポスター

狭い幌馬車の中の場面も退屈しませんでした。賭博師はレデイに弱く、医者はお酒に弱く、ダラスも皆に認められ、リンゴと結ばれる。保安官はリンゴ達を祝福し、見逃します。馬車の御者や、途中の休憩所(ドライフォーク?)の主人(奥さんをインディアンのジェロニモにしておくと安心と言っていたのに、馬と共に逃げられた)も愉快でした。広がるモニュメント バレーの景色も素晴らしいですね。

アメリカで頂いた、駅馬車のポスターのコピー添付しました。

(船津)
何故お奨めで、「西部劇」大一番なのか。
1939年製作。我らと同年のゆえ、80年も前の映画。「風と共に去りぬ」と同じ時作られた様で対抗馬が良すぎて当時の賞は総て「風」にさらわれた。
ジョン・フォード監督が矢張り名監督。何が凄いか。モノクロの陰影を活かした撮影方法。疾走する駅馬車などのスピード感ある撮影。狭い駅場所の内部のみでの人間劇。後のオーソン・ウエールズとか日本の映画監督に丁度日本の浮世絵を印象派が真似したように「見本」にしたようだ。

ジョン・ウエインは胃癌の悪化で、1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポートビーチのカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに入院し治療を続けていたが、72歳の誕生日を迎えて17日目の6月11日午後5時35分(日本時間12日午前9時35分)に死去した。ウェインの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。日本でも、毎日新聞に『ミスター・アメリカ死す』を始め、大きな見出しで出された。アメリカ各地で半旗が掲げられた。
入院期間中の6月5日には、当時の大統領であるジミー・カーターがウェインの見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。

最後も嫌われ者同士が別天地へ馬車で遠ざかっていくというのは何とも陳腐。
まぁ「スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、アクション映画史上不朽の名場面」と言った所かなぁ。

(編集子)ジョン・ウエインが演じたリンゴー・キッドは実在の人物で本名はジョン・ピーターズ・リンゴ、教養のある人だったといわれる。ただこの映画での伏線となったとおり、兄を殺されその敵3人を射殺したのも事実であるようだ。荒野の決闘・OK牧場の決闘ではジョニー・リンゴという名前で出てくるが、クラントンに味方したのは事実だがこの決闘を生き残った。その後は、牛泥棒など無頼の生活を送り、1882年にアリゾナで殺された。

良く知られているようにウエインが西部劇のキング、となったのはこの ”駅馬車” からであり、その意味でセーブゲキ党には欠かせない一作である。小泉さんが書かれているように背後に流れる曲は Bury me not on the lone prairie という民謡がベースであるが、南部貴族崩れを演じたジョン・キャラダインのショットでは、一瞬それが南部を連想させる名曲 金髪のジェニー に代わる。飲んだくれ医者のトマス・ミッチェルとの会話で出てくるように、この映画が背景とした時代はまだ南北戦争の傷跡が癒えていない時代でもあり、南北双方の顔を立てようとしたフォードの苦心というべきだろうか。フォードはやはりウエインの騎兵隊三部作の最終作 リオグランデの砦 でもモーリーン・オハラが南部の出身であるという筋書きに従って、最後のほうに出てくる閲兵のところでキャロル・ナイシュ演じるシェリダン将軍が楽隊に特に命じて南部のマーチを演奏させ、オハラを喜ばせる、というような配慮をしている。

ティム・ホルト

今回(何度めだったかは忘れた)気がついたのだが、ウエインの仇、ルークがカードに興じているときに リンゴが来た! という手下の情報が入る。その時ルークの手はエースと8のツーペアで、これは “死の手” というらしい。またキャラダインが南部貴族のプライドからルイーズ・プラットのガード役で駅馬車に乗り込むのだが、その時最後にあけたカードはスペードのエースだった。こんなところがいかにも心憎い(このあたりがやりすぎだという人ももちろんいるだろうが)。ジョン・ウエインが登場する場面には何度もふれたが、前半で途中まで護衛にあたった騎兵隊が分岐路を左へ、馬車は右へ行く。この時、しばらく後へ残って駅馬車を見送る若い中尉のカットが(ストーリーにはあまり関係ないと思われるほど)長く出てくる。ティム・ホルトのいかにも若くて好感が持てるショットである。当時、将来の主演級を期待していたのだろうか。荒野の決闘ではアープの弟バージルを演じている。

(安田)「駅馬車」はジョン・フォードの抒情的感性が人間味あふれる駅馬車内の人間模様やキッドと娼婦ダラスのハッピーエンドを描き、娯楽としての「motion picture」(アメリカ人が呼ぶ映画のこと)の面白さと融合した傑作だと思う。1939年の昔にあの迫力満点の馬車疾走場面を撮る発想と技術はタダ者ではないと思った。人気の高い映画「荒野の決闘」は西部劇というよりメロドラマだと思った。ジョン・フォードのことはよく知らず、娯楽映画の西部劇専門の映画監督だ、くらいにしか認識していなかったが、映画を観るうちに次第に惹き込まれていったのも事実。そこで、彼のことを知りたくなって彼の映画を集中的に見つつ少し調べてみた。「捜索者」を見た折にジョン・フォードについても感じたことをまとめたwordfileを再送になりますが、貼付の上お送りします。そんなジョン・フォードが彼の名声を不動のものにした「駅馬車」は矢張り西部劇の隆盛をもたらした先駆けの役割を果たしたのは間違いない、と思っている。

(小川)皆さんのコメントを読んだうえでジントニック片手にジックリと見直しました。何度見たか記憶にありませんが、改めて発見することも多く非常に楽しめました。各位の実に克明に観ておられるのには感服する次第です。

あのテーマ音楽の由来、エンディングで流れる金髪のジェニー、エースと8のツーペア、スペードのエース(これは見落とした)を上手く配するところなどはジャイ兄の言う通り実に心憎い。また菅原兄の穿った見方 “つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。” なるほどと思いました。

小生はやはり飲兵衛、酔いどれ医師のブーン、トーマス・ミッチェルの演技に惹かれました。お産の時の変身ぶり、そのあとダラスからリンゴの求婚を相談された時のブーンの表情、やっぱり彼は素晴らしいバイプレーヤーで良かった。 それにしても若いジョン・ウエイン、その後40年も付き合うとはねえ~。船津兄の感想とウエイン最後の紹介有難うございました。愛好会会員ならねばの実に楽しいひと時でした。

 

 

 

南八つ岳 山麓の秋  (北杜市在の友人から)

おはようございます。晴れの天気が続いています。日中は半袖でちょうどいいくらいの暑さです。

休日は予定通り薪ストーブ、煙突掃除をしました。

最後に外回り、窓を掃除して完了。ざっとですが半日かかりました。これで安心してシーズンを迎えられます。

(編集子)北杜市小淵沢にある、編集子のささやかなセカンドハウスの管理をお願いしているグリーンビラ総合管理社の御好意で、同社のホームページから借用。やはり都会より早い秋の訪れが感じられる。あの稜線を駆け上がったのは何年前だったか、再び訪れることはもうないだろうが、権現直下のあの岩場の感触はまだ心に新しい。

フルサト、というものを知らない僕にはこのあたりの風物人情がそれに代わってくれているように思える。コロナのおかげで今年の故郷の夏は知らないで終わってしまったが。

 

日本語は動いていますよ!   (HPOB 菅井康二)

“語彙の問題” についての私見です。

日本語(だけではありませんが)は動いています。「全然」は私の世代では否定的にしか使わないというコンセンサスがあるような気がするのですが、これは戦後森鴎外の次女である小堀杏奴が雑誌「言語生活」で「全然を肯定的に使うことは日本語の乱れ」と書いたことに起因していると言われています(文豪の娘の言という影響力)。確かに明治時代の文豪の作品には肯定を強める意味で全然が使われているようです。

うざい、うざったいのルーツは多摩方言で、エグい(きつい)は塾高がルーツという説もあります。
ご存知かと思いますが、若者の使う「ヤバい」はネガティブではなく非常にポジティブな意味です。

(編集子)こういう議論を待っていました。シニア世代各位のご意見に期待。

白萩の花

江戸情緒もないしプラチナ通りの華やかさもない、まあ、街道筋の横丁にも、それでも秋はやってくる。我が家の向かい側、落ち着いたたたずまいの家からこぼれ出てくる萩の花。

”中司さん、この萩に似合う歌があるんだけど、知らないだろうなあ“。もと財務省にその人ありと知られた敏腕官僚だったという家の主は道いっぱいに落ちた萩の花をかき集めながら、

白萩の 三斗こぼれて 三斗咲き

という句を教えてくれた。誰の句だったか、教えてもらったのだが忘れてしまった。杉本宗匠ならご存じかもしれないが。

数年前、夫人が体調を崩して入院され、まもなくご本人も施設に移られた。その後お会いする機会もなく、時々、親族と思われる女性が見回りに来られることはあるものの、雰囲気のある家はひっそりとしたまま。ただ、その人が愛していた白萩は今年も静かに咲く。三斗はないが。

白萩に あるじの孤影 かさねをり

(37 杉本光祥)ご無沙汰しています。三斗咲きの句、いい句だと思いますが、始めてみました。私も作者は知りません。そこで、歳時記やパソコンでも調べたのですが見当たりません。お役に立てず申し訳ありません。

最後の白萩の句もなかなかいい句ですね。ジャイさんの句ですか。

私の先月の特選の句

山の日や山の山たる剱岳 光祥

山の日にちなんで、昔を思い出して作ったものです。どうぞお元気でご活躍下さい。

(編集子)びくびくしながら書いておいた自作の一句、おほめに預かり天に登る感じであります。

 

 

感染者減少と緊急事態解除にあたって    (34 船曳孝彦)

新型コロナ感染者数が減少しています。何故減ったのか?これで終息へと向かうのか?まだ予断を許さず、はっきりしたことは分かっていません。

政府の言いたいワクチン接種率が向上したか。僅かづつ接種率は上がっているとはいえ、最近の新感染者数カーブを説明できるような接種率ではない。では感染機会と一致したカーブの人流が減少したか。これはむしろ増加傾向とみてよさそうだ。会食、イベントも減ってはいない。そうなるとこの感染者減少が、どうして起きているのでしょうか。

感染者の年代が老年世代から若者世代へと移行してきていました。そして基礎疾患のない若者での死亡例が報道されたこと、自宅死亡が報道されたことにより、若年世代間に‶他人ごとではない“という危機感が出てきて、行動にわずかな変化が生まれて感染率が減少したのではないかという発言をされた方がいましたが、私もそれを支持したいと思います。

もう一つ、非常に大事なことですが、ウィルス自体が自らをコントロールできない程の変異をして、自壊(エラー・カタストロフィー:Mアイゲン教授)という終局へ向かったのではないかという児玉龍彦教授の仮説です。こんなありがたい話に飛びつきたいのですが、ウィルスの運命の一パターンには違いなく、スペイン風邪もこれで終わったという解釈もあります。これは乞い願うしかないのですが、あって欲しいものです。

それにしても世の中は、緊急事態宣言解除へとまっしぐらの感じです。怖ろしいのは次の第6波がやってくると思いますので、それに備えなければいけないところ、全くと言ってよい程準備されておりません。軽快退院してゆく患者全員のPCR検査がなされておらず、もし弱いウィルスを持ったままであると、治療抵抗性のウィルスの培養器となり、いつか新たな変異を起こして再燃し、第6波の火元となります。今時間的にも余裕が生まれている筈です。感染者ばかりでなく、広く検査を行うべきです。新たな変異株を確実に把握せねばなりません。

3回目のブースターワクチン接種が話題となり、そこへの既定路線に乗ってきたようです。私としても受けたいとは思います。しかし本当にそれでよいのでしょうか。まだ2回目が済んでない人が国民の半数はいるのです。主義上、持病上接種できない人を除いても、まずは全員接種を目標としそれから考えるべき筋合いのことと思います。それよりも世界を見てみると、何億という単位で接種が大幅に遅れている人々がいます。アメリカでは再び感染者が増えそうです。グローバルな世界となっていますので、日本だけ終息すればOKとは言えません。終息したと思っていると海外から新変異株が入って来ます。 治療面では、抗体薬がクローズアップされてきましたが、特異性と抵抗性のせめぎ合いとなりますので、カクテル抗体が必要になります。

これが一番大事かもしれませんが、医療体制の整備です。場当たり的にコロナ病床を増やせというのではなく、重症用ベッド、中等症用ベッド、軽症者用ベッド(これには今のホテル・イベントホールなどの待機療養ベッドを含め)に、根拠を持った必要数と、空きベッドのまま次の第6波、7波(あるいはまったく別のパンデミック感染症がいつ出現するか分かりません)に備える必要があります。自宅待機を亡くしましょう。多くの病院で二人部屋を一人用に転換しています。非コロナの病棟を圧迫しています。胃癌患者は早期がんが減って進行がんが増えています。総合的に検討し、整備するのは今でしょう。

自粛開放ムード一色となりつつあります。コロナ対策はこれで良かったのではないかという、誤った認識が生まれそうで、それが怖いことです。日本のこの1年9か月、コロナ対策としては誤りの連続であったことは、これまでの『コロナ情報』で毎回指摘してきました。若しこれで終息に向かったとしても、幾多の問題をほったらかしているので、全く安心はできません。ウィルスの自然傾向から見ると、次のピークは12月、正月ではないかとも言われます。 細心の注意を払いつつ、青空を待ちましょう。

火事ってこんなだよ!    (34 小泉幾多郎)

昨日9月28日の朝7時半ごろ、あまりの警報のうるささに窓を開けると なんと 近所の4階建ての住宅の4階から煙が出て消防車数台で消火活動をしているのが眼前で行われていてビックリ。
現場の前が駐車場で住宅がつながっていないことで延焼の危険はなさそうなので写真を撮りました。滅多にないことなので参考に送ります。 どうやら賃貸の住宅で、燃えたのは一軒だけのようですが、住宅そのものはどの程度の損傷になるのかわかりません。火事の恐ろしさを眼前で見たのでした。火の用心!

(菅原)隣りじゃなくて良かったです。真ん中の写真のオソロシイこと。

(小田)近火お見舞い申し上げます。私も怖い経験をしましたので、火災報知器が話題になり、付けることが、義務のように言われた時、狭い家に7個も自分で取り付けました。あれから何年経つでしょう。このお話しを機に点検せねばと思います。でもこの頃あまり聞きませんね、火災報知器。

(安田)消防車出動について、昨年の暮れ(12/30) 家内が腰を骨折して救急車を呼びましたが、驚いたことに大きな赤い消防車まで来ました。近所は年の暮れに何事かと魂消ていました。全く動けない患者の身体を完全に固定させる装備・器具とそれを運用・運搬するのは救急隊ではなく消防士の担当とのことでした。金属製の担架に患者を固定して、家の中の狭い廊下や階段を担架を縦に直立したまま運び、通り抜けました。救急車に常備されている布担架では、寝かせて運ばねばならず用を足さないことが予見出来たので消防車と消防士が来たのです。病院へは担架をそのまま救急車に入れて運びました。消防車が火事以外で機能するのを、初めて目の当たりにしました。救急隊員と消防士が天使に見えました。

(金藤)奥様大変でしたね。 その後いかがでしょうか?うちの近所の方が腰を打って動けず救急車を呼んだ時も消防車が一緒に来ました。住所を告げるとマンションは安田様のお話のように、戸建でも患者さんが動けない状態の時は消防車がセットで来るとその時教えてもらいました(その時は担架で運べたので、消防車はすぐかえりました)。

 

ケイオーイズムが輝いた一戦   (HPOB 菅井康二)

塾野球部はこのコロナ禍のため変則ルールではありますが春季リーグ戦では3季ぶり38回目の優勝を果たし、東京六大学代表として第70回大学選手権記念大会においても34年ぶり4度目の日本一になりました。
選手たちは秋季リーグ戦の前から四冠(リーグ戦の春・秋連覇、大学選手権と神宮大会制覇のグランド・スラム)達成を目指して練習に励んでおりました。開幕直前に法政野球部では30余名の感染者が出てしまい、他のリーグでは不戦敗となるところですが法政が参加できるようにさらなる変則スケジュールを組んで秋季リーグ戦が開催されております。

総当りの対校戦は同じなのですが、春と同様で延長戦は行わず2試合 までで勝利で 1点、引き分けで0.5、敗戦で0という 通常の先に2勝して勝ち点1とは違うルールでやっています。法政は9月中は出場が無理 なので10月からの参戦ということでチームによっては月曜を空けて火水という5日間で4試合を行うことがあるという変則 スケジュールです(火水のあと木金を 空けて土日という6日間で4試合というチームもあります)。 法政の監督は六大学の友情に感謝して涙を流していたそうです。

塾野球部は第1週目は東大と 対戦し大過なく二連勝し、先週末は 相変わらず甲子園常連の野球強豪校からの選手を取り揃えた 明治戦に臨みました。応援に 行った土曜日の1回戦は6回裏まで31でリードするも7回表に同点、さらに8回表には43と逆転され後半の流れは明治に行っていたのですが8回裏に 明治の暴投で同点に追いつきそのまま引き分けました。

リーグ戦連覇のためには負けられない日曜日の2回戦 なのですが、ジャズ・ポップス三田会の同期から10/17(日)にリモート開催の 連合三田会で流す演奏の撮影を依賴されていたので 日吉に行っていました。撮影の合間にスマフォで試合経過を追っていました。3回に 先取点を取るもその裏に逆転され21の まま8回裏まで 経過してしまい 、「もはやこれまで!」を諦めておりました。撮影が終わってスマフォでチェックすると なんと9回表に1点を取り 22で2試合連続の引き分けで終了していました。これは勝ちに等しい引き分け(第1試合では開幕以来3連勝していた立教に東大が74で土を つけました)といえます。

同点にした経緯を調べたら、9回表二死ランナーなしで代打の東筑高校出身の北村兼介選手(右・左、3年)が神宮で放った初ヒットが低い弾道で ライトにスタンドインしたとのこと!勝つことこそ出来ませんでしたが貴重な引き分けを拾いました。現在は東大の頑張りも手伝って塾野球部は暫定ではありますが首位に立っております。

値千金のホームランを打った北村選手(内野手・捕手)は高2夏・高3春と2度 甲子園に出場していますが、 オープン戦で見た限りでは守備は六大学レヴェルではちょっと難しいが思い切りの良いバッティングを するのでDH制のない六大学では左の代打の切り札かな?と勝手に想像していました。まさかあの土壇場であのような大仕事をするとは全く 予想していませんでした。最近は2003年に導入された 推薦 入試 制度で実績のあるポテンシャルの高い 生徒が入学するようになった塾高 出身選手を頼りに する傾向が強い塾野球部ですが、 公立進学校 の選手が活躍 するKEIO野球の伝統が現在でも継承されており嬉しい限りです(2回戦で先発した増居投手と ショートの朝日選手は 彦根東出身の3年生)。

ベンチ入りして活躍している文武両道の公立進学校出身者をまとめると以下の通りです。心意気に感じて応援したいものですね(最後の数字はは各選手が甲子園出場した年です。橋本は甲子園には出場していません)。

投手 増居 翔太(左・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
投手 橋本 達弥(右・右、3年、兵庫県立長田高)
内野手 北村 謙介(右・左、3年、福岡県立東筑高)17年夏、18年春
外野手 橋本 典之(右・左、4年、島根県立出雲高)16年夏
内野手 朝日 晴人(右・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春

神宮に行っていた応援仲間から聞いた話では 北村選手の応援に来ていたご両親は泣いていたそうです。ベンチ入りしているとはいえレギュラーではないので出るかどうかは分からないのに北九州から両親が応援に来てくれる今時の選手は幸せです。

昭和35 年のセンバツ に出場してベスト8になり 大学では六大学初の完全試合を達成した直方出身の大投手渡邊泰輔さん(塾高大学南海)と神宮でお目に掛かった際には「中学生の頃は小倉高校から甲子園 に出場して早稲田で野球をしたいと思っていた」と仰っておられました。慶應の野球応援仲間 では 密かに「泰輔さんが塾高の元祖推薦 (AO)入学」と囁いておりました。

日本のもつべき ”抑止力” について   (普通部OB 田村耕一郎)

友人から送られてきた、キャノン グローバル戦略研究所 宮家邦彦氏の最近の発言をご参考まで転載します。

 

抑止力とは軍事力の均衡という視点にとらわれがちだが、「平時」とみられる段階から情報操作やサイバーなどの様々な分野で、相手の侵略する意図をくじかなければならない。

現代の戦争は初期段階でサイバー攻撃や情報戦を駆使する非軍事の世界で生じる。全地球測位システム(GPS)やインターネットを使えなくする。スパイ活動やフェイクニュースなどの拡散も同時に起こる。

武器を使わない初期段階で負ければ、どんなに軍事のハードウエアで戦っても勝てない。日本は軍事と非軍事の境目がなくなったことへの対策を考えてこなかった。非軍事の世界での「攻撃」は誰も戦争が始まったとは宣言しない。サイバー攻撃は武力攻撃と定義できるのか、自衛権は発動できるのか、基本的な点ですら整理できていない。

中国はSNS(交流サイト)上で台湾の民主進歩党(民進党)の評判を下げるためのディスインフォメーション(偽情報)を流している。世界中に情報戦をしかけ、台湾との外交関係を切らせようと動いている。ロシアは米大統領選に介入した。

中ロともに専門の組織がある。中国は日本にも当然しかけている。日本はどのような情報戦がしかけられているのか分析し、正しい情報をカウンターとして発信できるように体制を整えなければいけない。日本の政府は組織づくりでも問題意識は弱い。中ロは数千人単位の専門部隊がいるとみられる。日本の現状の体制ではとてもかなわない。

軍事のハードウエアと非軍事のソフトウエアを総動員して、「これでは勝算はない」と思わせなければいけない。

(編集子)時あたかも自民党総裁すなわち総理大臣選出プロセスのピークである。防衛問題について、新総理下の体制つくりに注目しよう。