平標・残雪     (53 林岳志)

5月2日(月)に、元橋→平元新道→平標山の家→平標山→松手尾根→元橋に、桑原(S52卒)、関根(S54卒)と林(S53卒)の3人で行ってきました。

前日(1日)夜まで浅貝は雨でしたが、山の上では雪だったようで、新雪の上を快調に歩くことができました。午前中は晴れていましたが、午後は急に曇って、元橋に下山してすぐに豪雨になりました。

三国山荘は、桑原山荘委員長と福島屋(佐藤高之氏)や現役の努力によって、順調に運営されています。皆様のご利用をお待ちしています。

山荘の庭にカタクリの花が咲いていました。

エーガ愛好会 (139) B級エーガ礼賛!    (大学クラスメート 飯田武昭)

好きな時に観たい映画を見ています。それが暇な人生での贅沢の一つかと思っているのかやっています。最近1~2カ月の間にも、BSシネマ放送以外で気儘に選んだ映画で「男と女」「悪魔のような女」「トロイのヘレン」トニー・ザイラーの「白銀に踊る」「空から星が降ってくる」ブリジッド・バルドーの「殿方ご免遊ばせ」「素直なお悪女」インド映画「ムトウ 踊るマハラジャ」プレスリーの「やさしく愛して」「ラスベガス万歳!などを観ました。他にも「ザ・ローリング・ストーンズ」「スーパーマン」も見ました。見たい映画で中にはやたら多いCM入りの民放での放映などは、スポンサーには申し訳ないが、CM部分をカットして映画部分を結合してから観るように心がけています。そのくらいの時間的余裕があるのが今の小市民たる私の贅沢です。アメリカでは確か映画、ドラマ等の放送時に途中でCMは入れず、前後にCMだけ纏めて入れている文化だったと記憶しますが、放送文化技術的には日本の方が進んでいると思う反面、日本のスポットCMの入れ方だけは気に入らないと以前から思っています。ドラマや映画の途中でスッポンエキスのCMを観さされては興趣も何も台無しになってしまいます。

「市民ケーン」の評価が分かれるのはやむを得ぬとは思いつつ、私はあまり評価しないパーティに属しますが、最近の船津兄の論評に絡むやり取りに改めてこの作品の奥深さを感じている次第です。その時の気分で選んで観ていた上記の無秩序の映画の中で、「男と女」「悪魔のような女」などは映画として評価するなら上位に属する作品と思いますが、他は特に評価が高いわけでも無く、ただ好むか好まないかという作品群だと思います。

ワンゲルの方達ですからトニー・ザイラーの2作品は当然、面白い、又見たいと思われるでしょうが、私は「白銀に踊る」も良いが、特に「空から星が降ってくる」で、イナ・バウワーが滑り踊るラスト20分位続く屋外スケート場アリーナでのアイスショーの部分を含めて好きです。ブリジッド・バルドーの2本「殿方ご免遊ばせ」、「素直な悪女」も昔に劇場で観た頃は、ひやひやドキドキしながら見た感じが、最近見るとバルドーがやけにキュートに見える軽めのタッチの喜劇性が面白いと思います。エルヴィス・プレスリーの2本もエルヴィスの顔が嫌いと言う人でなければ単純に楽しめる映画でした。映画デビュー作「やさしく愛して」も良いですが、「ラスベガス万歳!」はアン・マーグレトという20世紀アメリカを代表しているようなピチピチした美女がちょこちょこと動き回り、ちょっと踊るだけで、話は単純で良かったと思うほど娯楽に徹した作品と改めて思いました。「トロイのヘレン」もギリシャ系ロッサナ・ポデスタという美女が銀幕デビューした当時の衝撃が思い出されます。インド映画「ムトウ、踊るマハラジャ」も単純に楽しめました。

「スーパーマン」は兎も角、「ザ・ローリング・ストーンズ~Lets Spent the Night together~」(1982年制作)は深夜放送で数日前に放映されていましたが、こんな映画があったのも知らずに観ましたが、ちょっとがっかりしました。私はエルヴィスとビートルズで精いっぱいの青春時代で、ローリング・ストーンズがビートルズの人気の脇の方で人気が上がってきたのはチラ見程度で知ってましたが、1枚LPを買って聞いたらやはりビートルズとは比べ物にならないと思ってその後も略聞いてませんが、その後も延々と人気グループであるので気にはなっていてミック・ジャガーなるボーカルが何故人気なのかも含めて、この映画(ニュージャジー州のスポーツ・アリーナでの2時間公演のLIVE)を観ました。一番に思ったのはどの曲も似たような歌詞が着いていて、それが通俗的(というより低俗的)な物で、エルヴィスやビートルズ益してや当時ヒットしたジョーン・バエズやジョルジュ・ムスタキのような何かを訴えたり、人生を讃えたりする内容が感じられない点でした。エルヴィスやビートルズのファンで良かった!!このローリング・ストーンズの映画の制作された1982年当時、私はニューヨークに4年間駐在していてこの間は映画は2~3本しか観ていません。スポーツ観戦とブロードウエイ・ミュージカルとリンカーン・センターでのメトロポリタン歌劇場やエイヴリー・フィッシャー・ホール(現在は改称してデイヴィット・ゲフィン・ホール)での演奏会やバレエ公演に現を抜かしていました。

これからも見たい映画は1流でなくとも1流半か2流で結構、娯楽に徹した映画が当時の映画館には沢山あったと思います。例えばコーネル・ワイルドやボブ・ホープ主演物、女優ではバージニア・メイヨ、アン・ブライス、エスター・ウイリアムズ、イボンヌ・デ・カルロ、パイパー・ローリーなどという名前だけで格好いい2流俳優が主演する娯楽作品が沢山あった!! こんな映画は評価の対象外で見つかればぼちぼちと観たいと思います。

(編集子)懐かしい名前がうれしいですな。アン・ブライスで覚えているのはグレゴリ・ペックとの共演 世界を彼の腕に だしヴァージニア・メイヨならロバート・ライアンとの 誇り高き男 なんかかな。エスター・ウイリアムズ!となるとまだお互い小学生のころだぜ。トニー・ザイラーがでてきたのは驚くが、彼は 黒い稲妻 これ一本で十分。ひたすらスキー技術に魅了されて、今まで何回見たか覚えていない。彼が来ていた当時はまだ日本にはなかったキルティングのヤッケが映画の評判を受けて緊急発売され、モトキだったかどこだったか、仲間と買いに駆けつけたのが懐かしい。

土方歳三記念館へ行ってきました   (34 小泉幾多郎)

土方歳三墓所

4月30日天気も良く、家内に誘われ土方歳三記念館に出掛けました。小生の方は新選組や土方歳三にはあまり興味はありませんが、家内の方は、新選組特に土方歳三の生き方に共鳴している様子。まあイケメンという所が多いに影響していると思いますが。gisanからも土方歳三については、ご高説やら扮する俳優の優劣等を聞いてましたので出掛けた次第。新選組のふるさと日野市には、日野駅の近くに、日野市立新選組のふるさと歴史館 はじめ他にも数か所の資料館が点在しているのだが、目的の土方歳三記念館だけは生家だったそうで日野駅からは離れた多摩モノレール線万願寺駅の傍でした。通常は第1第3日曜日のみ開館とのことだが、4月は29日まで閉館、ゴールデンウイークは4月30日から5月5日まで毎日開館、しかも後で判ったのだが、10月以降一時閉鎖する予定とのこと。これだけが理由ではないのだろうが、驚いたことに、12時近くに着いたら、長蛇の列が繫がっている。それも若い男女が殆んど。なかなか動かない。1時間半は待ったのではないか。若い人は待つのには慣れっこなのだろうが、こちとらは慣れていない。早く見切りを付ければよかったのだが、もう少しもう少しと言っている間に時間が経ってしまった。若者の熱心さには呆れるほど、入館しても、じっくりと眺めているのだ。TV、,書籍、漫画  等から新選組、土方歳三ファンが増えている

石田寺入口

様子が実感された。近くに歳三のお墓のある石田寺があるというので、ついでに立ち寄った。骨は何処に埋められたのか不明とのことだが、地元だけに、あちこちに土方家のお墓があるが、歳三の墓は看板があったので、直ぐ判った。墓標には、歳進院殿誠山義豊大居士とあった。そのあと多摩モノレールに一駅乗り、甲州街道駅から歩き、日野駅近辺の資料館を何軒か寄ろうと思ったが、歳三記念館で時間をとられた影響から、佐藤彦五郎新選組資料館のみ。歳三は彦五郎の義弟(彦五郎は剣の達人で妻が歳三の姉)で、道場には新選組隊員が常に出入りしていたとのこと。子孫の佐藤福子さんが、歳三愛刀の説明していた。ここで閉館時間の16時となり切り上げて帰宅。疲れたー。

土方歳三資料館入口、右は歳三手植えの矢竹。

(保屋野)私とミッキーさんが住む日野にようこそ。万願寺の記念館に行かれたのですね。
ちなみに、私は、もう52年も住んでいますが、恥ずかしながら、記念館には行ったことがありません。ただ、写真に写っていた「石田寺」は浅川ウオーキングに行くとき、時々通ります。そのすぐ脇に「都立日野高校」がありますが、同級生だったという、忌野清志郎と三浦友和の出身校で有名です。

(小田)奥様と御一緒に日野で歳三巡りを楽しんで頂いたようで、嬉しく思います。恥ずかしながら、私も、全て歩いていける所に暮らしているというのに、きちんと見たのは、ふるさと歴史館くらい。佐藤彦五郎の資料館はお雛様の展示会場になっている時訪れ、他は閉まっていることが多く前を通るだけです。調べて行ってみたいと思います。おふたり共、御熱心で、健脚ぶりに驚いております。

(安田)土方歳三がもっとホットだったひと昔、石田寺のお墓に行ってビックリ仰天!何が!ラブレター、花束、千羽鶴、果物、菓子類で墓石の周りが埋め尽くされていました。同じ経験をしたのは、京都東山の坂本龍馬の墓です。モテ男#1と#2の歴史上の人物であるのは間違いありません。

(小泉) 保屋野さん小田さんが日野在住とは失念しており失礼いたしました。偶々日野駅に降りたのも多摩モノレールに乗車したのも初めてでした。新選組のふるさとと言われているだけに、風光明媚というか古き伝統が未だに保たれているような感じがいたしました。歳三資料館で思いもかけずに時間をとられてしまい、ゆっくりと歩く時間が無くなってしまいました。浅川も都立日野高校も眺める暇もなく、資料館も入館したのは2つだけ。しかし佐藤彦五郎資料館付近は町並みも美しく、ちょっと覗いただけですが、大昌寺の庭園や確か有山家と書いてあったと思いますが、昔の土蔵意匠ながら洋風建築の建屋とか、また道に沿っては日野用水が流れるという具合で、またゆっくりと来てみたいと思った次第です。安田さんの言われる通り、流石モテ男の一人土方歳三、若者が集まる理由も判りました。

(編集子)司馬遼太郎 燃えよ剣 を読まずして土方を語るなかれ。語る資格なし。フィルムならなんといっても 新撰組血風録 の栗塚旭。フィルム化に先立って司馬は栗塚に会い、自分が書きたかった土方そのものだと激賞した由。最近作の燃えよ剣の岡田も、新選組! の山本耕史も及ばない。

 

 

コロナの現在を注視しよう     (34 船曳孝彦)

世の中の関心がコロナからウクライナへと移り、報道も少なくなってきましたが、政府は事実上のオール解禁(それを大ぴらに口には出来ませんが)にして経済を盛り上げることしか考えていないように思えます。例によって黒木博士の最新情報も入って来ました。心配がなくなったわけではありません。

新規感染者数を見ていると、オミクロン株による第6波がピークアウトしているかに見えますが、第7波の兆しを思わせる “宝永山” が見られます。亜株BA.2によるとされていましたが、さらにBA.2.12.1という亜株が出来、BA.2を押しのけて増え始めているようです。BA.1とBA.2が混合したようなXE型が危ないという報道がありましたが、それに加えてインドで発生しニューヨークで増え始めた亜株(日・英での報告はない)も心配です。デルタ株と共通する変異を持っているため、オミクロンの強い感染力とデルタの病原性を兼ね備えると厄介なことになります。しかもこれらの変異株に、mRNAワクチンが有効ではないというデータが出てきました。矢張り罹らないように予防することしかありません。

第6波が始まって、感染してしまったという話を、身近に聞くことが多くなってきましたが、ニュースにもなりません。検査体制も不十分なままですので、不顕性感染(PCR陽性無症状者)も含めると、かなり高率に感染が広がったと考えられます。今、住民を対象として抗体をどの程度持っているかの大規模調査をすべき時ではないかと考えますが、そういう調査、計画は聞こえてきません。あるいは社会的免疫といわれる7割に近づいているかもしれません。

感染した状況を見ると、やはり会食が最も危険のようで、しかも二次会的に三密状態になることがヤバいようです。蔓延防止対策が解除されても十分気を付ける必要があります。差しつ差されつのない、アクリル板越しの会食なら、人数を増やしても可いのではないでしょうか。新型コロナウィルスは当初飛沫感染と言われましたが、現在では空気感染とされています。従って感染源が分かり難いのも事実です。換気です。

時は新緑の候、ゴールデンウィークの最中、新鮮な空気を求めて、ワンダーの堀川氏スタイルで、山行、トレッキング、あるいはゴルフなどのアウトドアスポーツは、本来殆ど問題ないと思います。皆さん賢く予防しながら行動しましょう。

ウクライナ紛争とグローバリゼーション

4月28日の読売新聞に静岡県立大学の浜田准教授が、ロシアのネオ・ユーラシア主義というタイトルで寄稿された。本稿で同氏はロシア革命で欧州各地に拡散した知識人たちが、自らのナショナルアイデンティティを求めて、ヨーロッパともアジアとも違う、ロシア独自の社会文化圏を想定して”ユーラシア主義”という概念を唱えていたが、90年代のソ連崩壊後、社会主義と決裂したロシアが新たなアイデンティティを模索する中でこの考え方が見直され、再解釈が加えられてネオ・ユーラシア主義が誕生した、と紹介しておられる。

ネオ・ユーラシア主義なるものの詳細は同稿では書かれていないが、指摘されて初めて、なるほどそういうものが必要だったのか、と納得した。欧州、と我々は簡単にくくってしまい、当然の帰結としてロシアもその一部だと思ってしまう。この地には北欧神話に名高いスカンジナビア人の国外展開(ヴァイキング)から始まっていくつかの国々が勃興し、一度はローマ帝国の一部となり、いろいろな勢力の栄枯衰退をへてオーストリアハンガリー帝国となったり、現在の国境からでは理解できない地域社会が入り乱れた歴史を持つ。宗派こそ違えキリスト教という一神教、字体はちがってもアルファベットという表意文字を持ち、解釈はそれぞれとしてもローマ帝国文化の伝統を継承していて、なおかつ、おのおのの国,として地政学的に隣接している。そこには島国として三千年、ある意味での孤立というか隔絶を経て存在している日本という国からは理解し得ない共通項があるだろう。その中で、”欧州クラブ“ のメンバーとみてもらえないロシア、あるいはスラブ民族、という固まりがなぜ俺達だけがちがうのか、という感情を持ち、それがネオ・ユーラシア、という発想に至ったのは内容はわからないもののその過程は理解できる。19世紀に入ってのこのロシア外し、の原因がレニンに代表される共産主義、というものなのは確かだが、その共産主義の原点はロシア土着のものではなく英国をはじめとする旧社会に存在した矛盾だった、ということも忘れてはならないだろう。

一方、我々の日本は、日本海、シナ海、太平洋による大陸との分離、という物理的事情に加えて徳川三世紀にわたる鎖国、キリスト教との断絶が作り上げた結果はたびたび島国根性と呼ばれる国民性を作り上げた。この自虐的発想はつねにネガティブにとらえられてきているが、そのプラス面についての議論はあまり聞くことがない。猫も杓子もグローバル、とのたまう現在にも “あの連中の仲間でいたい”、あるいは ”俺だけ仲間外れ“ というような被害者意識は存在しないのではないか(小生が嫌悪感を感じる、例の ”欧米ではこうなのに日本では” 主義者もいるのは事実だが)。それには物理的・時間的隔絶もさることながら、”我が国の文化“というものが存在し、国民の支えになっている、という抜きがたい事実があるからだと思う。浜田さんの指摘される ”ナショナルアイデンティティ“ が厳然と存在している国なのだ。

現在、我々の眼前にロシアによるウクライナ侵攻、という歴史的事実がある。今回の紛争の理由が何なのか、についてはすでに議論されていることであるし、素人が云々することは避けたい。しかし、報道によれば信憑性に疑問があるとはいえ、ロシアになおプーチン支持者が多数いることも事実だなようだ。このことと浜田氏の指摘されたネオユーラシア主義というイデオロギーとは無関係ではないのではないか、と疑問を持った。

欧州諸国をはじめとする、”民主主義と法の支配という価値を共有する“ とされている各国は、本来は領土問題というローカルな紛争であるはずのウクライナ紛争を、この共有する価値への挑戦、ととらえることで、”冷戦の終結“ で終わったはずのイデオロギーの対決が再燃したと一方的にとらえているのではないだろうか。このことは少し以前にフランシス・フクヤマが世界の国々が民主主義資本主義を共通の認識としてとらえる時代が来た、として ”歴史の終わり“ を書いたことと軌を一にする。そして小生はその背後にあるのが、”グローバリゼーション“ への過信なのではないか、と思うのだ。 グローバリズムなる、共産党宣言ふうにいえば欧州を徘徊するこの妖怪の信奉者は、このうねりがベルリンの壁を打ち砕き旧ソ連を崩壊させた、だからロシアもわれわれと同じ土俵に乗るはずだ、のるべきだ、と主張してきた。それが実は幻だった、というのが今のウクライナ紛争は暗示したのではないだろうか。

小生が就職時点では想像もしなかったなりゆきで外資系会社へ勤務することになったころ、まだグローバリゼーション、というコンセプトはなく、世界規模で事業を展開する企業はワールドワイトエンタプライズ、と呼ばれ、まだ企業規模も小さかったヒューレット・パッカードもその一つと認識されていた。HPの創設者であるウイリアム・ヒューレットは同社がヨーロッパへ進出するとき、”電流は地球上どこでも同じ方向に流れる以上、HPの製品は世界で必要とされる“ と主張してこの国際化を進めていった。しかし、電流は同じ方向に流れてもそれを必要とする文化は同一ではないのだから、HPの行動基準は Think Global, Act Local でなければならない、と戒めることを忘れなかった。それが90年代くらいからグローバリズム、という一種の熱狂のなかで、世界のすべてに通用するビジネス環境があるはずだ、という過信に変わっていった。どう考えてもこれが日本の環境では通用しない、と主張しても”オマエはいつでも日本は違うという。世界のルールを理解しないオマエのほうが間違っている“ というわけだ。その過信が行きついたのは、ヒューレットが喝破した Act local の部分が抜け落ちた、一見客観的な”数字による経営“、という結果であり、独自の企業文化を誇ったHPの変貌につながったのだと小生は思っている。

ロシアだって俺達だって同じ、同じはずだ、という論理を招いたもの、その悲劇的な結果として戦争にまで行きついてしまった現状も、どうもこのグローバリゼーションという妖怪が生み出した一方的な誤解だったのではないか、という気がする。理屈理論はともかく、残酷な戦争を擁護する気持ちはさらさらないが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しで、ロシアが生み出した芸術や文化まで否定することは許されるべきではあるまい。”グローバリゼーション” なる妖怪にはそういう空気を醸成してしまう面もあるのだ、と(一企業の中の出来事には過ぎないが)自分の敗北を苦い気持ちで反芻している。

エーガ愛好会  (139) 市民ケーン   (普通部OB 舩津於菟彦)

当時25歳の若き天才オーソン・ウェルズが製作・監督・脚本・主演を務め、映画史に残る傑作として語り継がれる人間ドラマ。実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルに、ある大富豪の波乱に満ちた一生を、革新的な映像技法とストーリー構成で描き出す。大富豪の新聞王ケーンが「バラのつぼみ」という謎の言葉を残してこの世を去った。その言葉の意味を探るよう調査を命じられたニュース映画の編集者は、ケーンの元妻や事業のパートナーら、生前の彼を知る人々に取材を重ねていく。やがて浮かび上がったのは、すべてを手に入れた男の孤独な生涯だった。
1942年・第14回アカデミー賞で脚本賞を受賞。作品賞など9部門にノミネートされながら其の他の賞は新聞王ハーストのの妨害が在り取れなかったと言われている。「薔薇のつぼみ」というのがネタバレ的にこのエイガのツボに成っているが、彼にとって「バラのつぼみ」とは、手に入れることのできなかった「愛」なのだった。最後にかつて幼きケーンが遊んでいたそりがあり、誰も気にも留めないそのそりには「ROSEBUD(バラのつぼみ)」のロゴマークが印刷されていた。城の煙突からは遺品を燃やす黒い煙がもくもくと天へ立ち昇り、屋敷を囲むフェンスには「NO TRESPASSING (立入禁止)」の看板が掲げられていたラストシーンは印象的。
何が凄いかというと先ず映画の撮り方が斬新。パン・フォーカス、長回し、ローアングルなどの多彩な映像表現など。そしてストリー全体がフラッシュバック型式に語られている。記者が取材を行う形で、ケーンの少年時代から晩年までが回想シーンで順々に描かれていく。劇中に過去の出来事を入れるこのような技法を“フラッシュバック”と言い、1900年初期にはすでに使われていたようだが、より効果的に用いたのが本作だった。
語り手それぞれの視点によってケーンの様々な人間性があぶり出されていき、黒澤明監督も『羅生門』(50)や『生きる』(52)などでこの手法を使っている。
また出演者の殆どが初めての出演というのも凄い。ジョゼフ・コットンは演劇関係のジャーナリストとして働いていたが、俳優になるためニューヨークに移り1930年にブロードウェイにデビューし、そこでオーソン・ウェルズと出会って、1937年から彼の劇団に参加するようになった。翌年、ウェルズの監督作品『市民ケーン』で映画デビュー。
このジャーナリストとして「ケーン」が頭角を現すのはケーンの両親は小さな下宿屋を営んでいたが、ある時宿泊費のかたに取った金鉱の権利書に大変な価値がある事がわかり、その名義人である母親は大金持ちとなった。母親は反対する父親の声に耳を貸さずケーンをニューヨークの銀行家サッチャーの元に預け、彼に運用を任せた資産をケーンが25歳になった時に全て相続させる事を決める。雪の中そりで遊んでいた幼いケーンは自身をニューヨークへ連れ去ろうとするサッチャーを持っていたそりで殴りながらも結局両親から無理やり離されニューヨークで育った。25歳になり莫大な資産を相続したケーンはサッチャーに「育ててくれと頼んだ覚えもない」と、後見人でありながら冷たく彼を遠ざけ去り、友人のバーンステインとリーランドを引き連れ、買収した新聞社「インクワイラー」の経営に乗り出す。
彼が手法とした「センセーショナリズム」は友人や古株の社員に批判されるが、結果的にビジネスは成功し、廃業寸前の弱小新聞社であったインクワイラーの部数はニューヨークでトップとなる。37の新聞社と2つのラジオ局を傘下に収めた新聞王チャールズ・フォスター・ケーンは時の大統領の姪と結婚するが、妻とは反りが合わず次第に会話も無くなっていく。ケーンは労働者達の為に政治家になるのだと宣言しニューヨーク州知事選挙に打って出る。選挙戦ではライバル候補であり現職知事のゲティスの悪評を責めるばかりで大衆の人気をさらい圧勝かと思われたが、ゲティスは愛人スーザンの存在を突き止め、知事選の前日にケーンと妻をスーザン宅に呼び出し、「出馬を辞退しなければケーンの不貞を世に暴露する」と脅す。ケーンは激怒しその要求を突っぱねたが、ニューヨーク中のメディアにスキャンダルを報道されイメージが地に堕ち、教会をも敵に回してしまい無残に敗北する。敗北の夜、リーランドはケーンの労働者への愛は独りよがりの愛だと強く批判し、妻と息子もケーンの元を去る。
知事選とスーザンの一件でもうニューヨークには居られないと感じたケーンは、郊外に荘厳な大邸宅、通称「ザナドゥ城」を建て移り住むが、ケーンと2人、他には使用人しかいない孤独な生活にスーザンは次第に不満を募らせる。そしてある日ケーンと口論となったスーザンは「あなたの行いは全て自分の為」と言い残し、行かないでくれと懇願する彼の元を去る。一人残されたケーンは彼女の部屋にある物全てを破壊していくが、スノードームを見つけるとそれを握りしめ呆然とした表情で城のどこかへと消えた。そして時は流れ、年老いたケーンは孤独な最期を遂げる。トンプスンは最後にザナドゥ城まで取材にやってくるが結局誰も「バラのつぼみ」の意味を知らず、その意味は謎のままに終わる。
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小生、普通部-中学校-の頃から新聞製作をして大学でも新聞研究所に所属していたので、マスコミ-新聞-は記者は多くの読者が後ろに控えている事を意識して取材し、一人のために書く物では無いと事を嫌と言うほど教えられた。しかし、新聞しか無い時にはその影響力は凄いモノで、ついつい天下取ったと思ってしまうのかも知れない。今日も知床観光船社長の記者会見で「天下を取った」様な気分で質問している記者が目立つ。
日本の新聞も読売の正力、朝日の村山、産経の前田などが創業者として影響を与えてきた。なかでも時事新報は1882年(明治15年)3月1日、福澤諭吉の手により創刊され、その後、慶應義塾大学およびその出身者が全面協力して運営した戦前の五大新聞の一つである。創刊に当たって福沢は「我が日本国の独立を重んじて、畢生の目的、唯国権の一点に在る」と宣言した。不偏不党とか皆平等とか言うがやはりそれなりの旗幟があって、アメリカではハッキリ支持政党などを謳って書いているが、日本ではやや曖昧で、もうすこしハッキリ旗幟を出しても良いのではと思う。

                                                                                                                                   (保屋野)名作中の名作と云われる「市民ケーン」は昨年6月に、愛好会でも話題になりました。

その結果、斬新な映像については評価が高かった半面、総じて、意外にも「やや否定的」な感想が、私含め多数を占めました。

(安田)映画史上ベストとの評を知りつつ、前回に放映で初めて観ました。1〜2年前だったでしょうか。新聞王ウイリアム・ハーストの生涯に興味があって、筋を追うことに一杯で、画期的な映像表現には充分気がつきませんでした。録画をまた観て、その辺と素晴らしい映像美も楽しみたいと思います。Rosebudの謎にも注視したいと思います。

ウクライナーヨーロッパの現実    (在パリ  平井愛子)

先ほど、ラジオ(RadioSude)で聞いたフランスの経済学者Olivier Delamarcheの見解では、ロシアはポーランドとブルガリアのガスの供給を止めた。(これはすでに報道されていますね)もしドイツへの供給を止めたら、ドイツは3日しか持たない。フランスはドイツほどロシアからガスの供給は受けていないが、早速アメリカからもらうことにした。しかしこのアメリカからのガスは液体にして運ぶので、この液体をガスにする工場施設を新たにつくらなければならず、莫大な金額が必要だ。(アメリカが喜ぶだけ)ロシアへの経済制裁の為に、ガスを貰っているのに料金を払わないという一方的契約破棄のバカな方策をヨーロッパがとったので、一枚上手のロシアがルーヴルで払えと言ってきた。ルーヴルなどはロシアに行かないと無いので、各国は支払えるルーヴルがない。ロシアの首を絞めてるつもりがヨーロッパは自分たちの首を絞めている。コロナのワクチンでマフィアまがいの大儲けしたマダムがヨーロッパEUのトップに立っている。世界で一番怪しいゼランスキ-に国会で演説させているなんて本当にバカなことだ。武器の供給なんて止めて、兎も角早く戦争を止めることだ。

こんなことを話していました。フランスでの放送の一端です。

 

漢詩にしてみました     (36 坂野純一)

>     君已駕鶴七七忌  君すでに鶴に駕(の)って七七忌
>             
>     霊峰浮隠春霞雪  霊峰春霞の雪を隠すがごとく
>             
>     爲解吾心不晴亊  為に我が心 晴れる事なきをわかり

      高尾嶺上祈冥福  高尾嶺上に 冥福を祈る

(駕鶴は 仙人が空へ帰ること、浮隱ははっきり見えないことを指します)

3月13日掲載ののジャイの短文(下記)に感じるところあり、漢詩の形にしてみました。小生の原文を中国医療を営んでいる友人に添削してもらったものです。

友去りて四十と九日                                 わがこころ 晴れぬごとく                          霊峰また春霞に隠れをり高尾山

 

 

 

   

 

2022年4月  月いち高尾   (47 関谷誠)

「月いち高尾」写真付 (1)”]2022年4月25日(月)、前夜の雨が嘘のような晴天の朝、それも、日中は夏日との予報。自他ともに雨男を認めるS世話人(私ではありません)の汚名返上か!

今回は、高尾山のメインから中央自動車道を挟んでほぼ真北に位置する「八王子城跡」の散策プラン。八王子城は、小田原に本拠をおいた小田原北条氏(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条ではない)の、三代目氏康の三男北条氏照が1580年代に築いた山城。生活の中心だった居館地区から460mの山頂にある本丸跡まで、約40分の、結構な山歩き。

JR高尾駅北口に、24名が、10時の集合時間の10分前には全員そろい、予定していた一台前のバスで城跡入口へ。ガイダンス施設前での記念撮影。

嬉しいことに盛況な参加者数だったこともあり、3グループに分かれて行動。

<A> (36年)中司、鮫島、岡、深谷、高橋、(37年)矢部、(47年)関谷

<B> (39年)西澤、立川、蔦谷、岡沢、三嶋、(40年)藍原、(41年)相川、(47年)伊川

<C> (43年)猪俣、(44年)安田、(46年)猪俣、村上、木川、(47年)平井、福本、48年)福良、(51年)斎藤

各グループ共に、管理センターで、八王子市のボランティアガイド(コロナ禍で活動を中止していたが先週末から再開したとの事。タイミング良かった!)をお願いし、各ポイントで細かな説明があり、歴史を改めて学ぶことが出来た。さんさんと輝く初夏の太陽浴びながらの新緑鮮やかな自然の中、往時の山城での攻防合戦を想像しながら、又、当時の戦乱と同じような悲劇が、今、ウクライナで繰り広げられている事に悲しみと憤りも覚えた山城散策でした。

終了後、各グループ、三々五々、「テング飯店」に集結(19名)。何時もながらの取り留めのない話題で盛り上がった反省・懇親会でした。

エーガ愛好会(138) ”間違えられた男” と ヒチコック

(小泉)いつもは作品内で通行人よろしく登場するヒッチコックが珍しく冒頭から「実際に> 起こった出来事をもとにした映画」と紹介する。ヘンリー・フォンダ扮するベースの バンドマンが、妻ヴェラ・マイルズの歯の治療費を借りようと保険会社を訪れたこと から、目撃証言と筆跡の類似から容疑者として逮捕、拘留されるという恐怖を描く。 ヒッチコック作品としては、最初から犯人ではないことが判っている事実であり、恐 怖心もスリラー的要素もないことは、冒頭にヒッチコックが登場したことから、認識 されたのだった。フォンダも間違えられた男の恐怖心を淡々と演じるほかなく、妻の ヴェラ・マイルズは美しい妻が、自分の強すぎる責任感から精神に異常を来たす痛々 しさから入院するまでを演じ、アンソニー・クエイルが誠実な弁護士役で、協力を惜 しまない姿に救われる。間違えられた結果は当時免罪については如何だったのだろ う。今なら相当多額な損害賠償を受け取ることになったものと想像されるが、映画で は損害賠償には触れず、めでたしめでたしで終演。

(飯田)ヒッチコック作品は個別の作品ごとに評価するのでなく、全作品をセット及びシリーズとして楽しむのが良いと思っています。その点で「間違えられた男」はヘンリー・フォンダが西部劇の「アパッチ砦」や「戦争と平和」で演じた一徹な正直者の演技と同系列の演技をしていると思って演技を観ると楽しめるし、ヴェラ・マイルズという美女が急にスクリーン・デビューしてきた映画としてストーリーを度外視して時々観るのは楽しめます。

そして、安田さんの「ヒッチコック映画論と作品の解説付きのべスト10」に大いに興味をそそられました。概ね私も同様の評価ですが、自分の好みから強いて外す作品が「サイコ」と「鳥」です。両作品とも2度3度と見直したいと思わない作品です。「サイコ」のアンソニー・パーキンスはこの作品では上手い演技と思ったら、他の作品もみな同じくおどおどした演技をするのであまり好きになれずに終わりました。パット・ブーン全盛時代に、アンソニー・パーキンスがデビュー当時の「月影の渚(Moonlight Swim)」の入ったEPレコードを買って一緒に歌った時期もありました。

「断崖」「白い恐怖」「汚点」「疑惑の影」などはそれぞれに長所短所があり楽しめます。安田さん、保屋野さんも挙げているベスト10外での「ハリーの災難」は私も大好きでしたが、劇場公開当時のアメリカ東部(バーモント州、ニューハンプシャー州)のロケの紅葉の色がその後のテレビ放映では全く色彩が劣化していて楽しめないのが映像技術の限界で残念です。それと「私は告白する」はモンゴメリー・クリフトとカール・マルデン(神父役)が最近見ても新鮮な感じがしました。後は「泥棒成金」です。南仏リビエラ海岸を舞台にした粋なケーリー・グラントとグレース・ケリーのほんわかした騙し合いは風景の綺麗さと共に私は大好きな一本です。

(安田)ヒッチコック映画は“スリラーやミステリー”ではなく、彼は自らの映画を“サスペンス”と云っています。サスペンスは英語suspend(サスペンド=宙づり)に由来しているとのこと。精神的に宙ぶらりんになっていて、不安感やハラハラ感を持っている状態のこと。ミステリーと違い、謎解きはない。サスペンスは感情(エモーション)を揺り動かすことが絶対的要素、だとヒッチコックは云っている。「間違えられた男」の場合、ヘンリー・フォンダのハラハラ感に観客を同化させ、感情移入させることがサスペンスの核だと、云わんばかりです。冤罪事件で決着しますが、終盤までどのように決着するかフォンダもハラハラしているし、同化した観客をもドキドキさせるという訳です。一番端的に見事に描かれた映画が「めまい」でした。高所恐怖症のジェームス・ステュアートが教会の階段を上がる時めまいを起こすシーン。彼のみならず観客もハラハラ・ドキドキさせられます。これこそヒッチコックの真骨頂です。「間違えられた男」ではそこまでのハラハラドキドキ感は味わえませんでした。彼にしては凡作だと思います。

(保屋野)ヒチコック、私も別にファンではないのですが、観て損した、という駄作はありませんね。私が印象深かったのは、ケ・セラ・セラの「知りすぎた男」キュートすぎる、S・マクレーンの「ハリーの災難」映像にも感心した、恐怖の「鳥」そして、私のツートップは、J・スチュアートの「裏窓」と「めまい」でしょうか。G・ケリーとK・ノヴァクが魅力的でした。

 (保屋野)名作「北北西に進路をとれ」は昔観た記憶はあるのですが、あまり覚えていないので、29日に観ます。また、チビ太一押し?の「レベッカ」は以前コメントしましたが、多分あの「名著」を読む方が面白いのでは。

 

(船津)飯田さんはやはり「師匠」ですよ!リズのこんな切り抜き誰が持って居ますか。リズフェィクですね。凄いの一言。
小生普通部時代1952年-昭和27年-に有楽座?で観た「陽の当たる場所」のパンフレット持って居ます。当時観た映画の殆どのパンフレットは保存してあります。ペラペラの安い紙で出来ています。未だ食券が無いと食べられない時代でしたね。

また、カサブランカ50年記念-1952年-のLDが何故か在ります!5㎝ぐらいのBOXに2㎝ぐらいの英文のカサブランカの本とLDが三枚。そして当時の綺麗なモノクロの写真。凄いコレクション何故こんなのが在るのか解りません。
又、若き血の溢れていた頃飯田さんのように「エーガキチ」だったんでしょうね!今朝観たらこんなのがあるのに我ながら驚いた。飯田さんコレクションして居るなら差し上げてももいいですよ!宝の持ち腐れ。
しかし、飯田さんの新聞の切り抜きは凄いですね!又、安田さんの色々な解説文の蒐集。やはりキジンの皆々様ですね!