乱読報告ファイル (36) 司馬遼太郎の世界   (普通部OB 菅原勲)

司馬の「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などは多くの人に読まれ、高く評価されているが、これに対する反論も数多ある。その最たるものが評論家の加藤周一だ。ちょっと長いが以下に引用する。「司馬遼太郎氏の史観は天才主義である。数人の天才たちが、対立し、協力しあいながら廻天の事業を行う。そこには民衆が演じた役割と、経済的要因がもたらしたであろう意味は、ほとんど描かれず、ほとんど分析されない。この小説が提供する歴史の解釈、歴史的事件の全体像は、われわれがわれわれ自身の社会的現実と歴史的立場を発見するのにはやくたたないだろう」と切り捨てている(「司馬遼太郎小論」)。この最後の一行は、ボンクラな小生には具体的に何のことを言っているのかさっぱり分からない、「やくたたない」と言いたいのは良く分かったが。要するに、小生を含め大半の人にとって、司馬を読んでも「やくたたん」と言ってるわけだ。つまり加藤のような進歩的文化人から見ると、司馬の作品を持て囃す一般大衆は大バカだと言っているに等しい。ここまで言われると、何やら、加藤の個人的な嫉み、恨みではないかとも思われてくる。そして、その根底にあるのは、どうやら人騒がせなK.マルクスにあるらしい。下部構造は上部構造を規定すると言うその考えに合致しないと言うことなのだろう(司馬が最も忌み嫌っていたのは、あることを絶対視し、それに反することは全く認めない絶対思想であり、彼の基本は、それとは真反対のリアリズムだった)。加藤さん、面白いものには、もっと素直になれば良かったのに。でも、進歩的文化人はそうもいかなかったか。

ここに、司馬が書いた作品がある。「上方武士道」、「風の武士」、「風神の門」、「十一番目の志士」、「大盗禅師」、「韃靼疾風録」。その特徴は、司馬と言えば必ず取り上げられる「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などの主要作品とは違って、その主人公が全て司馬の想像、創作で成り立っていることだ。勿論、司馬の書いたものは厳密な意味での学術論文ではなく、小説なのだが(本人はそうは言っていないようだが)、上記以外の作品の主人公は実在している人物だ。ここで何を言いたいかと言うと、上記の作品は等閑視されているのではないかと言う大きな疑問だ。いや、むしろ、司馬の本領は、想像力、創造力が天井知らずに羽搏くことにこそあるのではないか、と。勿論、ここには司馬史観もないし、背景にはあるが、歴史そのものを語っているわけではない。しかし、司馬を論ずるには、この両方を等分に論じなければ、司馬の本質には迫れないのではないだろうか。その意味で、小生は、「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などと並んで、上記の作品を、大変、面白いことから、再三再四、手に取っている。中でも、「十一番目の志士」の主人公、長州藩の暗殺者(刺客)、天童晋介は極めて忘れ難い。余談だが、余りにも真実らしいので、歴史学者さえ実在する人物だと思ってしまったと言われている。

あっ、この本のことを、ここまで、一切、語っていない。しかし、作家、作品を紹介するこの類の本よりは、先ずは、作品自体に触れて読んで楽しむのが本来の姿だろう。従って、これ以上は言及しないことにする。

(編集子)司馬の主な作品は一応読んで、それなりに納得している一ファンからすると、世にいう司馬史観論とかいう論議自体がばかばかしい。司馬が書いているのは小説、であって、史書、ではないと思うからだ。そういう立場からして、小生は菅原の進歩的文化人観に100%同意する(彼とは ”顔も見たくない有名人” リスト、でもほぼ同じである)。

加藤某が何と言ってるか知らないが、小生は 坂の上の雲 を第一のものと思っていて、そのうち歩けなくなったらビデオでもみて過ごすことになろうかと、この一式を大枚はたいて買った。まだ封も切らずに本棚で出番を待たせてある。スガチュー、俺達ってひょっとしてウヨク?

(菅原)俺たちゃー、右翼でもなければ左翼でもない。お天道様の真下を堂々と歩いて来た、また、これからもそうして行く国士だ。文句、あんめえ!

(船津)生粋の保守本流。右翼でも無く左翼でもなーしと思いますね。

(菅井)字引によると国士とは「国中で最もすぐれた人物」と解説されていました(OMG!)我が家から3Kmくらい南に下ると「国士舘大学」があります

(安田)お二人の投稿記事、大変興味深く拝読致しました。多々同感です。

司馬遼著書を’60年代半ばに読み始めて殆ど読みました。初期の頃の「梟の城」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」あたりまで来てのめり込み始め、越後長岡藩家老・河井継之助の「峠」に感心しました。黒田官兵衛の「播磨灘物語」も面白かった。近代国家として歩み出し日露戦争勝利に至る勃興期の明治日本を無邪気なまでに楽観的明るさと元気さで描いた長編「坂の上の雲」では、秋山好古・真之兄弟と正岡子規をその明るさの象徴として位置付けた手法に唸りました。薩長土肥出身の歴史を中心的に動かした“大物”を主人公とせず、松山出身の三人の生き様を浮かび上がらせた発想は大変素晴らしい。後年、松山の秋山兄弟生家にも足を運びました。その後も新刊小説が発売され次第読み続けたが、随筆・紀行・対談物が加わり、今世紀に入りる頃まで30年以上楽しませてもらいました。‘70年代初めに著し始めた「街道をゆく」はとても興味深かった。モンゴル、中国、オホーツク、アイルランド、オランダ、南蛮(スペイン・ポルトガル)、アメリカ及び日本各地を巡る紀行。歴史を遡る縦の時間軸とその歴史の現場である地理的な横軸が交差する、司馬が紡ぐ綾を読むのは興味尽きない心地良いひとときでした。「十一番目の志士」は、管原さん同様、大変気に入っています。

読者の多くの歴史知識は司馬遼本に拠るほどに歴史とその舞台に痕跡を遺した人物を、目の前で躍動しているかのような筆致で描いて、読者を惹き込ませて止まないる面白さがあった。僕もその最たる読者の一人です。司馬史観を云々するなど全く無意味であるとのご意見に賛同します。小説を読むのは娯楽なのだから。本格的歴史書は並行して読めば良いのですからね。