諏訪湖の旅   (大学時代クラスメート 飯田武昭)

先週、信州の諏訪湖周辺を数日間うろついてきました。さしたる目的地もなく、諏訪湖の観光花火を観て、諏訪大社の8月1日の遷座祭(お舟祭)※の前々日に、

春宮と秋宮に参拝し、甲州道が中山道と交わる地点などを散策して、老舗そば屋「山猫亭」で天ぷら蕎麦を賞味しました。

翌日は天候が良さそうで気温も左程高くならないことを確認し、霧ヶ峰にバスで登り八嶋湿原の板道をゆっくり散策し、可憐に咲く草花や蝶を見て楽しみました。その次の日は諏訪湖岸の間欠泉の温泉玉子を食べながら、北澤美術館での特別展(エミール・ガレ没後120年記念)とサンリツ服部美術館を鑑賞するなど、猛暑を避けて屋内で過ごす時間を増やしました。

とてもKWV諸兄の北アルプス連峰の旅とは比べ物にならないのんびり無害な旅でしたが、2度夕食に出掛けた「すみかまど」のメニューはどれも手ごろな値段で美味しく、サービスも控えめで丁寧と、やたらと居酒屋が多いこの街ではラキーな出会いでした。

関西では“びわこ(琵琶湖)”という単語をしょっちゅう使うので、今回は“すわこ(諏訪湖)”という単語が直ぐに出て来なくて、ついつい、“びわこ“と先ず間違えて言ってしまうことが多く、後期高齢をしみじみ感じました。

※(2月1日に春宮にお遷しした御霊代(みたましろ)を神幸行列を以て再び秋宮へ御遷座する神事です。この遷座の行列 に次いで青柴で作った大きな舟に翁媼の人形を乗せた柴舟が御頭郷の氏子によって春宮から秋宮へ曳行されます)

(編集子)本稿の解説を読んで思い出したのが、最近読んだミステリ小説、”アマテラスの暗号” である。この本は、以前本稿で紹介したことがあるが、高木彬光の傑作(と勝手に思っているだけかも)”成吉思汗の秘密”、古くは英国推理小説黄金時代に書かれてこのジャンルの嚆矢といわれている ”時の娘” と同じように、故事を現時点で史実或いは事実としてわかっている事物と比較し、別のテーマを追求したものである(その結果、小生は高木に賛成して成吉思汗は平泉の館から脱出してシベリアにわたった源義経の後身だと信じている)。この本は高木の作品とは比較にならないほど多くの史実、写真、文献を提示して、天照大御神に始まる我が国創立の過程にユダヤ教にまつわる史実が重なることを説いた本であり、衝撃的なものだった。例えば、僕らのレベルでわかることで言えば、京都のある古刹の家紋(というのか、要は其の寺の印)が、あのダヴィデの星(ナチ支配下のドイツでユダヤ人が常に身に着けることを強制された、あの印)である、と言ったような数多くの事実がこれでもか、というくらい写真などとともに明らかにされる。また、飯田兄が言われているものではないが諏訪の有名な神事がユダヤ教で行われるプロセスと全く同じであるとか、遷宮という儀式がそっくりそのまま、ユダヤ教のしきたりと同じである、と言ったことが列記される。この本自体は一応ミステリの形をとってはいるが、全く異種の読み物として、知的興味満々、一読に値するものだった(正直 気味が悪くなった)。寝られない猛暑の夜、お勧めの1冊である。琵琶湖にはこういう話はないのだろうか。

巨人ファンにお尋ねします   (33 小川義視)

強烈な読売・巨人ファンのご意見を伺いたい。

先程YouTubeで「大谷の日テレ出禁問題」を見て感じたこと、報道業界・プロ野球でのナベツネの圧力も世界の大谷に屈したかという快挙です。日テレの代表的な夏恒例の「24時間テレビ」にどうしても出させるように、ナベツネが強烈な圧力を日テレ幹部に掛けていたようです。「たかが選手が…」という彼本来の考えです。

それに対して大谷と共にドジャーズ球団も完全に拒否しています。昔からナベツネの政界にまで及ぶ圧力に非常に憤慨していました。巨人以外の球団も随分泣かされたでしょう。 恐らく日テレは視聴率が強烈に落ちると思います。ナベツネという嫌な存在が大谷の力で葬られた快挙と小生は喜んでいますが、

(42 下村)『実ほど首を垂れる稲穂かな』ですね。彼も入社したてのころは真面目で仕事一筋。若くして頭角を現したようですが、周囲に意見をする人がいなくなってからは独裁体制の様相。ビッグワン、小林製薬に限らずトップに何も言えない会社はいずれダメになりますね。

お陰様でわが家はカミさんがうるさいほど口を出してくるから大丈夫!!

(編集子)事情は良く存じませんが、快挙ですね。ナベツネの傍若無人ぶりについては、後藤三郎がIBMで輝いていたころ、ナベツネとラウンドをしたことがあるそうですが、その時、彼はコースで平然として立小便をしたというのです。なんとも言葉を失いますが、こういう思い上がりには社会正義の鉄槌がくだるべきです。”わが巨人軍は永遠に不滅です” とチョーさんの名言がふさわしいジャイアンツであってほしいものです。

(44 安田)僕は野球少年だった幼少期より、野球は自らやると同時にプロ・東京六大学をテレビで観ていた。小学生の時、チョーさんが東京六大学の通算本塁打新記録8本目を左翼外野席へ打った対慶応戦もテレビで観ていた。当時は神宮球場の左右両翼は今より10m近く広く、ホームランが出にくかった。新記録達成日は、調べると1957年11月3日(文化の日の祝日)、小学5年生の秋だった。1965年に慶応の広野が8本で並び、僕と同期の法政田淵が1968年に22本まで伸ばした。現在の最多記録は慶応(のち巨人)の高橋由伸の23本、1997年に達成。田淵・高橋の時代は神宮球場左右両翼は狭く(現在と同じ)、ホームランが出やすくなっていた。
話は17年飛んで1974年10月14日のこと。社会人になって3年目、チョーさんの現役最後の試合が旧後楽園球場の対中日戦ダブルヘッダー第2試合目。国内営業の外回りが仕事だったが、仕事をサボり後楽園へ足を運び(前もって入場券を買っていた 確信犯・笑!)、両試合を生で観た。チョーさん、第一試合でホームランを打つ。彼のさよなら試合(ダブルヘッダー第2試合目)、巨人はベストメンバーで臨んだ。柴田・高田・王・長嶋・末次・黒江・土井・森・高橋善正(P)。対して、中日は星野・高木以下主力選手は出場せず。理由は、最終戦(チョーさんのさよなら試合)は13日の予定であったが雨で順延して14日になった。その年1974年ペナントレース、巨人はV10を逸し、中日が優勝。順延された14日は名古屋では中日の優勝パレードが既に予定されていて、主力選手は巨人最終戦には出場せず、名古屋にいたのだ。球場では、試合終了後、愛すべき口下手のチョーさんがピッチャーマウンドに立ち「巨人軍は永遠に不滅です」のスピーチをした。現場の球場一塁側内野席で見て聞いた。川上監督最後の試合となった。中日監督は元巨人の与那嶺要。この年、王が2年連続の3冠王を達成。日本シリーズ制覇は金田正一監督のロッテオリオンズだった。
かくの如く詳しく覚えているが、実は僕は大のアンチ巨人です。九州育ちの僕にとっては巨人は不倶戴天の敵、ジャイさん🙇すみません。

(編集子)長嶋の学生時代のゲームを一度だけ、神宮で見た経験がある。縦じまのユニフォームがよく似合う、憎らしいやつだ、というのが第一印象だった。
チョーさんの、というより ”わが巨人” の凄さを感じたのが歴史に残る(と勝手に思っているんだが)有名な対中日最終試合での決着ゲーム(2000年9月24日東京ドーム)だった。9回、満塁で(そんなこたあるめえ)と思っていた満塁ホームランをしかも小生ごひいきの江藤が撃ち、直後に二岡がライトスタンドのぶち込んだとどめの一発(https://www.youtube.com/watch?v=SeCXycrRMcY)。ほかにも例えば天覧試合のチョーさんの一発、とか、ま、結果的に天下をうならせる劇的シーンはやはりわが巨人軍。九州での獅子の遠吠えなんかじゃ、ねえ。

オリンピック選手村    (在パリ 平井愛子)

オリンピック選手村に行く仕事が有りまして、日本チームの垂れ幕を見つけました!

(安田)オリンピック村は終了後、民間に販売されるアパートになるのでしょうか?前回の東京大会の選手村は都心にあって交通至便でお販売されましたが大変人気高く、購入競争率はとてつもなく高かったです。

(小田)セーヌ川での開会式では、平井さんもおっしゃっていたように、首のないマリーアントワネットと血しぶき、セーヌを馬に乗り進むジャンヌ・ダルクの姿がフランスらしく、大変印象に残りました。そして、どこからでも見える《エッフェル塔》は、日本でいうと《富士山》のよう…今回も中心となり輝いていました。

久し振りにコンサートを聴く   (44 安田耕太郎)

昨夜は「麻布学園OBオーケストラ演奏会2024」をサントリーホールに、腰椎骨折から3年半経ち漸く外出出来るようになった”神さん”と一緒に聴きに行った。久し振りに音楽のシャワーを気持ちよく浴びた。指揮と総アドバイザーは愚息と同期だった、今では引く手あまたの鈴木優人(プロフィール下記貼付)。

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彼の演奏・指揮したバッハ・コレギウム・ジャパンコンサートを何回か聴いたことがあり、注目すべき逸材。昨夜のコンサートは、多くの世代に跨る卒業生楽団員から構成される謂わばアマチュア楽団をOBのプロ・鈴木優人が指揮するというのがプログラム。
先ず一部では、1960/S35年卒OB(大学はS39卒)のジャズピアニスト山下洋輔の82歳とは思えぬエネルギー溢れる、ジョージ・ガーシュインの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」、続いて「サマー・タイム」の熱演に聴き入る。山下も
リラックして、笑みを見せながら鍵盤を叩いていた。インターミッションを挟んで2部は、モデスト・ムソグルスキーの大曲「展覧会の絵」が演奏された。
昨夜の演奏会では、世に知られたラヴェル編曲版ではなく、麻布OBのアマチュア音楽家(コンサートではトランペット演奏)による編曲版で世界初演とのこと幾度となく聴いたラヴェル版との相違は正直分からなかったが大編成のオーケストラの迫力を充二分に満喫。演奏自体も聴き応えのある中々のレベル。嬉しい驚きであった。

(編集子)ガーシュインもムソルグスキーもどうでもよろしい。何はともあれ、ミセス安田が快癒されたことが第一。無理を重ねられないよう、亭主の心配りとテイクケアが重要ですぜ。

KWVOB会 24年度夏合宿-実らなかったセンチメンタルジャー二イ

どの本だったか忘れてしまったのだが、上高地について触れた文章で覚えているのがふたつある。

一つは上高地、という呼称を聞いて、”かの 神河内 を 上高地、などという俗称にしてしまったのか” という、日本アルピニズム黎明期、この地をまさに神の宿るところ、とまで激賞した先人の嘆きであり、もうひとつはウエストンが日本を去る直前、徳本峠で “さよなら、ホタカ” と夫人の肩に涙した、という一節である。

現役時代から僕の記録に穂高の想い出はあまり現われない。縦走の終わりにピリオドとして訪れたとか、秋の定番であった涸沢BCで一般ルートをたどったほかは、卒業して間もなく、山岳部OBだった山川陽一からロープワークの実地訓練をうけながら北尾根を上り、グリセードでテントへ戻る、といういわばクラシックな登行を経験させてもらった程度だ。

2年の秋、涸沢から徳澤に下って来た時、徳澤山荘の前に大きな板看板が張り出してあって、”氷壁、完結” と書かれ、主人公魚津恭太の最後のことが簡単に書かれていたことがあった。この小説の背景にいつも意識されるのが涸沢だし、山に夢を賭ける人たちの ホタカ への想いがずんと胃の中に落ちた気がしたのを思い出す。卒業して間もなく、八方尾根山麓のヒュッテ 白い小屋 に通い始めてから、ストーヴのそばでの、オーナー大野さんのとつとつとした回顧に出てくる穂高、がすべて、僕なんかがわかる由もない滝谷のことと知って、また違う感覚を感じたものだった(なお”氷壁”、未読の方はぜひ一読をお勧めする)。

僕の ホタカ はこの岩稜を真に愛する人たちからすれば、ありきたりの、傍観者の勝手な思いにすぎないのだが、それでもいつか、それでも自分なりに青春の一部であった山々に ウエストン のむこうをはって、あばよ、ホタカ くらいは言いたい、という気持ちがあった。もうひとつ、社会人になった2年目の晩秋、当時関西で工場勤務をしていた田中新弥と落ち合って我々夫婦と3人、岳沢から前穂の秋、としゃれこんだことがあったのだが、その時に河童橋を渡ろうとしたら、なんと向こうから、今でも記憶にあるのだが見事な紅葉をバックに、同期の宮本健(ガン)が歩いてきたのと遭遇するという、誠にエーガ的な出会いをした。快晴の山麓の秋色のなかでのこの遭遇が、僕の ”河童橋” にまつわる想い出だ。現役時代は川内三千雄との名コンビで不死身といわれた宮本だが、宿痾には勝てず、こののち数年を経ずして旅立ってしまった。あの時のガンが歩いてきた、あの橋はどうなっているのか、という思いもあった。

今度のKWVOB会夏合宿が上高地の奥座敷、平湯集中で、なかに上高地散策というプランがあるのを知り、この地を訪れるのも たぶん、行けば今回が最後になるような気がして、参加させてもらうことにした。つまり今度の上高地散策はいい年をしてのセンチメンタルジャー二イ、のつもりだったのだ。古手の同行は同期の高橋良子、1年あとになるが親しくしていた加藤清治、国府田信雄。加藤は同期で三国山荘の主と誰もが認めていた故小林章悟の一番弟子、ミスター山荘と言われた職人肌の男である。

しかしながら、雲は岳沢の雪渓をちらつかせただけで稜線を動かず、穂高を見ることはかなわなかった。焼岳は2度ほど登ったことはあるが、あまり魅力のある山ではない。ただ、大学4年時、所属していた平井ゼミの夏旅行を企画する立場になったので、同学年にいた翠川幹夫としめたとばかり上高地旅行というプランを立て、本来ならば平井先生などと毎日同行すべきところだったが、知らぬ顔で奥又白の池へ行ったことがあった。その時、一応幹事面をして大正池とか焼岳、なんてのを案内したことが思い出され、大正池の澄んだ水と、泰然とした焼岳、親友との想い出をかみしめることになった。

此処まではよかったのだが、好ましい林間の散歩道をへてやってきた河童橋の、いわば惨状とさえいえる現状には声も出なかった。

オーバーツ―リズムとはまさにこれか。人が多いのはシーズンだし想像どおりだったがなんでこんなところにこんなものを作るのか、という気持ちだった。自然保護、という事では先駆者的な行動をとった地元の人たちがいたのに、大正池にホテルを造り河童橋を渋谷まがいにしてしまったのは、やはり欲望か。“神河内” の堕落を嘆いた先達たちに申し訳ない気持ちすら覚えた。

そんなわけで、今回のセンチメンタルジャー二イは消化不良のままに終わってしまった。ただ合計なんと百人という規模で集合し、年代を越えて語り合うことのできる、参加された船曳さん(34年卒-米寿、おめでとうございます)の言葉通り、この日本にふたつとないであろう、最高の同窓会に参加し、その一部であることが誇りに思えた。志賀のスキー合宿に森田先輩が持ち込まれた ”俺達の青春はまだ終わらない” という(タイトルもシンガーも忘れてしまったがいい歌だ―ご存じの方があればぜひ教えてください)、あの歌の通りの週末がただ、うれしかった。幹事各位に改めて感謝し、我々を見守ってくれた桑原、関根両兄に改めてお礼申し上げる。なお合宿の全体報告については別途ご紹介することにし、パートリーダの桑原君のメモの一部を付記する。

(平湯温泉集中夏合宿第一班 リーダー 桑原克己)            この度は、夏合宿1班 上高地のんびり散策プランにご参加頂き、誠に有り難うございました。お陰様で天気にもコースにも、また、メンバーにも恵まれ、事故もなく、のんびり楽しく安全にプランが実行できました事、皆さまのご協力のお蔭様と、感謝申し上げます。

大正池昼食後~河童橋~上高地バスターミナル 散策             コースタイムは実動100分(休憩20分)合計120分  歩数34893歩 

エーガ愛好会 (279) ”愛の讃歌” のこと    (HPOB 金藤泰子)

「愛の讃歌」は原詩はエディット・ピアフが作詞 日本で越路吹雪が歌って有名になった岩谷時子訳詞の歌詞より、ずっと激しい歌詞です。 私は仏語が(も)分かりませんのでもちろん原曲の和訳の歌詞を読んでのお話です。

エディット・ピアフは妻子ある世界チャンピオンのボクサーと恋をするのですが、その恋人が乗った飛行機が墜落してしまうのです・・・詳しい話は知りませんので 8月6日(火)放送予定NHK BSシネマ 「エディット・ピアフ 愛の讃歌」を鑑賞します。

エディット・ピアフ 愛の讃歌 8月6日(火) 午後1:00〜午後3:21

(編集子)これはKWVのOB連中にしか通じない話題だけど、38年卒の岩木義明が酒席でいつもこの歌を微醺を帯びながらいい声で歌ったものだった。頑健そのもの、小樽潮陵高校出身にふさわしく豪快な滑り、常にジョークを連発するまことに楽しい男のことを思い出す。

やっこがイメージする 愛の賛歌 とはおよそ似つかわしくない、でもどこかやさしい、そういう後輩のことだ。

パリオリンピックのことです  (普通部OB 菅原勲)

五輪は29日まで日本が金メダル6個を獲得し、地元のフランスを上回り幸先の良い出足を切ったようです。翻って8月1日から始まる陸上はどうでしょうか。恐らく出る選手出る選手次から次へと予選落ちとなって行くのは間違いありません。勿論、例外はあるでしょう。

何故なら、こう言うカラクリがあるからです。五輪に出場できる選手は、

1. 世界陸上の設定した各種目の参加標準記録を突破した選手(期間限定)。例えば、男子100mは10秒00で、これを突破した日本の選手は、サニー・ブラウン・アブダル・ハキムただ一人。

2.  世界陸上のランキング(これも、期間限定で、試合の質、記録、順位などから得点付けして総合的に順番付けをする。詳細は省く)で出場人数枠内にある選手(例えば、男子100mでは、日本陸連は、37位の東田、52位の坂井を代表に選んだ)。

つまり、2.は世界陸上の単なる頭数の数合わせであって、オナサケでの出場となるわけです。なお、英国は今回から1.の選手には8位までに入賞の可能性はあるが、2.の選手にはそれはないと判断し、2.は代表に選ばなかった。小生は、1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。確かに、一方では、「五輪は参加することに意義がある」そうですが。でも、次から次に落選また落選では見るに値しないでしょう.

(菅井)1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。とするならぱ各競技連盟の世界選手権があれば事足りるので、オリンピックは不要です。大方のトップ・アスリートたちはこれに賛同するのてはないでしょうか?

(金藤)2. について全く知りませんでした。貴重なお話ありがとうございました。

(編集子)陸上競技の結果は単純明快、スガチューには怒られるかもしれないが、戦略も作戦もあまり意味はなく、要は選手個人生まれながらの身体能力で決まるものだと思うんだがどうだろうか。豊芦原みずほの国のたおやかな自然を愛し、裏山に鹿の声が聞こえれば、取って食うより人の世のあわれの歌にするような環境で育まれたわがヤマト人の体の出来というのか、遺伝子というのかが、昨日までライオンとかけっこをしていたような環境で育った連中のそれとは基本的なところで違いがあるんじゃなかろうか。つまり陸上競技などでは、(純粋に生物学的意味で)人種による選択がすでに決まっているのではないか。チームワークとか、微妙きわまりないテクニックが要求される競技で我が国がメダルに湧くのとは基本的に違う。スガチューが期待するサニーブラウン君も国籍は日本人だが (再度言うが生物学的意味で)純粋なヤマト人ではない。そういう意味で冷静に見ればいいんで、結果にあまり熱くなることもないのではないか?

例によって、”みんながやってるこたあやりたくねえ” 症候が発症し、パリの番組には背をむけてテレビはもっぱらなつメロミステリー(目下、吉永刑事シリーズ、ってのにはまってる)だけしか見ない小生(わがパートナーはそうではない、彼女の名誉のために言っておく)にはあまり興味はないトピックだけど。

(ついでにスガチューに教えてほしいんだが、水上競技にアフリカ系の人の参加が少ないのはやはり構造的なというか政治的思惑なんかがあるんだろうか。身体能力なら、やはり人種的遺伝的能力で行けば陸上と同じようになるんじゃないか、と思うんだが)

東京の秘島 再訪   (42 河瀬斌)

大学1年の時よく浜辺でキャンプした仲間と「東京の秘島」思い出に残る神津島に60年ぶりに行ってみました。
 60年前には天上山という巨大な絶壁の下「多幸湾」という浜でキャンプしました。その砂浜の高台には冷たい湧水が流れ、その冷水で自作のソーメン流し、釣り、広大な真っ白な砂浜で水泳などを楽しんだのです。今はその一角に漁港ができたのですが、冷たい湧水は今も健在でした(写真1、2)。広大な天上山頂には砂漠、池があり、季節で折々の花が咲くと聞き、昔は裸で登ったのですが、途中お巡りさんに「ここも東京だよ」と言われたことしか覚えていません。
 昔は村の北側には道もなかったのですが、今は200円の村営バスが通っています。そこには歩道、橋、飛び込み台などが全て木組みでできた若者に人気の「赤崎遊歩道」がありました。その途中には海と岩場に囲まれた直径50mもある「大露天風呂付きの温泉」があり、1300円で腹一杯になるフレッシュな海鮮丼を食べました(写真3、4)。夜は冷房のあるホテルで夜通しオリンピック開会式を見ました。最高気温は30度と東京より涼しかった。
神津島は今も田舎の風情で、竹芝桟橋から昔は12時間かかったのですが、今はジェット船でわずか3時間で着きます。東京にこんな隠れた秘島があった!KWV諸兄のさらなる不老長寿にお勧めです。

エーガ愛好会 (278)  ワイルドワイルドウエスト  (34 小泉幾多郎)

西部劇とSFとの融合ということは事前に分かっていたが、配役が、ウイル・スミスは別として、「ワンダとダイヤと優しい奴ら1988」でアカデミー助演男優賞受賞のケヴィン・クラインやあのシェークスピア役者のケネス・ブラナーとなると大いなる期待感を持ってしまう。開巻の出演者名が流れる背景に西部男姿のウイル・スミスがピストルをくるくる回しながら現れる姿が格好いい。SFに関係なく西部男を演じてもらいたい位だ。しかし始まった途端に風呂の中で女性といちゃつくスミスで、途端にがっくり。敵を狙って酒場へ行くと女装した、これも同じ男を追っている連邦保安官ケヴィン・クラインと遭遇し、結局この二人が大統領命により、敵を追うことになり、伝統的なハリウッドの仲違いしながらのバディものの範疇なのだ。

追う相手は当初の相手よりもっと悪い下半身の無いドクターということが分かる。これに扮するのが、ケネス・ブラナー。スミスは早撃ちの名人、相棒のクラインは、変装名人の発明家だから秘密兵器やら銃や大型戦車等訳の分からぬメカが沢山出てくる。それ以上に、ブラナーの方は、それに輪をかけた強者で、9本足の巨大な蜘蛛ロボットに乗って登場する。まあ時代考証もSF考証も無視。荒唐無稽も、ここまでやれば立派?くだらないと思えばくだらないし、次から次へとスリルを味合わせてくれると言えば、楽しめるとも言える。

それにしても、スミスの方は、同じ監督バリー・ソネンフェルドによる「メン・イン・ブラック3作」に出演する等喜劇はお手のものだが、クラインとブラナーはどうしてこんな映画に出演したのかよくわからない。それも楽しそうにやっているのだから、何か特別良きことがあったのだろうか。小生が知る限り、西部劇とSF的なものが噛み合った映画は、これのほかに、「バック・トウー・ザ・フューチャーRart3 1990」「カウボーイ&エイリアン2011」があるが、どれも面白さは若干感じても、際物的で、矢張り古いかも知れないが、本来の西部劇は西部劇であってそれ以上なものはいらないという心境だ。

 

(編集子)だから ”三人の名付け親”  を見ろって言ってんじゃんけ !

エーガ愛好会 (277)  山の郵便配達  (HPOB 小田篤子)

録画しておいた中国映画《山の郵便配達》’99年を観ました。
重い郵便物の入ったリュックを担ぎ、山を3日間歩きながら配達する重労働である仕事を、息子に引き継ぐことになった父親の物語です。
いつも一緒の「次男坊」と名付けた犬と父親、息子が並んで歩くシルエットになったシーンや田園風景がとても綺麗です。
犬はいつも配達にもついて歩いた父親の心を読み、父は配達先の村人の境遇や気持ちに寄り添い郵便配達をしていました。息子はその皆にも好かれた仕事ぶりに気づき、父親を尊敬し理解するようになります。
留守が多かった父親より、母と過ごす時間が長かった息子は、今度は自分に代わり一緒にいるようになる父に、母の病気についてや、まわりの人々に関しての注意を父に伝えます。そして父親も、この郵便配達の仕事を自分がしてきたように引き継いでくれるのは息子しかいない…と確信します。
中国映画はたぶん初めてですが、とても感動する良い作品だと思います。
✩21日に、早大で、主人の好きな越路吹雪の衣装展と、私の好きなプレスリーの《青い月のメンフィス》と言う英語”能”が同時に開催されている…という事で出かけて来ました。能は初めてで、英語…。横に映される字幕に助けられました。
UCLAで上演されたものを、両大学で教える教授とユニクロの柳井氏との協賛により実施されました。プレスリーの大ファンの女の子が、命日に墓から霊となり蘇ったエルビスと、彼の味わった孤独等について語りあうという内容で、エルビス顔の能面を付け、曲は笛、太鼓、歌は謡により行われました。
(プレスリーの住まいだった)グレイスランドの管理人が言いたい放題を述べる狂言が笑いを誘いました。