980年5月、WHOにより、世界根絶宣言が出された、と8日の新聞に一面広告が載っていました。又また偶然に、植松三十里さんの本「鹿鳴館の花は散らず」
岩倉具視の娘の(戸田)極子/きわこ)と岩倉具視の長男具義に嫁いだ榮子(ながこ)、 一時義理の姉妹になったふたりの話が主です。
*極子は、女癖の悪い伊藤博文に抱きつかれ、裸足で馬車に乗り、 逃げ帰った事がありました。この事件は新聞で報じられ、 榮子は彼女のために伊藤博文の妻に頼み、後に、 外交官の夫とオーストリアにいきます。
*その後岩倉具視はすまなく思い、共にバツイチの、 佐賀藩主でオックスフォード出の外交官、鍋島直大(なおひろ)( 父は直正)を紹介、ふたりは結婚しローマへ赴任します。
*種痘の話ですが…佐賀藩は長崎港の警備を担当したことから、 蘭学を学んだ者が多く、 シーボルトから種痘について教えられていました。 牛の乳搾りの娘た
ちが天然痘にかからないことから、 種痘が始まり、佐賀藩では、試行錯誤の末、 かさぶたを陶器に入れ、蓋を密閉してオランダから輸入。

蘭医の子供、そして藩主直正は自分の娘や息子(直大)に試し、 その後江戸詰佐賀藩士の子供たちや出入りの御用商人の子供に接種 。評判になると神田のお玉ヶ池に種痘所を開いたりしています。
(編集子)ミッキーの真面目な話のあとがきにはふさわしくないだろうが、小生の岩倉についての知識は(実は日本史のほぼ全域についてなのだが)、もっぱらかの司馬遼太郎の諸作品から得たものだが、我が高校の先輩(小生が引き揚げで遅れていなければ同学年なんだが)加山雄三はその何代目かにあたるはずである(ということが司馬の作品にでてくるわけはないが)、ということくらいだ。申し訳ない。
一晩寝たら思い出した。小淵沢に持ってるセカンドハウスの3軒隣が 桂さん というのだが、この人は桂小五郎の直系子孫なんだそうだ。あとは鞍馬天狗の子孫が見つかれば、このあたりは風雲急を告げる幕末が戻ってくる環境らしい。