昭和歌謡 ベストテン とやらについて

(飯田)2月号の「文芸春秋」に、特集≪睡眠は最高のアンチエイジング≫が記載されているので買ってみました。常識的な事ばかりでがっかりしましたが、別に、五木寛之が編纂中の昭和万謡集≪私の昭和歌謡ベスト3≫の中間報告的な特集に目が向きました。各界の識者30人からの選曲回答と、読者103通からベスト10を選んでいます。読者が選ぶ昭和歌謡ベスト10の方を下記に紹介します。

  1. 藤山一郎「長崎の鐘」2、藤山一郎「青い山脈」3、田端義夫「かえり船」4、舟木一夫「高校三年生」5、並木路子「りんごの唄」同、春日八郎「別れの一本杉」7、竹山逸郎「異国の丘」同、岡晴夫「憧れのハワイ航路」、同、岡本敏郎「白い花の咲く頃」同、美空ひばり「津軽のふるさと」同、谷村新司「昴」12、井沢八郎「あゝ上野駅」同、美空ひばり「みだれ髪」

読者の選曲はいかにも戦中戦後派の物に偏っている気がしますが、各識者の選曲3つは少し面白い気がします。

(小田)昭和の名曲ベスト10は私より主人の好きな曲ばかりのように思います。

「長崎の鐘」は永井隆博士の随筆をモチーフに1949年、古関裕而が作曲、サトウハチローが作詞をしました。一昨年長崎を旅行した時、永井隆博士の記念館と、晩年子供たちと暮らした、如己堂(にょこどう)を訪れました。
博士は研究をしていた放射線から白血病にかかり、1945年6月、余命3年と宣告されます(キュリー夫人等も似ています)。妻に打ち明けて間もなく原爆投下にあい、博士は重傷を負いますが、3日間救護活動を続けました。
自宅に戻った時、台所で塊と骨だけになった妻を見つけ、バケツに入れ埋葬します。その後、寝たきりとなり、本を書いたりしながら、幼い二人の子供たちと、友人達が建ててくれた小さな如己堂で過ごしました。
得たお金で桜を千本贈ったり、長崎市にも寄付をし、ヘレン・ケラーや天皇陛下も病床を訪ね、教皇からはロザリオを贈られています。

私は歌は知っていますが、背景は知りませんでした。1位になっているのは、やはりこのお話をご存知の方が多いからかと思います。

(保屋野)昭和のベスト10ですか。女性歌手に限定すると、私の独断偏見ベスト10は戦後を明るくした3曲 ①りんごの唄(並木路子)②東京ブギ(笠置シズ子)③銀座カンカン娘(高峰秀子)美空ひばり~(難しいですが)④川の流れのように、島倉千代子~⑤この世の花、石川さゆり~⑥津軽海峡冬景色山口百恵~⑦秋桜、松田聖子~⑧赤いスイトピー」、ピンクレディー~⑨UHO」、私の好きな南沙織~⑩17才

(飯田)五木寛之の「昭和万謡集」の前提は、昭和の歌で後の世の中まで残したい曲ということのようなので、識者の選曲も自ずと違っていると思えます。例えば、植木等「スーダラ節」、坂本九「上を向いて歩こう」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」などが、複数の人が3曲の中に入れています。

(保屋野)男性歌手でのベスト10はどうでしょう。(フォーク系は除く)思い付くまま記すると、①長崎の鐘(藤山一郎)②星屑の町(三橋美智也)③お富さん(春日八郎)④上を向いて歩こう(坂本九)⑤君といつまでも(加山雄三)⑥まつり(北島三郎)⑦北国の春(千昌夫)⑧横浜たそがれ(五木ひろし)⑨勝手にしやがれ(沢田研二)⑩北坂場(細川たかし)か襟裳岬(森進一)

(菅原)ベストと言っても、所詮、好き嫌いの問題だから、十人十色。今、思いつくところでは、男では、小林旭(北帰行)、女ではちあきなおみ(喝采)。飯田さんご指摘の、植木等のスーダラ節。入社当時を思い出すなー。

(編集子)物心ついた(?)ころ、ラジオで流れていたのは ”港の見える丘” に ”湯の町エレジー” に ”異国の丘” なんかだったかなあ。