小生自身体験したのだが、初めてヒューレットと話をする機会にえらく緊張して ”Mister Hewlett…” と呼んだら、 ”Mister Hewlett is my father. I’m Bill” と言われたものだ。これに倣って、会社ではお互いを呼ぶのに一切肩書を使うことをせず、課長だろうが部長だろうがつねに ”鈴木さん“”田中さん” と呼び合うことになった。このことが真の意味でのコミュニケーション、という土台を築き上げたのはまちがいない。当時の生産現場は中学出たての少女たちがずらりと並ぶ、典型的なシーンであったが、そのラインの中から、”ジャイさあん、ちょっとおしえて!”なんて声がかかったり、社長の横河さんが月末の出荷時期になると搬送場へ現われて、”俺にも箱詰めぐらいやらせろ”と冗談をいったりという、僕にとってみれば浅貝の小屋の雰囲気のような一体感があった職場だったのだ。(僕は当然ながらジャイ、ジャイさん、であり、英文では Gi Nakatsukasa とサインしたから、HP社取締役会議事録のどこかに Gi という名前が、例えば President Shozo Yokogawa や、もしかすると David Packard 、などと並んで残っているはずである)。こういう全体としてのコミュニケーションを前提として、マネジメントは目的を示し、職員はそれに向かって自発的に動く、というのがこの会社の基本原理であった。技術という面ではもちろん世界水準を行く優良企業ではあったが、この経営思想と実践とがHPという企業の真価だったのだ。
話が少しずれた。言おうとしたのは、今気軽につかわれるようになった、コミュニケーション、とはなにか、ということだ。”Bill and Dave” の哲学で貫かれていた時代(とわざわざいうのは、同じ名前の会社はいまも存在するが。その実態は今では全く違った企業文化の企業に変わってしまったからだ)のHP社にいあわせ、そこで教わった定義は言葉だけでなく表情や感情や身振り手振りやそういうものすべてを通じて人と分かり合うこと、というものだった。だから、単なる情報が伝達されたからコミュニケーションが成立するものではない、ということを言いたいのだ。 ”詳しくはホームページを見てください” といえば ”コミュニケーションはとれる” のか。。