“秋葉原の半日” 読みました  (HPOB 安斎孝之)

私も小学校のころからの秋葉原通いを思い出しました。当時大宮に住んでいたので30円の硬券を握りしめて秋葉に通っていました。当時子供料金で30円ぐらいでした。まだ自作の真空管ラジオは失敗ばかりでしたがそれなりに部品集めや主にジャンクに漁りが目的でした。

ジャイさんと同様に中学時代にアマチュア無線を始めましたがちょっと自作まではいかずFD-AM3という当時の井上電機(いまのICOM )の名器を手に入れて夜遅くまでもっぱらラグチューに夢中になっていました。それでもアルミシャーシの加工用にリーマーやハンドニブラー、真空管時代の80Wのはんだごてなどいろいろ持っていました。最近は自作なんて全然できませんが一応半導体用はんだごてとはんだは常備しています。もちろんテスターも。

いつもラジオデパートは上から地下までくまなくパトロールです。なのでシャッターだらけの今は本当に寂しいです。もはや秋葉原は電気街ではなくオタクの街になっているので。若松通商や秋月通商までの道のりで多くのメイドさんに声をかけられる(最近はさすがに爺なので少ないですが)がなんともです。今でも真空管にチャレンジされているジャイさんは素晴らしいし、うらやましいです。最近は自宅の家電も半田ごてで治せるものがないのがさみしいです。

きっぱりと冬が来た

またまた購読している読売のコラムのことで、同じニュースソースばかりで能がないと思うのだが、昨日は高村光太郎の詩の一節がとりあげられ、能登地震で苦境にある方々への励まし、特に若い人たちへのエールになっていた。自分がやはり高校生のころ、ここで取り上げられている詩に感動したことが思い出される。

高村は造形美術の巨人としてのほうがよく知られている。残念だがそちらには興味のない小生だが、彼の詩は高校生のころから読む機会が多かった。今度取り上げられているのは彼の詩集の一つ ”道程” から、よく知られている ”冬が来た” の一節である。高村の詩集では、若くして心を病んでしまった愛妻を思う ”智恵子抄” が有名だが、どの作品だったかに 智恵子は檸檬をがりりと噛んだ という一節があり、このイメージが読んだ時のぼくの精神状態にもよるのだろうが、妙に心に突き刺さってしまい、それ以来、なんとなく遠ざかってしまった。これと対照的に

”僕の前に道はない 僕のうしろに道はできる”

という有名なフレーズで始まるこの ”道程” という詩集はやはり、未来を見つめている高校生にはわかりやすいのだろう。読売のコラムが取り上げた 冬が来た は、”きっぱりと冬が来た” で始まり、”冬よ 僕に来い 僕は冬の力 冬は僕の餌食だ” と言い、”しみ透れ つきぬけ” そして ”刃物のやうな冬が来た” と結ぶ。北国の厳寒の中でなお前を向き続ける若者にこの詩を紹介した、このコラムのセンスのよさには毎度ながら敬服する。

ほかにもうひとつ、僕からその若者たちに紹介したいのが同じ詩集にある、”カテドラル” だ。これを初めて読んだとき、僕は訳も分からずにただ感動した。圧倒された、というのが正しいかもしれない。

おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。

この初めの一節が、自分の中で凝縮し、どこへどう向けたらいいのかわからない、若者のエネルギーというかパッションというか、それになにかわからないが一つの方向をさししめしてくれた、という風に僕は覚えている。今こうして書いている間も、文字通り ”吹きつのるあめかぜ” の中で雄々しく戦おうとしている能登の若者たちにこの読売のコラムがはげましになることを祈らずにはいられない気持ちである。

米国西部なら多少わかっているとは思っているのだが、欧州にはあまり行く機会もなかったし、今後ももう行く機会はもうあるまい。この カテドラル についてもパリ在住の平井さんあたりにご紹介をいただくのがいいようだが。

 

秋葉原の半日

葉原、という地名はよく知られているように、”電気街” という異名があって、電気販売店の密集地というイメージが強く、外国人観光客の ”爆買い” には人気スポットにもなっている。僕らの中学生時代は当時の先進技術であったラジオやアンプの自作に興味をもった、いわゆるラジオ少年には部品や材料、工具に測定器などの供給地として大げさに言えば一種の聖地みたいな場所であった。

小学校の時、”鉱石ラジオ” なんてものに興味を持ち、中学に入って真空管を3本使った(当時自称 ”通” の間では ”3ペン” とよばれたもの)構成のラジオつくりをクラスメート数人で始めた。家でもなんとか使えるものが出来たことで気をよくして、つぎには ”短波受信機”ってやつを造ろう、ということででっちあげた6球のラジオで英国BBCの放送を受信し、つたない英語で書いたリポートにBBCからカードをもらったことでさらにラジオ熱が上がり、次のステップとしてアマチュア無線へ進んだ。この過程で、小遣いを抱きしめて、秋葉原へは足しげく通ったものだ。

戦後、なぜこの場所がいわばラジオや通信機マニアの聖地化したのかはよくわからないのだが、最盛期には神田駅のガードあたりから万世橋、秋葉原といろんな部品屋が軒を連ねるようになり、それらの店がやがて一つの建物に同居する形になって、いわば現在の用語で言えば電機部品スーパーみたいなものになった。神田から始まって、覚えているだけでも5つか6つはあったと思うのだが、その生き残りとして秋葉原駅にほぼ隣接したところにラジオデパート、というのがまだ営業している。しかし市販されるエレクトロニクス機器がデジタル化と相まってあまりにも高度化してしまったために、アマチュアが一から部品を組み立てる、という時代ではなくなり、“自作” といってもそのクライテリア自体が様変わりしてしまったので、この種の店の存在意義も変わりつつある。

小生は退職後、KWV仲間の浅野三郎君や彼の友人各位の指導でこの道に復帰し、それなりに地球規模の交信を楽しんできた。これは中学時代には想像もつかなかった性能を持つ通信機が専門メーカーによって提供される時代になったからだ。しかし小生はいわば前時代的な、ありていに言えば天邪鬼的思考で、”自分で作った通信機で交信する” という夢が捨てきれない。しかし ”自作” が前提であった時代とは違って、他人に迷惑をかけないためには、メーカー並みとは言わずとも最低の機能を持つ機器を作るというのは並大抵ではないという現実に向き合っているのが現状だ。必要な部品の調達もネット商法によって手軽に入手ができるようになったが、やはり秋葉原で部品屋をほっつきあるくのは誠に楽しい。たまたま、今取っ組んでいるプロジェクトに足りないものがでてきたので、ほぼ半年ぶりに秋葉原へ行ってきた。”自作” が少なくなったうえに、世の中に背を向けて、時代遅れもはなはだしく(というか勉強不足もあって) ”真空管でやる” というドンキホーテ主義を貫いているので、そのためには時代錯誤的な、オールドファン向けの部品を扱ってくれていたある店に行こうと思ったのだ。

しかし、実はやがては来るものと覚悟していたのが現実となり、今日行ってみたら店にシャッターが下りているではないか。隣の、これも良く行く店で聞いたら、やはり昨年末で廃業しました、ということであった。秋葉原で、という事はたぶん全国でおそらくただ一軒、かつてのラジオ少年向けに頑張ってくれていた店主のSさん(確か小生と同年齢だったと思うのだが)にも会えずじまい、また一つ、キザに言えば心の灯みたいなものがなくなってしまった。

これからはあまり好きではないのだが、通販をさがして似通った部品を探すしかあるまい。たとえば話はコマくなるが、すずメッキ電線にかぶせる絶縁チューブは今では当然プラスティックになっているが、昔使っていた、エンパイヤチューブ、という現代のアマチュア諸君はご存じないものが秋葉原廣しと言えども置いてあったのはこの店だけだった。製品としての機能では現在のものの方が格段にいいのだが、”昔” を偲ぶために使い続けてきたのだがこれも終わりにしなければなるまい。現代の発光ダイオードなどというロマンの感じられない不細工なものを避けて、わざわざ模型用の豆電球で、あのほんのりとしたパイロットランプの雰囲気を楽しんできたのだがこれも難しくなっていくだろう。

明治人のいわく “降る雪や 明治は遠くなりにけり” を改めて実感し、今何度目かのスクラップアンドビルド、を繰り返している送信機が ”わが恋の終わらざるごとく この曲も終わらざるなり” なんてオーストリア人の嘆きにならないようにしたいと思いながら帰ってきた。電車を降りたら甲州街道に木枯らしが吹き荒ぶ、寒い半日だった。

 

 

エーガ愛好会 (248) 新春・再見エーガのこと  (大学クラスメート 飯田武昭)

BS103が無くなって、BS101に纏められてから、番組構成が殆ど分らなくなって詰まらなく、大相撲期間中は午後1時から大相撲を放送している・・という事で、思い出したように時々、BSの他のチャネルの番組を調べていたら、BS松竹東急(!/20)に「髪結いの亭主」(1981年製作、フランス映画)というのを見つけました。この時期はニューヨークに居たので、この映画のタイトルも内容も全く知らずの録画予約ですが、どんな映画なのでしょうか?

他に、ちょっと必要があって最近再見したビデオでプレスリーの「ブルー・ハワイ」とバーグマン、モンタン、パーキンス3大スター競演の「さよならをもう一度」があります。
「ブルーハワイ」は1960年代初めの公開で、当時の豪華絢爛のアメ車が
ハイウエイをビュンビュン飛ばす爽快さと、プレスリーが「ブルーハワイ」「月影の渚」「好きにならずにいられない」「ロカ・ララ・ベイビー」「ハワイアン・ウエディング・ソング」など13曲を歌う、他のプレスリー映画より、断然にサービス精神に徹した作品で楽しかったです。(プレスリー・大ファンの小田さんの評価はどうでしたでしたか?

「さよならをもう一度」はフランソッワーズ・サガン原作の映画化で、
アンソニー・パーキンス演ずるストーカー紛いのニヒルな付き纏いという
人物設定が嫌いで、評価が低かったですが、今回再見(交響曲第3番第3楽章/ブラームスがモチーフに使われているので)した限りでは、モノクロ画面で3者3様に好演技をしているドラマとしては、それなりに面白く評価を少し上げました

 

例によってウイキペディアによれば:

ブルー・ハワイ」(Blue Hawaii) は、ビング・クロスビーシャーリー・ロスが主演した1937年パラマウント映画ワイキキの結婚』のために、レオ・ロビン作詞、ラルフ・レインジャー作曲によって書かれたポピュラー・ソング。1937年にクロスビーが吹き込んで、「スウィート・レイラニ」のB面として発売されたバージョンでは、「ラニ・マッキンタイア&ヒズ・ハワイアンズ」がバックを務めている[2]

この曲は、その後、数多くのカバー・バージョンが作られたが、最も成功したのは1961年エルヴィス・プレスリーが映画『ブルー・ハワイ』の主題歌として歌ったもので、この映画のサウンドトラック・アルバム『ブルー・ハワイ』は、ビルボードのアルバム・チャートであるBillboard 200で連続20週間にわたって首位にとどまった。プレスリー版はアメリカではシングルとしては発売されなかったが、日本では1962年に「ラ・パロマ」とのカップリングで独自にシングルカットされた(日本ビクター SS-1286)[3]

(編集子)敬愛する飯田兄が 一部の女性ファンがのたまう エルヴィス などと背筋が寒くなるような甘ったるい表現を使わず プレスリー と書いているのは喜ばしいことである。ただ小生、映画 ”ブルーハワイ” はトップシーンが印象にあるが、当時の彼の持ち歌総動員、という程度しか記憶がないのは申し訳ない。

 

”どうして日本人はこうなんだろう” について (44 安田耕太郎)

スマホのYouTubeを徘徊して時間潰しをすることが増えた昨今だ。最近、とみに増えたと感じ、なかなか面白く有意義なのが、海外から日本を訪れる多国籍の旅行者あるいは仕事・留学のため日本に滞在している外国人居住者に対するインタービュー動画だ。インタービュアーは日本人のみならず、日本在住の日本語を解する外国籍の人が寧ろ多い。インタービューは英語で行われるのも興味をそそる。インタービューを受ける側もインタービューをする側も、英語を母語としていない国籍の人が多いのが面白い。言い換えれば、世界の色々な国の人々が日本とに日本人について尋ね・意見を求め、他方ではそれに答え・応えているので、日本と日本人をどの様に観ているか、捉えているかが炙り出されて興味深い。

幾つかYouTubeの標題を挙げると:
* 帰化について
* 大好き日本冒険記
* ここは完全に狂った国だ
* 日本では空気と安全は只なのか?
* 日本が大好きすぎる日本人になった元外国人
* 日本人はクレイジーだ「トイレ事情」
* 日本の凄さを思い知りました
* 独りで日本旅行
* 親切でフレンドリー、礼儀正しい。他者に対するリスペクト素晴らしい。
* サービス、おもてなしの態度は世界一だ
* 日本の田舎
* 本当に同じ惑星なの
* アニメでは気付かなかった本当の日本に感動
* 元に戻れない! 日本の影響がすごすぎ
* 初めての日本料理、和食に感動。多くの料理がまな板の上で論評される
* First Time in Japan
* 日本の鉄道、交通機関に虜になる
* これこそミラクルだ
* 初めての経験に絶句
* 日本に来て好きになったこと、Top 5
* もう無理! 日本の〇〇が恋し過ぎる
* 日本の常識はけた違い
* 母国に帰って絶句
* 日本は私の人生観を変えた
* 日本は想定外・異例な国だ
* 腰を抜かしたよ
* 日本の各都市、地域は独自の文化を持っている
* ゴミ箱が無いのにナンデこんなに綺麗
* 日本の国民皆保険制度と医療に驚嘆
* 日本での生活は楽?大変?
* 日本人だけの特殊能力
* 自然と技術の共生が凄い
* 母国に帰れない理由! 日本は〇〇が凄すぎる
などなど。枚挙に暇がないが、日本と日本人にたいする文化論のようなYouTube集だ。YouTube内容の骨子をまとめるのは至難であるが、標題から類推がつくのではないか。総じて日本と日本人礼賛になっていて面映ゆいほどだ。詳しくはYouTuneを丹念に観ると、次第に日本と日本人の輪郭が、我々日本人には気付かない視点で浮き彫りになっている。ジャイさんがブログで言及され、問題提起された日本と日本人の諸々の特徴と局面に対する意見・回答・反応・説明にもなっていると感じている。
勿論、YouTubeを通して公共の目、一般のスマホ所有者の目に届くので、激しく否定的・極端に問題になる可能性のあるYouTubeはスクリーニングされているかも知れないが、圧倒的なヴォリュームの情報量で”目に鱗”とばかりに迫ってくる。50を超える程のYouTubeを観ると、外国人の日本・日本人観が概ね理解されるようになる。日本居住者の外国人インタービュアーの国籍の多様性と彼等・彼女等の、日本語の流暢さには感嘆するばかりだ。インタービューは英語で行われるのだか。英語を母語としない海外旅行者の英語の達者なのにも驚かされた。

エーガ愛好会 (247)カウボーイ    (34 小泉幾多郎)

昨12月放映「決闘の3時10分」の監督デルマー・デイビス、主演グレン・フォード による作品。1月6日付飯田さんから、同監督は見せ場を作るのが上手い。とありまし たが、西部劇の体裁を壊さないながらも、単なる西部劇でない種々の工夫が凝らされ ている。

先ずは出だしから驚く。あのタイトル・デザインの革命児ソール・バスによ る洒落たタイトルから始まり意表を突かれる。しかも舞台は西部の荒野でなく、シカ ゴの高級ホテル。宿泊依頼したトム・リース(グレン・フォード)が、入浴したら、 これからオペラを見に行くと言うからまた驚く。残念ながらオペラの場面はカットさ れたが、何を見たのだろう?ホテルの受付フランク・ハリス(ジャック・レモン)は 顧客でメキシコの牧場主の娘マリア(アンナ・カシュフィ)に恋しているものの、父 に反対され、メキシコに帰ってしまう。ポーカーを始めたリースは負け続け、その リースに金を貸したハリスは、カウボーイの仲間入りを果たすことになる。ホテルマ ンから一人前のカウボーイになるまでが描かれることになる。

銃撃戦や戦いの場面は 少ないが、広大な牛の大群のスタンピード、インディアンとの対決、囲いでのロデ オ、暴れ牛との対峙等々、駅馬車の音楽がアレンジされて流れる。大きな荒野をバッ クにしたロケーションの映像は良いし、最後二人が仲良く、あのシカゴのホテルに戻 るのは良いのだが、何となくスッキリしない点も残った。先ずは、牛の方が人間より も大事と言いながらも、その後の二人の豹変ぶりとか、ハリスとマリアの恋も何ら変 異ないまま終わり。途中雇った拳銃使いのドック(ブライアン・ドンレヴィ)は最高 の悪役の筈が、何の活躍の場がない侭に、場面なしで、昔の同僚を撃って自殺するな んて全くの期待外れ。

原作は、フランク・ハリスの自伝「カウボーイの想い出」で、 彼自身の体験を書いているだけに資料的価値が大きいと言われている。

右奥がドンレヴィです

(編集子)そうそう、ブライアン・ドンレヴィは ”大平原” とか ”落日の決闘” それに ”ボージェスト” の鬼気迫る悪役ぶりでなくちゃ。最近の悪役はみんなスマートすぎて迫力ねえなあ。

(菅井)ハリウッドというよりはN.Y.などEast Coastの典型的な都会派俳優のジャック・レモンが西部劇に出演していたとは全く知りませんでした。
軽めのコメディが得意だったジャック・レモンを想定して役やシナリオが作られたのでしょうが、西部劇としてはちょっと無理があったようにも感じました。

ウィキペディアによれば、ジャック・レモンはボストン生まれで名門ボーディング・スクールからハーヴァード大で薬学と化学を学んだという典型的な東のエリートだったようです。この映画への出演は彼の代表作となった「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」よりは前でした。個人的にはシャリー・マクレーンと共演した邦題「あなただけ今晩は」(Irma la Douce)が好きです。

乱読報告ファイル (51) タナ・フレンチ  捜索者

今の場所に引っ越して以来、すっかりなじみになっていた本屋が閉店するというので名残惜しくなって立ち読みに寄った時、偶然、タイトルにつられて買った本である。アマゾンで調べて原書も手に入れることができた。

この本、表紙に書かれている賛辞によると素晴らしく考え抜かれたミステリ、という事なので期待して読み始めた。シカゴで長い間荒っぽい警官生活を勤めた主人公が引退近くに離婚し、アイルランドで全く違った環境でゆっくり余生を過ごしたいと見知らぬ田舎町に家を買う。古い家なのでいろいろと手を入れなければならず、隣人のアドバイスも受けながら大工仕事をやっているところへ、見知らぬ少年がやってきて、いなくなった兄を探してくれと頼んでくることから始まる。原書にしてほぼ400頁の作品なのだが、期待しつつ読み進むうちになんとなく違和感みたいなものがでてきた。200頁を過ぎても一向ミステリらしい雰囲気にならないのだ。話はともかく兄の結末を見届けるところで終わるのだが、主人公が一度、闇討ちに遭って怪我をする以外、アクション描写もなければ悪漢も出てこないし悪女も現れない。ほぼ400頁の間、主人公は村人に会い、山を歩き、また人に会う。そしていつの間にか、探していた少年を探し当てる。どこがミステリなんだ、と思っているうちに終わってしまった。子供が一人、行方不明になる訳だから、それなりの騒動があってもいいのだが、警察も一切でてこない。それがアイルランドとシカゴの違いなんだ、と納得してみても、どうも読み終わった満足感がないのだ。

この主人公は料金も払ってもらえない子供の願いをかなえてやろうと、そのコミットメントに愚直なまでにただ歩き回り、行動する。難しい理屈も不満もとなえない。違和感が消えないままとにかく読み終わってから、待てよ、これはまさに ハードボイルド文学 の原点なのではないか、という気がしてきた。報酬にも世間の評価ももとめず、ストイックに自分の意思をもちつづけることだけが原理であり、話が終わればまた、自分の生き方にもどっていく。”長いお別れ” でマーロウは友人だと思っていた男と別れ、その足音が遠のいていくのを黙って聞く。出会いがあり別れがある、それだけ。

ニューヨークの批評家がなんといおうと、これはミステリじゃない。これはシカゴやサンフランシスコの裏街ではなく、草深いアイルランドを描いた、優れたハードボイルド文学だ、というのが読後感であった。

”どうして日本人はこうなんだろう”

いわゆる有識者とかその道のエキスパートとして知られる人たちが、日本の現状を先進諸国特に西欧社会のそれとを比較して論じることがよくある。たしかにそうだなあ、と納得する議論も多いが、中には(そんなに自虐的に考えるこたあねえとおもうがなあ)という論調も数多い。(日本では)(だから日本人はダメなんだ)(先進国では)といった議論である。これらの弁士を称して 出羽守 という。”日本では” と言い、決まって ”どうして日本人はこうなんだろう” と終わるからである。

昨日、度々引用するが読売新聞のコラムで、この (どうして日本人はこうなんだろう)というフレーズがきわめてポジティヴな意味で使われているのを発見してうれしくなった。いま国民的同情を集めている能登地震に関連してのトピックで、かつて不運にぶつかった東日本大震災のとき、救援に駆けつけてくれたスタッフに、救出された老人が、”ご迷惑おかけしてもうしわけありません” と言った、というエピソードである。また本欄でも一度紹介したが、同じような場面であわてて逃げだしたので、料金をはらっていなかった、すみません、と混乱の真っ最中に食事をしていた店に戻ってきた人がいた、という話もあった。

また、能登の震災とほぼ同時に起きた羽田の日航機から、全員が無事救出されたという事には、全世界から驚嘆の声があがっているという。インターフォンが使えず、一部のドアは使えない、という異常事態を見事に乗り切った機長以下のスタッフの沈着な対応も見事だったが、”荷物は持たないで、あわてないで” という指導にきっちりと対応した乗客の態度もまた賞賛されている(この部分の映像も見て感動した)。今まで同様の事故は海外でも何度か起きているが、いずれも我勝ちに荷物を抱えて脱出するひとびとで大混乱がおきていたそうだ。此処で、読売のコラムは言うのだ:どうして日本人はこうなんだろう? と。嬉しい疑問ではないか。

僕はこの ”どうして” の解答は、我々が子供のころから無意識に植え付けられている、けじめ、という感覚なのではないか、と思うのだ。日本という国では、個人と社会とのかかわりあいの濃密な関係を大切にする。そこには西欧文化の言う意味での個人主義とは異質の、”自分”という個人と全く同列に ”あの人も個人” という感覚を重視する。そこには自分と他人のあいだにはっきりしたけじめ、という意識が生まれる。だから、自分のために危険を冒してくれた、その個人に対して、”迷惑をかけた” という意識が生まれるのだろう。

”人様に迷惑をかけない” というロジックを、個人の尊重をないがしろにするものだ、という批判にすりかえてしまう論調をよく聞く。この議論は突き詰めて言えばなんでもかんでも自己第一、という議論になる。燃え上がる飛行機からの脱出にどうしても自分の荷物だけは持ち出したい、という動機になり、支援物資が届けば我勝ちに持ち出したり、日本では絶対に見ないことだが略奪行為になったりするのではないか。

最近、健康維持と称して早朝、甲州街道を歩く。京王線にしてふた駅分歩いてそこから電車に乗って帰る(5年くらい前までは往復歩いたのだが)と、ちょうどいわゆるラッシュアワーに差し掛かる時間帯になる。サラリーマンの皆さん、ご苦労様、という気持ちなのだが、どうも最近、そういう雰囲気があまり感じられないのだ。なぜだ、と考えてみて、周りの人たちが実はそうなのだが、それが僕らのイメージにある ”サラリーマン” 風でないのだ、という事に気がついた。ネクタイを締めてカバンを持って、というのが僕らのイメージなのだが、そういう人たちも今やネクタイなぞはしめず、ラフな、と言って悪ければスポーティな格好にザックを背負っているのだ、という事である。この風潮はコロナ下で必要に応じていやおうなしに始まった自宅勤務というか ”リモート” モデルと軌を一にした現代改革なのだろう。時間や通勤スタイルなどに関する自由度を増す、という意味ならばまことに結構だし、僕自身、ネクタイなんかは嫌いな方だったから、納得は出来る。しかし片や、現役真っ盛りの息子なんかを見ていると、スマホに追いかけられ、世界のどこにいても電話が追っかけてくる現実は確かに効率はいいだろうが ”個人” と ”社会” とのあいだにあるべき ”けじめ” がつくのだろうか、と心配してしまう。この事象はもちろん世界的な現象であって、出羽守に説教されるまでもないのだが、僕には今回の読売のコラムが使った意味で、(なんで日本人は) と言われれなくなる日の来ることが恐ろしい気がしてならない。.

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エーガ愛好会 (246) ウエスタン  (34 小泉幾多郎)

今年2024年NHKBS1最初の放映西部劇。マカロニウエスタンの巨匠と称せられ、クリント・イーストウッド主演により「ドル箱3部作」といわれた「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」を全て音楽エンニオ・モリコーネで制作し、マカロニウエスタンの火付け役となった。この「ウエスタン」に至り、単なるイタリアでのマカロニウエスタンから、本家アメリカに対する献花という域にまで成長してきた。どちらかと言うと娯楽性を追求してきた西部劇から一転して、滅び行く西部への感傷と時代に取り残されて行く西部の男たちを詩情豊かに謳い上げるドラマとして制作したのだった。

冒頭から約10分余セリフもなし。3人の男が、ある駅で誰かを待っている。一人スネイキー(ジャック・イーラム)、顔に付いた蠅を振り払おうと表情筋を動かし、最後銃身に蠅を閉じ込める。一人ストーニー(ウディ・ストロード)、天井から落ちてくる水をハットで受け止め飲み干す。もう一人ナックルズ(アル・ムロック)、指のストレッチをしながら列車を睨むと到着。「真昼の決闘」のオマージュだが、目的がはっきりしない。列車が去るとハーモニカを吹く男(チャールス・ブロンソン)が立っている。セリフ「馬が1頭足りない」「2頭足りなくなる」3人倒れる。「真昼の決闘」のこれだけでなく他にも過去の西部劇映画を彷彿とさせるような場面が具体的にはっきりはしないが引用されている。

場面は代り、数年前に妻を亡くし後妻を受け入れる父娘に二人の息子の家族の団欒に、土地とカネを奪い取るべく鉄道王モートン(ガブリエル・フェルゼッティ)の差し金で、フランク(ヘンリー・フォンダ)と計5人の男が、子供までも、名前を聞かれたと殺してしまう。ニューオーリンズで高級娼婦だったジル(クラウディオ・カルディナーレ)が何故殺されたブレッド・マクベイン(フランク・ウルフ)の後妻に呼ばれた理由は不明だが、その死を知らず、列車から馬車に乗り換え、あの駅馬車以来のジョン・フォードのロケ地モニュメントバレーを走るのだった。マクベインが居を構えたスイート・ウオーターへ。広大な土地
と鉄道の利権を収めるようになったジルが、この映画の中心人物となり、鉄道王モートンとフランクが悪役、一時マクベイン一家殺害の汚名を着せられたシャイアン(ジェイソン・ロバーツ)とハーモニカが善玉となり、ジルと夫々が絡み合いながら争うことになる。

モートンが部下を使い、フランクを狙う場面等もあるが、最後はハーモニカとフランクが決闘、ハーモニカが倒す。過去ハーモニカの兄の殺しに、フランクが係わっていた過去がフラッシュバックする。悪役フランクの倒れ方、フォンダの悪役も様になっていた。家を建て、駅を建て、町を作るという死んだ夫が抱いた
壮大な夢を実現すべく、ジルは町の大衆の中へ、入って行く。古き男たちは、命を落とすか西部の荒野へしか帰るしかないのだろうか。新たな時代の幕開けを告げる俯瞰の映像で幕を閉じる。

(安田)小泉さんのご丁寧な追加解説で「ウエスタン」がよく理解できました。イタリア人監督だから紅一点のイタリア女優クラウディア・カルディナーレを出演させたのでしょうが、「刑事」「若者のすべて」「山猫」から成熟した大女優振りを魅せてくれました。映画は2度観ました。

1960年代「ドル箱三部作」で大ヒットしたマカロニウエスタンの名声を引っ提げてハリウッドで演出したセルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」とも呼ばれる一作目が「ウエスタン」(Once Upon a Time in the West)。コンビを組むエンニオ・モリコーネの主題曲が珠玉。2作目の「夕陽のギャングたち」(Duck, You Sucker) 1971年製作と3作目「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(Ince Upon. time in America) 1984年製作の主題曲、3作目の主題曲「デボラのテーマ」(Deborah’ Theme)は、「ウエスタン」主題曲と共にとても気に入っています。                                                                                        
(編集子)”移りゆく西部” というコンセプトでは、”明日に向かって撃て” とか ウエインの遺作 ”ラスト・シューティスト” や、単なるドンパチと誤解されることが多いけれど ”ワイルド・バンチ” なんかが思い浮かぶ。滅びゆくものの美学、という言い古されたテーマなのだが、日本人には特に「アピールするのではないだろうか。