今朝は曇り空でしたが、時折差し込む太陽の日差しで作業中は汗ばむ体感気温でした。現場打合せで向かった敷地内にオダマキ属のお花だと思います.
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旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
「ピッツバーグの煙突」に関連して、たまたま日経新聞「風見鶏」欄に160年ほど前にアメリカをおとずれた福沢諭吉の米国感がで紹介されていたので概要をご紹介したい。
「諭吉がサンフランシスコに着いたのは日本を出て37日目だった。港に着くなり馬車が迎えに来て、まず休憩のためのホテルに招き入れられた。そこにサンフランシスコ市の要人が次々に現れ、さまざまな接待をしてくれた。日本人が魚を食べたり、風呂が好きなことを知っており、毎日魚が届けられ、風呂が沸かされたという。帰国に際して船の修理代を支払おうとしたが、何といっても受け取らなかった。ペリーの黒船来航により開国を迫られてから7年しかたっていなかったが、人々が対等な立場で議論し、協力して社会をよりよくしていこうとするこの国がすっかり好きになった福沢は、米国を『極楽世界』と評した。
今や米国第一を振りかざし、討論ではなくディールで相手をねじ伏せ、自らの意に沿わない大学からは留学生を追い出し、学問の自由にも露骨に介入しようとしている。世界があこがれた米国の時代は終わりの告げたのだろうか」と。
別の話になるが、日本製鉄によるUSスチール買収(投資?)問題も、日本の製鉄技術なしでは再建が難しいと流石のトランプも思い始めたのだろうか。交渉条件がかなり緩和してきているようだ。以下に日経新聞による解説を紹介する。
「USスチールは1960年代までは世界最大の鉄鋼メーカーだった。1980年代に日本に抜かれ、90年代には中国に抜かれた。経営危機のたびに政府が関税などの輸入規制で雇用や生産を守ることに終始し、技術革新は停滞したままだった。対して日鉄はトヨタ自動車など顧客の品質要求や電動化などの技術革新に合わせて成分を調整したり表面加工の技術を磨いてきた。高張力鋼板や電磁鋼板などの製造だ。鉄鋼業は操業技術で大きな違いが出る。日鉄は独自の操業技術を生かし、USスチールの既存設備も高級鋼の生産に生かせるとみている。」と。
(編集子)今日の報道で、USスチール社員との会話が紹介されていたが、インタビューされた男性が嘆いていわく、(18年代に設置された機械がまだ使われている。新日鉄が来ればこれも新しくなるだろうと思ってる)と。
先に安田君が嘆いていたように、短期の業績だけを追求する姿勢からは長期の投資に挑む姿勢はでてこない。パクスアメリカーナはついえた。パクスジャポニカの時代が夢ではなくなったね。経済や軍事の指標はあれこれあるが、以前にも本稿で触れたけれど、80年間、一人の若者も戦争で死なせたことのない国が存在する、というのは現実なのだから。
いま、この稿をアップしようとしているデスクの前に今朝の読売が1面で、”日鉄、完全子会社化へ” とUSS買収の決着を報じている。いろんなことが起き、いろんな議論が沸騰するだろうが、福沢時代の日米関係を思い起こせば、これは明治維新に匹敵する、歴史的な出来事のような気がする。KWVには何人も日鉄OBがおられる。もし彼らがまだ現役社員であったら、この事件をどう受け止めただろうか、ぜひとも聞かせてほしいものだが。
ブログ「ピッツバーグに煙突が何本あるか見てこい!」
山本五十六の滞米(1919〜21年、ハーバード大学留学)
だが、平家物語冒頭の一説「盛者必衰の理をあらはす。
企業経営 ROE或いはROI (Ruturn on investment,投資対利益比率)を高めるための対策は大きく2つある。
見落としてならないのは、
山本五十六は新潟県長岡市出身だが、
山本五十六は、戦場視察の際、
(編集子)山本元帥戦死のきっかけは、現地で前線視察にむかった元帥搭乗機の目的地到着時間を打電した現地司令官の信号をアメリカ軍が傍受。これを知って現地米空軍司令官は、攻撃していいかどうかを大統領に問い合わせ、許可を得て戦闘機を迎撃にむかわせたという。なぜそうしたのか、はわからないが、考えられるのは元帥機を待ち伏せすれば撃墜はできるが日本の暗号を米軍は解読していることがわかってしまう、という懸念があって、最高司令官の判断を仰いだのだろう(もっともある本では現地の司令官は平文で送信したといわれている)。
ナチの暗号機エニグマの解読に成功した英国では、チャーチルは成功したことをドイツには知らせないことで逆手にとることを選び、ドイツ空軍の大規模空襲を察知しながらあえて防備をしなかった。その結果、たしかコヴェントリーだったと思うのだが街が大被害を受けることになった。戦争と政治の冷酷さを見せつけられる気がする。日本だったら、多分、起きなかったと思われる史実である。
麗らかな陽気に誘われて≪神戸どうぶつ王国(KOBE ANIMAL KINGDOM)≫へ5~6年前から2回目の訪問をしました。この動物園は象、キリンや猛獣は居らず、サファリパークでもない、至って平凡な小動物を出来るだけ自然の生態で見せる施設でゆったりと園内を回遊できます。
添付の写真は・フラミンゴ・なまけもの・プレーリードッグ・ビーバークリーク・Rocky Valley・シギの抱卵などで、セーブ劇にも関係のある小動物をピックアップしてみました。
直、写真が上手く撮れなかったですが水鳥の島には沢山の水鳥達が過ごしており、勿論オシドリも居ました。オシドリは雄雌が寄り添って泳ぐ景色は普通によく見ますが、ふと思い出したのは、≪人間でも仲の良い夫婦の事をオシドリ夫婦と例えることがありますが≫、実は、オシドリ雄雌(つがい)は、人間が思っているほどには特に仲が良い訳ではないと どこかで読んだ記憶があります。真偽のほどは分かりませんが・・・・。どなたかご存じですか?
この施設は神戸ポートライナーの「計算科学センター駅」の目の前にあり、過去には“スタップ細胞はあります!“で世間を驚かせた小保方晴子氏の理化学研究所と数年毎に世界的に話題になるスーパーコンピューター≪富岳≫の設備が近くにある興味深い場所でもあります。
第二次世界大戦をほんのわずかにせよ、体験した人は少なくなりつつある。当時小学1年生だった僕は外地にいたので、空襲の体験はないが、子供心にいくつかの出来事の聞きかじりはあり、中学生の間に関連した書物に関心を覚えて読み漁ったものだ。その中で、山本五十六元帥のこともいくつか知ることがあったが、米国駐在が長かった元帥は最後まで開戦に反対であり、連合艦隊司令長官に推され、対米戦の火ぶたを切る立場にたたされたとき、(1年や2年は暴れて御覧に入れるが、一刻も早く講和を実現してほしい)と言ったといわれている。
それまでの議論の中でも、米国の経済力を知らず単なる数字合わせや精神論に傾く軍部の人間に、 ”お前ら、一度ピッツバーグへ行って、製鉄所の煙突が何本あるか、数えてこい!” と吠えたそうだ。ピッツバーグはすなわち米国製鐵業界の中心地、もちろんUS スチールの本社があるところで、米国産業界の中核でもあった場所だ。
数日前の新聞で、トランプの例によって訳の分からない発言が伝えられ、新日鉄のUSスチール買収を認めるような意向とされた。その発言のなかで彼はUSSはアメリカの会社であり、ピッツバーグから動くことはあり得ない、と言った、とも伝えられている。これからどっちに転ぶかわからない話だが、ピッツバーグの煙突の数は減るんだろうか?
しかし、いずれにせよ、日本の企業がここまでやるようになるとは、栄光の連合艦隊司令長官も夢にも思わなかったことだろう。専門的な話をする知見は持ち合わせないが確かだと思うのは、ここまで栄光の米国製造業が追い詰められたのは、確かに外国企業との競争に敗れたからでもあるが、そのきっかけは短期の金儲けに目移りし、ITと金融に走り、さらにはITの発達によってグローバリゼ―ション時代が始まる、などという、象牙の塔の連中の、小生に言わせれば妄想とまではいかないまでも現実から乖離した発言が生み出した、製造業の衰退であることだろう。トランプの支持者の多くがかつての栄光ある米国製造業から追われた白人労働者だという現実がこれを裏書きするようだ。トランプの旗印、Make America Great Again は、まさにピッツバーグに何本煙突を残すのか、ということに集約されるような気がする。
無法者ジェシー・ジェームスを描いた西部劇を最初に見たのは、未
「地獄への道1939」タイロン・パワー主演で、南軍のゲリラ隊
この「ロング・ライダーズ1980」も史実に沿った同様のストー
ギター音楽が全面に流れていたのが印象的。音楽がギタリストのラ
で、冒頭からトラディショナルなカントリー・ミュージックと自作
下馬した状態で、馬の手綱を持ちながらの銃撃、落馬後馬に引きず
ジェシーとフランク兄弟だけが逃げ
「エーガ愛好会123ジェシージェームスの暗殺2007」記載時
1「ジェシー・ジェームス1927フレッド・トムスン」 2「地獄
(中司)小泉さん、このキャストにあるキャラダインは、あの ”駅馬車” で名演(とぼくはおもっているのですが)のジョン・
(小泉) 「駅馬車」出演の賭博師ハットフィールドのジョン・キャラダイン
”駅馬車“ で、放蕩をつくし旅のギャンブラーに落ちぶれた、もと南部の貴族が夫を尋ねて危険な旅に出た女性を知って義侠心と南部紳士のプライドから危険を承知で乗り込み、最後を遂げるニヒルな役をつとめたのがこの父キャラダインだ。子供たちの出来栄えはあの演技に匹敵したか?
小生は昭和26年に慶應義塾普通部に入学しました。当時普通部は天現寺に目か信濃
⑦系統 四谷三丁目 – (信濃町線) – 北青山一丁目 – (広尾線) – 天現寺橋 – (古川線) – 古川橋 – (伊皿子線) – 泉岳寺 – (品川線) – 品川駅前
1967年12月10日より運転区間を四谷三丁目 – 泉岳寺間に短縮。
⑧系統 中目黒 – (中目黒線) – 渋谷橋 – (天現寺橋線) – 天現寺橋 – (古川線) – 赤羽橋 – (札の辻線) – 飯倉一丁目 – (六本木線) – 神谷町 – (虎ノ門線) – 桜田門 – (半蔵門線) – 日比谷公園 – (築地線) – 築地
㉞系統 渋谷駅前 – (天現寺橋線) – 天現寺橋 – (古川線) – 古川橋 – 金杉橋
都電の歴史は、明治44年に東京市が東京鉄道株式会社から路面電
都電には、かつて文字通り“都民の足”として隆盛を誇った時代が
現在では、路線の大部分が専用軌道であること、代替バスを運行で
営業キロはわずか12.2kmですが、令和5年度は一日平均約4
都電荒川線の魅力を国内外に積極的にアピールし、更なる利用者の
天現寺駅は車庫がありセンター的な役割を持っていました。広尾電
• 1914年(大正3年)9月28日開設。廃止前は7、8、33、
• 跡地は都営広尾五丁目アパートとなっている。
当時はハンドルで運転し、紐の付いたベルでチンチンとな
東京さくらトラム 王子駅前駅 クラッシックな形の都電
東京さくらトラムは一部区間は昔のように道路を走るところもある
こんなのんびりした旅も偶には如何。王子駅前駅〜三ノ輪橋駅の区
「とでんで一句 俳句(はいき)んぐ」より
都電待つ薔薇のひかりの中にゐて
電車降り路線のバラを見て帰る
チンチンに浮かぶあじさい友の笑み
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東京都電車(とうきょうとでんしゃ)は、東京都地方公営企業の設置等に関する条例[1]及び東京都電車条例[2]に基き東京都(交通局)が経営する路面電車である。一般には都電(とでん)と呼称される。1972年以降は、荒川区の三ノ輪橋停留場と新宿区の早稲田停留場を結ぶ12.2 kmのみが運行されている。
前身は1882年に開業した東京馬車鉄道で、1903年から1904年にかけて同社が路線を電化して誕生した東京電車鉄道、新規開業の東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社によって相次いで路面電車が建設された。その後3社は1909年に合併して東京鉄道となり、さらに1911年に当時の東京市が同社を買収して東京市電、1943年の東京都制施行によって都電となった。
最盛期(1955年頃)には営業キロ約213 km、40の運転系統を擁し一日約175万人が利用する日本最大の路面電車であったが、モータリゼーションの進展や帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局の都営地下鉄の発達によって採算性が悪化していった。1967年に東京都交通局が財政再建団体に指定されると再建策の一環として1972年までに廃止されることになったが、残存区間は1974年に荒川線として恒久的な存続が決定し今日に至っている。
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(編集子)小生は当時大森在だったので、品川から7番、の常連だった。この仲間にのち普通部ラグビー部を復活させ、自身はすばしこいセンターをつとめた大越康徳がいて、なんと、新幹線もなかった当時、熱海から通学していた。半年くらい前、電話を入れてみたが、夫人が逝去され、健康にも問題を抱えているとのことだった。好漢、回復を祈る。この復活ラグビー部フィフティーンのうち、現時点で連絡を取り合っているのは鈴木康三郎、神崎公伸だけになってしまった。
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「アパッチ1954」は、バート・ランカスターが、ハロルド・ヘ
偉大なるアパッチの酋長ジェロニモが降伏した1886年に、ランカスター
これまでの西部劇が大自然の驚異、先住民の恐怖、悪漢との戦いと
ジェロニモを継いだ族長サントス(ポール・ギ
その後マサイとナリンリの間の胎内に子供が出来る。チェロキーに
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アパッチ(Apache)は、北アメリカ南西部に居住していた6つの文化的に関連のあるアメリカ・インディアン部族の総称。いずれも南部アサバスカ語系の言語を話す。現代の用語では、類縁にあるナバホ族は含まない。「アパッチ」という名は、ズニ族の言葉で「アパチェ=敵」を意味し、それを聞いたフランス人によって広まった。
乾燥した灼熱の岩山を好んで根城にし、その襲撃方法も地形を利用した山岳ゲリラというべきものだった。また、彼らは健脚で知られ、馬は移動手段というよりむしろ食料だった。戦士たちは口に水を含んで山々を駆け巡り、戻ってきたときに口の中の水が減っていれば失格とする厳しい訓練を積んだ。こうして灼熱の中で水を見ても無視できるほどの忍耐力と持久力を身につけていた。伝統的に好戦的で、領土に入りこむ異民族を襲撃した。南西部での彼らの抵抗による入植者数人の死者は、東部では情報操作されて数百人の死者となって大げさに伝えられ、白人達を怖れさせ、残虐な部族として語り継がれている。
現在、アパッチはアリゾナ州やニューメキシコ州、オクラホマ州の特別保留地に居住し、その数は5000から6000とされている。
(飯田)主演のバート・ランカスターは、この映画の出演当時は 代表作「真紅の盗賊」「地上より永遠に」「バラの刺青」「空中ブ
従って、この作品でも製作者ハロルド・ヘクトと組んでヘクト・ラ
(編集子)セーブ劇の聖典、”駅馬車” は当時普及し始めた電信の急報が ”ジェロニモ!” という単語を最後に途切れるところから始まる。これが暗示するのは先住民族の蜂起であり、その中を突っ切ろうとする駅馬車の旅がぶつかるであろう危険を浮かび上がらせる。実に効果的なトップシーンだった。この不気味なイントロは一発の銃声とともに大写しになる若き日のジョン・ウエインの登場で一気に躍動的な場面に移って行く。何度見ても心躍らせるエーガだ。
「赤ひげ診療譚」(著者:山本周五郎。新潮文庫。1959年)。
先だって、砂原浩太郎の「夜露がたり」、西条奈加の「四色の藍」(よしきのあい)、を読んだ。いずれも時代小説だが、大変、面白くなかった、特に、「四色の藍」は途轍もなく酷かった。と落胆していたところに、誠に気障な言い方をすれば、突如として天啓の如く、久し振りに、山本周五郎が出現した。
小生の山本作品に対する拙い読書歴を披露すると、「寝ぼけ署長」、「楡の木は残った」、「五辨の椿」(なお、これは、コーネル・ウールリッチの処女作「黒衣の花嫁」の内容と可なり酷似しているが、今は、それを云々する場ではない。蛇足だが、ジャイ大兄お気に入りの「幻の女」の作者、ウィリアム・アイリッシュは、このウールリッチの別名だ)、「青べか物語」、「さぶ」、「町奉行日記」と言ったところで、その内、最も面白かったのは「青べか物語」(1959年)だ。現在の千葉県浦安市が舞台で(勿論、ディズニー・ランドなど、影も形もない)、昭和初期、山本がまだ貧窮に喘いでいた頃の自伝的な小説だ。
そこで、これまで読んでいなかった中で、真っ先に取り付いたのが、この「赤ひげ診療譚」と言うわけだ。期待に違わず、滅茶苦茶、面白かった。久し振りに小説の醍醐味を味わった。
確かに、赤ひげこと新出去定(にいできょじょう)の診療譚と言えないこともないのだが、この小説は、寧ろ、ドイツ語で言うところのビルドゥングス・ロマン(Bildungsroman)、有る青年(保本登)の成長物語と言った方が正鵠を射ているのではないだろうか。
これは、長編と言っても八つの短編/エピソードから成り立っている。例えば、保本は、狂女を患者にしたり、その狂女から殺されそうになったり、手術を見て失神したり、一方の赤ひげは無料奉仕なのだが、富めるものからは診察料をふんだくる(これは、義賊ロビン・フッドか)、などなど。
保本は将来を約束されたエリート青年医師だが、長崎に遊学して最新のオランダ医学を学び、将来は幕府の御目見医の地位さえ保証されていた。ところが、「小石川養生所」と言う「患者は蚤と虱のたかった、腫物だらけの、臭くて蒙昧な貧民」であり、「給与は最低」、「昼夜のべつなく赤ひげにこき使われる」場所に、強制的に送り込まれる。ところが、それに不本意な彼は、養生所の決められた制服を着用しないなど、色々な点で、赤ひげに激しく反抗する。しかし、上記のエピソードによって展開される様々な出来事に関わって行くことで、彼の想像を遥かに越えた人間の感情や心理の明暗、表裏を知り、人間として大きく成長して行く。
最後は、1年の見習い勤務が終了し、晴れて御目見医となることになるのだが、保本は、ここに止まることを決意し、赤ひげから、「おまえはばかなやつだ」、「先生のおかげです」、「ばかなやつだ。若気でそんなことを言っているが、いまに後悔するぞ」、「お許しが出たのですね」。「きっといまに後悔するぞ」、「ためしてみましょう、有り難うございました」で、赤ひげはゆっくりと、保本の部屋を出て行く。
ただし、この文庫本に致命的な汚点が一つある。解説の手前で、純文学作家の辻邦生が、得々と「山本周五郎論」を開陳している。しかし、これが途轍もなく酷いもので、抽象論に終始し、何遍読んでも辻の意図することが皆目わからない。山本は、こんな意味の分からない抽象論を、最も忌み嫌っていたのではないか。
これを機に、未読の「天地靜大」(幕末の激浪の中に生きた小藩の若者群像)、「栄花物語」(老中田沼意次父子を時代の先覚者として描く)などを読んで見ようと思っている。
なお、これは「赤ひげ」の題名で映画化されており(1965年)、監督は黒沢明、赤ひげに三船敏郎、保本に加山雄三など。小生は見ていないが、これを見た山本は、「原作より素晴らしい」と賞賛したと伝えられている。
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山本 周五郎は、日本の小説家。本名:清水 三十六。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説を書いた.
代表作 ”樅ノ木は残った” ”ながい坂” ”さぶ” などがよく知られている。
(河瀬)『赤ひげ』の映画は見ていませんが、
テレビで最近睡眠に関するニュースが多くないですか? 日本人の平均睡眠時間は約7時間。これは諸外国に比べると少し短いようです。そのせいかJRなどの乗ると、座っている人は全員 スマホをいじっているか寝ているか。まあ目の前に高齢者などが立った時に狸寝入りをきめこむ若人もいるけどね。
不眠には入眠障害(寝つきが悪い)と、頻回に目が覚めるもの(途中覚醒)があります。
皆さんは寝つきは良いですか? 夜中に何回ぐらい排尿で起きるかな? 私も最近以前よりは寝つきが悪くなりました。但し、夜中には1回 眼が覚めるか、全然起きないかのどちらかですね。夕食時にビールや水分をたくさん飲んだ時以外は、夜中は起きないことが多いですね。しかしこれは例外的で、70歳を過ぎたら1-2回夜中に排尿で起きるのは普通かな。これは余り心配しなくていいでしょう。排尿の後、またすぐグッスリ眠れるならば。
この不眠は心筋梗塞や脳卒中発症と関係があることが医学的にはほぼ常識化しており、最近では心不全やアルツハイマー病になる確率も高いことが分かってきました。もっとも毎日9時間以上寝るのも認知機能障害には問題という報告もあります。7-8時間の睡眠が皆さんのお年では最適かな。子供さんはもっと寝ていいと思いますが。
「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」って聴いたことありますよね。睡眠中、大イビキをかき、良く観察すると途中で息が数十秒ぐらい止まる方、パートナーにそれを指摘されたら、是非呼吸器の専門家に相談してください。これも不眠の原因の一つです。舌根が睡眠中に喉に落ち込み易かったり 肥満やあごの形・扁桃腺の肥大など原因は様々ですが、一般的にこれらの方は血液が固まりやすい傾向があり、脳や心臓の血管が詰まる可能性が高いのです。
じゃ、眠れなかったり、一晩に3-4回以上も起きてしまうのはどうしたら良いかって?
一度、懇意の主治医に相談することでしょうね。SASならCPAPという装具をつけて良く成った方が沢山います。SASもなく、頻尿のみで起きる方は、まず泌尿器科で前立腺や女性の場合は膀胱などに異常がないか診てもらってください。テレビで宣伝している漢方薬は夜間頻尿には効かない人も多いようですが。SASや膀胱・前立腺にも異常がない場合、医師は睡眠薬を勧めるかもしれません。しかしこれも考え物です。従来の睡眠薬の多くは、無理に脳の機能を抑え込んで眠らせるものもが多く(これは一寸誤解を招く表現ですが,分かりやすく表現しました)長期使用は認知機能を抑えてしまうとも言われています。すなわち、ボケやすくなるわけです。最近、オレキシン受容体拮抗薬という新薬が出てきました。これはそのような有害事象は出にくいと言われていますから、かかりつけ医から従来型の睡眠薬を長期に貰っている人は良く相談してください。
まあ、寝酒として強めのアルコールをほんの少量飲むのはアリかもしれませんね。しかしビールやお湯割りをたくさん飲めば、また排尿で起きてしまいますよ。
「眠れなければ我慢して眠らなければいい、眠って死んだ方はいるが眠れないで死んだ方はいないよ」と時々、冗談で神経質な患者さんには申し上げますが、実は非常に稀なスローウィールス感染症という病気(もう過去の病気だと忘れられている狂牛病もその一つです)の中に「致死性家族性不眠症」という病気もあります。これはホントに眠れないで死んでしまう病気ですが、この病気は非常に稀で、私が20年以上前に日本の第1例目を米国雑誌に発表して以来、まだ日本からは2例目が出ていないくらい稀有な病気ですから心配はいりません。
そんなことより、長く続けた昔からの睡眠薬から脱皮できず。新しい薬を渡されても、効かないと自分で決めこんで、古くからの薬にこだわる人のことが心配です。年をとると意固地になる人が多いからね。