甑島(こしき島)ってご存知ですか  (42 保屋野伸)

甑島(こしき島)ってご存知ですか。鹿児島の西30kmにある(国定公園)甑島列島です。4年前に下甑島と中甑島が「全長1500mの甑大橋」で結ばれ、上甑島含め3島が繋がったことで、人気が高まった隠れた超穴場観光地です。同期の(島ハンター)大場君に誘われて夫婦4人で(線状降水帯のかかる)21日から2泊で行って来ました(クラブツーリズム~12名)。

川内港から高速船で下甑島に上陸、2日目に下甑島観光・・・高さ120mのナポレオン岩→高さ55mの観音滝→高さ200mの鹿島断崖(添付)等、素晴らしい景観と「鹿の子ゆり」(添付)や「カンゾウ」、「合歓」、「浜木綿」、「紫陽花」等の花も奇麗で、充実した1日を楽しみました。

ただ、3日目は海が荒れ高速船が運休となってしまい、急遽、上甑島の観光をあきらめ、朝のフェリーで串木野に向かい、幕末の薩摩藩英国留学生(五代友厚、森有礼等)記念館や大谷の兜で有名になった「甲冑工房丸武」等の見学をして夜の便で帰りました。天気は(予想外に)まあまあで、3日間一度も傘をささずに済みました。

(42 河瀬)思い立ったらすぐ行けるのは元気なワンゲルご夫婦の典型。この梅雨時に行けただけ幸運!

甑島、面白そうですね。グーグルマップで見ると結構大きな島で入江と断崖が多く、日本の秘境らしい。島には民宿はないのですね。
私たちも今後は秘境の島巡りをしよう、と思っているので、行ってみたくなりました。鹿児島県には硫黄島という別の秘境もありますがまだ行けそうもない。
この7月下旬に伊豆七島の神津島に中等部の古い友人と60年ぶりに再訪しますので、そのうちメールで報告します。
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(薩摩川内市案内文)

鹿児島県薩摩半島から西へ約30キロ。東シナ海に浮かぶ上甑島・中甑島・下甑島と縦に3島を連ねる甑島は、国定公園にも指定された風光明媚な離島です。 東京から鹿児島空港へ飛行機で約2時間。その後、甑島へは本土の港(川内港ターミナル・串木野新港)から船で向かいます。高速船甑島(川内港ターミナル発着)で約50分、フェリー(串木野新港発着)で約75分の船旅も、これから始まる大自然あふれる甑島への旅路を彩ります。 青い海、緑の山々、新鮮な海の幸、そして素朴で人懐っこい島人が皆さんをあたたかくお出迎えします。上甑島・中甑島・下甑島と縦に3島を連ねる甑島列島。 地形などの違いから各島で違った表情を楽しむことができます。 古くは8000万年前(白亜紀)の地層から形成された断崖や巨岩は圧巻です。

(ウイキペディア解説)甑は、古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。需とも。竹や木などで作られた蒸籠と同じく蒸す調理のために用いる。

 

エーガ愛好会 (274) アメリカ交響楽  (学生時代クラスメート 飯田武昭)

漸く、以前から気になっていた「アメリカ交響楽(1945年製作)」を観ました。
小泉さんが、そもそも≪ラプソディ・イン・ブルー≫及びガーシュインが尤も好きな音楽!?と思われたきっかけの映画と言われる理由が充分に理解出来ました。

この映画「アメリカ交響楽」に出て来る音楽演奏シーンは、ざっと次のような順番で、この種の音楽家の半生を描く伝記映画としてはそれぞれのシーンが長いのと会話シーンでもガーシュウインの曲がBGMので流れているので、音楽好きには大いに楽しめる作品です。しかも、ガーシュウインの音楽は所謂、ホットジャズ(即興演奏を主体に熱狂的に演奏する音楽)なので、益々、その効果は高まると思いました。

・アル・ジョルスンがステージで歌う “Swanee”
・ステージショウの “S.Wonderful”
・男女のボードビリアンが歌いタップダンスする “Somebody loves Me”
・ステージショウ “Blue Monday Blues”

(ブロードウエイでヤッシャ・ハアイフェツ、ジェローム・カーン、ラフマニノフ等が車から降りて来るシーン)

・エオリアン・ホールでフルバンド演奏(約14分) “Rapsodie in Blue”
・パリのクラブで女性歌手(ヘイゼル・スコット)の弾き語り “The Man
I Love  “&”“グランド・カリフォルニア・ヤンキー・ドウドルドウウ”(ラヴェルとカフェで談笑&ピアノ演奏)
・オスカー・レヴァント&ガーシュインの掛け合い “Somebody  Loves Me” “Someone to Watch over Me“
・巴里の雑踏の映像&N.Y.カーネギーホール演奏 “An American in Paris”
・父親の死の直前に “キューバ序曲”
・ガーシュインとレヴァントとの弾き語りで “??“
・ブロードウエイで歌劇 “ポーギーとベス”公演
・ロスアンゼルス・フィルと “ピアノ協奏曲ヘ長調 ”
・ニューヨーク演奏会場でオーケストラとオスカー・レヴァント演奏中にガーシュウインの訃報

“ピアノ協奏曲”&“Rapsodie in Blue(約5分)”

ジャズ系の音楽家の半生を描いた映画若しくはジャズ音楽そのものを描いた映画は私も大変好きですが、他には、グレンミラー物語、ジョルスン物語、歌え!ロレッタ 愛のために、ニューオルリンズ、エディット・ピアフ、ヒットパレード、五つの銅貨、我が心に歌えば、ベニーグッドマン物語、ハロー・ドーリー、わが心に君深く、学生王子、などの名作を思い出します。

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(余計なことだが例によってウイキペディア解説いわく)

アメリカ交響楽ロバート・アルダジョーン・レスリーアメリカ合衆国が生んだ偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィンの生涯を描いた傑作伝記映画。ニューヨークのレミック楽譜出版社にある日ジ ョージ・ガーシュインという若者がピアノ弾きとして雇われてきた。彼の仕 事は朝から晩までこの店の楽譜をお客に弾いてきかせることだった。まもなく彼の作曲した「 スワニイ」はブロードウェイの人気者アル・ジョルソンに認められ、ジョルソ ンの「シンバッド」で唄われたこの曲は作曲家ガーシュインの名とともにたちまち全 米を風靡した。 レミックの店で知り合った歌手ジュリイも彼の「本当に素晴らしい」を唄 って人気をたかめ二人の間は急速に親しさを増していった。やがて彼に注目したボ ール・ホワイトマンは、ジャズ交響楽の作曲を依頼した。彼は3週間を費やしてひとつの曲を作り上げた。 ついにアメリカ音楽史に1頁を画する記念すべき日が訪れた。1924年2月12 日、不朽の傑作「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏が終わったときエオ リアン・ホールを埋めつくした聴衆の拍手と歓呼は場内をゆるがせた。音楽 を愛し、命の限り情熱を注いだジョージ・ガーシュインの生涯を描いた傑作。

男女平等、日本118位    (普通部OB 菅原勲)

件名は、ちょっと前ですが、12日(水)の日経夕刊の第一面にデカデカと載っていた見出しです。

ところが良く考えてみると、小生が会社に入った当時(1961年)。営業(要するにセールスマン)を仰せつかって営業所に配属されましたが、営業もSEもCE(修繕屋)も全部男性。女性は秘書、事務などに散見されるだけ。この状態が暫く続き、日本は、E.ヴォーゲルに「Japan As No.1」と煽てられる程の成長を遂げました。確かに、人口が増えると言うボーナスがあったにせよ、この高度成長は、それこそ、ジェンダー・ギャップ(男女平等)云々とは縁も所縁もない男尊女卑のなせる業だったのではないかと愚考します。しかし、西洋から輸入した「ジェンダー・ギャップ」が云々されればされるほど(例えば、役員の何割を女性にせよ!)、日本は低成長路線を悼走りに走っている。

この調査では、アイスランドが一位(男女平等が最も進んだ国)だそうですが、アイスランドは、一体、世の中の為に何か役立つことをしたんでしょうか。こりゃー、単なる自己満足に過ぎないのではないかとの疑問を抱かざるを得ません。

一事が万事、西洋発のロクデモナイ横文字(ここで言えば、ジェンダー・ギャップ)は非常に胡散臭い。ところが、これに素早く飛びつくやつがいて、これが日本の良さを滅ぼす亡国の輩。こんな横文字に一々付き合っていたら、日本が日本では亡くなってしまう。と言う危機感は、ジャイ兄が6月12日のブロッグで指摘していた通り。

(44 安田)菅原さん、同感です。

男女平等なる順位付けがNo.1から順に国・社会の発展、国民の幸福感・満足感或いは魅力度が比例して実現され、可視化されているかと言うと無関係である。社会の運営が順位付に従って上手く行っているかというと、これも関係無いようである。順位付けに何か優れて生産的な価値があるとはとても思えない。政界・官界・経済界・教育界などあらゆる分野に於ける男女別の進出度合いの現実を単純に数値順位付しているだけで、そのことが男女間の作為的な平等・不平等或いは差別とは関係ないだろう。「男女平等順位」の表現自体は著しく誤解を招く(misleadingだ)。下位の国には、事実と異なる男女間の不平等や理不尽な差別が在るやに捉えられる危惧があるからだ。
育児、哺乳動物としての女性の本質的役割、社会保障、福祉、労働・職場環境などの面で、国の歴史・伝統・慣習の影響も受け、国によって女性の進出は国によって様々であろう。一元化して「男女平等順位」が男女間の平等度を測る物差しと捉えるのは無意味で危険ですらある。順位によって善と悪、功と拙、進と遅、好と嫌の線引きをして国々を誤った無意味な固定観念で捉える愚を犯すからだ。

下位(100位以下)に位置する日本は、世界でも5本、否、3本の指に入るほど魅力ある安全で清潔な国と目されていて、世界の中で訪れたい国の人気筆頭の一つだ。男女平等順では下位に位置する日本に於いて、そのことで女性が声高に不平等を訴えて抗議している現実も無い。下位に位置するからと言って、国や社会・経済の発展・運営が、そのことで妨げられていることもない。「男女平等順位付」に積極的な意義と価値を見出せない。

(普通部OB 船津)菅原・安田さん
ご意見ごもっとも。でも何となく観点が違う感じがします。福澤先生は
「抑(そもそも)世に生れたる者は、男も人なり女も人なり」(『学問のすゝめ』第八編)。と言っています。『学問のすゝめ』で福澤諭吉は男性も女性も「人」であることを繰り返し強調している。というのも、いまだ儒学思想が根強かった当時の読者は『学問のすゝめ』冒頭の「天は人の上に人を造らず」の「人」を成人男性と考えたに違いないからです。しかし福澤は近代日本社会形成において男女の協力が必要不可欠だと考えていた。近代日本の「一国独立」は人々の「一身独立」が基盤となる。福澤にとって近代化とは女性もまた男性と同等に社会の担い手となることであった。「一身独立」のためには学問による精神的自立と適した職業による経済的自立を果たす必要がある。1873(明治6)年の福澤の書簡には、義塾内の「女学所」で女子教育に着手したとあり、早くから女子教育の実践を試みていたということがわかる。大体、ジェンダーだがなんだかシランが順位付けなんかが可笑しいが、マァこういうのは紅白歌合戦でも順位があるようにマスコミなどは好きなんですよね。また、高度成長たしかし、菅等さん等優秀な男性人材が夜を徹して死に物狂いで働いたから焦土化した日本が再建しバブルの時代が来たことは間違いない。

(小田)私はGiさんやヤッコさんと同じ会社、YHPに55年以上前に入社。Giさんの書かれた本にもありますように、それまで男性たちがしていた仕事を引き継ぐことになりました。入社直後、上司の第一声、「お茶酌みとして雇ったのでは無い、皆、飲みたい時に飲む」にほっとしました。週5日制で、早い時期にフレックス制も導入され、とても女性にも優しく、過ごしやすい環境の下で仕事ができたと感謝しています。ドアを開けたり、コートを着る時はGiさんほかgentlemenが多く、新入社員にはびっくりでした。在職中、結婚退職が殆どから、私のように出産を期に退職も増えましたが、子育てをしながら定年までいる人は、当時は見当たりませんでした。
我が家の次女は横浜で、1歳児を育てながら共働きをしています。一緒に働く同期も、間もなく二児のママ。保育園に預け、大手町まで通っています。試験を受け総合職にはなりましたが、今は在宅と4時までの勤務、お給料も減っています。最近は男性の協力もとても増えていますが、家事や小さな子に対する根本的な事はやはり女性が担っていますねあのHP CEOのフィオリーナさんの所は御主人が主夫だったようですが。

(河瀬)福沢さんが良い社会を作るには男女の差別を正すべきと述べて100年以上、でも「男女が上手くやる」のもその条件とあります。しかし現在男女が「どうすれば上手くいくか」が忘れられて議論されていますね。また少子化も現在社会の重要な問題です。 それらを医学的に分析しますと、
1)子供への愛情は男子より女子がもともとホルモン的に強い。しかしその強さは若い時に強いので、今の30代を過ぎた晩期結婚は子供を育てる際にホルモン上「馬力がなく」、ストレスを感じやすく少子化の原因になっている。子育てに負担を感じるのは経済問題よりも、医学的な問題でしょう。
2)日本では女子が「子供を作る」代わりに「社会活動から疎遠」にされた長い歴史があり、それは「一族と家族を守るために必要」なこととして男女共遺伝子に刻み込まれている。そこで戦後社会がすぐに男女平等と言っても、女子はどう活躍したらいいかわからない、という現状がある。その遺伝子をとり戻すには少なくとも3−4世代(100年)以上の年月が必要。
私の結論:少子化を改善するには昭和時代のような20歳代の結婚に戻す必要があり、それでも女子の就職活動が妨げられない社会構造が必要。

「男女平等」の評価については日本はまだ時期早尚で、女子が社会構造に順応するまでさらに30ー50年見た上で評価すれば、本当の「男女平等」順位が得られるでしょう。

(小川)成程、一考させられました。

(高橋)日本における男女間格差が世界のなかで118というのはいささか驚きである。アイスランドが一位というのは経済的規模が小さく社会改革がやりやすいという点があるにせよ、現在の大統領は女性というのも見上げたものである。

我が国ではやっと男女間格差の是正の方向に風が吹き出したところだ。働く女性、家庭における妻等々の存在は経済的にどのように評価されていくのか女性問題にやっと目が向けられるようになった。これからも注視していきたい。

(中司洋子)個人的な経験としては、雇用機会均等法が施行されたのが社会人2年目のことで、それ以前との比較はできないものの、正規/不正規を含めOL時代の職場環境と待遇に今となっては不平等感と違和感を感じる場面が多々あったと振り返って思い出します。声を上げるほどのレベルではなく、どうにか気持ちを処理するボンヤリとしたものでしたが。

その後北欧系組織で働くこととなり、異なる職環境を経験しました。背負う文化・社会の違いは越えられずそのまま真似することはできないし、日本の良さを再認識することになりました。そのなかで感じたのは、「平等」「民主主義」を国是にどんな差別も許さないという信念が、あまりにもナイーブと感じるほどに、一般に支持されて広く共有されているようだということです。老若男女、相手が誰であろうと対等な関係を作れる風通しの良い社会と感心する場面が多いです。ジェンダーギャップ指数上位の理由はこの辺りにあるのかなと。
WFFジェンダーギャップ指数で146ヵ国中118位は、さすがに危機感をもって受け止めるべきと思います。国際化がこれだけ進み、世界における立ち位置を客観的に突き付けられることは避けられないことです。結果を我がこととして受け止めて建設的な議論に落とし込めることができるかどうかが肝心なのに、残念ながらそうならないのが毎度ランキング下位低迷に甘んじる理由と思います。

出羽守現象歓迎の立場です。伝統と慣習に自信と誇りを抱いてアイデンティの拠り所とできれば理想ですが、ジェンダーダイバーシティ要因も投資判断に組み込まれるとき。「他所は他所、ウチはウチ」と切り捨てられないことを願います。可愛い孫子の未来ためにも、どうぞ。

(編集子)多数の投稿をいただき感謝。スガチューは ”アイスランドはなにをしてくれたのか” という素朴?な問いかけをしたが、北欧の社会は ”西欧” という中でも一味違うように思っていた。グリーンランドの開拓の歴史をちょっとかじったことがあるが、想像を絶する自然の暴力のまえには男女の区別なく働き続けなければならないという現実が男女差別がない、という文化をつくりあげたのだろう。温和な国に住む日本人とは全く違った結果が出来上がって、というのは理解できる気がする。上記末尾に記載した記事は編集子の姪のものだが、長くノルウエイ大使館に勤務し、北欧文化に触れる機会の多い立場にあった。参考になると嬉しい。

最後にずっと不思議に思っていることをひとつ。”レディファースト” とか、”女性専用車” などと言う事象はどのように解釈すべきであろうか? 明快な解答を期待する。

6月月いち高尾報告  (47 関谷誠)

2024年4回目の「月いち高尾」を6月21日(金)に実施。
梅雨入り寸前でもあり天気が気掛かりであった。予報では曇りのち雨なるも、高尾方面の日中の降雨は 1mm 程度との事にて決行を決断した。
早朝、千葉・柏の家を出た頃、曇り空なるも、何とか持ちそうな雲行きだった。ところが、JR高尾駅に近づくにつれ、車窓から雨傘をさす歩行者が目立ち始め、参加予定者数人からドタキャンの連絡もあった。京王線「高尾山口」に到着した頃には、かなり大粒の本格的な降雨だった。

これでは楽しい山行は無理と判断。集合時間に集まる参加者を待っていたら、一般ルート「石老山」を目指していたグループも中止を余儀なくされ、斎藤 L.以下の有志数名が、来る夏合宿のトレーニング山行とのことで、急遽、シニア・コースに回ってきた。安田、吉田(44)、徳尾(45)、後藤(59)、斎藤(63)の面々は、雨具の完全装備で稲荷山コースに向かった。

その後、10時の集合時間に遠藤(36)、矢部(37)、岡沢、蔦谷、多田(39)、藍原(40)、相川(41)、伊川、平井、関谷(47)、佐藤(48)、それに一般コースから回ってきた斎藤(51)、大場(BWV)が集結。止む無く中止する旨の賛同をいただき、矢部/岡沢のご両名はケーブル経由で薬王院までの散策プランに切り替え、又、折角、遠路駆け付けた皆さんとの懇親を図るべく、10時から営業している「天狗飯店」での懇親会を提案し、多くの方の
賛同を得て、なだれ込んだ。中止となった一般ルート参加者で、既に家路に付いていた丸満/実方(50)のご両名も、懇親会に加わるべく立川から U ターン、雨中での登山組も駆け付け、この先、 「月いち高尾」は、7月のKWV 三田会主催の「夏合宿」、又、8月は猛暑の中での安全対策から一時中断することから総勢17名の参加で、2024年前半の「月いち高尾」を、真昼間からの
懇親会 で ワ イ ワ イ ガ ヤ ガ ヤ と 締 め る こ と が 出 来 た 。

コロナは本当に去ったのか?  (普通部OB 篠原幸人)

週1回、水曜午後は青山四丁目にある新赤坂クリニックで患者さんを拝見していますが、このあたりではなかなか駐車場が見つからないので、バスで通勤しています。自宅から片道約15分です。そこで気が付くのは、マスクをしてバスに乗っているのは高齢者ばかり。一時期のコロナ騒ぎは何処に行ってしまったのでしょう?

 確かにコロナは今や軽症化し、重症になる人や後遺症のひどい方は少なくなりました。しかし、4-6週おきに経過観察に来られる私の患者さんの中でも、毎回1-2名は前回受診時以降、コロナに罹ったと訴える方が居られます。政府が公費節約のためにコロナを話題から極力はずし、マスコミも迎合して、コロナはもう過去の病気のように取り扱われていますが、まだまだコロナは健在です。特に高齢者は人混みや交通機関利用の際にはまだマスクは必須でしょうね。今でもどこの病院内でもマスク着用が義務づけられているのはご存じでしょう?

  私は青山に行く際には、麻布四ノ橋から新宿西口行きのバスを利用するのですが、外来は午後2時からなので、途中の天現寺駅で授業を終えた何人かの慶応幼稚舎生が乗ってきます。まあ多少やかましいのはしょうがないとして、降りる際に全員がひとりひとり「有難うございました」と運転手さんに感謝の言葉を大声で叫んでいきます。私の時代にはそのような教育は受けていなかったので、非常に新鮮で、清々しく感じます。幼稚舎生ばかりではありません。途中で乗ってくる笄小学校の子たちも同様です。でも中学生以上の少し大きい子どもたちからは何の挨拶もありません。12歳以下限定の風習でしょうか?

もっと大人になると(いわゆる10代後半から40歳ぐらいの成人の多くは)、バスの中でもスマホに夢中です。高齢者や赤十字マークを付けた病気の方、あるいは妊婦が乗ってきても気づかぬふりで、高齢者専用シートを平気で占領して、ほぼ全員がスマホを見ているまたは見ているフリをしています。「あたしはスマホ使用中なので気が付かないのです」と背中にでも書いてあればかわいらしいのですが。そのうち、日本人の大半は眼鏡をかけ、スマホ首で姿勢は悪くなるという状態になるのでしょうか?

一方、込み合う時間帯なのに堂々とベビーカートをもってバスに乗り込んできて、「私は特権階級だから席を空けて頂戴」という気、満々な若い主婦も時に見かけます。何とかならないものでしょうか? それでもわざとらしく軽く咳をしてあげるとビックリしたようにこちらを見る人が多いですね。実際には私はそんなこと、しないけどね。昔、「いじわる婆さん」ってマンガあったなぁ。

以前は、病院が遠方で帰宅時間の真夜中になることから、自動車通勤を強いられていた私には、いろいろ新鮮な経験が出来る楽しい日々を過ごしています。

神戸ポートタワーからの景観  (大学クラスメート 飯田武昭)

まるで梅雨明けのような暑さの最中の行き先は少しは涼しい建物の中。昨日、4月にリノベーションを終えて再開した神戸ポートタワーに行って来ました。

横浜のランドマークタワーや港の見える丘公園からのビューにはとても敵いませんが、神戸ポートタワー展望階からのビューは神戸港と六甲山の間に神戸市街が広がる景色を堪能しました伊藤グリル(1923年創業)のビーフシチューも絶品でした。

数字にまどわされずに行こうぜ!  (44 安田耕太郎)

日本の国民総生産(GDP)は約600兆円。円安のためドル建て数字ではドイツの後塵を拝し、世界第4位だという。間もなくインドにも抜かれると予見されている。ただ、円の為替レートが昔の100円/$であれば、依然として第3位だから、順位にはさして大きな意味があるとは思えない。
今のアメリカ市場のトップに君臨する7大企業:通称“マグニフィセントセブン(Magnificent Seven – 映画 ”荒野の七人” の題名): アップル、Amazon、アルファベット(旧グーグル)、メタ(旧フェースブック)、Microsoft、NVIDIA(新興のAI巨人)、テスラ ー この7社の時価総額は合計で12兆ドル(2京・けい円)に達する。実はこの額は日英加3カ国に上場している全企業(約9,400社)の時価総額と同じなのだ。日本のGDPの3倍強である。トップのマイクrソフト1社で日本のGDPとほぼ同額の500兆円強の巨大さだ。世界最大の自動車メーカーで日本最大の株式会社トヨタ自動車株価総額40兆円の約13倍。トヨタの時価総額は世界第34位。
因みに、インバウンド観光客の増加で活況を呈する日本の観光業収入は年間約6兆円。日本GDPの1%、トヨタ一社の年商40兆円の1/7の規模である。現在、海外からの観光客数は3000万人強。トップのフランス8000万人強とは相当の開きがある。GDPの6割を占める消費が伸び悩んでは、観光業の貢献増大も焼け石に水だ。
それにしても、マグ二フィセント・セヴン(7社)の株価総額、日本GDPの3倍以上は、異常な資本主義の現象と言わざるを得ない。これがsustainableな現象として今後もずっと存続するとはとても考えられない。バブルの風船に針で穴でも開けるようなことがあれば、アメリカ経済、ひいては世界のそれ(特に資本主義国家・民主主義国家に於いては)はパニック状態に陥るのではないかと危惧される。世界の趨勢として、大宅壮一ではないが、「世界皆、総白痴ならぬ総金亡者・銭ゲバ化」している側面がある。憂うべき趨勢だ。人生における満足度・充足度は物理的・金銭的尺度でのみ推し量れないのは自明だ。Intangible (見えない・実体のない)な価値に重きを置くのは大切だ。
日本へ押し寄せる海外から来日する観光客の声を代弁してジャーナリスト達が日本の魅力を整理整頓してみると、金銭的・物理的尺度は見えない、日本人が日常当たり前と感じていることがらが、海外の人達からは日本の魅力と評価されていることがわかる。たとえば、
・何と言っても社会が安全で治安面のリスクがほとんどない・著しく小さい。女性が夜でも一人でも街を歩ける。小さい子供だけで外で遊んでいる、通学も親の付き添い無しで行っている。多くの国にとっては驚愕する素晴らしさのようだ。
・街・通り・公共施設・公園、どこも綺麗でゴミが落ちてない。
・礼儀正しく、親切でおもてなしのサービス精神が素晴らしい。
・休日も開店のコンビニ・スーパーマーケットと自販機。公共交通機関の発達・安全性・時間通りの運行。公衆トイレ完備(無料・綺麗)など生活しやすい。
・歴史・伝統・自然・テクノロジー・都会・田舎のバランスが素晴らしい。四季が美しく、食事が多種多様で美味しい、値段も手頃。

経済停滞、デフレ、個人所得伸び悩み、国力不振など負の面に脚光が浴びているが、日本の魅力・美点の素晴らしさを我々国民は有難く甘受して、人生の満足度・充足度の糧とすべきであろうと思う。

’(船津)安田耕太郎さん、その通り。「美しきニッポン」ですね!
しかし、人口間減少は今後の大問題ですね。マァエネルギー危機と食糧問題とバランスして江戸時代のような心豊かな國になるのかも
カメラ等も世界最先端ですが殆どが日本で作っていない。とか色々内容的には変化してきています。しかし、お金では無く貧しくても「心の優しさ」は変わっていかないと思います。

(編集子)ほかの人たちに比べて自分の海外生活は比較的短い間だったが、その間に感じたのは古き良きアメリカの終焉だったような気がする。ベトナム戦争で若者たちの心は乱れ、麻薬の乱用が始まり、トニー・ベネットが歌ったあのサンフランシスコも崩壊の淵にあった。敬愛すべきアメリカ、がすでに過去のものになりつつあった、そういう歴史的なタイミングだったのだろう。
トランプ政権が誕生すれば(希望するわけではないが歴史の必然として)戦争に、人種問題に、地球環境に対する大国アメリカの進路はさらにかわろうとするだろう。その時、チビ太が懸念する Magnificent Seven に代表される、資本主義の負の側面がどう変わっていくのか。その側面を駆け上ってきた代表ともいえるドナルド・トランプにとって正念場が訪れるだろう。かの国といまや不可分の関係にある我が国の政治はと言えば誠に頼りない限りだ。
だが、チビ太が指摘した我が国の美点利点は、アメリカよりはるかに長い歴史の国の、長期にわたる内戦や大規模災害や数えきれない失政の数々に関わらず、しっかりと残っている。つまりもともと、政治とは無関係な、いわば日本人に内在する ”なにか” が言わず語らずの間に継承されてきた。首相のひとりやふたり、ましてやだらしない野党がどうほえようがわめこうが、この国に住む、われら大和民族の生き方は変わらない。そう信じたいものだ。

“蛍の光” をめぐって

42年卒保屋野君の何気ないメールが引き金になった話題である。

(保屋野)先日、(シモさんの)原村山荘で、バンジョーを持ってきた同期のフランキー(五十嵐君)が「冬の星座」(木枯らしとだえてさゆる空より・・)を歌っていましたが、この曲はご承知の通りアメリカのヘイズ作曲の「モリー・ダーリン」というカントリー曲に堀内敬三が(全く違った)歌詞を付けたものです。これで想起されるのが、(アメリカ民謡で、荒野の決闘のテーマ曲)「愛しのクレメンタイン」と、このメロディーに西堀栄三郎等がテント中で(ヒマつぶしに)作詞した「雪山賛歌」ですね。これも、どちらも名曲です。

更に他にないか、と探したら、「故郷の空」(夕空晴れて秋風吹き・・)が浮かびました。この原曲は、スコットランド民謡「麦畑」で、大和田建樹が(全く違った)歌詞を付けたものです。これもユーチューブで聴き比べてみました。ちなみに、これを、なかにし礼が訳し、ドリフターズがヒットさせた、「誰かさんと誰かさんが麦畑・・」も有名ですね。

(安田)「蛍の光」と言えば、スコットランド民謡・非公式のスコットランド準国歌。原題は「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne。スコットランドの現地語(ケルト語)で、英訳すると逐語訳では old long since、意訳では times gone by となる。日本では「久しき昔」などと訳す。

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映画への登場となればなんと言っても、一推しのヴィヴィアン・リー主演の悲恋映画「哀愁」(Water Bridge、1940年)が忘れ難い。

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日本では卒業式とかお店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」というイメージが強いが、実は、英語圏の国では新年を迎えるときに歌うのが恒例。伝統的に、大晦日のカウントダウンのあと、新年になった瞬間に「Happy New Year!」とともに歌うようだ。

(保屋野)「蛍の光」の解説ありがとうございます。ネットによると、「麦畑」と同じルーツらしいですね。中に、「久しき昔」とありましたが、もう一つ、有名な「久しき昔」という曲がありますよね。原曲は、イングランド民謡「ロング・ロング・ア・ゴー」で「語れめでし真心・・」という歌詞です。またもう一つ「思い出」というのもあります。「垣に赤い花咲く昔の・・・」という歌詞です。

両方とも同じメロディーで「愛唱歌」として定着している珍しい楽曲だと思います。もう一つ、フランス民謡を原曲とする、「一日の終わり」(星影さやかに・・・)という曲もありますが、これは、ファイアーで良く歌った「燃えろよ燃えろ」と同じ曲ですね。

(金藤)日本では卒業式とか、お店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」というイメージが強いですが、ダイソーでは 外国人の観光客には「蛍の光」では伝わらない?とさりげなく閉店時間であることを伝えながらも、快く帰ってもらえるような新しい閉店音楽を目指し、「Good Day 〜閉店の音楽〜」を制作し11日から店内で流しているそうです。

「Good Day ~閉店の音楽~」は、早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所との共同研究により得られた、閉店のイメージを持つ音楽の特徴に基づき、USENが制作したオリジナル楽曲。「郷愁感」をキーワードに小編成のオーケストラでゆったりとした曲調に仕上げたといいます。

(河瀬)蛍の光の元はスコットランドの歌と聞いていましたが、その解説映像ありがとうございます。

Auld Lang Syne (old long since) の歌を実際初めて聞きました。また映画「哀愁」の主題歌もそこからとったものなんですね。両者とも「時は去りゆく、別れる」雰囲気なので、日本の歌も「別れの曲」として歌詞ができていますが、英語圏の人がカウントダウン後にそれを歌うのは『明けて今朝は別れゆく』ことになっていないから?

ところで「蛍の光」の歌詞は『蛍の光窓の雪、文読む月日重ねつつ。。』ですが、自分が研修医の時の信濃町の環境は「トイレの鳩の巣、わが個室、文読めない日を重ねつつ。。」という惨状でした(後日注釈要す)

(編集子)蛍の光はともかく、Molly Darling とはまた懐かしい。1960年代、いまでいう カントリー という用語が定着せず、なんとなく ウエスターン などと呼ばれていて、小難しい顔をして名曲喫茶、なんてものに出入りしていた自称インテリには小馬鹿にされていた時代、エディ・アーノルドのレコードを買って来た時、(あ、これ、聞いたメロディだな)と気に入り、、アルバムについていた歌詞を覚えて歌うようになった。
KWV入部後、どこかのワンデルングで歌った(当時はキャンプサイトで新人は歌を歌わされるのがワンダーへのイニシエーションだった)ことがあった。
1年上の名総務、荒木庄平さんの周りには彼の人格にひかれてワンダーだけでなく多くの友人の輪があって、その中に塾レスリング部の中堅選手ながら私設のハワイアンバンドを率いていた河村先輩がおられた。某証券会社のサラリーマンだったが、勤務中のはずなのにホテルで歌っていて、そこへ運悪く上役が現れて大変だったという伝説の持ち主だった。彼が荒木さんから聞いたのか、小生がこの歌を歌ったということを知っていて、たまたま野次馬で聞きに行った、名前は忘れたがどこかのホテルでの演奏に飛び入りさせられ、Won’t you tell me, Molly darling….なんて歌わされたこともあった。Red River Valley を覚え、エーガの影響で River of no return それから My Rifle My Pony and Me に入れ込む前まで、小生のいわば ”持ち歌” だった。同期の歌姫(?)栗田ビーバー、鬼籍に入ってしまったが親友横山美佐子などがとても気に入っていてよく歌わされたものだった。歌は世につれ、か。

 

ラプソディ・イン・ブルー のこと (34 小泉幾多郎)  

ガーシュイン作曲「ラプソディ・イン・ブルー」が初演されたのが、1924年、今年で丁度100年になる。クラシック音楽は昔からピアノと管弦楽が掛け合うピアノ協奏曲が好き。どうやら映画からの影響が大きく「逢びき」で全編を覆っていたラフマニノフの第2番が数え切れぬクラシックの曲の中で、大好きになってしまったが、それ以上に、クラシックとジャズの融合と言われ、独特の味を持った「ラプソディ・イン・ブルー」が一番好きと言っても良いかも知れない。

これも映画「アメリカ交響曲 Rhapsody in Blue 1945」の影響大。The Life of George Gershwin の副題の通り、ガーシュインの楽曲が全編に散りばめられ、そのめまぐるしく挿入された曲と演奏に釘付けになる。「ラプソディ・イン・ブルー」の初演は、ガーシュインが2台のピアノ用に作曲したものをファーディ・グローフェがオーケストレーションしたものを指揮ポール・ホワイトマンのジャズバンドで、ニューヨークのエオリアンホールでの新しい音楽の試みと題されたコンサートで行われた。この席には、ハイフェッツ、クライスラー、ラフマニノフ、ストコフスキー、ストランビスキー、ゴドフスキー等といった名士達が立ち会ったとのこと。

映画はガーシュインの子供時代から亡くなる39年の生涯をアーヴィング・ラバー監督、ロバート・アルダ主演で活写。ミュージカルからの歌曲に始まり、ラプソディ・イン・ブルー、ピアノ協奏曲ヘ調、ポギーとベス、キューバ序曲等々ガーシュインの曲が演奏され、初演に携わった演奏者も多数出演している。スワニーを唄ったアル・ジョルスン、ポギーとベスの舞台が再現されベスを演じたアン・ブラウンがサマータイムを唄い、誰かが私を愛しているのトム・バトリコラやパリの場面で唄うヘイゼル・スコット、ブロードウエイの大プロデューサーだったジョージ・ホワイト等錚々たる顔触れ。特に実在の友人でピアニストのオスカー・レヴァントは、ラプソディ・イン・ブルーはもとより、ピアノ協奏曲へ調等々を演奏した。レヴァントは、その後も数々の映画「ユーモレスク1946」「巴里のアメリカ人1951」「バンドワゴン1953」「人生模様1953」等に出演し、ピアノ演奏はもとより、味のある演技を披露した。特に「ユーモレスク」でのフランツ・ワックスマンがトリスタンとイゾルデを編曲し、ヴァイオリンのアイザック・スターンとレヴァントが管弦楽と共に演奏したシーンは忘れられない。

あの時代レコードがSPからLPへ移行する時期だったが、レヴァント演奏のラプソディ・イン・ブルーはオルマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、コンチェルトは、アンドレ・コステラネッツ指揮ニューヨークフィルのレコードを購入
し、繰り返し聴いたものだった。その後多種多様な人たちの演奏によるラプソデ ィ・イン・ブルーを聴くことが出来たが、先日亡くなった小澤征爾が、2003年6月29日ベルリンフィルのヴァルトヴューネコンサートでのガーシュイン・ナイトで、盲目のピアニストマーカス・ロバーツ・トリオによる演奏との競演が異色だった。他に最近では上野樹里主演の「のだめカンタービレ最終楽章」に吹替演奏として中国のピアニストランランが出演し話題となった。ガーシュインの女性関係は、短い生涯に結婚はしなかったが、恋愛の数は重ねたらしい。映画では、無名時代からガーシュインの味方だったミュージカル女優ジュリー(ジョーン・レスリー)と道に迷うガーシュインとの関係で、酸いも甘いも噛み分けて自ら身を引く画家クリスティ(アレキシス・スミス)との関係に留めている。事実は最も愛したのが、ブロードウエイの女流作曲家ケイ・スイフトとの不倫関係で、彼女はポギーとベスの作曲に、さまざまのアドバイスを与えたという。その夫こそジュリアード音楽院の理事長ジェームス・ウオーバーグで、その初演時に正式に離婚したとのこと。

ラプソディ・イン・ブルーが組み込まれた映画は、その後ウディ・アレンの「マ
ンハッタン1979」しか記憶にないが、ガーシュイン作品を扱ったミュージカル映画は、この映画が発表される前から数多く、その後フレッド・アステアやジーン・ケリー主演によるもの等楽しませてくれている。「踊る騎士1937」「華麗なるミュージカル1938」「巴里のアメリカ人1951」「パリの恋人1957」「ポギーとベス1959」等。

最後に白状するが、この原稿を書くきっかけとなったのは、ポップスとクラシッ
クの統合によるボーダレスの名曲を放送することから発足した題名のない音楽会が放送60周年を記念し、少し前のことだが、4月13日にラプソディ・イン・ブルーの音楽会として、角野隼斗のピアノ弾きぶりで東京交響楽団と共演した際、初演100年ということを知ったこと。角野隼斗はソニークラシックと契約を結び、これからの活躍が期待される。

明治神宮菖蒲園 真夏日 (普通部OB 舩津於菟彦)

エーガ愛好会で書きたい銘エーガが沢山ありますが、筆が進みません。済みません。代わりに 6月12日 寄りも寄って東京真夏日の中明治神宮菖蒲園へ行って参りました。
日陰を成るべく歩くと風が爽やかでした。もう菖蒲も満開が過ぎていました。今年は根津美術館の杜若を撮り損ないましたのでエィヤーと老骨をおして重い器材を担いで行って参りましたがワンゲル出の雄姿と違いヨレヨレでした。駄作を。
持参器材 ①カメラ Nikon Zf レンズ NIKKOR Z 24-200mm 1:4.0〜6.3 VR ②カメラ ニコンZfc レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR ③コニカセミパール  レンズレンズ Ernst Leitz GmbH-Wetzlar Elmar9㎝  1:4   重いノナンの。