キリコ展へ行ってきました  (普通部OB 船津於菟彦)

上野都美術館で「デ・キリコ展」開催していますので暇人は酷暑の中拝見に参りました。館内撮影禁止故図版から借用致しました。

ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, イタリア語: [ˈdʒordʒo deˈkiːriko])1888年7月10日 – 1978年11月20日)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。姓は「デ・キーリコ」と表記される場合もある。
初期の頃は自画像とか静物画を描いていた。第一次世界大戦に出兵し麻薬の影響を受けた事もあり「形而上絵画」に謎めいた感覚で描く様になった。

「形而上絵画」とは何か。
形而上学(けいじじょうがく、英: metaphysics)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟で認識しようとする学問ないし哲学の一分野世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超越したものについて考える。対する用語は唯物論。他に、実証主義や不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場や、ヘーゲル・マルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法。
中国では文化大革命において、毛沢東語録の一部として「形而上学」という語彙が「唯心論」という意味合いで新聞などで多用された。その影響により、「形而上学」は今日に至るも中国では一般的には貶す言葉として使用されている。
形而上絵画とは ”実際には見ることができないもの(現象・景色)を描く絵画”と描写されている。

欧州の政治状況―平井リポートの背景 (HPOB 菅井康二)

ヨーロッパの移民問題と極右の台頭ということに関して、ChatGPTと対話を試みました。少し長いですが平井さんのリポートと合わせて、欧州の天地で何が起きようとしているのか、理解の参考までにまとめました。

Q:現在(2024年)、ヨーロッパで移民問題などに端を発して、右派・極右派が国民の支持を受けている国々を教えてください。

ChatGPT:2024年時点でヨーロッパにおいて、右派や極右派が国民の支持を受けている国々としては以下のような国々が挙げられます:

フランス – ナショナル・ラリー(旧国民戦線)が右派・極右派の支持を集めています。移民問題や国民主義を重視する政策が支持されています。

イタリア – フランチェスコ・ベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリアなど、右派・極右派政党が議会で影響力を持っています。移民問題や経済政策が争点です。

ハンガリー – ヴィクトル・オルバン首相率いるフィデス党が、国民の支持を受けています。移民に対する厳格な姿勢や国民主義的な政策が特徴です。

ポーランド – 法と正義党(PiS)が右派・極右派の支持を受けており、移民問題や国家主義を主張しています。

これらの国々では、移民問題や国家主義が選挙や政治の主要な争点となっており、右派・極右派政党がそれに応じた政策を推進しているため、国民の支持を集めています。

Q:オランダはどんな状態でしょうか?

ChatGPT:オランダにおいても、右派・極右派の政党が国民の支持を集めています。具体的には、以下のような状況があります:

自由党(VVD): オランダの中道右派政党で、現在の首相であるマルク・ルッテを輩出しています。VVDは経済自由主義を掲げ、移民問題に対しては一定の制限を支持していますが、他の一部の右派・極右派政党ほど厳格ではありません。

フォルトゥイン・フォークスパルテイ(FvD): フォルトゥイン・フォークスパルテイは、右派ポピュリスト政党で、特に移民問題やオランダの伝統文化の保護を主張しています。FvDは急成長し、議会で影響力を増しています。

自由民主民主党(PVV): ゲルト・ヴィルダース率いるPVVは、極右の立場から移民の制限やイスラム教への批判を行い、一定の支持を得ています。PVVは過去にも議会で影響を持ったことがあります。

オランダでは移民問題やイスラム化に対する懸念が、右派・極右派政党の支持を後押ししています。また、EUに対する批判や国家主義的な要素も政治の争点となっています。ただし、オランダの政治環境は多様であり、他の国々と比べると中道右派の影響力が大きいとされていますが、右派・極右派の政党も一定の支持を保持しています。

Q:イギリスのBrexitはEU内(主にポーランドなど東欧圏)からの移民問題が切っ掛けの一つになったと言われておりましたがあのときに盛り上がった右派の現在の勢いはどうなっていますか?

ChatGPT:イギリスにおいて、Brexitの過程で右派政党や右派的な立場を取る勢力が盛り上がった影響は、その後も続いていますが、具体的な政治的勢力や党派の状況は変化しています。

保守党(Conservative Party): ブレグジットを推進したのは保守党であり、その後も保守党は移民制限や国境管理を重視する政策を推進しています。ボリス・ジョンソン首相率いる保守党は、移民政策については厳格な姿勢を示しており、右派的な立場を維持しています。

英国独立党(UKIP): ブレグジットの主要な推進者であったUKIPは、その後の選挙で影響力を失いつつありますが、一部の政治的な影響力は残っています。移民問題や国家主義的な主張が中心です。

労働党(Labour Party): 労働党もブレグジットにおいて移民問題や労働市場の観点から異なる立場を取っていました。現在はリーダーシップや政策の変化がありつつも、移民の労働市場への影響などを考慮して政策を検討しています。

移民問題が主要な原因とされていたBrexit後の右派勢力の状況は、保守党が主導する中で右派の立場が政治的に主流となっています。ただし、選挙ごとに政治的な状況は変化し、各党の政策も適応しています。

Q:イギリスは現在のフランスのように左右(中間派も含めて)対立が先鋭化していないように感じますが、その理由は?

ChatGPT:イギリスが現在のフランスのように左右の対立が先鋭化していない理由はいくつか考えられます:

ブレグジットの実施: ブレグジットにより、イギリス国内の主要な政治的論点はEU離脱に集中しました。この過程で左右の対立が深まった一方で、EUとの関係における論点が優先されたことがあります。

Q:メルケル政権が移民に対して寛容な政策をとっていたドイツの現状はどうなっていますか?ネオ・ナチのような勢力の政治に対する影響力は?

ChatGPT:ドイツにおいては、移民に対する政策やその影響力について以下のような状況があります:

移民政策の変化: アンゲラ・メルケル政権下での移民に対する寛容な政策は一部見直されています。特に2015年の難民危機以降、ドイツは移民の受け入れに関して制限を設けるなど、政策が変化しました。これは国内の政治的な議論や社会的な圧力を反映したものです。

極右勢力の影響力: ドイツにおける極右勢力、特にネオ・ナチのような過激な政治的グループや政党は、一定の影響力を持っていますが、主流派政党としての影響力は限定的です。例えば、Alternative für Deutschland(AfD)は右派ポピュリストの立場を取り、移民やイスラム教に対する強硬な姿勢を示していますが、国政での影響力はまだまだ限られています。

政治的対立の現状: ドイツの政治的状況は多様であり、左派から中道派までの政党が存在し、それぞれが異なる立場を取っています。移民問題や国家主義的な主張は一部である程度の支持を得ていますが、大衆の支持を集めるには至っていません。

総じて、ドイツでは移民問題が政治的な議論の一部ではありますが、現在の政府や主要な政党は中道から中道右派の立場を取っており、極右勢力が主導するような状況にはなっていません。

Q:オーストリアでの右派の台頭状況はどのようになっていますか

ChatGPT:オーストリアにおける右派の台頭状況について、以下の点が挙げられます:

自由党(FPÖ)の影響力: オーストリアの右派政党である自由党(FPÖ)は、移民問題や国家主義的な主張を中心に政治的な支持を広げています。特に1999年から2017年までの間、FPÖは連立政権に参加し、大きな影響力を持ちました。その後も影響力を保っていますが、2019年の国民議会選挙での得票率はやや低下しています。

移民問題と国家主義: FPÖは移民問題に対して厳格な姿勢を示し、国境管理の強化や移民の制限を主張しています。これにより、特に経済的な不安定感や文化的な保護主義を求める有権者から支持を受けています。

他の右派政党の影響: 他にもオーストリアには右派の政治勢力が存在しますが、FPÖが最も影響力を持つ党とされています。例えば、Identitäre Bewegung Österreichs(IBÖ、オーストリアのイデンティティ運動)などの極右団体も一部で注目されていますが、政治的影響力は限定的です。

政治的な変遷: 2020年代に入り、オーストリアでは中道右派のオーストリア人民党(ÖVP)が主導する政府が形成されていますが、FPÖの影響力は議会での位置を保っています。右派の政治的影響は依然として存在し、一部の選挙で強い支持を示しています。

総じて、オーストリアにおいて右派の政治的台頭は、特に移民問題や国家主義的な論点を中心に議論され、FPÖを中心に影響力を持つ一方で、政治的な均衡を保つ努力も行われています。

Q:スイスでは移民制限をする法案が通ったようですが、極右の台頭や極端な外国人排斥などの問題が起きていない理由があれば教えてください。

ChatGPT:スイスにおける移民制限や極右の台頭があまり顕著にならない理由には、いくつかの要因が考えられます:

政治的な均衡: スイスは政治的に中道を重視し、連邦政府は複数の主要政党から構成されています。連邦議会や連邦評議会では各党の代表が議席を分け合い、多党制によって極端な政治的立場が台頭しにくい状況があります。このため、極右の台頭が抑制されています。

直接民主制度の影響: スイスは直接民主制度を採用しており、国民投票が重要な政治的意思決定の手段となっています。移民や外国人に関する政策も国民投票によって決定されることが多く、議会での議論や合意形成が国民の意向に合わせて行われることが、極端な外国人排斥を防ぐ要因になっています。

経済的な必要性とバランス: スイスの経済は国際的な労働力を必要としており、多様な分野で外国人労働者が働いています。経済活動や社会構造のバランスを維持するために、労働市場での外国人の受け入れや移民政策が慎重に調整されています。

文化的な寛容性: スイスの社会は一般的に文化的な寛容性が高く、多文化共生を重視する傾向があります。この文化的背景が、極端な外国人排斥運動が台頭するのを抑える要因となっています。

以上のような理由から、スイスでは移民制限を含む政策が国民の支持を得つつも、極右の台頭や極端な外国人排斥運動が起きにくい状況が維持されています。

Q:第二次大戦後、EEC,EU設立などでドイツとフランスは戦前とは違い緊密な協調をしてEUを支える大国の役割を果たしてきました。フランスの極右勢力の伸長によってこの関係に変化が起こるでしょうか?

ChatGPT:フランスにおける極右勢力の伸長がドイツとの緊密な協調やEUの支える大国の役割にどのような影響を与えるかについては、以下の点が考えられます:

外交と安全保障の協調: フランスとドイツはEU内で重要な外交・安全保障のパートナーです。極右勢力の台頭により、フランスの政策が国内向けに保守的な方向にシフトする可能性があっても、EU全体の安定と統合を支える視点での協調は維持される傾向があります。

経済と財政政策の調整: ドイツとフランスはEUの経済政策や財政政策の重要な立案者です。極右勢力の台頭があっても、EUの経済・財政政策を調整し、欧州経済の安定を図るために協力する必要性は変わりません。

価値観と移民政策の調整: 極右勢力が移民や多文化主義に対する批判を強める場合、フランスとドイツの価値観の違いや移民政策の調整が課題となる可能性があります。しかし、EU全体の移民政策は各国の国内政治だけでなく、EU全体の利益や法的な枠組みに基づいて決定されるため、両国間での協議が重要です。

EUの進展と統合の推進: ドイツとフランスはEUの深化や統合を進める中心的な役割を果たしています。極右勢力の影響を受けても、両国がEUの進展を推進する意志を持つ限り、協調関係は維持されるでしょう。

総じて、フランスにおける極右勢力の台頭がドイツとの関係にどのように影響するかは、具体的な政治状況や選挙結果によって異なります。しかし、EU全体の安定と統合の利益を考慮すると、ドイツとフランスは協力関係を維持しつつ、内部の政治的変動に対応していくでしょう。

Q:フランスとドイツは行政レヴェルでの協調がかなり密だと言われていますが、フランスの極右の台頭で両国関係に変化は起こるでしょうか?

ChatGPT:フランスにおける極右勢力の台頭がフランスとドイツの行政レベルでの協調にどのような影響を与えるかについては、以下のような考察があります:

外交と安全保障の協調: フランスとドイツはEUの外交政策や安全保障政策で密接に協力しています。フランスにおける極右の台頭があっても、EU全体の安全保障や外交政策の課題に対応するために、両国は協調を維持する傾向があります。ただし、特定の外交政策や国際問題に関して極右が反対する場合、調整が必要になることも考えられます。

経済と財政政策の調整: ドイツとフランスはEUの経済政策や財政政策を共同で調整しています。極右勢力の台頭があっても、経済の安定や欧州統合の推進に向けて、両国は協力して政策を進めるでしょう。ただし、移民や社会的問題に関する政策で意見が異なる場合、調整が難しくなる可能性もあります。

EUの進展と統合の推進: フランスとドイツはEUの深化や統合を推進する重要な役割を果たしています。極右の台頭があっても、EUの進展に向けて両国は協力関係を維持し、必要な改革や政策の実施を進めるでしょう。ただし、特定の政治的課題で対立が生じる可能性も考えられます。

総じて、フランスにおける極右の台頭がフランスとドイツの関係に影響を与えるかどうかは、具体的な政治的状況や問題の内容に依存します。しかし、欧州統合の利益やEU全体の安定を重視する観点から、両国は協調して対応策を模索すると予想されます。

Q:伝統的に移民に寛容だった北欧諸国の現状はどのような状況でしょうか?特に移民受け入れが犯罪増加の原因といわれているスウェーデンの現状はいかがでしょうか?

ChatGPT:北欧諸国、特にスウェーデンにおける移民政策やその影響についての現状を以下にまとめます:

移民受け入れの歴史と現状: スウェーデンは長年にわたり移民に対して比較的寛容な政策を取ってきました。特に1970年代から1990年代初頭にかけて、多くの難民や移民を受け入れました。移民は労働力としても活用され、スウェーデンの経済成長に貢献しました。

移民政策と社会問題: 近年、スウェーデンでは移民政策が社会問題と結びつくことが増えています。一部では移民の増加が犯罪率上昇の一因と見なされることがありますが、これに対する正確な統計的な証拠は複雑であり、移民と犯罪の因果関係を明確に示すことは困難です。

政治的な対立と移民問題: スウェーデンでは移民政策に対する政治的な対立が存在します。右派政党は移民の受け入れ制限や統合政策の見直しを主張し、一方で左派や中道左派の政党は移民の人権と多文化主義を支持しています。この対立は議会での争点となっています。

統合政策と社会結 cohesion: スウェーデン政府は移民の統合を支援する政策を進めていますが、課題も多く残っています。言語教育や労働市場への参入支援、住宅政策の改善などが取り組まれていますが、実効性や成果には時間がかかることが多いです。

総じて、スウェーデンの移民受け入れは多様な社会的、経済的課題を引き起こしていますが、政府は統合と社会的包摂の促進に努めています。移民と犯罪の関連については様々な議論がありますが、客観的なデータをもとにした議論が求められる状況です。

Q:>一部では移民の増加が犯罪率上昇の一因と見なされることがありま

これは数字的なエヴィデンスに基づくというよりも、国民の皮膚感覚によるものでしょうか?

ChatGPT:移民の増加が犯罪率上昇の一因と見なされる議論は、しばしば国民の皮膚感覚や個人的な経験に基づいています。具体的な数字や統計に基づいた客観的なエビデンスによって支持されているわけではありません。以下にその理由を詳しく説明します:

感覚と現実のギャップ: 国民の一部は、移民の増加が社会問題や犯罪率の上昇に寄与していると感じる場合があります。しかし、感覚や個々の経験は客観的なデータとは異なる場合があります。例えば、メディアの報道や一部の政治家の発言が、このような感覚を強化することもあります。

統計的なデータの複雑さ: 犯罪率や移民の統計データは複雑であり、因果関係を正確に示すことは難しい場合が多いです。移民集団の組成や地域差、経済的背景などが犯罪率に影響を与える要因として挙げられます。単純に移民の数が増えれば必ずしも犯罪率が上昇するとは限らないのです。

研究と分析の必要性: 移民と犯罪の関係については、学術的な研究や詳細な分析が必要です。多くの研究では、移民の統合度や経済的地位が犯罪にどのように影響するか、また移民と国内の犯罪者との比較などが行われています。これらの研究は、単純な関連性を超えて、実際のメカニズムを理解するための重要な役割を果たしています。

したがって、移民の増加が犯罪率上昇の一因とされる議論は、しばしば感覚や個人的な経験に基づいており、客観的なエビデンスによる支持を受けているわけではありません。社会的議論や政策決定においては、統計的なデータと科学的な分析が重要な役割を果たすことが求められます。

Q:現在のハンガリーは他のEU諸国とは異なり、左右対立は既に終わり国民多数の支持を受けた右派(極右?)が政治の主導権を握っており、この状況はしばらく続くのでしょうか?

ChatGPT:現在のハンガリーの政治状況については、以下のような点が考慮されます:

右派政権の台頭: ハンガリーでは、ヴィクトル・オルバン首相率いるフィデス党が右派の政権を形成し、2010年以降連続して政権を維持しています。フィデス党は国民の支持を集め、議会での過半数を持ち続けています。

政治的対立と批判: フィデス党は極右ではないものの、一部では右派・保守的な政策を採用しており、EU内外からはその姿勢に対する批判があります。特に移民や欧州連合への反対姿勢が強調されています。

内外の影響: ハンガリーの政治状況は内政だけでなく、欧州連合との関係にも影響を与えています。EUとの対立や規範に対する異議申し立てがあり、これがハンガリーの将来にどう影響するかが注目されています。

将来の展望: ハンガリーにおけるフィデス党の支配が将来どのように進展するかは、国内外の政治的および経済的状況によって大きく左右されます。国内の反対勢力やEUからの圧力、経済的な課題などが影響を与える可能性があります。
総じて、現在のハンガリーにおける右派政権の主導はしばらく続く可能性が高いと見られますが、将来的には様々な要因によって政治的な状況が変化する可能性もあります。

(編集子)内容についてすべて理解したとは言えないが、昨今問題化しているGPTをはじめとするいわゆるATの使い方の模範解答の様な報告である。このリポートは、問いかけるほうが論点を整理して利用すれば、的確な解答が得られるという基本的な使い方を示唆しているといえる。コージ兄、many thanks  !

カメ・ヌーヴォー にご期待あれ    (41 齋藤孝)

ボトル三本のワインが飲めるかも・・・・ ? 。

今年のブドウは豊作になるだろう。マンションの小さなテラスにブドウ棚を作って10年。可愛らしいブドウの房が元気に鈴なりになっている。

デラウェア、ナイヤガラ、山ブドウそしてヤマ・ソーヴィニヨンなど10本を栽培してきた。昔のブドウ農園や片瀬山のブドウ棚の生き残りである。残り物には福がある。ホームメイドのワインが秋には飲めそうだ。

ご機嫌になり漢詩をつぶやいた。 

葡萄の美酒、夜行の杯
飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す。
酔うて砂上に臥すとも君笑うことなかれ。 

想い出が詰まった密造ワインが生まれるだろう。「カメ・ヌーボー」に乾杯 !!

フランスの現状です   (在パリ 平井愛子)

皆様、ご存知のように、すんでの所で、極右のRNが過半数を取る事は避けられました。

第一回目の投票は、マクロン大統領の政治に対する批判票の結果でRNが飛躍的に伸びましたが、オットットット-、ちょっと危険な所まで行ってしまった、というので、第二回目は左派に票が入りました。やはり革命の国フランスなのですね。でも極左はそんなに伸びていません。
私は南仏の親友夫妻の所に招かれていたのですが、昨日の結果に友人達は胸を撫で下ろしていました。「Aiko,フランスはこれまで極右政権になった事は一度もないのだ、レプブリックであるべきなのだ。でも危ないところだった」と言っていました。南仏は移民が多いですが、フランス人として定着しています。でも北のリルあたりは、極右が強く人種差別意識も結構強い気がします。私の別な友人夫妻は右派で極右に限りなく近くなっていますね。移民の犯罪が多くなっていますから。

今回の選挙では、左派連合、マクロン中道派、極右RN が同じくらいで、左派連合が一番議席数を獲得したのですが、首相のポジションは渡したくないということで波乱を呼びますね。

(船津)早速に仏蘭西の現地も矢張り胸をなで下ろしているようですね。ヤレヤレですね。でも世界は何か大きく変化しそうな雲行きですね。

(菅原)小生、ルペンの肩を持つわけではありませんが、油断は禁物。ルペン曰く、「私たちの勝利の時は延期されたただけだ」。

(河瀬)平和な国の象徴であるフランスが移民過剰のため、極右が台頭している現状をなんとか食い止めた今度の選挙、とりあえずは安心しました。やはりフランスは共和制の道を歩いて行って欲しいですね。故国を失った移民がそれなりになんとか生きる道があればいいのですが、中東系の移民は宗教も異なり、平井さんに代表される日本人のように、皆忍耐強い人たちとは限りませんので、彼らが同化するまでは大変でしょうね。 日本は今まで人口過剰でしたので移民を制限していましたが、これから減少しますので、将来は移民をもっと受け入れるべきか、同じような議論が起きつつあります。

(安田)フランスの人口は5830万人。移民人口は総人口の10.3%、600万人います。因みにドイツは人口8324万人(2021年統計)。その内27.2%(2230万人)が外国人または移民系で、この内、53%(1180万人)がドイツ国籍を有し、残りの47%(1050万人)が外国籍である。フランスではイスラム系移民、ドイツではトルコ系を最大としてバルカン半島及び東欧出身移民も多く、両国とも社会と文化の分断は顕著で、政治的・経済的・治安面の問題となっている。準々決勝でスペインに敗れた、サッカーのドイツチームの主将はトルコ系だし、何人かの選手もトルコ系がいる。フランスにもイスラム系(アルジェリアなど)とアフリカ系移民(黒人)選手が結構いる。

1907年前の最盛期(117年・トライヤヌス帝治世)には面積500万平方キロ(日本の13倍、カナダの半分)、人口5000万人強(人口密度10人/1平方キロ当たり、現在ロシアやボリビヤと同じ、日本は328人)を有したローマ帝国は、以後200年強に亘るドナウ川以北のゲルマン民族の継続的な移入によってついに滅亡した。移民に関わる問題だけではなく、長期間に亘る政治・経済・社会の金属疲労も衰亡の原因だったに違いないが、移民の流入がもたらした問題は決して小さくはなかったと思われる。この点、フランス、ドイツの移民問題は日本の今後の移民政策を占う意味で、大きな関心を持たざるを得ない。

(編集子)欧州や現在中南米からの不法移民に悩む米国のことを見ると、わが日本が島国であり、温暖な気候に恵まれ、どこの国よりも長い時間、単一民族であり得たことの幸運を感じる。さらに付け加えるならば、我が国には土着の宗教というものがない(神道は宗教ではあり得ない)こと、も付け加えるべきかも知れない。なぜイギリスはドーバー海峡にトンネルなんか作ったんだろうか?外国人を歓迎することにやぶさかではないが、国の基本になる部分だけは、なんと言われようと日本人だけで守り抜くことが必要だと思うのだが。

オーバーツーリズムか道頓堀の昨今 (大学クラスメート 飯田武昭)

数日前にひさしぶりに出掛けた大阪の南(難波界隈)の道頓堀商店街にあるおでん屋「たこ梅(本店)」(大阪の北(梅田界隈)の「たこ梅」分店は贔屓の店です)の黒板メニューに“箸やすめ”と書いてあって、数品の品がチョーク書きされていました。ちゃんとした和食では有るが、おでん屋でもそんな気取った品書きがあのか、芝居で言えば幕間、映画で言えば休憩(Intermission)のような・・・。それに似た気分転換になりました。

ところで、道頓堀川界隈は日本の大阪か中国の上海かまごつくほどの雑多な看板の氾濫でちょっと離れた心斎橋筋とは相当に違ってしまっていました。ニュースで時々流れる道頓堀川へ飛び込む(禁止されています)「戎橋」での、御上りさん状態(私)のスナップをご笑覧ください。

氷河特急の旅   (HPOB 小田篤子)

80歳になった夫の氷河特急に乗りたい…でスイスを旅しています。

6/22、ドバイ経由でチューリッヒに入り、広いチューリッヒ中央駅で苦労し、サン・モリッツに着きました。サン・モリッツはシャンパン気候とかで、高級感のある綺麗な所。食べ物も高い!です。ベルニナ急行、そして氷河特急に乗り、ツェルマットに今日(6/28)は居ます。

氷河特急はツェルマットまでなのですが、少し前に降った雨により通行止めの箇所があり、車と電車の振り替えとなりました。ここは昔から電気自動車、電車以外は入れないので、マウンテンバイクが多くみられます。嬉しい事にお天気が良く、マッターホルンがくっきり見られ、ケーブルで途中のSunneggaから2時間歩き、降りて来ました。スイスの野原は私が好きな真っ白な花、レースフラワーでしょうか?がいっぱいです。

(編集子発信のメールより一部転載してコメントに代える)

……..同じ考えるならもっとコージのことなんかよりもっとましなことがあるだろうに、おめえ、大事な時間を無駄にしてねえか? そういやあ今では会えない人の妻、となったオダアツコとかカネフジヤスコなんて連中は何でああ度々外国旅行ができるんだ?テイシュは俺と同じHPOBだというのに? と思いついてさらにますます腹が立ってきた。

我が家のコロナ騒動

先々週、ドクター篠原から ”コロナはまだいるよ!” という警告があったけれど、(マー、俺にはかんけーねえや)くらいの気持ちしかならなかった。それがなんと、わがパートナーが(夏風邪だと思うんだけど)と出かけたクリニックでコロナの宣言を受けて帰宅。勤めて接触のない数日を送ったが同じ茅屋にあっては当然というべきか、小生も被弾。5日分のキットをもらって暑さの中、悶々の1週間を過ごした。

いまやかの悪病も薬局でもらった薬を飲んで自宅で治る、という事態にあって、あらためて感じたのは (あのとき、この薬ができていればあいつは今でも元気だったのにな)という衝動的な感覚だった。普通サイズの倍はあるカプセルをしかも4つ、一口に飲みながら (これがなけりゃ俺もあいつと一緒になるところか)という事に思い至った。大げさに言えば、自分の死生観というのか覚悟の具合を試されているような瞬間だった。

神田光三。

普通部時代、同じクラスの知識人だった鈴木庚三郎と陽気な大越康徳なんかの奔走でラグビー部が復活、時あたかも全国制覇を成し遂げた当時の高校から、宮島(みやきん)さんとか、木野(ぶんかい)さんとか、多くの一流プレイヤーにしごかれた。神田は左バックロー(当時フランカという言い方はしなかったと思う)、俺は左フッカー、毎回 (もっと腰を低く!)(押しが足りねえ!)なんてやられていた仲だ。社会人になって大手銀行のホープとされていたが銀行の仕組みそのものに飽き足らず退社、文字通り徒手空拳、コトバもわからないスイスに修行に出て、はるかに若い少年たちと一緒にチョコレートの作り方をきわめて帰国、白金にだした ”ショコラチエ エリカ” は今や東京名店にかぞえられようかという成功をおさめている。

(ちょっと父が具合悪くて)と長男の光教君から連絡があってからわずか数日、コロナ蔓延の絶頂期、他界した。ご家族との面会もできなかった、悲劇的な最期だった。そんなことどもがつぎつぎに思い出された5日間の闘病、そのうえ、その5日目はパリで客死した同期のエース、西脇順一の日本での葬儀にも顔が出せなかった。

慶応高校の入学式では,学内進学の代表と入試組の代表が塾旗を掲げる儀式があった。普通部の代表は西脇、”おめえは西脇が風邪ひいた時のスペア” といわれて当日、(野郎、風邪ひかねえか?)と念じながらあいつのそばに立っていたものだ。そんな(あのころ)の感傷を吹き飛ばしてしまったのもまた、このコロナだった。ま、不徳の致すところか。

エーガ愛好会 (276) アメリカ映画と人のぬくもり (普通部OB 菅原勲)

米国の映画から、ひとの温もりは、一体、どこへ消えてしまったのか?

飯田さんが指摘されたいくつかの映画、「グレン・ミラー物語」から「学生王子」まで通底して流れているのは、一言で言えば、ひとの温もりです。それは、夫婦のそれであり家族のそれであり友人のそれであり、そして、見知らぬ人同士のそれです(でも、「見知らぬ乗客」なんてオソロシイ映画もありました)。その代表監督は、全編を流れる温もりに満ちた「黄色いリボン」で代表されるJ.フォードでは無いでしょうか。一方、テレビであれば、「パパは何でも知っている」(日本テレビ 58年8月―64年3月。米国・NBCテレビ:54年10月― 60年9月)がその代表でしょう。米国の国として黄金時代であり、聖林の黄金時代でもありました。

でも、1970年代後半、マイケル・チミーノの「ディア・ハンター」(1978年)、F.フォード・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)などが公開されるに及んで、特に「ディア・ハンター」は、ロシアン・ルーレットの悍ましさもさることながら、夫婦、家庭、友人など人の温もりが喪われて行くさまを、極めて的確に描いていました。これを境に、最近はトント新しい映画など見ていないから大層なことは言えませんが、以後、ひとの温もりなど殆ど見当たらなくなりました。勿論、例外はあるでしょう。逆に、今、そんなことを正面切って描こうものなら、惰弱、軟弱などの非難が浴びせられるご時世です。繰り返しになりますが、今は皆目「ひとの温もり」など全く見当たりません。

「映画は時代を写す鏡」だ、と言われています。結局、その根本原因は、ヴェトナム戦争で、土人(土着人)に成すすべなく惨敗し、75年4月、サイゴン(現ホーチミン)が陥落した後遺症の成せる業ではないでしょうか。米国は、土人(土着人)を虐殺し、その土地を収奪して出来上がった国です。従って、ここで見事なしっぺ返しを食らったことになるわけです。

結局、昔は良かったの類いの話しになってしまうのですが、やっぱり、昔は良かったのだ。温もりが無くなったら、映画が映画でなくなるだろう。いや、映画どころか人生だってどうなるか分からない。

そして、これは牽強付会かも知れませんが、マルクス五兄弟に始まって、ローレル/ハーディの極楽コンビ、アボット/コステロの凸凹コンビ、ホープ/クロスビーの腰抜けコンビ、ルイス/マーティンの底抜けコンビ、が、底抜けを最後に底が抜けてバカバカシイ映画がなくなったのも、そのせいかも知れません。ひとの温もりあってこそのバカバカシサでしたから。

(安田)温もりの欠如が顕著になったのは、ベトナム戦争を描く映画の来襲によるところ大ではないでしょうか。「ディア・ハンター」「プラツーン」、「地獄の黙示録」「7月4日に生まれて」「グッドモーニング、ベトナム」、「フルメタル・ジャケット」など。カンボジア内戦(ポルポト率いるクメール・ルージュの暴挙)を描いた「キリング・フィールド」1984年などは観ていて吐き気を催すほどでした。第二次世界大戦を描いた「史上最大の作戦」「遠い橋」「砂漠の鬼将軍」「プライベート・ライアン」「ダンケルク」「戦場のピアニスト」「バルジ大作戦」「ナバロンの要塞」「眼下の敵」・・・、などは娯楽性が高く、楽しめたような気がします。

歳を重ねてきて感性が鈍ったのか、好き嫌いがはっきりして来たせいなのか、歳に見合う映画が少ないからなのか、最近は封切り映画を観なくなりました。最近、映画館で観たのは「ゴジラー1.0」です(笑)。映画の全盛時代は”30年代~’60年代、なかんずく’50年代だと思っていますが、名画をテレビをどしどし放映してもらいたいものです。

(編集子)小生が足しげくシリコンバレーへ出張していたころ、出先で家庭の夕食に招ばれることが多かった。大体が同じ中級サラリーマン家庭だから、決して豪華なものではなかったが、夫人の手造りで、中にはパンまで自家製よ、と自慢されることもあった。子供がまだ小学生くらいのことも多く、そのしつけとかテーブルマナーなんかをほほえましく見たものだった。
しかし、80年代半ばくらいころからだろうか、この機会が激減し、夕食を、と言っても夫人抜きで(つまり純日本サラリーマン風に)でかけることが増えた。なんとなく不思議だったが、或る時、これは客先での話だが、先方から真顔で ”Does your wife cook ?” と聞かれて応答に困ったことがあった。彼の曰く最近はどこでもワイフが俺たちと同じように仕事に出るようになって、自宅でもワイフの作る晩飯を食うことが少ないんだ、と寂しそうであった。当時の我々の常識では、サラリーマン家庭で夫人が勤めに出るのは極めてまれなケースだったし、多くの場合のいわゆる共稼ぎ、は経済的に問題があり、その結果として必要になる、という場合にほぼ限られていたような気がする。しかし (おめえの神さん、あんたの飯作ってくれるんか?)というこの切実な悩みを打ち明けた本人はシンシナティの高級住宅地にプール付きの家を持ち、キャディラックを乗り回す身分の人間である。夫人が経済的な理由で働く必要があるとは思えないではないか。なんとなくそれから先は冗談話に切り替えたが、なんとも不思議な体験だった。
その後、僕らが経験し、楽しみにしていた旅先での家庭訪問、夫人手作りの心こもったディナー、という定番はほぼ完全に姿を消したようだ。これって、いったい何なんだろう? ”ブロンディ” だとか ”パパは何でも知っている” とか、テレビ番組の常連だったアメリカのスイートホーム、はもうないのか?
スガチューが提起したアメリカエーガの変貌、は映画のつくりかたの問題ではなく、アメリカと言う社会の変貌の結果である、と僕は思う。そして、これは勇気のいる発言なのだが、先回、本稿で提起した、男女平等、とか、ジェンダーギャップ、とかいう一連の社会思想の変貌がもたらした、ネガティブな側面ではないのだろうか?スガチューのいうひとの温もりは、人間社会が始まって以来、人種や文化を超越して続いてきた、”家庭” の消滅の結果なんじゃなかろうか?、

 

 

 

わが谷は緑なりき     (41 齋藤孝)

わが谷は緑なりき ー How green was my valley.

6月18日からスコットランドとウェールズに行き,北ウェールズはコンウェイで、あの ”我が谷” の場所に行ってきた。

名女優「モーリン・オハラ」は大家族の娘役だった。勝ち気な女性役は彼女に適役なのだ。その映画は、ウェールズの炭鉱町を舞台にしていた。

“Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and days of auld lang syne ?”

“旧友を忘れ 思い起こすことがなくても良いのか?昔懐かしい日々を忘れても良いのか?”亡き友のためにもう一杯、モルトの杯を酌み交わした。

(編集子)モーリン・オハラ。俺達の青春時代の一つのあこがれでもあった。ジョン・ウエインが癌で命旦夕に迫ったとき、そのオハラが、”あの人を救う手立てはないのでしょうか!” と議会に訴えた、という話は胸に響いたものだ。いろんな作品で彼女にお目にかかっているが、彼女が最も美しい、と感じたのは別居を余儀なくされた妻の役で彼女が騎兵隊の砦をおとずれる、”リオグランデの砦” 、あの作品のあるシーンで、オハラの横顔がアップされたカットだった。

 

 

エーガ愛好会 (275)恋愛ものを巡る後期高齢者の蘊蓄

人間グーグルの異名をもつKWV44年卒安田耕太郎君が仲間内に披露した、彼の若き日に書いたという、カサブランカ の感想文を巡って賑やかな論戦になった。ま、いくつになっても男はロマンを追う夢を捨てきれないようだ。

(大学クラスメート 飯田)「カサブランカ」の感想文を拝読しました。ところで、「カサブランカ」に匹敵する恋愛映画の名作として挙げられている、「哀愁」と「ローマの休日」にも全く異議はありませんが、3本共にモノクロ映画なので、彩を添える意味でもカラーの恋愛映画の名作にも時には、思いを馳せたいと思います。思い付きですが「めぐり逢い」(1957年、デボラ・カー、ケイリー・グラント)、「愛情物語」(1956年、タイロン・パワー、キム・ノヴァック)辺りを是非入れたいと思います。

「めぐり逢い」は分別の備わった大人の男女のストーリーで、デボラ・カー、ケイリー・グランドの美男美女が主役ですし、「愛情物語」はピアニスト・エディ・デューティンの半生を描いた映画ですが、大根役者と言われていたタイロン・パワーと一世を風靡したキム・ノヴァクなのと2本ともに音楽も良いと思います。私はタイロン・パワーは「壮烈カイバー銃隊」「長い灰色の線」「陽はまた昇る」で存在感があって、決して大根役者だとは思っていないのですが・・・。

(普通部OB 船津)どれも確かに悲恋・恋愛エーガですね。ローマリ休日はローマ観光映画。「巡り会い」はニューヨークエンパイヤーステートビル宣伝映画ですが、デボラ・カー大ファン。良いなぁ。「愛情物語」はピアノが良いなぁ。「哀愁」も悲恋は悲しい結末でジエンドですね。大人の恋の物語ですね。光輝高齢者になっちやっとその俳優の渋さが分かる。

(安田)確かに、「めぐり逢い」「愛情物語」「慕情」を加えないといけませんね。「愛情物語」はショパン「ノクターン第2番」が、「慕情」は言わずもがな。「めぐり逢い」の音楽は印象に残っていません。

。そこで出演時のヒロイン女優の年齢を調べてみました。

・カサブランカ「イングリッド・バーグマン27歳。
・哀愁「ヴィヴィアン・リー」26歳。
・ローマの休日「オードリー・ヘップバーン」23歳。
・愛情物語「キム・ノヴァック」23歳。
・慕情「ジェ二ファー・ジョーンズ」36歳。
・めぐり逢い「デボラ・カー」36歳。彼女の「王様と私」は忘れ難いですが、バート・ランカスターとの波打ち浜辺でのラブ・シーンが印象的な「地上より永遠に」(当時31歳)も忘れ難い。
ヒロインの匂い立つ若さと、成熟した女性の魅力が際立つ6本の映画です。
ラヴ・ストーリーとなれば、もっと最近では、「ある愛の詩」のフランシス・レイ作曲の主題歌「Love Story」アンディ・ウイリアムス歌唱でも有名。
(HPOB 菅井)リストを拝見していて、個人的に何か足りないなぁと感じていました。それは、旅情「キャサリン・ヘップバーン」48歳(役の想定年齢は38歳!)

(安田)確かにアカデミー主演女優賞最多(4回)受賞者の大御所キャサリーン・ヘップバーンの「旅情}を外すわけにはいきませんね。

強面の人気映画「第三の男」もアリタ・ヴァリを巡って、恋仲だったオーソン・ウェルズ、次に友人のジョセフ・コットンもウェルズの行方不明そして死去後からアリタ・ヴァリに好意以上の感情を持ちアプローチ。エンディングのウィーンの墓地のシーンで、埋葬後コットンはヴァリを待ったが、彼女は表情をかたくしたまま一瞥もくれず、彼の前を歩み去って行った。グレアム・グリーン小説と映画の結末は違い興味深いですが、僕は映画の結末が好きです。ぶれない生き様を見せつけるヴァリには、やはり最後もぶれて欲しくはない。コットンさん、ごめんなさい!

(菅井)アリダ・ヴァリの本名はAlida Maria Laura, Freiin Altenburger von Marckenstein-Frauenbergという長い立派な名前でドイツ人貴族を表す”von”が付いており、男爵夫人という意味のFreiinが冠されている神聖ローマ帝国の男爵家の末裔で、オーストリア人、スロヴェニア人、イタリア人の血筋を引いていました(彼女自身はイタリア人であることを強く意識していたそうです)。

「第三の男」は彼女の代表作でジョセフ・コットンたちに一瞥もくれずに歩き去って行くウィーン中央墓地のラスト・シーンは強烈に記憶に残っています(これを映画史上最高のラスト・シーンと評価した評論家もいるようです)。個人的にはカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した「かくも長き不在」(Une aussi longue absence,1961)でのゲシュタポに強制連行されて行方不明になった夫を待つ(探す)パリのカフェのマダムの演技も素晴らしかったです。大きな瞳を持った目力の強い女優でした。
彼女は1964年にフランス芸術文化勲章、1990年にローマ第三大学から名誉博士号、1990年にはヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、2001年にはイタリア大統領からヴィットリオ・デシーカ賞を授与されています。
主題歌である「三つの小さな音符」(Trois petites notes de musique)を歌っているコラ・ヴォーケール(私が最も好きなシャンソニエールの一人)の歌唱も素敵です!

(編集子)小生にとっての 第三の男 のラストシーンは歩き去るヴァリでなくて、それを見送るコットンが煙草をまさぐるカットと、その少し前にジープでコットンを待っていたトレヴァ・ハワードが黙然と去っていくカットのほうが印象に残る。美女と恋愛も結構だが、このカットに漂う男の諦観というか、そういう描写のほうがいい。コージに反論するとすれば、最高のラストシーンはやはりヘンリー・フォンダとキャシイ・ダウンズの 荒野の決闘 の、あれだな。