中華千年の夢-北京を訪ねた    (41 斎藤孝)

 中華文明が描く未来                           高速道路には大型バスから普通車まで電気自動車(EV)が多く走っている。車両のエンジン音は実に静かな大通りである。整然とした街並みが続くが、どこでも騒音が聞こえる。人々の会話と罵声のせいだ。耳障りな発音は中国語独特なイントネーションの高い発声によるものだろう。

米国を抜き世界一
近代都市に進化した北京を訪れた。なんと50年振りである。あの頃、真夏の夜、北京はどこも暗く古臭い匂いがした街だった。指定されたホテルは冷房も無く寝苦しかった記憶がある。薄暗い廊下の片隅で服務員と呼ぶ女性が外国人宿泊客を監視していた。あれから半世紀、中国は驚異的な発展を遂げて世界の強国になり自信満々である。まもなく米国を抜き世界一になるだろう。中華千年の夢は正夢になるだろうか・・・・。

「自由からの逃走」
北京駅の近くにあるビル屋上から北京市中心の高層ビル群を眺めた。1958年の建国十周年に建設された北京駅には群衆が溢れていた。50年前は個人で電話を所有することができなかった貧しい人民は、公衆電話に長い列を作っていた。現代中国はスマホ時代になっている。どこでもQRコードによる身分証明や外人にはパスポートの提示が求められる。厳しい統制と管理にITが活用されている。やがてAIによりあらゆる分野の隅々まで制御されていくだろう。監視カメラは至る所に見られた。
老後は健康と安心そして見守り介護による監視。自由があり過ぎて不安になってきた。「自由からの逃走」ふと考える。

アヘン戦争の屈辱                            習近平主席は、アヘン戦争の屈辱を今でも語るそうだ。その敗北により1842年の南京条約が結ばれイギリス帝国主義による侵略は始まった。
卑怯にもアヘン密売を理由にして「香港」を奪われて多額の賠償金まで支払った。弱体化した清朝末期になると西欧列国から侵略の餌食になった。
日本も帝国主義諸国に加担し1919年には山東省・青島に拠点を確保。

私は1942年に青島で生まれた。私の父は軍人でなく製薬会社の社員だった。「青島」の想い出は、ドイツ風のお洒落な街並みであったこと。そして後になり青島ビールの味を知り、青島生まれであることを誇りにして来た。中国は第二の故郷として郷愁と憧れの国である。

 秦帝国の復活                             秦の始皇帝は紀元前221年頃に中国初の皇帝になった。秦朝の誕生である。20世紀の毛沢東による中華人民共和国の誕生はまるで秦帝国の復活のように思えた。10年前に西安で始皇帝陵の「兵馬俑」を見物したことがあった。約8,000体の「兵馬俑」があり、どれ一つとして同じ顔をしたものはなかった。始皇帝麾下の軍人を写したものである。兵馬俑の軍団は世界を威圧していた。現代の中国はこんな無謀な思想を信じないことを期待したい。

「万里の長城」                             ドナルド・トランプはメキシコ国境に「万里の長城」を築くと演説して、米国大統領に当選した。トランプと始皇帝は洞吹き仲間である。トランプは裸の王様で憎めないコメディアン。始皇帝は偉大な歴史クリエイター。
「万里の長城」は宇宙から肉眼で見える唯一の建造物とされるが中国宇宙船からは確認できなかった。笑い話である。
「万里の長城」は秦時代の始皇帝が最初に発案し、紀元前3世紀頃から明時代に本格的に整備され17世紀に完成した。 長さは東の「山海関」から西の「嘉峪関」まで総延長は約6000kmで、北海道から沖縄まで日本列島の距離に等しい。 「万里の長城」は異民族から中国を防衛するという重要なシンボルであった。軍事強国になった中国にとり無用の長物、歴史的遺跡になった。

故宮と紫禁城                              映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督1987年)は「紫禁城」が舞台だった。清朝最後の皇帝である「愛新覚羅溥儀」の波乱に満ちた生涯を描いていた。幼少期の溥儀が皇帝として即位し、紫禁城での孤独な生活を送るところから始まる。その後、溥儀は清朝の崩壊とともに権力を失い、満州国の傀儡皇帝として再び権力を手に入れたが、最終的には日本の敗北と共に捕虜となり、共産主義中国の下で再教育を受ける。映画の最後では、溥儀がかつての権力者から一介の市民として生きる姿が描かれ、溥儀の波乱に満ちた人生が締めくくられる。 音楽は坂本龍一が担当していた。

天安門広場 
天安門広場に立つと真っ先に目に入るのは、大きな毛沢東の肖像と左右の二つのスローガン「中華人民共和国万歳」と「世界人民大団結万歳」である。建国の父、毛沢東は自信満々であろう。人民解放軍を名乗りゲリラ戦から内戦と抗日戦を戦い続けた綿入れの人民服と帽子は今では古き良き時代の思い出になった。

私の幼少期、1942年の青島は平和な町であったが中国人から「パーロ・ライライ」というコトバをよく耳にした。「八路軍」が来るという希望に満ちたコトバだった。「八路軍」とは中国人民解放軍の初期の名前だった。中国は自信満々の強権国家になったが、「中華千年の夢」は泰平である。大切にしてもらいたい。世界の平和に積極的に貢献してほしい。中国人民の優しい人柄は大好きだ。

 「青島ビール」を仲良く一緒に飲み、平和を語り合おう !!

(42 河瀬)中国、特に北京の変化は目まぐるしい。昭和の時代には「眠れる獅子」と言われた国が、America first & onlyでなく last & lonelyとなりそうな国を抜き、わずか30年で世界一になろうとしている。「世界人民大団結万歳」のスローガン通りに、今は死語になりつつある”Global”が世界平和をもたらしてくれるといいのだが。

(編集子)小生現役の時代が、河瀬兄の言われる ”グローバリゼーション”とやらの最盛期だった。アメリカの優良先進企業、という世間の評判にかけて、小生の勤務先もその具体化というか実行というか、にえらく熱心だった。ま、反対じゃないけど、あんたの言ってるのは globalization  じゃなくてcaliforniazation じゃやねえの? なんて思っていて、みんながなびいてる中で白眼視されたもんだ。世界が同じ、なんてこたあり得ない、と思っているのだが。これもまた、天邪鬼のひがみかねえ。