エーガ愛好会 (246) ウエスタン  (34 小泉幾多郎)

今年2024年NHKBS1最初の放映西部劇。マカロニウエスタンの巨匠と称せられ、クリント・イーストウッド主演により「ドル箱3部作」といわれた「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」を全て音楽エンニオ・モリコーネで制作し、マカロニウエスタンの火付け役となった。この「ウエスタン」に至り、単なるイタリアでのマカロニウエスタンから、本家アメリカに対する献花という域にまで成長してきた。どちらかと言うと娯楽性を追求してきた西部劇から一転して、滅び行く西部への感傷と時代に取り残されて行く西部の男たちを詩情豊かに謳い上げるドラマとして制作したのだった。

冒頭から約10分余セリフもなし。3人の男が、ある駅で誰かを待っている。一人スネイキー(ジャック・イーラム)、顔に付いた蠅を振り払おうと表情筋を動かし、最後銃身に蠅を閉じ込める。一人ストーニー(ウディ・ストロード)、天井から落ちてくる水をハットで受け止め飲み干す。もう一人ナックルズ(アル・ムロック)、指のストレッチをしながら列車を睨むと到着。「真昼の決闘」のオマージュだが、目的がはっきりしない。列車が去るとハーモニカを吹く男(チャールス・ブロンソン)が立っている。セリフ「馬が1頭足りない」「2頭足りなくなる」3人倒れる。「真昼の決闘」のこれだけでなく他にも過去の西部劇映画を彷彿とさせるような場面が具体的にはっきりはしないが引用されている。

場面は代り、数年前に妻を亡くし後妻を受け入れる父娘に二人の息子の家族の団欒に、土地とカネを奪い取るべく鉄道王モートン(ガブリエル・フェルゼッティ)の差し金で、フランク(ヘンリー・フォンダ)と計5人の男が、子供までも、名前を聞かれたと殺してしまう。ニューオーリンズで高級娼婦だったジル(クラウディオ・カルディナーレ)が何故殺されたブレッド・マクベイン(フランク・ウルフ)の後妻に呼ばれた理由は不明だが、その死を知らず、列車から馬車に乗り換え、あの駅馬車以来のジョン・フォードのロケ地モニュメントバレーを走るのだった。マクベインが居を構えたスイート・ウオーターへ。広大な土地
と鉄道の利権を収めるようになったジルが、この映画の中心人物となり、鉄道王モートンとフランクが悪役、一時マクベイン一家殺害の汚名を着せられたシャイアン(ジェイソン・ロバーツ)とハーモニカが善玉となり、ジルと夫々が絡み合いながら争うことになる。

モートンが部下を使い、フランクを狙う場面等もあるが、最後はハーモニカとフランクが決闘、ハーモニカが倒す。過去ハーモニカの兄の殺しに、フランクが係わっていた過去がフラッシュバックする。悪役フランクの倒れ方、フォンダの悪役も様になっていた。家を建て、駅を建て、町を作るという死んだ夫が抱いた
壮大な夢を実現すべく、ジルは町の大衆の中へ、入って行く。古き男たちは、命を落とすか西部の荒野へしか帰るしかないのだろうか。新たな時代の幕開けを告げる俯瞰の映像で幕を閉じる。

(安田)小泉さんのご丁寧な追加解説で「ウエスタン」がよく理解できました。イタリア人監督だから紅一点のイタリア女優クラウディア・カルディナーレを出演させたのでしょうが、「刑事」「若者のすべて」「山猫」から成熟した大女優振りを魅せてくれました。映画は2度観ました。

1960年代「ドル箱三部作」で大ヒットしたマカロニウエスタンの名声を引っ提げてハリウッドで演出したセルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」とも呼ばれる一作目が「ウエスタン」(Once Upon a Time in the West)。コンビを組むエンニオ・モリコーネの主題曲が珠玉。2作目の「夕陽のギャングたち」(Duck, You Sucker) 1971年製作と3作目「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(Ince Upon. time in America) 1984年製作の主題曲、3作目の主題曲「デボラのテーマ」(Deborah’ Theme)は、「ウエスタン」主題曲と共にとても気に入っています。                                                                                        
(編集子)”移りゆく西部” というコンセプトでは、”明日に向かって撃て” とか ウエインの遺作 ”ラスト・シューティスト” や、単なるドンパチと誤解されることが多いけれど ”ワイルド・バンチ” なんかが思い浮かぶ。滅びゆくものの美学、という言い古されたテーマなのだが、日本人には特に「アピールするのではないだろうか。

久しぶりのサントリーホールで起きたこと

年も明け、コロナ騒動でしばらく遠ざかっていたサントリーホールへパートナーのお供で出かけた。高校時代、母親がなにかの義理で東京交響楽団の後援会に入っていて、毎月、チケットが来る。それを自動的にもらって日比谷へ分かったような顔をして出かけたものだったが、現在、同様に何がきっかけだったか我がパートナーも覚えていないのだがなんとなく毎月、スケジュールが送られてくる。今回は小生でも知っているポピュラーな曲目だったので気安くでかけた。自分には演奏技術だとかなんだとかいう事を云々する感性も知識もなく、クラシックの名曲もまた一種のBGMを聞くくらいのつもりなのだが、やはりジョニー・キャッシュでもというのとは大分違った会場の雰囲気も悪くはなかった。

新春、ということなのだろうが幕開けにシュトラウスのワルツがあり、2曲目が小生の好きなラフマニノフのピアノコンチェルト2番。家で聞いているときは、いろんなことをやりながら、ま、今日は小林旭じゃあねえか、ラフマでもかけるか、という程度に流すだけなのだが、今日はどういうわけか、出だしのピアノの連打が終わったあたりから、全くなぜだかわからないのだが、高校時代のことをつぎつぎと思い出した。高校時代に特にこの曲に関わる想い出があるわけではないし、何より、あの時代にこの曲を聞いた記憶もない。しかし曲が終わるまで、高校時代のあのこと、このことが思い出されてきて、なんとも妙な気分でいるうちに最後の豪華なフィナーレになり、ピアニスト(小山実稚恵)がたかだかと手を挙げ、満場の拍手になってしまった。

僕は幸い、中学高校大学と一貫教育を受け、高校時代を受験という試練を受けずにきままに過ごすことが出来た。そのおかげで中学時代はラグビーで、大学はこれまたワンダーフォーゲル部での毎日とほんの少し、エリヒ・フロムをかじっただけで卒業してしまった。そういう意味では、高校の3年間の、あのゆるやかなというか、ある意味ではたおやかな、そういう時間が自分の人生観というか生き方を決めた時間だったような気がする。高校へ進学した時点では、ラグビーを辞めますと言って先輩に屋上で殴られる寸前まで苦労し、その反動半分、迷わずに新聞会という部活動に溶け込んだ。その後卒業までの間につき合った仲間たちとは文芸誌みたいなものに携わったり、一時は文学部へ行こうかなど真面目に考えたこともあったし、などとそんなことどもが次々に蘇ってきて、当時はやっていた名曲喫茶なんてのにも出入りしたものだったな、と思いいたると、どうもこのコンチェルトは俺の高校時代の描写なんだ、というようなこじつけができたから不思議なものだ。

この曲のどこが、どの部分がどうした、という議論はとてもできないし、なぜ今まで同じ曲を何度聞いてもそういう気にならなかったのはなぜか、ということもわからない。言ってみればこの日の演奏が作り出した周波数が自分の回路に共鳴した、というようなまことに不思議な体験だった。音楽を聴く、という行為としてこれがどうなのか、わからない。ただ、この日の小山さんの演奏が素晴らしかった、というのはずぶの素人の自分にもわかった。アンコールの拍手は鳴りやまず、彼女は6回、ステージにあがるという劇的な演奏であった。

この日、ラフマニノフが自分をとらえた、感傷だか何だかわからないものが、好きな立原道造の詩から感じるものと似ているような気もする。 ”のちのおもひに” というこの詩は、次のように終わる。

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

(安田)小山実稚恵のピアノ演奏をお聴きだとのことですが、彼女は1982年チャイコフスキーコンクールで第3位、1985年のショパンコンクールで第4位入賞を果たしています。

ラフマニノフのピアノコンチェルト2番となれば、「エーガ愛好会」の一員としては、イギリス映画「逢びき」1945年、アメリカ映画「旅愁」1950年(ジョーン・フォンテイン+ジョゼフ・コットン)、「7年目の浮気」1955年(マリリン・モンロー)を思い出さずにはおれません。この映画3本すべて良かったし、「逢びき」のトレバー・ハワードは特に印象的でした。

サントリーホールの思い出で忘れがたいのは、2004年11月、ロシアのオセチア人指揮者ヴァレリー・ゲルギエフがウイーンフィルを指揮した予定されていなかった特別チャリティー・コンサート、午後1時開演。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を1曲だけ特別演奏しました。偶々チケットが入手できて、パートナーと一緒に聴いたこのチャリティコンサートの目的は、同年9月、彼の出身地北オセチア共和国の小学校がロシアと紛争中のチェチェン共和国独立派の武装集団によって占拠され、300人を超える幼い命が犠牲になった事件に哀悼を捧げることと、同年10月には新潟中越地震が勃発。この2つの事件の慈善事業としてということでした。

”きな臭い話” について  (42 下村祥介)

私が強く感じていることは、「米国は自国から遠く離れ、大きな損害や影響を受けない他国間の紛争には決して自国民の血は流さない」だろうということです。

冷戦時代でこそ民主主義の盟主として朝鮮戦争、ベトナム戦争などの地域紛争に手を出し、日本も自国防衛の最前線として守られたきました。が、今後は地政学的にも太平洋や大西洋に守られている米国は遥かに消極的な姿勢に転じていると強く感じています(第1次大戦時も第2次大戦時も自国(自国船)が直接攻撃を受けて初めて参戦を決意した訳ですから)。

となると台湾有事(中国軍が台湾に侵攻・上陸するなど)が起こった場合も、米国は口先で非難するだけ、或いはせいぜい軍事的な牽制行動を起こすだけで実戦は行わない(沖縄や本土に駐留する米軍に攻撃命令は出さない)のでは、という気がします。中国は台湾上陸後の自国軍が攻撃を受ける前に沖縄などの米軍基地を攻撃することはないでしょうから、米軍の方も台湾防衛のためだけに中国軍を攻撃するとは思えません。

”きな臭い話” について   (44 安田耕太郎)

別報菅原さんの問題提起についての私見です。

① 習近平の最新の発言「台湾問題の解決は中国人自身のことであり中国人自身が決めるべきだ。祖国の完全統一は必ず実現しなければならず、必ず実現できる」。任期中の台湾統一で歴史に名を残す野心と欲望の程度と、統一を成す過程の予見される難儀と困難の程度のバランスを如何に計算・予想しているのか?
② 台湾国民の過半数以上は「武力統一を中国は選択することはない」とのやや希望的観測が支配的との報があった。これが事実だとすれば、中国との宥和策を採る国民党政権の誕生も強ち無いとは言えない。習近平にとっては濡れ手に泡、そうなれば深刻な武力衝突なしの統一もあり得る。僕はこのシナリオの可能性は低いとは思う。総統選と立法選の結果がねじれ現象となる可能性も低いと予想するが、もしそうなる場合は、総統は民進党、立法は親中の野党が多数となる ねじれ だろう。混沌とした予想困難な状況になる。台湾国民には、香港の状況を観て、中国による統治がもたらす惨状を深く考えてもらいたい。
③ 習近平は過去の歴史を学習していると思う。シリアのアサド政権転覆を意図した米欧に対してプーチンの強面態度にオバマは譲歩して弱腰を見せたアサド独裁専制体制を延命させた事実、更にプーチンのクリミヤ併合時の西欧側の弱腰、ウクライナ戦争における米・西欧勢の腰砕け的サポートと民主主義の弱点である世論の不統一性を観ているはず。それらの弱点を中国は武力統一を選択する場合のシナリオとして想定・考察する可能性を否定できず、米・日・西欧民主主義勢を甘く観る可能性がある。そんな観測で武力統一に進むシナリオは最悪だ。
④ 外からは充分且つ正確に知り得ない中国の国内問題が顕在化・深刻化し、国内問題の火種を隠すため、台湾統一に突き進むことで歴史に名を残す野心と習近平自身の保身・権力維持のを目的として選択する可能性は否定できない。
⑤ 台湾選挙の結果は予断を許さないが、民進党が引き続き政権を担当すると予想(期待)する。しかし、その場合は上記に挙げた種々の点で状況は複雑且つより困難になるだろう。
⑥ 鍵の一つは、アメリカの国内問題の制御、国力維持と政治と経済の安定。リーダーシップの安定・強固さ・果断さ・世論の統一性の問題などが国際問題にも大いなる影響を与えるはず。アメリカが結果として台湾併合を許せば、米中の覇権争いに新たな絵が描かれるのだろう。モンロー主義的傾向が強いアメリカの政権も国民もそれを良しとはしないだろう。更に民主主義体制 vs 独裁専制体制の力関係にも影響が及ぶ。中国が武力統一を選択した場合、アメリカは民主主義の盟主として武力で応戦するのか?日本は否応なしに当事者の一国として巻き込まれるのか?それとも張り子の虎のモンロー主義を貫くのか?
⑦ 中国は今にも武力行使開始を匂わせる脅しを徹頭徹尾行い、台湾からの白旗を期待しているのではないか。ウクライナ戦争でも彼我の軍事力の差があるのに決着はつかず、痛みは甚大。中国は同じ轍は踏まず、かつ外にはそれを容易に感づかせずに、自分に利するシナリオを実行したいのではないか?

エーガ愛好会 (245)24年初見の報告です  (大学クラスメート 飯田武昭)

年末から正月三が日にかけてテレビ放送で観た初見の映画の感想を記します。

・映画「ブルース・ブラザース」(1980年)監督ジョン・ランディス、主演はコメディアンのジョン・ベルーシとダン・エイクロイド。

概略はNBC放送の人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」にストーリーを付けて映画化したもの。ブルースやR&B、ソウルミュージックなどの黒人音楽に対するオマージュと言う側面がある由。印象はスラップスティック、アクション、ミュージカルをごちゃ混ぜにした作品で、その積りで観るとバンドやダンスシーンに大物アーティストが続々と生出演している不思議な魅力がある。

レイ・チャールス、ジェームス・ブラウン、ツイツギー、スティーヴン・スピルバーク等で、彼らの演奏シーンやラスト20分ほどのカーチェイスとアクション・シーンは確かに見応えあるが、ミュージカル仕立てに統一したら、もっと良い映画になっていたかも、と勝手に思った次第。

ところで、スラップスティック(Slapstick)という日本語英語、意味は 《道化師が相手役を打つ棒の意》どたばた喜劇。無声映画の時代に米国のマック=セネットが作りあげた喜劇のスタイル。スラップスティックコメディーだそうだが、洋画を映画館で良く観た若い頃の映画雑誌「映画の友」「スクリーン」の映画評論家の評論によく出て来た言葉なので、どたばたコメディの映画のコメントに自身も適当に使ってはきたが、あまり日本人には馴染みがない言葉であり、感覚だと今でも時々感じる。

・映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」(1986年)監督 木下恵介。主演 加藤剛、大原麗子、紺野美沙子、中井貴一、植木等など。旧作は「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)監督 木下恵介、主演 高峰秀子、佐田啓二、中村賀津雄、田村高広など。

転勤族である灯台守の夫婦の物語で、全国の沢山の灯台が出てくる今では貴重な風景が沢山観られ、木下監督独特の家族の絆の感覚が全編を貫く爽快さが見終わっても残る。植木等が夫妻の父親役で、ある意味で主役を演じるいい味を出しているのは、スーダラ節の植木等を俳優としても見直す良い映画だった。

きな臭い話だが    (普通部OB 菅原勲)

多少きな臭い話しで申し訳ありませんが、ご存知の通り、1月13日(土)、台湾で総統選、立法院選(議員選)が行われます。総統選は民進党の頼が勝ち、立法院選は民進党が多数派を維持すれば、当面は、さしたる問題はないと思います。しかし、中共の干渉が余りにも凄まじいので、総統選は国民党の侯、立法院選は国民党が多数派となることも強ち否定できないようです。その国民党は、中共と仲良くなりたがっています。

ここからは、誠に悲観的な見方になりますが、そうなると、習近平は濡れ手に粟、戦わずして台湾を手に入れることになります。こうして中共の掌中に収められた台湾を、果たして米国は取り戻しに来るでしょうか。また、台湾有事は日本の有事だそうですが、米国が手を引いた台湾に、軍隊を持たない日本がチョッカイを出すことが出来るでしょうか。

勿論、総統選と立法選の結果、ねじれ現象が起こるかもしれません。ただし、そうなった場合の事を云々する能力は小生にはありません。皆さんは、どうお考えでしょうか?

グーグルによる ”台湾有事” の背景の解説ー

――台湾海峡の中間線とはどのような線ですか。

海峡のほぼ中央に引かれた折れ線です。中間線を明示した公的な地図は意外と少なく、2004年に台湾の国防部長が立法院で中間線が通る緯度と経度を明らかにしたのが数少ない資料です。最近、よくニュースになりますが、実は国際法上は何の意味もない線なんです。

――何の意味もないのですか。なぜそんな線があるのでしょうか。

1949年に蔣介石の国民党政府が大陸から台湾に逃れた際に、共産党側がそこを越えてきたら色んな対応をとるということを示すために海峡の真ん中に作戦用の線を引いたからです。当時は米軍も台湾を支援していましたから、米軍の航空部隊の戦術上もそのような線が必要でした。

 ――米軍が関わっているのですね。

はい、当時はまだ米軍の支援を受ける国民党の軍の方が共産党の軍より強かったんです。国民党は「大陸反攻」と言って、また大陸に戻る気構えで爆撃や偵察、工作員潜入などを仕掛けていました。中国の大陸沿岸は台湾海軍がおさえていて、中国の船を妨害することもありました。米国としては国民党軍にあまり手を出してほしくないという気持ちがあり、中間線を引いて台湾海峡をどちら側からも渡らせない、という意味がありました。

――その線が今まで続いているのですか。

はい。台湾側が勝手に引いた線ではありますが、これを越えたら敵対的な意図があるとか、挑発をしているだとか、政治的な意味を持ってきたことは間違いありません。

(編集子)先に中国経済についての識者の著述を紹介したばかりだが、大規模戦争が国内の不満をそらすために外敵をでっちあげ、国民の不安をあおった結果勃発した例はいくつもある。まして中国は共産党独裁によって国民の思想まで制御しているわけだから、その気になれば戦争に訴えるのは簡単だろう。もしそのとばっちりを日本が受けたとき、国民が一致してそれに対応できるのかどうか、誠に心もとないと思うのだが。

初日の出 東と西で

(小泉)珍しき、マルセイユ近くのエスタックの初日の出 と比較すれば、我が家から東の空からの初日の出(6:50)、西の初富士(6:55)は珍しくもなく。ありきたりですが、偶々目が覚めましたのでお送りします。同時刻、TV朝日では、飛行機から写した富士山と初日の出をダイヤモンド富士とかを絡め、映写していました。

(平井)明けましておめでとうございます!マルセイユ近くのエスタックの青空と太陽の光りをお届けいたします。年越しのシャンパンを親友達と交わしている最中です。平和で幸福な年でありますように心から祈ります。

(船津)パリは今新年に代わった真夜中ですが、素晴らしい年越しのマルセイユの陽光を観て元気が出ました。東京は晴天の元旦を迎えています。
今年も愉しく健康で過ごせる年でありますように宜しくお願い申しあげます

エーガ愛好会 (244) ある愛の詩  (HPOB 小田篤子)

『ある愛の詩』は,雪のセントラルパークの風景、大ヒットしたフランシス·レイの主題歌、有名なセリフ、「彼女が好きだったのは、モーツァルト、バッハ 、ビートルズそして僕」で始まり、「愛とは決して後悔しないこと」で終わる等々…色々な事が話題になり、若い時にも観た思い出深い映画です。
ヒロインは妊娠と同時に末期の白血病で亡くなりますが、主人の幼馴染みや、長女の先輩は大学の時の就活中に、又次女は高校生の時同じクラスの人の大学生のお姉さんが…とまわりでも若い方が多く亡くなっています。先日亡くなった《ライアン·オニール》とGiさんがお好きな「ボー·ジェスト」の《レイ·ミランド》が大金持ちの親子役で、息子の結婚に反対しています。レイ·ミランドは若い時より鋭い目付きになり、「刑事コロンボ」にもゲスト出演していました。
出演した45作品のランキングでは①位「ダイヤルを廻せ」⑥位「ボー·ジェスト」のようですね。

(飯田)レイ・ミランド考、興味を持って読みました。

彼の主演映画では勿論、「ダイヤルMを廻せ」ですが、「失われた週末」(1945年)も印象に残る作品でした。アル中のサラリーマンがアル中から脱却しようと努力するも、結局は元の木阿弥で人生を破滅で終えるような救いの無いストーリーですが・・・。

1970年3月にLove Storyという本がアメリカで出版されました。この本は、アメリカ国内だけで1200万部を売り切るという大ベストセラーとなりました。小説と映画が同時進行で制作され、小説が出版されて数週間後に映画が公開されました。この映画は、日本では『ある愛の詩(うた)』というタイトルで上映され、「愛とは決して後悔しないこと(Love means never having to say you’re sorry)」という名台詞が公開当時流行語になりました。