エーガ愛好会 (168) スティング

(安田)題名のスティング(Sting)は(蜂が、或いは針などで)刺すこと。文字通り、悪者をイカサマで騙し、刺す痛快な犯罪コメディー映画。

筋書きごとにイラストを使い短い言葉でストーリー展開を示唆したのはとても洒落ていた。その言葉は順番に、The Set-Up(計略)、The Hook (引っ掛け)、The Tale (筋書き)、The Wire(電信)、The Shut-Out (締め出し)、The Sting(信用詐欺)。それらの言葉を表す歯切れのよい陰謀含みのストーリー展開は2時間10分の映画を通して飽きさせない面白さがあった。

まず、驚いたのは主役の一人ロバート・レッドフォードの役名がジョニー・フッカー(Hooker)だったこと。Hookerは米:英国では誰でも知っている俗語で売春婦の意味。コメディー映画らしいユーモアに溢れている演出だと思った。実社会でも映画でもHookerの名前も持つ人を他には知らない。アメリカン・ニューシネマの代表作「明日に向かって撃て」で共演した主演のポール・ニューマンロバート・レッドフォードは、年齢的にもキャリア的にも脂が乗り切った男振りでアカデミー作品賞受賞に相応しい役どころを貫禄充分に演じた。11歳年上のニューマンが兄貴役、レッドフォードがやんちゃな弟役をこれ以上のコンビはいないと思わせるほどに好演したと思う。世界恐慌後のすさんだアメリカ社会の底辺を舞台に、マフィアのボスを相手に、二人が知恵を絞ってplotを駆使していく様子は痛快。騙される・刺される悪役はイギリス人俳ロバート・ショウが演じた。「007 ロシアより愛をこめて」のボンドを脅かす怖い刺客役、更には「バルジ大作戦」の敵方ドイツ軍の戦車部隊長役に続いて、馴染みのある風格ある憎まれ役を主役二人に位負けせず堂々と演じたのが印象的だった。

笑いを誘う計略・陰謀・詐欺まがいの愉快なシーンの連続であった。大がかりな偽馬券売り場を造ったり、仲良くなった料理店の女給仕が実は敵方の殺し屋だったり、想定を超える演出が散りばめられていて楽しめた。だが、流石に映画エンディングの結末には驚かされた。まさか、FBIまでもが騙しストーリーの片棒を担いでいたとは魂消た。テーマ曲「エンターテイナー」も禁酒法時代の雰囲気にピッタリで、痛快な映画を軽やかに盛り上げていた感を強くした。

(船津)「騙す」騙されはイャってほどあじわいましたが、まぁこのぐらい軽快に騙せば良いなぁ!!!!

(相川)「スティング」は 私のお気に入りです。 「楽しくなる映画」です。ピアノ演奏で始まる「エンターテイナー」もよかった。最近この手の映画は見かけなくなりました。

(保屋野)掲題、初めて観ました。愛好会の「映画ベストテン+5」でも3票入っていましたね。チビ太の感想に、ほぼ同感です。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードという名優の競演とテーマ曲、傑作の一つだと思います。 ただ、ストーリーは、(用心深い)ギャングの親分が、殺し屋を差し向けた詐欺師に、簡単に騙されたり、とちょっと無理筋もありましたが、まあ、総じて、現代でも通用するコメディータッチの「犯罪サスペンス映画」でした。最後に、もちろん、FBIの連中も「分け前」をゲットしたのでしょうね。禁酒法時代ならではのエーガでした。

(児井)貴君発案の映画「スティング」談議。小生も初演を懐かしく思い出しながら、今回も楽しく観ました。皆さんの感想文も興味深く拝読。随所に共感を覚えました。脚本と云い俳優陣の熱演と云い今でも色褪せぬ流石アカデミー賞受賞の傑作ですね。小生一押しの愛好映画の一作です。

(小泉)何回か観たので、敬遠するつもりだったが、gisan の一言で、また観てしまった。何回観ても面白いものは面白い。アカデミー賞に10部門ノミネートされ、作品賞、監督賞等7部門で受賞している。特に歌曲編曲賞受賞のマービン・ハムリッシュが、ラグタイムの父スコット・ジョブリンの曲エンターテイナー等
をピアノ演奏と編曲で蘇らせ、30年代のシカゴの雰囲気を再現させた。監督のジョージ・ロイ・ヒルは、「明日に向って撃て1969」では、同じポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演で、従来の西部劇には見られなかったモダンな感覚で描かれたアウトローの逃避行は、新しさと回顧という本来正反対の感覚を同時に与えたものだが、この映画でも、旧き良き時代を再現させながら、悪事を犯しはするが、実際は極度に善良な人物を描き続けることでモダン感覚とノスタルジーに溢れた人物に魅せられながら、爽快なコンゲーム(信用詐欺)を展開させるのだった。レッドフォードが床屋、服屋を経て田舎者者から一挙に都会人風に変身し、ニューマンに会いに行くと娼館に身を寄せながら、メリーゴーランドの修理屋で泥酔者が翌日には、バリッとした紳士に早変わりするところから始まり、騙し合いの連続。ニューヨークの大ボスあの「007ロシアより愛をこめて」の悪役ロバート・ショウをかもるがための大作戦。悪役ぶりが画面に出ていないこともあり、あまりにもコテンパンのやられ方に、逆に同情してしまった。

(編集子)各位それぞれに楽しまれた様子、何より。 このように洒落のめした大傑作にケチをつける気は毛頭ないのだがどうしてもわからない点がある。正解をお持ちの方に教えていただければ小生もこの作品の称賛グループにいれていただく。

始めの方で、部下の失敗に激怒したショウが、側近の部下にその男を ”セレーノに殺させろ” と命令する。ストーリーはこのシーンはすっかり忘れられたように進行するのだが、後半、フッカーをつけまわすチンピラが裏通りで射殺される。その最後にその男が相手を ”セレーノ!” と呼んだまま絶命するのだが、このシーンでセレーノの姿は画面に出ない。此処で見るほうは最初の話を思い出すのだが、最後近く、フッカーが一夜を共にした娼婦の家から出てくると、先に出ていたはずの女が後ろからやってくる。その方へフッカーが戻りかけると背後から銃声一発、この女の眉間に赤い穴が開き、FBIらしき男が登場して女の右手に握られていた拳銃を示しこの男がショウの言っていたセレーナ、の正体だと明かす。此処で観衆ははじめてセレーナが女だったことを知る、という事になる。

ディミトラ・アーリス

見事な筋書きに文句など言う気は毛頭ないのだが、ここで疑問が二つ。セレーナがピストルを装填するシーンは(腕だけだが)直前に示されるので、殺意を持っていたのは明らかだが、はて、だれを撃つつもりだったのか。フッカーならば前夜にいくらでも機会はあったし、第一彼を助ける手助けをして、しっぽり一夜を過ごしている。もう一人の殺し屋もフッカーをつけねらっていたのだから、そうではないのだろう。では誰か。もう一つ、彼女を撃ったFBIは本物のはずだが、この大芝居に参加しているFBI の連中はホンモノだったのかそうではなかったのか。もしホンモノだったとしたらその中の一人だったことになるのだが、見るほうでは区別のしようもない。どうやら小生だけではないようで、グーグルの彼女についての解説記事にも ”フッカーの逃亡に手を貸す” というのもあるし、”フッカーを殺そうとして撃たれる” という解説もある。また、彼女を射殺した後、声だけだが彼女が恐るべき殺し屋だった、と撃った男が解説するのだが、それがFBIなら彼もフッカーを追い続けていたはずだから、それならなぜその場で、フッカーを逮捕しなかったのか。

稀代の傑作の余韻を惑わすようで申し訳ないが、ミステリの合間にしか生活空間がないコロナごもりのせいとご寛容ありたし。 またこの役のアーリス、たしかにどこかで見た覚えがあるのだが、グーグルにのっている出演作品はどれも見た記憶がない。どこまでも小生にはよくわからん女性である。もし、彼女出演の映画なりTVドラマなり、ご存じの方がおられればご教示をいただきたい。

八ヶ岳山麓会ゴルフ報告   (42 下村祥介)

北の杜カントリークラブ

(42下村)お陰様で昨日は皆さん元気でケガもなく、無事にコンペを終えることができました。5人となったためゴルフ場を北の杜カントリー倶楽部に変更、拙宅の隣りに山荘を構え日ごろから行き来をしている上智大ワンゲルOBの方に加わってもらい6名でプレー。あえてスコアには触れませんが澄みわたった青空にくっきりそびえ立つ甲斐駒、鳳凰三山、八ヶ岳を仰ぎ見ながらのプレーは最高でした。ジャイさんおっしゃる通り高原はもう秋の気配、1ホールで9も叩く悲惨なできごともありましたが、爽やかに吹きわたる涼風が慰めてくれました。また是非ここでリベンジしたいとの皆さんの声。次回はぜひジャイさんも交えてプレーできたらと楽しみにしております。

(50家徳)白内障の手術後初めてのラウンド。若返った視力で素晴らしい景色を満喫しました。ゴルフのスコアの方は散々でしたが、前夜祭、往復の車中を含めてとても楽しい時間を過ごすことが出来大満足です。

(42菅谷)真っ青な空のもと、甲斐駒ケ岳を見ながらプレーできて最高でした。愛しき日々練習しておきます。また日帰りワンデルングでお会いしましょう。

(43猪俣)絶好のお天気のなか、楽しくプレイができました。設定に感謝しています。また、下村邸での前夜の懇談、会食でも大変お世話になりました。ありがとうございました。
お開き後、草津温泉に向かい、17時半過ぎに到着しました。早速、島君と合流
し一杯やりました。

(40藍原)冷涼なな所で二日間過ごし、体も・心もしっかりと持ち直しました。下村山荘は標高1400m、気13℃、酒盛りも進み、楽しませてもらいました。北の杜カントリーは南アルプス・八つ岳・奥秩父の山々に囲まれて風光明媚 抜群でした。又企画していただくことを期待しています。有難うございました。

(編集子)南八山麓にセカンドハウスを持つ42年下村君と小生と二人が企画、卒業年度を越えたOB仲間で一夜の楽しい酒盛りと小淵沢カントリでのラウンドを毎夏やることになって今年で3回目。当初8人の予定だったが諸事情で二人が不参加、そしてあろうことか幹事の小生もトラブルがあって最後の最後で参加できなくなり、結局KWVOB 5人と下村君ご友人にピンチヒッタでご参加いただき、場所もゲン直しに(?)南麓の大展望で有名な北の杜CCに場所替えしてのプレーだった。来夏、果たして小生がまだラウンドできるかどうか怪しいのだが、少なくとも前夜の酒盛りだけは盛大に拙宅で、と思っている。 各位、幹事どたキャンのご迷惑、ご寛容いただきたく。

乱読報告ファイル (28) ”歴史の終わり” の後で

米国の政治経済学者フランシス・フクヤマは1989年、ベルリンの壁崩壊という事件の後、旧ソ連が崩壊した世界を考察し、自由民主資本主義がそれまでのイデオロギーの闘いに終止符を打った、と考えて 歴史の終わり を書いた。しかし現実はその後も彼の予想通りには進展しなかった。そして今、ロシアによるウクライナ侵攻という事件に遭遇しているし、地球規模のコロナ・パンデミックという予想もしなかった事実に直面している。”歴史の終わり”という表現そのものの持っていた意味はなんだったのか、という疑問を持つ人もたくさんいるに違いない。良くわからないながらもこの本を読み、それなりに納得していた小生もその一人だが、タイトルもズバリとその疑問に答えようとしている本書を非常に興味を持って読んだ。

本書はノルウエイの経済学者マチルデ・ファスティングとフクヤマとの対談という形式で書かれていて、結果的にはフクヤマの持論の総まとめという形になっている。本書が展開する議論を完全に理解することは小生ごときの及ぶ範囲ではないが、それなりに消化し得たと思う点をまとめてみようと思う。

”歴史の終わり“ で主題となった自由民主主義国とは何か。フクヤマはそれを構成する要素が三つある、と定義する。すなわち、国民に必要なサービスを提供し、体内的にも対外的にも国を守れること、法の支配すなわち国の権力を制限して合意されたルールに従って国家が合法的に振る舞うこと、第三が国家の行動が国民の関心を反映しているかどうかを明らかにする説明責任(アカウンタビリティ)の存在である。権力を制限して市民を公平に扱う自由主義的な制度と国民の意志が反映される仕組みともいえる。それらが確立し長期にわたって機能してきたのが米国だった。ニクソンがそれに挑んでウオーターゲート事件を引き起こしたけれども、彼は自分の国の司法制度を攻撃するようなことはしなかった。嘘もついたけれども大統領としての説明責任を逃れようとはしなかった。この米国が培ってきた立憲制度を公然と破ったのがトランプであり、法律と憲法の制度を軽視する同様の風潮が世界的に拡大しているとフクヤマは指摘し、その傾向をアイデンティティによる政治、と表現する。ある特定の観点から自己主張を強行するグループによる政治、といってもいいのだろうか。米国でいま起きている分断現象はトランプの アメリカファースト なるものが結局は米国が移民や外国人から攻撃されている、という論旨にすり替わって狭隘なナショナリズムに変わっていった結果だろうが、同じことが英国のEU離脱であり、ヨーロッパではあちこちの国で起きているトランプ流のポピュリズム政治だ、と結論する。これはまさに 歴史の終わり で示唆した自由民主義の敗退にほかならない。

フクヤマは民主主義というしくみは自由主義のもとでだけ起き得る制度ではなく、権威主義の下でも実現される、という。ベルリンの壁 の崩壊が歴史の転換点になった、という事からすると理解しにくい論理なのだが、この50年近くの時間経過によって、権威主義国家での生活を体験した人々の数がすくなくなってきて、壁の向こう側、東ドイツの人々が体験した問題そのものが理解されにくくなっていることをフクヤマは指摘する。また、彼の思想体系そのものの変化があったことを認めていて、その根源にあるのが、資本主義経済学がその理論展開の基本としてきた人間の合理性のほかに、人間の情緒性とか特有の文化とかの、従来の理論では非合理的とされ、排除されてきたファクターが表面化してきたこと、人種や宗教やジェンダーなどといった事象を無視し得なくなった現在、彼が前提としていた自由民主主義、なるものもまた変化せざるを得ない。さらにディジタル技術とかバイオメディカル技術などが現時点では想像もできないような社会的変貌をもたらすだろうことも予見しなければならない。

実際にこの半世紀に自由主義陣営に起きた二つの事件、イラク戦争と世界金融危機はいずれも特定の保守的な思想から生まれたものであり、現在世界が直面している格差問題(その延長に来る発展途上国と先進国間の種々のギャップ)の遠因でもある、とフクヤマは指摘する。最後の課題は主義主張のいかんを問わず人類全体が直面する環境問題にもつながっていくわけだが、この課題解決のために国ぐにの仕組みはどうなっていくのか、その処方箋はフクヤマにもまだ見えていないようだ。

(菅原)「歴史の終わり」も「“歴史の終わり”の後で」も読んでいません。また、読む気力もありません。ですから、以下、皮相的になるのを覚悟で一席。

実際には、「歴史の終わり」の見立て通りにはならなかった。これを、現実が間違っていたと言う人もいるかもしれませんが(こう言う輩もいるんだよね)、フクヤマはどうもそこまでは言っていないようだ。しかし、物事が、学者の見立て通りにならなかったら、それに対する、その人の身の処し方はどうあるべきなんでしょうか。ボンクラな小生には、この辺が良く分かりません。

 

ル・コルビジェ展が開かれています  (普通部OB 舩津於菟彦)

ル・コルビジェ展-調和に向かって  20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した国立西洋美術館本館は、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。開館60周年を記念して開催される本展は、若きシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエの本名)が故郷のスイスを離れ、芸術の中心地パリで「ピュリスム(20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した本館は、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

開館60周年を記念して開催される本展は、若きシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエの本名)が故郷のスイスを離れ、芸術の中心地パリで「ピュリスム(純粋主義)」の運動を推進した時代に焦点をあて、絵画、建築、都市計画、出版、インテリア・デザインなど多方面にわたった約10年間の活動を振り返ることで、初期から最近の作品までが展示されています。初期は画家である「ジャンヌレ」-ル・コルビジェ-が「ピュリスム(純粋主義)」のモダニストとしての絵画からピカソなどのキュビズム運動の影響を受けて変化していきます。彼の設計した国立西洋美術館はコルビジェの他の建築とともに世界遺産に登録された処で彼の回顧展が開かれたわけです。
国立西洋美術館は上野駅公園口からずくですので酷暑の避暑場所にはもってこいです。常設展とともにゆったりと「真夏の夜の夢」を如何でしょうか。

小生が渋谷から学校に通っていたころ渋谷駅前にコルビジェ門下生の設計の東急文化か会館が作られ華々しく披露されました。当時の館内も豪華で夢のような建物で、映画芝居を上演するための「パンテオン」の舞台の緞帳は見事な川島織物の緞帳でした。

建物は、日本を代表する建築家・坂倉準三(坂倉建築研究所)が設計を行い、舞台機構の設計については森平舞台機構株式会社(通称・モリヘイ)、施工は清水建設が担当し、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階・地上8階・塔屋3階建でした。4つの映画館、美容室、レストラン、書店などの店舗が入り、特に屋上にはプラネタリウム「天文博物館五島プラネタリウム」が設置されたこともあり、東京の名所として修学旅行のコースに組み込まれるほどの人気を博したものです。当時の国鉄渋谷駅東口は、東京都電のターミナルであったことから、交通の混乱を避けるために、開業と同時に歩道橋が作られ、東急東横線の改札口から段差なしで文化会館にいくことができました。

坂倉準三とコルビュジェ

緞帳作りはル・コルビジェと坂倉順三は師弟関係にあって、坂倉はその願いを師に託したのでした。コルビジェは、避暑地の南仏にてこの大作の創作に掛かり、昭和31年11月お披露目されました。ピカソのゲルニカのように観る人が太陽と月をイメージしたり如何様にも解釈できるモノでした!惜しくも現存せず、レプリカがヒカリエにあります。

内海哲也引退 ー 巨人の星がまたひとつ去った

今朝の新聞は西武に移籍していた内海哲也の引退を報じた。小生がジャイアンツ戦のテレビ放映を見始めたのはまだ ”実況放送は越智正典、解説中沢不二夫” のころ、小生は高校2年。当然白黒テレビで画面構成もシンプルなもので、浅海昭なんかと一緒に観ていたりした記憶がある。当時の若者のスポーツは野球がほとんどだったが、自分自身で積極的にやったわけではなかったし、実際にジャイアンツを当時の後楽園に見に行ったのは一度だけ、仲の良かった平光清が主審をつとめた対カープ戦を見に行った経験しかない。当日はごひいきの淡口憲治がホームランを撃ち、試合終了で引き揚げる平光と座席から挨拶をしあって満足して帰宅したものだった。

その後もテレビ専門での一ファンにはすぎないが、2000年度最終日、同率で迎えた対中日戦、土壇場の9回裏に 4-0から満塁とし、江藤がドラマチックに満塁ホーマーで同点、興奮がまだ渦巻いている間に二岡が右翼席に決勝弾を撃ち込んだゲームとか、坂本の初ホームランとか斎藤の初登板(リリーフ)などというようなファンにとっては意味のある場面も見ている。その中で内海を初めて見たのがどういう場面だったかは覚えていないのだが、アナウンサーが(このピッチャーはどんなもんでしょうか)と聞き、解説が(まあまあじゃないですか)と無難

山口引退のときのシーン

に答えたのだけはどういうものか覚えている。その後ごひいきにしたのは山口鉄也で、この ”ふたりテツヤ” が活躍したころは見るほうでも納得することが多かった。

プレーヤーとしての技量をうんぬんする能力は小生にはないので意見は差し控えるが、テレビ画面からも伝わって来る人柄の良さ、温厚な中に秘めた闘志、というようなものがとても好きだった。そういう意味ではいくら勝とうが好きになれなかったのが沢村であり上原だった。

スポーツ観戦、というのはもっとゲームとかプレーとかに集中すべきだと思うので、人柄、などをうんぬんするのは邪道だとは承知の上の回想である。好漢、今後の健闘をいのるや切。

 

 

 

 

エーガ愛好会  (167)燃える平原児

全く偶然に放映を知り、そのまま見続けてしまった。小泉論文が届く前に一言書いてみようか。

プレスリーの映画はかの ブルーハワイ 以来、見たことはなかった。エレガント志向なのに田舎のあんちゃん的雰囲気が好きで、カントリーソング系はずいぶん聞いたが、映画人としてはイメージがわかなかったからだ。

出てくれば大体悪役が多いジョン・マッキンタイアが珍しく善玉の見本みたいな

, John McIntire

役で、またいろんな作品で2列か3列目の助役しか見てこなかったスティーヴ・フォレストが実質的な主演というような位置づけの、いくつかほかにも例のある先住民族対白人、というアメリカ西部特有の禍根がストーリーの主軸になっている作品だ。同じ人種差別と言っても白人対黒人、という場合が黒人が未開地から、初めから奴隷としてつまり劣等人種としてとらえられてきた結果でいわば表面化がしにくかった(つまりつい昨今まで、人種間の現実の戦闘行為はなかった)のに対し、

Steve Forrest

先住民族の場合は当初は恩恵を受けていながら白人種が一方的に敵視に転じ、”フロンティア開拓” などという一方な政策の結果、血みどろの戦闘を生みそれによる生死の遺恨がある、という歴史がある。その間には有名な ウーンデッド二― の悲劇やかずかずの、白人が引き起こした数々の史実は明らかにジェノサイドであり、今日米国が振りかざす人権意識など、いわば (良く言うよ!)と思えてくる。ここのところ、安倍氏暗殺事件がきっかけとなったのか、また原爆記念日のこともあって、前大の回顧記事が頻繁に報じられる。アメリカがもし相手がドイツだったら決して原爆は投下しなかっただろう、とはよく言われることであるが、そんなことまで思いを馳せてしまった、小生にとってはある意味で後味の悪い映画だった。セーブ劇、としての爽快感もないしガンファイトの場面なども月並みの、小生の眼からは二流の作品だった。もちろん、わが ”エルヴィス“ くんに(それほどの)落ち度があるわけではないのだが。

ウーンデットニーの虐殺

1890年、アメリカの騎兵隊によって約350人のインディアンが虐殺された事件。インディアンの組織的抵抗の最後となった。 1890年12月、アメリカ中西部のサウスダコタ州、ミシシッピ川の支流ホワイトリヴァーの河畔のウーンデットニー Wounded Knee (傷ついた膝)で、アメリカ合衆国騎兵隊によって、スー=インディアンの約300人が虐殺された。1830年のインディアン強制移住法に始まるアメリカ合衆国によるインディアンに対する殲滅作戦はほぼこれで終結し、インディアンはその後、各地の居留地に収容されて生活を続けることとなる。これは、アメリカにおけるフロンティアの消滅を意味している。

(小泉)エルヴィス・プレスリーが、主演した西部劇。先日公開された映画「エルヴィス」で再び歌手としての名声が呼び戻ったが、映画出演も生涯33本にも及んでいる。本人は当初演技派を目指し、映画内の歌には興味がなかったというが、制作する方は、ミュージカル風の明るい青春映画で挿入歌付きのもの「GIブルース1960」「ブルーハワイ1961」「ラスベガス万歳1963」や「エルヴィスオンステージ1970」「エルヴィスオンツアー1972」等といったコンサートのドキュメンタリー的に記録したものが多かった。しかし出演した西部劇3本「やさしく愛して1956」「燃える平原児1960」「殺し屋の烙印1969」は歌よりも演技に力が入っていた。特にこの映画は、あのクリント・イーストウッドを開眼させた「ダーティ・ハリー1971」の監督ドン・シーゲルの作品らしく、硬派な作りで、無駄のない構図と編集で緊張感がみなぎる。

白人の父、カイオワインディアンの母から生まれ、両方の血を受けた次男ベイサー(エルヴィス・プレスリー)の葛藤と覚悟を人情劇というよりも、根深い差別をテーマにしたアイデンティティという視点で描いている。一家の長としての存在感を示す父バートンをジョン・マッキンタイヤ、インディアンの母ネディをメキシコの大女優ドロレス・デル・リオ、白人の前妻との長男クリントをあのダナ・アンドリュースの弟スティーヴ・フォレストとその婚約者ロズリンをバーバラ・イーデンと脇役陣を演技派で固めている。

イントロの長男クリントの華やかな誕生パーティシーンから一転、隣家がインディアンに襲われるシーンは白人の頭をかち割り、火矢で家屋が炎上する。タイトルから流れる主題歌Flaming starとパーティでギター片手に唄うカントリー・ウエスタン調の曲のみがエルヴィスの歌唱で、俳優業に専念したいという意思の表れがその演技の中に表れている。酋長が白人との戦いを決意したバッファロー・ホーン(ロドルフォ・アコスタ)に代ったことから、白人とカイオワ族との和平を探るベくペイサーと母ネディが部落へ出向き折衝するも不調、その帰り、白人に母が撃たれるも、医師の派遣を拒んだ白人たちをペイサーは恨むことになる。また父バートンは一人牛を運ぶ途次、酋長の意に逆らったカイオワ族の戦士たちに撃たれてしまう。母の仇として白人を憎み父の仇としてインディアンを憎んだ男が最後には、白人の兄への希望を託し伝承通り死んで行く。

原名Flaming Star光り輝く星とは、インディアンは死を迎えるときに輝く星を見るという言い伝えから来ており、母親も、ペイサーも輝く星を見たことで死んで行く。白人と結婚したことで同族からも蔑視された母親。ペイサー最後のセリフ、「いつか偏見のない時代が来る筈だ。死の星が迎えるのを見た。丘へ行って死ぬよ。」この映画を観ていて、白人とインディアン両者の立場を公平に描いている点は評価するが、どうにも、善悪どちらの肩を持つのか、出来ないのは辛い。スッキリしないのだ。エルヴィスとしては、人種間の誤解や不寛容さに若者特有の悲しみをたたえた表情で苦悩する青年を渾身の演技で表現していたといえるのではないか。

(小田)歌のシーンが多く、女の子に囲まれてニコニコしているエルヴィスと違い、25歳の若々しく、真剣に演じているエルヴィス……素敵です。お兄さん役の《スティーブ·フォレスト》も知的な感じで良いですね。

荒涼とした西部とエルヴィスのビシッと決まったヘアスタイルはちょっと不自然な気もしますが…。エルヴィスの歌はロックより、映画の挿入歌が好きですので、《Flaming Star》はよく聴いています。
(安田)エルヴィスが34本も映画出演したとは知りませんでした。25歳のエルヴィス初々しく溌剌として、俳優一本でも大成したのでは。ミッキーさんの “西部の荒野と彼のリーゼントスタイルのアンバランス” 言い得て妙です。同感です。
白人と先住民との混血役ピッタリ。考え抜いた末の邦題でしょうが、彼の歌う主題曲「Flaming Star」は良かった。

乱読報告ファイル (27)  朝井まかて と鴎外  (普通部OB 菅原勲)

ここのところ女流作家、朝井まかてに入れ込んで、「白光」(イコン画家、山下りんの伝記小説)、「類」、「福袋」(短編小説集)と続けざまに読んだ。この「類」と言うのは、森鴎外の子供たち、オットー、マリー、アンヌ、フリッツ(夭折)、ルイの末っ子、類のお話し。

鴎外の先妻の子であった於莬は、長男らしく医者になったが、この類は、何も職を持たず、相続した鴎外の印税を食いつぶした高等遊民。しかし、世の中よくしたもんで、奥さんは極めて出来た人で、自分の嫁入り道具を質に入れるなど典型的な糟糠の妻。それが亡くなったら、直ぐに後妻を娶る。この辺から、ボンクラな小生、主人公に感情移入するのが苦しくなった。結局、類は「鴎外の子供たち」(小生、読む気は全くありません)って本を書いて、兄弟のことを赤裸々に描いてしまい、それまで極めて仲が良かった杏奴からは終生、絶交状態。

どうも於莬と鴎外の後妻とは仲が良くなかったらしい。と言うより、後妻の志げが於莬を嫌っいたのが事の真相のようだ。でも、於莬は長男らしく、最後まで一家の面倒を見たようだ。

森鴎外は、林太郎が外人には発音しにくいことから、子供にオットー以下の名前を付けたそうだが、そこまで外人に阿る必要は果たしてあったのだろうか。例えば、RobertはBobだから、林太郎はRin/Linでも良かったんじゃないか。この辺はいささか納得できない。

そこで思い出してみれば、鴎外の作品は「山椒大夫」、「高瀬舟」しか読んでいない。そこで一念発起、「青年」を読み始めた。余り面白くない。と言うより、5歳も年長の鴎外が漱石の「三四郎」の向こうを張るなんて大人気ないとしか思えない。どうも鴎外は糞味噌だ。でも、巷では、日本を代表する大作家のようだ。

(金藤)森鷗外の作品、といっても私は現代国語で、近代日本文学の作家と代表作として                                 森鷗外   舞姫 高瀬舟    徳冨蘆花  不如帰 泉 鏡花  高野聖 二葉亭四迷 浮雲   などと作家の名前と作品名だけ覚えただけで、本は読んでおりません。

ただ森鷗外の子供達の名前は、授業中 参考資料に出ていて他にはどんな名前があるかしら? エミーとか?メイとか? リナ ルナは?などとお喋りしていました。 今では普通ですね。
 長男 於菟 おと オットー
 長女 茉莉 まり マリー
 次女 安奴 あんぬ
 次男 不律 ふりつ フリッツ
 三男 類  ルイ
この命名の仕方は森鷗外の孫たちにも伝わっていて、長男 於菟の子供の名前は
 長男 真章 マスク (鴎外 命名)
 次男 富  トム  (鴎外 命名)
 三男 礼於 レオ
 四男 樊須 ハンス
 五男 常治 ジョージ
森鷗外の愛娘 森茉莉の息子の名前もユニークでした。山田 𣝣 (父親と同じフランス文学者) じゃく と読むそうですがシャクとしか読めませんし𣝣の字も大(だいかんむり)です。 Jack ジャックからでしょうが、この孫の名前も森鷗外が命名したそうです。
(下村)既にご存じかもしれませんが、鴎外について最近知ったことです。
一つは夏目漱石が修善寺で血を吐き深刻な事態におちいった、いわゆる修善寺の大患のとき。それを知った陸軍軍医総監の鴎外が部下の医師を派遣し、見舞ったという話です。同時代に文豪と称される偉人が二人もおり、両者の関係はどうだったのかが気になっていたのですが、長いあいだ気になっていたことが氷解しました。
二つ目は明治期の軍隊、特に陸軍で脚気が蔓延しこれが原因で亡くなる兵士が続出したときの鴎外の対応についてですが、元気の元は白米にあり白米さえ食べていれば病気にはならないはず、脚気の原因を細菌によるものと頑なに自説に固執し、兵士の食事内容を改善しようとしなかった。このため陸軍では脚気で亡くなる兵士が続出し、献立に洋食を取り入れたり麦飯を組み入れた海軍ではほとんど脚気が発生していなかったといわれています。軍医の最高の立場にあって、部下の進言にも耳を貸さず、科学的な検証もせずにいたずらに自説にこだわり続け、解決を長引かせてしまった罪は非常に重いと言わざるを得ないと思います。
ある分野で卓越した業績を上げるとその人はすべての面で模範の人物として評価されがちですが、100%完璧な偉人はいないという証左でもありますね。

エーガ愛好会 (166) ひまわり   (44 安田耕太郎)

第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。

戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描いた、もはや古典ともなった悲恋メロドラマ+反戦映画の秀作。もの哀しくも美しいメロディーの主題曲は映画音楽を沢山手がけたヘンリー・マンシーニ作品の中でも最右翼に挙げられる名曲だと思う。現在ロシアに侵攻されている、ウクライナの首都キーウから500キロ南、クリミア半島のすぐ北のヘルソン地方の地平線まで埋め尽くされた“ひまわり畑”は壮観で美しい。その美しさと引き裂かれた夫婦の悲惨な好対照の光と影には理不尽な無情感が滲みでている。

イタリア・ナポリ女の真骨頂、情熱的なソフィア・ローレンと、
ソ連版「戦争と平和」で衝撃的なデビューを飾ったスラブ・ロシア人の可憐なリュドミラ・サバリーエワの好対照が映画のテーマを鮮明に際立たせ、見応えがあった。
結婚間もなくソ連の戦場に送られ、極寒の地で凍死寸前に地元の美しい女性に助けられたローレンの夫役はマルチェロ・マストロヤンニ。このイタリア人美男スターは二転三転する運命に翻弄される難しい役を見事に演じた。過酷な戦争体験で記憶を失った彼は異国の地で彼女と結婚、子供を授かり幸せな生活を送る。
一方、イタリアに残された妻ローレンは夫の生存を信じ、終戦から8年経てスターリンの死後(1953年)、少し解放されたソ連へと夫探しに出かける。苦労の末、夫が暮らす家を探し当てたが夫は留守。だがそこで結婚した妻と子供の姿を目にする残酷な体験をして、ソ連をあとにしてイタリアへ帰る汽車を待っていると、その汽車から夫が降りてきて二人は距離が離れたまま見つめ合う。
記憶も甦り引き留めようとする夫だったが、妻は振り向きもせず汽車に飛び乗りイタリアへ向かう。列車内では絶望に打ちひしがれ独り号泣する妻の姿があった。
駅で別れた後、夫は放心状態になりロシア人妻との生活も“心ここにあらず”となる。妻は夫に問う「もう愛していないのですか?」と。暫く経って、彼は妻にイタリアへ行って会って来ると伝へ、ローレンへのお土産の毛皮を持参して独り旅立つ。イタリアに着くと早速妻の居所を探し当て訪ねる。妻に、悲惨な戦争と瀕死状態のため記憶喪失に陥り助けてくれたロシア人女性と結婚した致し方なかった事情を説明する。ローレンは半信半疑で「言い訳でしょう」、と返す。彼は真剣な面持ちで彼女に訴えかける「二人で元の結婚生活に戻ろう」と。その時、家の奥から幼児の泣き声が聞こえて来て、彼は頭が真っ白になるが、全てを悟り、新しい結婚生活を始め子供もいる彼女の元を去り、ロシア人妻のもとへ戻る決意をしてミラノ駅に向かう。エンディングはミラノ駅の駅舎ドーム建物が大写しで映画は終わる。監督は「自転車泥棒」の名匠ヴィットリオ・デ・シーカ。彼は映画「終着駅」(1953年)ではジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフトの悲恋メロドラマをローマの中央駅(テルミニ・終着駅)を舞台にして描いた。
(船津)「ひまわり」を皆様は観たのではのではと思います。泣けますね。戦争は色々な悲劇を生み、決してやっては成らぬモノのハズですが、ウクライナで連日同じ事を繰り返しています。平和のありがたみを熟々感じます。恋人とか妻を斯様な事にならずに済んで何よりでした。

駄作 ヒットラーの最後の12日間」も観ましたがつまんないなぁ。ヒディ奴だぁ。

(保屋野)監督、俳優、音楽、シナリオの4拍子揃った名作だと思います。特に、チビ太の写真にもあった、ロシア人女優(リュドミラ・サバリーエワ)が魅力的でした。

「ソフィア・ローレン」はイタリアを代表する女優ですが、「クラウディア・カルディナーレ」は「山猫」で観ましたが、未だ未放映なのが「ジーナ・ロロブリジータ」、彼女の映画も観たい。また、美人ではありませんが、「ジュリエッタ・マシーナ」の「道」~ジェルソミーナ役も良かった。

あの,ニノ・ロータのテーマ曲をトランペットを吹くシーンは忘れられません。(ひまわり、のテーマ曲は「ヘンリー・マンシーニ」でしたね。) 飯田さんから頂いた「刑事」もそうですが、イタリア映画は俳優、音楽等ハリウッドとは違った魅力があります。

(下村) 「ひまわり」はもう何年も前に見たことがありますが、あまりにも切な過ぎて今はもうとても見る勇気がでません。貴兄の解説の途中からもう胸を締め付けられるような感じになります。 年とともに涙もろくなり、ストレスに弱くなっているような気がしています。

(編集子)小生たちの年代がはじめてイタリア映画を意識したのは 自転車泥棒だったのではないかな。”イタリアンレアリズモ” なんていうエラソーな言辞をもっともらしく聞いていた時代だった。この “ひまわり” という映画のタイトルが、名前が思い出せないが、北方謙三のHB作品の中で主人公の背景を書く小道具として使われていたのを思い出す。

八ツ南麓:夏はそろそろ終わりです(グリンヴィラ総合管理ホームページから転載)

火曜日から次女が発熱してしまい、お休みしている間に長女が宿題を少しずつ進めていました。牛乳パックで楽器を作ったり、夏休みの作品をつくったり・・・

海で拾ってきた貝殻を使って小さな砂浜を作成。誰に似たのか女子力高めの作品となっております。学校の作品展から帰ってきたらどこかに飾ろうと思います。

(編集子)今朝の気温は24度を割るくらい。コロナ騒ぎで二た夏遠ざかっていたあいだ、また一段と緑濃くなったミズナラの葉っぱから落ちる雨粒が冷たい。明日から来るという台風でまた秋が近くなるようだ。

エーガ愛好会 (165) サンダーボルト  (普通部OB 菅原勲)

「サンダーボルト」(Thunderbolt & Lightfoot。1974年)を見る。確かこれで二回目の筈。

監督と脚本は「ディア・ハンター」(Deer Hunter。1978年)のマイケル・チミーノで、彼の処女作。主な出演者は、クリント・イーストウッド(以下、東森と省略)、ジェフ・ブリッジス、ジョージ・ケネディーなど。女優は、銀行強盗する際のブリッジスの女装以外は見るべきものなしの女っけなし。

銀行の金庫を20ミリ機関砲で破壊すると言う独特の手口で名を馳せたサンダーボルトこと東森が主人公。ご多分に漏れず仲間割れし、ケネディー以下から、東森が体よく逃げ出したところで、運よくブリッジス(Lightfoot)に助けられる。一方のブリッジスは、根無し草な生活を送るコソ泥。格好よく言えば、つまり、犯罪に熟練した朝鮮戦争世代の中年男と、当時ようやく終結したベトナム戦争世代の若者との奇妙な友情を軸に、米国中西部(主にモンタナ州)を舞台としたロード・ムーヴィーの形式で当時の米国社会を描いている。

なかでも、コソ泥を演じるブリッジスが良い。特に、湖畔で東森から彼の犯罪歴を聴くくだりは誠に秀逸。この時、ブリッジスはまだ24歳(1949年生)。しかし、その後のブリッジスは殆ど見ていない。

最後は、金を手に入れるのだが、その車中で、ケネディーに殴られた後遺症でブリッジスは死んでしまう。この辺が、チミーノの独特のところだろう。ハッピー・エンドの万々歳ではなく、寂寥感を残して終わるところが。東森は犯罪者なのだが、格好良すぎて様にならなかったが、ブリッジスは東森を圧倒した。

(編集子) 正統派西部劇の代表作、”真昼の決闘”は大御所クーパーが汚れ役とは言わないが彼の代名詞だった勇敢な正義の男、というイメージとはかけ離れた役で、リアルな描写が心に残る作品だったが、あとふたりの脇役の印象も深かった。一人はケティ・フラド、もうひとりがロイド・ブリッジス。ジェフ・ブリッジスも昨今評判が高いようだが親父の印象のほうが強いのはひいき目のせいだろうか。だがスガチューの感想には同感。