「冷戦史」(下巻―ベトナム戦争からソ連崩壊まで)を読む。青野利彦著、中公新書。2023年12月発行。
ベトナム戦争からソ連崩壊と言えば、正に同時代史に他ならない。従って、詳細はさりながら、その殆どは、こんなこともあったなーとの感慨にふけることとなる。
ただし、その中で特に興味をそそったのは、ソ連はM.ゴルバチョフの「ヨーロッパ共通の家構想」だ(それ以前にも、フランスはC.ド・ゴールの「大西洋からウラルまで」があった)。同じヨーロッパの中でも、ロシアがウクライナに侵攻している現状を鑑みると尚更のこととなる。有体に言ってしまえば、大西洋からウラルまで、東も西もヨーロッパは一つであり、そこには米国の介在は考えられていない。
ここでいささか長いが以下の文章を引用する。「・・・だが、西側とイデオロギーを共有しつつあったゴルバチョフが、強くヨーロッパ秩序への統合を望んでいたことを考えれば、冷戦終結期はロシア問題解決の大きなチャンスだったと考えられよう。しかし、この道はとられなかったのだ」。具体的に言えば、西ドイツのゲンシャー外相、フランスのミッテラン大統領も、ゴルバチョフに呼応する立場をとっていた。しかし、米国のブッシュ大統領(父)、西ドイツのコール首相は、NATOとEUと言う既存の枠組みの中でドイツを再統一するドイツ問題の解決を優先する道を選んだ。
歴史に「たられば」は禁句だろう。しかし、想像を自由に羽搏かせ、もし、ゴルバチョフが求めていたことが現実のものとなっていたならば(しかし、現在のロシアでは、ソ連崩壊の張本人であると見られ、その評判は極めて悪い)、少なくともヨーロッパは今とは全く違ったものとなっていたのではないだろうか、例えば、NATOの消滅。と言っても、所詮は寝言に過ぎないのだが。
歴史は一瞬の過ちが悲惨な結果をもたらす例には事欠かない。例えば、1938年はミュンヘンの宥和が、ヒットラー上等兵を増長させ、第二次世界大戦に繋がったように。