エーガ愛好会 (304)ウイル・ペニー   (34 小泉幾多郎)

西部劇とは、無敵のガンファイターが主役という従来の常識を一掃し、あの「大いなる西部1958」「ベン・ハー1959」の筋骨逞しいヒーロー像の主役チャールトン・ヘストンが、盛りを過ぎたカウボーイの人生の悲哀を静かで清らかな恋を織り交ぜて演じ、ウエスタン映画史上に大きな影響を与えた味わい深い人間ドラマ。

監督脚本はこれが長編映画デビュー作のトム・グライスで、サム・ペキンパーが1960年に制作したTVシリーズWesternerでグライスが監督脚本を手掛けたLine Campを基にしたとのこと。最初から最後まで素晴らしい景観を背景に映画は展開される。冒頭テキサスからカンザスへと大平原をキャトルドライブしてきた大平原の描写、その後遠く白く雪化粧した山々の描写から、近くは岩々、やがて冬になると雪に覆われた描写とその景観の流れを見事に写し込んだ素晴らしい撮影はルシアン・バラード。ロケ地はカリフォルニア州インヨ国立森林公園とのことで、岩のアーチ、石の柱等フォトジェニックなスポットが多いとのこと。音楽は有名な「ローラ殺人事件1948」他100以上の映画音楽を作曲したディヴィッド・ラクシン。音楽自体は画面には合っていたと思うが、冒頭と終幕の歌詞が映画内容にそぐわないように思われ、両者共必要なかったのではないか。

インヨ国立森林公園

キャトルドライブの帰り、腕の良いウイル・ペニー(チャールトン・ヘストン)は、更に行動を誘われながら、人が好いことに、どうしても一緒に帰りたい若者にその権利を譲り、別の若者ブルー(リー・メジャース)とダッチ―(アンソニー・ザーブ)と旅することになるが、鹿をどちらが撃ったかで、クイント(ドナルド・プレザンス)とその息子達ともめ、息子一人が死に、ダッチ―も大怪我をする。ダッチ―を運び込んだ牧場で、カリフォルニアにいる夫に会いに行くという母子に会う。この母キャサリン・アレンを演じるジョーン・ハケット、「夕陽に立つ保安官1971」では、泥だらけで樹に登ったり、じゃじゃ馬ぶりを見せつけたが、息子を躾ける理知的な明るい母親でありながらも、ウイルを手厚く介護するうちに、ほのかな愛情を覚えるといった好演を見せる。ウイルは一緒に来た二人に別れ、単身紹介されたフラットライアン牧場主ア

べン。ジョンスン、ちょい役とはいえ、編輯子のごひいき助演俳優

レックス(ベン・ジョンソン)に雇われ、人里離れた小屋の管理の仕事を任されたが、その途次、仕返したいクイント一家に襲われ、半死半生。この悪役に扮するドナルド・プレザンスの憎たらしさに息子の一人ブルース・ダーンも加わっていた。やっとたどり着いた小屋には、雪に阻まれて留まっていたキャサリン親子がいてウイルは手厚く看病される。お蔭で元気を取り戻したウイルはクリスマスの飾りやクリスマスソングを歌う等して、生まれて初めて家庭の暖かさを知った。しかし又もやクイント一家の襲撃で、ウイル、キャサリン共々言うがままになったものの、別れた仲間、ブルーとダッチ―、が助けにやって来たことから、銃撃戦の末、クイント一家を壊滅させ、牧場主アレックス一行もやって来た。

騒ぎは収まったが、これがウイルとキャサリン親子との別れの時でもあった。キャサリンから愛を打ち明けられたのだが、自分の人生を振り返ると、若者の時代から一人で生きて来たウイル、カウボーイ以外の仕事は出来ない。家族を守る生き方をしたことがない。年齢も50歳に近い。心の整理がつかぬまま立ち去るウイル。立ち去るウイルは、仲間のブルーとダッチ―と。見送るはキャサリンと息子。アレックス他フラットアイアン牧場の連中。キャサリンの息子がBye!と叫ぶ。「シェーン」を彷彿とさせる。

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キャトルドライブとは、数世代前に野生化した畜牛の大群を、砂漠や無法地帯を突破して物流集積地まで運送する業態です。アメリカ合衆国の西部開拓時代に盛んに行われていました。主にテキサス州の北部一帯からミズーリ州やカンザス州、ネブラスカ州の出荷駅まで送られ、カリフォルニア州方面や東部の都市へと鉄道で輸送されました.そこで、テキサスから、東部行きの鉄道の駅があるカンザスまで数百頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだわけです。 カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだったらしいです。

抗認知症薬のこと   (普通部OB 篠原幸人)

最近 軽い認知機能障害に新しい薬「レカネマブ(レケンビ)」が発売されました。効果には半信半疑でしたが、私の所属する立川共済病院ではすでに100名近くの患者さんがこの治療を受けています。今のところ, 目立った副作用は少ないようです。この薬、早く見つかった軽度認知障害の方に、特に症状悪化を遅らせる効果はあるようです。しかし、ごく初期にしか 効きませんが。

今日は難しい話は別として、次のことに皆さんがどのくらい当てはまるかテストしてください。

〇 昨日の昼食・夕食が思い出せないーー思い出してみてください

〇 いつもやっている仕事に最近ミスが目立つ

〇 友達との約束や病院の予約を間違えた、あるいは忘れそうになった

〇 最近、毎日飲む薬の余りが目立つ(飲み忘れ?)

〇 同じことを何度も(2-3回は問題なし)繰り返して訊いたと家族に言われた

〇 言いたいことが上手く説明できないで イライラする

〇 最近買った家電などの使い方の説明書を読んでもよく分からない

〇 趣味や外出に消極的になった

〇 やる気が出ない

  • メモを取っても、そのメモを取ったことを忘れる
  • よく知っている道で危うく迷子になりそうになった(特に夕暮れ時)
  • 最近、注意力・判断力が低下したと自覚している
  • 最近、物忘れがひどいと自覚している
  • 幻覚が出たことがある
  • 初めて来た場所なのに、以前に来たような気がしてならない
  • 最近大きな声で寝言を言ったり、布団の中で寝たまま暴れていたと家人に指摘された

 

以上はほんの一般的な質問ですが、思い当たることはありますか?3つ以上、該当したら要注意かもしれません。質問に軽重はありますが。

次回はこれらの症状に効果が期待される、最近発売された抗認知症薬を概説します。

 

エーガ愛好会 (303)ジョン・フォードを語ろう!

ジョン・フォード(John Ford、1894年2月1日 – 1973年8月31日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家映画プロデューサー俳優である。1910年代から1960年代にかけての50年以上のキャリアで140本を超える作品を監督し、同時代の最も重要で影響力のある映画監督のひとりとして広く認められている[1]。『駅馬車』(1939年)や『捜索者』(1956年)などの西部劇や、『静かなる男』(1952年)などの自身のルーツのアイリッシュを題材にした作品、『怒りの葡萄』(1940年)などの20世紀アメリカ文学の映画化で知られる。アカデミー賞では監督賞を史上最多の4回受賞している。

(飯田)普段はあまりフォローしないネット情報でジョン・フォード監督作品の評価順位を見てみました。以下の2つの情報がありました。ベスト10(チャットGPT)は

1、       捜索者 2、駅馬車 3.静かなる男 4、リバティ・バランスを射った男 5、アパッチ砦 6、怒りの葡萄 7、我が谷は緑なりき 8、黄色いリボン 9、荒野の決闘 10、シャイアン

ジャイさんの推す「三人の名付親」や「長い灰色の線」が入っていないのも気になる。https://note.com/monkmonk/n/n48c8fad08f80

他には、フォード監督の全作品に近い50本の評価をしたものもありました。時間がある方はチラ見してください。  https://cinema-rank.net/list/50532

 

(安田)ベスト50の方は’10〜’30年代作品が結構多く、それ等のほとんどは観ていません。船津さん、確かにハッピーエンドより悲しい幕切れの方が印象に残る映画が多いですね。「望郷」「哀愁」「情婦」「黄昏」など枚挙に暇がありません。

フォード作品、僕の個人的ベスト10は、
1. 荒野の決闘
2. 捜索者
3. リバティ・バランスを射った男
4. 駅馬車
5. 三人の名付け親
6. リオグランデの砦
7.  我が谷は緑なりき
8. 黄色いリボン
9. 静かなる男
10. 怒りの葡萄
観たばかりの人間ドラマ「長い灰色の線」は今しばらく消化に時間をかかります。ベスト50のランキングでは31位でした。上位はストーリー展開の面白さ、下位は人間ドラマの妙を描いた映画です。共に抒情的な描き方が際立っています。未観で観たいのは、「メアリー・オブ・スコットランド」、「若き日のリンカーン」です。

(小泉)ジョン・フォード論でも書きたくは思うものの、各位のご意見も拝誦したり、過去の論点からしても、とても論議を尽くされている感から、なかなか進まない。そもそも、ジョンフォード作品は、と調べれば、137本もあり、そのうち半分より少ない63本が西部劇とのこと。ユニバーサル時代が37本、そのうち、ハリー・ケリー主演作が26本で、その他は、兄フランシス・フォードやフット・ギブスン、バック・ジョーンズなどが主演している。次のフォックス時代は、米国建国史たる堂々とした構成による、1924年の「アイアンホース」と2年後の「三悪人」。こういった作品は観る機会がなく過ぎ去ってしまった。

この後13年間も西部劇のブランクがあり、1939年に「モホークの太鼓」「駅馬車」、7年飛んで46年「荒野の決闘」、戦後の西部劇の神様と言われた時代の諸作、48年「アパッチ砦」「三人の名付親」、49年「黄色いリボン」50年「幌馬車」「リオ・グランデの砦」、56年「捜索者」59年「騎兵隊」60年「バッファロー大隊」61年「馬上の二人」「リバティバランスを射った男」62年「西部開拓史」64年「シャイアン」と半世紀続く。両親がアイルランド人ということから、幼少期でのお伴や後年名匠と呼ばれてからもアイルランドを尋ねており、作品にはアイルランド色が根強く食い込んでいた。この戦後の諸作品のうち、騎兵隊三部作は所謂軍隊物で好きな方ではないが、内容的には、音楽もよくユーモアに溢れていたりで、悪くはない。この騎兵隊3部作と「騎兵隊」「バッファロー大隊」の5作品を除くと「モホークの太鼓」「駅馬車」「荒野の決闘」「三人の名付親」「幌馬車」「捜索者」「馬上の二人」「西部開拓史(挿話)」「リバティバランスを射た男」「シャイアン」のベストテンとなる。

フォードがこよなく愛した、ユタ州からアリゾナ州に広がる荒野、モニュメントヴァレー。数多くの名作西部劇に登場する。編集子はフォードに敬意を表すべく、なんと真夏に訪れた。コロラドからの長ドライヴに飽き、たどり着いたモテルで ビール! とどなったら ”ここは DRY STATE (アルコール販売禁止)だ!と怒鳴り返されて泣く泣くコークで我慢したものだった。ジョン・ウエインがコークで我慢したとは聞いていない。

 

 

藤沢鵠沼「発見を楽しむワインセミナー」 2025年2月7日 (41  斎藤孝)

中国の赤ワインを見つけた。品種は「蛇龍珠」という、いかにも中国人好みの縁起を担ぐ名前である。中国山東省で生まれの赤ワインを初めて飲んだ。実に美味かった。そして嬉しかった。私は昔から自慢していることがある。私が1942年9月6日に山東省青島で生まれたことである。

青島はドイツが19世紀末に植民し造った町である。西洋風なお洒落な雰囲気が今でも残る大都会。中国ワインの名前は「CHANGYU」という。まるで高級な紹興酒のような味がした。感激し涙がこぼれた。これならば麻婆豆腐と美味くペアリングできるだろう。目を閉じると青島の真っ青な海が浮かんできた。

ソムリエ萩野谷岳さんは丁寧にワインの楽しみ方を説明された。ワインをより深く楽しむための「発見」というテーマである。ナイアガラのスパークリングワイン、グルジア産の白、中国山東省の赤チャンユー、甲州完熟甘口ロゼが並んでいた。

「テイスティング技法」の基本は、目(外観)、鼻(香り)、口(味わい)と説明された。そして「ペアリングの考え方」は味の方向性に合わせる、色合わせ、食感で選ぶという。なるほど納得し、テーブル中央にお洒落に盛り付けられた料理を熱く見つめた。

濱田年古さんは、女性シェフに間違いないと思う。和風の重箱にワインのペアリングに合う料理を準備された。実に心こもるホスピタリティ。手の込んだ山芋のソテー、ミックスナッツの蜂蜜漬け、赤カブのマリネなど彩も鮮やかで素晴らしいワインとのペアリングだった。

 

エーガ愛好会 (302) 長い灰色の線   (44 安田耕太郎)

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巨匠ジョン・フォード監督がメガフォンを執った1955年公開の実在した人物の自伝を基にした伝記映画。題名からはいつの時代を題材としたどんな映画かは全く想像できないまま、初めて観た。

アメリカ合衆国の陸軍士官学校ウェストポイントの体育助教として50年間勤めたマーティ・マー軍曹(タイロン・パワー)は退職命令を受け取った。生徒として士官学校で教育し、今では大統領となったかつての教え子を訪ね、善処を依頼する。カメラはマー軍曹を正面から映し、大統領の姿は背面からで顔は分らず、大統領は誰なのか映画は教えない。だが、その時代は第二次世界大戦後、しかも映画の舞台はウェストポイント、しかも軍曹(パワー)と旧知とくれば、明らかにドワイト・アイゼンハワー大統領(任期1952~60年)だと分かる。旧友の大統領と会い、思い出話が始まる。その思い出話を辿るように映画の物語が紡がれる。映画公開は1955年、アイゼンハワー大統領の第一期目の任期途中だ。
映画では、陸軍士官学校在籍中の若きアイゼンハワーをジョン・フォード一家のハリー・ケリーJrが演じている。因みにアイゼンハワーは1911年にウェストポイントに入学、1915年卒業後 軍歴が始まる。ウエストポイントの卒業生には第二次世界大戦中のアメリカ軍の重鎮ダグラス・マッカーサー(日本統治GHQ総司令官)、北アフリカ戦線でナチスドイツを駆逐したジョージ・パットン将軍などもいる。
ジョン・フォードは、西部劇や自身のルーツであるアイルランドやアイリッシュ(Irish)を好んで描き、情感豊かな作風から詩情豊かな映像の詩人と評された。この映画でも主役の俳優はアイルランドに出自を持つタイロン・パワー。彼が演じるマー軍曹はアイルランドからの移民で、妻となる、やはりアイルランドからの移民でメアリー・オドンネル(O’Donnell、典型的なアイリッシュの姓)を演じるのは生粋のアイルランド人モーリン・オハラ、フォード一家の重鎮の一人、ワード・ボンドがマー軍曹の上官を演じている。

妻役のモーリン・オハラは、フォード監督

Screenshot

お気に入りの秘蔵っ子で、強気で爽やかな女性役を多く演じているが、本映画でもそうだった。映画「リオグランデの砦」でジョン・ウェインの妻役でも勝ち気なしっかり者の役を演じていたのを想い起した。彼女出演の映画は、「三十四丁目の奇蹟」、「我が谷は緑なりき」、「リオグランデの砦」、「静かなる男」に続いて5本目だった。「三十四丁目の奇蹟」以外は全てジョン・フォード監督作品だ。彼女は芯の強い女性役が多い。本人もそんな女性だったのだろう。女優引退後はアメリカへ移住、2015年、アイダホ州の自宅で生涯を閉じた。享年95。

主役タイロン・パワー演じるマーティ・マーはアメリカへ移住後、ウェストポイントの給仕に雇われたが、失敗ばかりで、陸軍に入隊した。そこで上官に見込まれ、ウェストポイントの体育助教となった。その上官の家のメイドのメアリー(モーリン・オハラ)と知り合って付き合い、そして結婚した。二人は息子を授かったが、産後直ぐ亡くなり、彼女は酷く落ち込み、マーティも酒に溺れた。だが、士官学校の教え子の生徒たちは二人を励まし、二人は立ち直った。子宝には恵まれなかったが、愛情溢れる夫婦二人の幸せな生活であった。

(飯田)タイロン・パワーは確かに大根役者との評があった(特に当時の映画評論家)ですが、安田さんと同様に、私も彼を大根役者とは思っていません。

大柄で特に太い濃い眉毛の顔つきが、演技者としてはマイナスになっていた所があったのではとも思われます。特に悲しい顔や淋しい顔をしても、眉毛の濃さ太さで、そうは見えない?のではとか。

安田さんの挙げた以外に「怪傑ゾロ」(1940年)「黒ばら」(1950年)「壮烈カイバー銃隊」(1953年)などの他、アーネスト・ヘミングウエイの小説「陽はまた昇る」(1957年)はたびたび見る映画です。

(小田)安田さんの説明で背景が詳しく分かりました。又痛々しい軍隊の話かと思いましたら、前半の若い時代はお皿を沢山割ってしまったり、金槌なのに水泳の指導の為、吊るされたロープに縛りつけられ、プールの上をバタバタさせられたり…とコメディタッチでした。

後半、結婚してからは、思いやりある温かい物語になっていました。
ふたりの家は可愛らしく、ベランダで亡くなったばかりの妻に、愛用のショールを掛けてあげるシーンは印象的でした。ハドソン川と、その周辺の並木の風景と、広い敷地で繰り返される候補生達の灰色の上着に白のスラックスで整列した行進は清々しく、最後は又日本軍の襲撃でしたが、《Love me Tender》も何回か流れていたり、楽しく観ました。

(保屋野)掲題映画、これまで名前すら知らなかった映画でした。おかしな題名は、士官候補生の軍服がゲレーで長い線はその隊列のことだそうです。

ウエストポイント(陸軍士官学校)で50年務めた体育助教の回顧録で、夫婦、親子、師弟等の愛の物語・・・皆さんの評価もまあまあのようですね。

皆さんののコメント通り、士官候補生の隊列行進のシーンが印象的でした。「ラブ・ミー・テンダー」もご愛敬でした。私も、そこそこ面白かったのですが、名作に必須の「感動」や「余韻」はあまり感じられないエーガでした。

惜しい所があります。折角、士官候補生の中に、アイゼンハワー、マッカーサー、パットン、ブラッドリー等のビッグネームがいたのですから、彼らのエピソード等を入れれば、もっとワクワクする面白いエーガになったのではないでしょうか。最後に、「地上より永遠に」では、モンティー、ランカスター、シナトラ、カー、リード等の魅力ある俳優が「目の保養」になりましたが今回のタイロンパワーとモーリン・オハラは美男美女ではありますが、少々地味でオーラが無く目の保養とまでは行きませんでした。

如月ですな (普通部OB 船津於菟彦)

晦日正月,晦日節の好天に誘われ カメラ担いで何となくブラブラ新宿御苑に参りました。山茶花が迎えてくれ水仙が満開でした。春は直ぐですね。でも明日は雪とか。
もう二月。如月 何となく心地よい読みの月ですね キサラギ-

よく聞かれる“きさらぎ”の語源説は、寒いので、更に衣を重ねて着るから“衣更着(きぬさらぎ)”になったというものですが旧暦の2月は、今の暦よりも1ヵ月ほどあとになります。つまり、3月頃。次第に暖かく、春らしくなる時期ですから、“衣更着”説は不自然です。明日は雪の予報ですが一枚コロモ着ますかね。
でも、暖かくなりつつあるなかで感じる寒さ 。更に服を着重ねるので「衣更着」。 季節が変わっていくので「気更来」。あるいは「息更来」、「草木張り月」、「鋤凌(すきさらぎ)」等々とも言うそうですよ。

きさらぎや山茶花寒きわすれ花 松岡青蘿
如月の万葉すみれけふにほふ 山口青邨
如月や蜆は濡れて店頭に 中村汀女
残り餅焼くきさらぎの今日に果つ 能村登四郎

まぁせかせかした世に如月は心を豊かに貧しくても過ごして参りたいと思います。確定申告もしないとなぁ。

(編集子)我が家の数件先にある家の、多分ゆずだと思うのだが、冬になるとまさにたわわ(最近あまり聞かない形容詞だな)に実る。毎年眺めていただけだが船津の写真をみて、(技術論では太刀打ちできないがせめてスマホで対抗しようと思い立ち)、先ほど出かけてみたら、なんと!てっぺんの数個を残して全部刈り取られてしまっていた。おとといまではあったのだが。悔しい。こういう時の心中を読んだ名吟はないのかね、親愛なるフナツくん。

乱読報告ファイル (72)  ヒトラー    (普通部OB 菅原勲)

「ヒトラー」(著者:芝健介、岩波新書、2021年)を読む。

ヒトラーしかし、こんな程度の悪い本は焚書にしてもいいぐらいだ。それなのに、2022年には第四刷発行となっている。読者は著者が東大を出たことで(東京大学法学部政治学科卒、現在は東京女子大学名誉教授)、まんまと騙かされてしまったのか。何故なら、最後の最後まで読んだのだが、例えばアウトバーンのアの字もフォルクスワーゲン(以下、VW)のフの字も一切出て来ないのだ。

本の帯に、「悪魔か凡人か」とあったが、確かにヒトラーのやったこと、例えば、ユダヤ人の殲滅など、悪魔の所業であり稀に見る極悪人であることは間違いない。しかし、池波正太郎が長谷川平蔵に言わせているように(「鬼平犯科帳―明神の次郎吉」)、「人間というのは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」。物事には表と裏があると言うことなのだろう。それは、悪魔にも見紛うヒトラーにも当て嵌まるのは言うまでもない。その肝心のところをこの著者は見事なまでに無視し、自分にとって都合の良いことだけを取り上げている。これは、左巻きの連中が自分の言説が正しいことを証明するための常套手段だ(例えば、日本共産党は選挙で負けるたびに、自分たちが言っていることは正しいのに、それを分かってくれない、と敗因を有権者のせいにする。反省が全くないから、選挙のたびにじり貧となり、結局は、無くなってしまうだろう)。

確かに、ヒトラーは、オーストリアに生まれ(国籍をドイツに変更したのは1932年、1889年生れだから、やっと43歳の時だ)、最後は、イタリアのB.ムッソリーニがパルチザンに処刑され、愛人のC.ペタッチともどもミラノの広場に逆さ吊りで晒されたと言う報に接していただけに、ベルリン防衛司令官に自分と妻E.ブラウンの遺体焼却を頼み、ベルリンの総統地下壕でこめかみを銃で撃つと同時に青酸カリを飲んで自死した。時に1945年4月、56歳だった。

しかし、ドイツの総統になったからと言って、陸軍で伍長に過ぎなかった下っ端の奴の命令を(実際には、ヒトラーは伍長でもなかったらしい。しかし、初戦の電撃戦で成功を収めたことから、一時、天才的将師と謳われた)、将軍たちは素直に聞くものなのか。これが、失敗はしたものの1944年の暗殺計画に繋がったのだろう。

さて、ユダヤ人の皆殺しと言っても、何もヒトラーが自らの手で一人一人のユダヤ人を殺しまくったわけではなく、ドイツの総統としてその実施を実行部隊に命令したに過ぎない。同じように、アウトバーンについてもVWについても、自らの手で高速道路をつくったり自動車を組み立てたりしたわけでなく、総統としてその実行部隊にその実施を命令しただけだ。従って、その全責任がヒトラーにあるのは言うまでもないし、そこには何等の違いもない。そんなことを全く無視して、大胆不敵にも「ヒトラー」を書くなんて教授の風上にも置けぬ。こんな左巻きを生産する東大は亡国の輩の巣窟ではないか。

今現在、アウトバーンは、ヨーロッパの物流、人流の大動脈となり、VWは世界の第一流の自動車会社となっており(最近は塩梅がいささか悪いようだが)、世の中に対するその功績は計り知れない。だからと言って、ユダヤ人の虐殺がそのことによって相殺されるわけでもない。虐殺は事実であり、アウトバーン、VWも事実だ。従って、事実は事実として正確に伝えるべきであるのは言うまでもない。

これは、その意味では、半端ではあるが、ノン・フィクションと言えるだろう。また、フィクションとなると、映画ではC.チャップリンの「独裁者」(1940年)、漫画では手塚治虫の「アドルフに告ぐ」(1983-1985年)、小説では開高健の「屋根裏の独白」(1959年)などがある。なかでも「屋根裏・・・」は、絵葉書などで糊口を凌ぎ、全くうだつの上がらなかったウィーン時代のヒトラーの悶々たる悩みなどを描いて、出色の出来栄えだった。流石、開口は「オーパ!」などの釣りのみならず、目の付け所が、一味、違うなーと感嘆しきりだったのを覚えている。

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アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 – 1945年4月30日)は、ドイツ政治家ドイツ国首相、および国家元首総統)であり、国家と一体であるとされた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者[2]

1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いたため、独裁者の代表例とされる。ドイツ民族至上主義者でありその冒険的な外交政策と人種主義に基づく政策は、全世界を第二次世界大戦へと導き、さらにアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を始めとする強制収容所を各地に設立、支配地域でユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を引き起こしたベルリン陥落を目前にした1945年4月30日夫人のエヴァ・ブラウンと共に自ら命を絶った

エーガ愛好会 (301) ショーシャンクの空に (大学クラスメート 飯田武昭)

先日、BSシネマ放送にあった映画「ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)」(1994年)を観た。私のような年齢になると厳しいストーリーの映画は、例え評判が良かったとしても、もはや観たくないという気持ちが先立つもので、この映画もその種の感情を持ちながら恐る恐る見始めて、結局一気に全部観てしまった。(私は映画がスリル、サスペンス、それに加えてバイオレンスを重視するようになった1970年代以降の映画は、勿論、例外は除いて殆ど見る気がしないし観ていない)。この映画で引き付けられたものは、俳優たちの演技力、撮影技術、場面展開の妙の3つかと思う。

一例で言うと、もともと薄暗い刑務所内ではあるが、度々出てくる囚人たちが食事をするシーンで、囚人の演ずる俳優たちの顔の表情、小さな動作などが生き生きしているのと、そのシーンのライティングが上手い。そんなこんなで最後まで見てしまったが、刑務所内での3回ほどあるリンチのシーンや50年間の刑期を終えてシャバの戻る模範囚(ジェームズ・ホイットモア演ずる)は、社会に馴染めず間もなく首つり自殺するシーンなど観るに堪えないシーンも多々あった。

この映画の原作はスティーヴン・キングの小説「刑務所のリタ・ヘイワース」(※)で、その映画化版権を監督初のフランク・ダラボンが入手してから5年の歳月を構想に費やして製作されたと観終わってから知った(※囚人たちが刑務所内で観る映画「ギルダ」(1946年)に出演しているのが当時の人気女優のリタ・ヘイワース)。

ストーリーは簡単に言うと、刑務所内の人間関係を通して、冤罪により投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマンドラマ。主人公アンディ役はティム・ロビンス、囚人仲間の調達員レッド役はモーガン・フリーマン(彼の演技、顔の表情が抜群に良い)、悪徳な刑務所長役はボブ・ガントン。他にウイリアム・サンドラー、クランシー・ブラウン、キル・ベローズ、ジェームズ・ホイットモア等が脇役として出演している。

当初は主人公アンディ役にトム・ハンクス、トム・クルーズ、ケビン・コスナーなど当時のスター俳優が検討された由。他にもブラット・ピット、ジーン・ハックマン、ロバート・ヂュバル、クリント・イーストウッド、ポール・ニューマン、ジョニー・デップ、ニコラス・ケイジ、チャーリー・シーンなどもキャスティング候補に挙がっていたとのこと。

劇場公開当初は主役のティム・ロビンスやモーガン・フリーマンの演技を中心に評論家は高い評価をしていたが、興行的には大失敗作となった。理由は強力な競合作「フォレスト・ガンプ」などが公開された年だったことや女性が殆ど登場しない映画であることなど。しかしその後、アカデミー賞7部門にノミネートされ(結局、受賞はゼロ)て、興行成績は持ち直し、現在では多くの人から映画史に残る傑作の一つとの認識がなされている由。

主人公アンディが脱獄するシーンは息を飲むほどの迫力があるが、脱走後は故郷を超えてメキシコへ逃亡し、その後に刑期を終える友人のレッドも彼の後を追うところで話は終わる。レッドに至っては40年の刑期を終えても何の感傷もなく、最早、刑務所に居続けてもシャバへ戻ってもどちらでもない人間に変わってしまう。

繰り返すが、レッド役を演ずるモーガン・フリーマンは黒人俳優としては「手錠のままの脱獄」の故シドニー・ポワチエに迫り越える演技力と思った。又、脱獄映画は「大脱走」を直ぐに思い浮かべたが、「大脱走」は脱獄までの過程をスティーブ・マックイーン、チャールス・ブロンソンなどの人気俳優が時にユーモラスとも思える演技で楽しませてくれて、脱獄後の逃走シーンからは一転、スリルとサスペンスで盛り上げ、悲劇的な結末となっていた。

(映画の舞台はメイン州であるが、撮影はほとんどオハイオ州マンスフィールドにあるオハイオ州立矯正施設(オハイオ州少年院)跡がショーシャンク刑務所となった)。

リタ・ヘイワースRita Hayworth, 本名Margarita Carmen Cansino、1918年10月17日 – 1987年5月14日)は、アメリカ合衆国ニューヨークブルックリン出身の女優。1940年代にセックスシンボルとして一世を風靡した。

ピントがずれてねえかなあ

今朝、読売の第一面トップ記事、”書店振興、官民で” をみて、(なんかおかしくはないか)という感じを持った。

書店、なんていうから勿体が付くんで、要は本屋、だろう。幼い時から活字中毒の小生はどこでもいつでも、本屋をブラウズするのが習慣になっているので、この 本屋文化の衰退は嘆くべきだと思っている。だからその復活に手を貸そう、という企画に反対ではない。

しかし問題は、本屋があるかないか、ではなく、国民(世界中でそうだろうが)が本から離れている、ということなんであって、そのサプライチェーンが変化している、ということではあるまい。自分のことでいえば、いま、いわばわが人生の最後っ屁、と思ってやっているポケットブックの乱読なんてえのは、アマゾンという形態ができたからこっそ手軽に言えるんであって、もし毎回、紀伊国屋だ丸善だと出かけなければならず、探してるものがなければ特注して何か月も待つ、という過去のスタイルならまずやる気にもならなかったはずだ。本屋があり、本屋文化というか、(ぶらりと本棚を眺める)ことがすきか嫌いか、というのは全く個人レベルの問題であって、お国が騒ぐべきなのは本屋の数ではなく、全世界で起きている情報伝達のシステムそのものの課題ではないのか。爆弾のつくり方からむかしは人目を忍んで本屋の隅っこで盗み読みしていた怪しい本や写真やいまでは動画まで、安易に手に入る時代になってしまっている。そういうことや、それが引き起こす社会問題こそ国が乗り出すべき課題のはずだ。本当に本が読みたいという人にとって、いまや本屋がない、というのは確かに寂しいことには違いないが、それじゃ、本屋さえあれば若者が本を読むようになるのか?

書店、というビジネスモデルがなくなり、そのために苦労する人々がおられることは十分理解するし、その支援をしたい気持ちもわかる。だが、今回の国を挙げての騒動がサプライチェーンの変貌という、もう不可逆的に起きてしまっていて、おそらく経済的には成り立たない現象に竿さすだけならば、これは壮大な無駄だという気がする。それよりも教育現場でデジタル教科書がいいか悪いか、なんてものをしかつめらしく議論しなければならない(小生は大反対だ、もちろん)とか、国会議員大先生からポルノ作家はたまた街のギャングまで広がっているSNSの悪用、ということの対策のほうが、喫緊の政治課題なのではないのか。

東京の空は今日も晴れているが、寝起きの悪い一日になりそうだ。