根津神社躑躅祭りに行って参りましした (普通部OB 船津於菟彦)

本日ど暑い中、根津の駅から歩いて根津神社ツツジ祭りへ行って参りました!素晴らしいツヅジだらけです。月曜日のこと故比較的少なく並ばないでも見られました。其の後足を伸ばして団子坂の急坂を登り森鴎外記念館を拝見してきました。よく歩きましたなぁ!ワンゲル方なら当たり前ですが耄碌ジィヤには暑さと共に団子坂には参りました。
でも綺麗です。この二三日の雨でお仕舞いかもね。
森鴎外記念館探訪記は別途書いてみたいと思います!以前津和野の森鴎外生家にも訪ねたことがあります。鴎外の長男はオットー森於菟と言います。馴染みの在るお名前なのでいろいろ本をよんでいます。

(保屋野)根津神社のツツジ、素晴らしいですね。写真もさすがプロです。

さて、これまで私が見たツツジの中で印象に残っている場所は・・・・   ①   箱根「山のホテル」②山梨「甘利山」③長野「湯ノ丸高原」(レンゲツツジ)~高尾山「一丁平付近」の(ミツバツツジ)、九州「祖母山」の(アケボノツツジ)も奇麗でした。

(菅原)雨に濡れそぼる金糸公園のツツジか。乙なもんだ、花だけじゃなく、こう言う観点で写真を撮る貴兄もなかな乙なもんだね。翻って、小生、本日の午前中、散歩を兼ねて「クイーン伊勢丹」まで行って来ました(往復1時間。健常者なら精々20分)。桜田通り沿いの歩道に植わっている、そぼ濡れたツツジ(何て言うツツジなのか?)満開でした。しかし、その傍を車が疾駆しているとあっては、乙どころか丙(へ)にもなりません。でも、ないよりましか。

(児井)船津さんご案内の素敵な写真を添えての「根津神社の躑躅祭り」に小生が日頃標榜する「縁」を感じ、改めて新たな感動を覚えました。余談になりますが「根津」の名には、小生現役時代に東武電鉄経営の中禅寺湖、富士五湖に浮かぶ遊覧船建造のため、「二代目根津社長」と親交のを深めて来ました。加えて家内の実家が湯島に在った関係で近隣の「根津」には屡々足を運んでおりました。(主たる目的は飲食店探訪でしたが。)根津神社にも参拝しましたが躑躅祭りの時期では有りませんでした。今から思えば神社の来歴を多少なりとも学び、その佇まいを楽しんでおけば良かったと後に立たない反省をしおる次第です。

閑のあるまま―”三大” 何とかの話 (その3)     

物理的に何らかの指標がない事象について、優劣だとか好き嫌いとかを決めなければならいないときの選択基準というものがあるのだろうか。そんなものはないはずなんだが、一種の確率のようなものもある、と思う時もある。映画、でなく エーガ、だったころの話だが、 ”アラン・ドロンとアーネスト・ボーグナインのどっちがハンサムか?“ と言ったとすれば、まずはアラン君に票が集まるだろう。この場合、”ハンサム“ の定義は何だ、と言われても明快に答えは出てこないけれど、多くの人々の間にある種のクライテリアが存在するのではないか。

このような場は人生いたるところにあるのだが、味覚、ということについてはどうだろうか。味覚、という事を論ずる場は基本的に日常の生活の場である以上、環境とか雰囲気とか人生経験とか人間の感情感覚の中であるから、絶対的に中立な条件で論じられるものではあるまい。そう考えてみると、味覚、を論じるときに大きな影響を与えるのは、物理的とともに人間の感覚を支配する、場所、という事があるのではないだろうか。そんなことから、頂戴した意見を整理してみることにする。

保屋野君いわく:

先日ワンゲルの同期5人で銀座でランチを楽しんだのですが、そのはす向かいに「日新堂」という高級時計店があります。この会社のオーナーはKWV1年先輩の佐川さんで、あいさつに寄ったのですが帰りに、佐川さんから「銀座百店会」の小冊子をいただき、店の名前を眺めていたら、ユニクロも入っているのにビックリしました。この中に、飲食関係(レストラン、日本料理)が26店舗ありました。レストランでは、三笠会館、つばめグリル、ライオン、資生堂パーラーなんか有名ですね。日本料理では、てんぷら屋(ハゲ店、天一、天国)すし屋(久兵衛、乾山)後は、鳥ぎん、吉兆、やす幸、ろくさん亭あたりが有名かな。ちなみに、私は、三笠会館、ライオン、久兵衛しか行ったことがありません。

“しか” と言われる中に久兵衛が入っているとちょっと構えてしまうのだが、現役時代、華やかなりし夜の銀座にくわしい児井君はさらに書いている:

銀座は総じて名前に恥じぬ高級店のイメージが濃厚でしたが、バブル崩壊以降、変貌著しく、二極化が進むと共に店構えも大きく変わって来たと思います。先に親友飯田君指摘の様に「食事の楽しみ」は料理が美味く値段もリーズナブルであることは元より、店の雰囲気、シェフ/板前等の応対・愉快な会話にあると思います。皆さんご推奨の店以外ではコリドー街に在った合唱も楽しめるドイツ料理店「アルテリーベ」には良く通いました。銀座ではありませんが六本木の「ストックホルム」では好物の北欧料理を大いに楽しみました。
好きな「焼鳥屋」ではこれも銀座ではありませんが、軍鶏炭火焼店「たかはし」(山手線五反田駅前)が贔屓な店です。

彼は アルテリーベ や ストックホルム が(まだあるのかな)と心配しているが、同様な経験はたくさんある。銀座八丁目のおでんの名代 お多幸 の野田君は小生の高校時代からの友人だが、銀座の店の世代交代は昔からあることなので仕方ないと思うが、外国企業がいかにもビジネスライクに出入りを繰り返すのは銀座、という世界に誇る街の伝統を壊してしまうのではないか、と嘆いていた。小生が高校時代、映画に行った帰りなどに良くいっていた(つまり当時、いまよりはるかに高級だった銀座に高校生でも行ける少ない店だったのだ)スイス とか 煉瓦亭 なんかが亡くなってがっかりしていたら、三丁目あたりになるのだろうか、松屋あたりのガス灯通りに移転していたのを発見して大変うれしかった。

これから少し飛躍して、フランス行きなどを計画しておられる向きに、平井さんからのパリ情報も届けておこう。

1. アンジェリ-ナのモンブラン:随分昔、目黒駅の近くにモンブランという喫茶店がありましてお友達と会うのによく使っていたのですが、モンブランというケーキが売り物でした。パリに来て間もなく、本場物のモンブランが食べたいと探したのですが、これが意外とパリのパティッスリ-にはないのです。やっと見つけたのがアンジェリ-ナ(本店はルーブルの近くリヴォリ-通りにあります)のモンブランです。マロンクリ-ムがこってりして大きく美味しかったですが、最初半分もたべられませんでした、が、今はペロリと食べてしまいます。時々無性に食べたくなる時があります。

2. シャンティ城のレストランのシャンティ・クリ-ム:このお城は17世紀後半コンデ公爵の所有で、料理人だったヴァテルが最初にこのクリ-ムを作りました。1671年ルイ14世の来城の折り、注文していたメインの魚が時間に着かず、自殺してしまったのですが、何と魚は別な入り口に着いていたのです。こんな逸話がありますが、ここのお庭のブラッスリ-で頂くシャンティクリ-ムは本当に美味しいです。

3. フォンテンブローのフロマ-ジュ・ブロン(ホワイトチ-ズ):フォンテンブロー城の近くにバルビゾンという小さな村があって、ミレ-のアトリエがあり印象派の画家たちも訪れていた有名な村なのですが、ここに昭和天皇も訪れたというブレオというレストランがあります。ある時とない時があるのですが、ここで出されるフロマ-ジュ・ブロンは逸品です。

パリはともかく、どっこい東京のベストは、と万事に博識で会社時代にはあまたの顧客のなかでも手ごわかった斎藤さんは主張する:

■スイーツ
1位 ランペルマイエのスイートポテト(渋谷東横のれん街)
2位 マッターホーンのサンレモ(学芸大学)
3位 マッターホーンのモンブラン(学芸大学)

■豆大福
1位 原宿 瑞穂
2位 護国寺 群林堂                           3位 泉岳寺 松島屋

話がデザートから始まったが、小生学生時代か今日まで、まずまったく、と言っていいくらい変わらず半世紀前の雰囲気をしっかり維持しているのが 銀座ウエスト だ。当時から名曲をハイファイで聞かせることでも知られた店で、さすがに音源はCDに変わったとはいえ、さりげなく置いてあるプログラムまで変わらないし、ウエイトレスのユニフォームや接客態度や、そして多分、テーブルの配置まで変わっていないのではないか。銀座へ出るときには、ここへ立ち寄って紅茶とショートケーキを食べるのをコースにしている。”まったり”という形容詞が当てはまる時間が流れるのを感じる場所である。

デザートから一足飛びにアルコールの話だ。酒といえばアルミの食器で煮えこぼれた 白滝 (なんであの銘柄が上善如水、なのか今でもわからない)などで盛り上がっていた時代の記憶がしっかり残っている小生のごときものからみれば、ゲーテかミケランジェロか、KWVの酒仙(?)ふたりの意見を紹介する。

畏友浅海昭はこう書いている:                      小生が味わったワインの産地別BEST3(ちょっとキザだったかな)

カリフォルニア   オーパス ワン                   ブルーゴニュウ  ロマネ サンビヴァン                    ボルドー   ペトリュース

半世紀を超える交友関係だが彼が飲めないのは生卵だけなようだ。佐藤充良君はウイスキーについて語る:

シングルモルトは1000種類以上といわれていますが、スコットランドの6つの主要エリアのもので比較的リーズナブルなものの中から、気分に応じ飲んでいるのを「俺の普段飲み三大シングルモルト」としました。

  1. 気力充分で気合を入れて飲みたいとき                   アイラ島の「アードベッグ10年」・・・何と言っても強烈なピート香と強烈なスモーキーなフレーバーは「飲むぞ」の覚悟で飲りたいブランドです。

2. ちょっと酔ってみるか、の気分の時                  スペイサイドの「グレンファークラス105」・・・アルコール度数60%は飲みごたえ十分でスパイシー。ダブルで3杯まででやめたほうがいいです。

3. 食後に更に飲みたい気分のとき                    アイランズの「ハイランドパーク12年ヴァイキングオナー」・・・公に食後酒として推薦されているかはわからないがほのかに甘くてマイルドなピート香がして食後にストレートで飲むと二度飲みが楽しくなります。

ミツヨシが気合を入れて飲むとどうなるのか、ちょっと怖い気がする。現役時代彼と首席を共にした各位、そのあたりの事情をご存じあるか。

KWV現役時代の小生は飲むことにかけては横山美佐子とか浅海なんかからは子ども扱いされた口だが、コロナ蟄居の間にだいぶ酒量が増えてきた。この期に及んでいかがなものか、という気がするが、佐藤君には怒られるだろうがスコッチ党ではない。会社時代、ある付き合いですすめられたのがきっかけで、ウイスキーならばもっぱらバーボンになってしまった。バーボンとテネシーはどう違うか、とか、その道のエキスパートには笑われるだろうが、ま、ケンタッキーにせよテネシーにせよ、アメリカの草臭いあのあたりの品、という程度の知識しかない。その中でおずおずと言わせてもらえば、ダントツにうまいなあ、と思うのはブラントン、だと思う。ワインに近いような柔らかさが好きだ。ワイルドターキーだフォアローゼスだと銘酒と言われるブランドはいろいろあるし、”通”から言わせればまず間違いなく格下になるだろうが、アーリータイムズが味とかなんとかではなく、始めて飲んだ時の思い出というと気障だがそんなものがあるのと、近場のスーパーで格安なので、”気合を入れずに“ 寝酒の定番になった。もう一つ、ウイスキーではないが、これもコロナ蟄居で生まれた(?)日課として、夕方5時になると 大岡越前 を見ながらジントニックを作るようになり、北方謙三が小生愛読の ブラディドールシリーズで主人公に ”ビーフイータ―だけがジンさ“ なんて言わせていたのでうるさいことはわからないまま、これを定番と決めてきたのだが、同じシリーズの中で、やはり主人公が親友を失った後、仲間に ”俺たちができることは奴を覚えていてやることだけだな” という場面がある。同じ気持ちで、ジンのブランドは日本産の 翠 に変えた。文頭に言ったことだが、まったく味には関係ない選択である。

飲む食べるとなると話題は一気に広がるが、本稿はすこしばかりハイブラウな記事に偏ってしまったようだ。次回はテーマを限定して情報交換や思い出話なんかについて書いていただければありがたい。

1.蕎麦                                2.中華そば(ラーメンに限定せず)                   3.カレーライス(お皿に盛った、日常的なランチメニューとして)    4.ハンバーガー(ハンバーグなんとか、ではない、これも正統的なもの)  5.餃子

 

 

百名山 92座完了!    (39 堀川義夫)

久しぶりにたわごとを編集しています。ここのところの身近と言っても友人知人ではなく、家内がお世話になっているデイサービスやショートステイ先が、スタッフのコロナ感染で休業になったり、営業はしているが、あんに来所しないで欲しいと言うことで、2月、3月に予定していた泊りがけのスキーや登山はやむなく全て中止にして、家内と二人でひっそりと過ごして来ました。おかげで私は運動不足で2kgも体重増になってしまいました。ショートステイ先は3月一杯休業の為、その煽りで4月も超満員、希望する日程が取れず5月下旬にやっと予約が出来た、と言う状況でそれまで泊りがけで出かけられないと諦めていました。

でも神様がご褒美をくれました。キャンセルが出て出かけられるようになりました!! 救われました。

伊吹山編

4月13日(水)久しぶりに家内をショートステイで預かってもらえる事になり、伊吹山やってきました。明日の14日は雨模様とのことですので、この日の内に伊吹山の全容を撮っておきました。近江長岡から貸切大型バス(路線バス)に乗り登山口へ。そこからしっかりと1時間、2合目にあるロッジ「山」に到着。そこは景色は最高です。琵琶湖を眼下に天気が良ければ夕日が最高の場所です。夕飯はうどんすき。女将が今日摘んできたというクレソンが最高14日の天気は雨! 予期していたものの雨対策をしていざ出発、でも雨は来そうにないし、気温が高いので早々に雨具を脱ぎ頂上を目指しました。何も見えない頂上を制覇。これで100名山の92座完登となりました.

 

彦根編

4月14日(木)昨夜は彦根のビジネスホテルに泊まり、本来ならまだ間に合ったはずの彦根城の夜桜を見に行きました。先週の季節ハズレの高気温で一気に散ってしまったそうです。残念!今朝はゆっくり目に起きてまずは国宝彦根城見学に。桜が満開ならさぞかし素晴らしいだろうと思いながら葉桜で我慢です。その後、お堀巡りの屋形船、50人は乗れそうな屋形船にお客は私一人だけ なかなか風情もあり1300円という値段はお値打ちでした。ランチはNewOld Townと称する観光客のための商店街にはある伽羅と言う評判の近江牛の店でステーキ重、3300円なり美味かった.

(編集子)百名山、といえば、斎藤邦彦さん、その後いかが。

 

音楽談義 (1) フィンランディア   (普通部OB 菅原勲)

(編集子)美術造詣芸術には全くめくらなので、パリは平井さんをはじめとして ”エーガ愛好会” 間を通り抜ける関連のメールは、以前にもお願いしたがどなたかエディターを志願していただけるまでは取り扱う自信がないので通過していく結果になる。音楽のほうはそれでも多少の興味と実績はあるので 音楽談義 欄を設けることにした(かたや同行の士の多からんことを願って解説した 冒険・ミステリ欄はざんねんながら   仮死状態である。嗚呼)。本欄に関心の集まることを希望する。

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ジャン・シベリウスの交響詩、「フィンランディア」(指揮:H.フォン・カラヤン、べルリン・フィルハーモニー)を聴く。

この曲は、ご承知のとおり、フィンランドがロシアの圧政下にあった1899年に作曲された。当初は、六幕物のフィンランドの歴史劇に、シベリウスが伴奏曲を作曲したものだったが、最終幕の、「フィンランドは目覚める」だけを取り出し、交響詩「フィンランディア」として独立させた。そう言う由来が由来であるだけに、極めて勇壮闊達、前へ前へと前進あるのみの音楽であり、その独特の旋律は一度聴いたら忘れることは出来ず、思わず鼻歌として飛び出して来る。これが名曲か傑作かは知らないが、ロシアの圧政に苦しめられていたフィンランド人たちに与えた影響は計り知れないものがあったのは間違いない。とは言え、ロシアはこの曲を演奏することを禁止した。

一方のロシアにも、1880年、P.チャイコフスキーが作曲した有名な序曲、「1812年」がある。これも、皆さんご存知のとおり、1812年、ナポレオンがロシアに侵入し、辛うじてモスクワを持ち堪えて反撃し、勝利を収める消長過程を、それぞれの国歌(フランスのラマルセイエーズ、ロシアの神よツァーリを護り給え。ただし、Wikipediaを見ると、いずれも、1812年当時は、まだ国歌にはなっていなかったらしい)で表現した、ロシア人の愛国心を擽る交響詩だ。実際の大砲を使ったりとかいかにも物々しいのだが、所詮、作曲したのがチャイコフスキーであるだけに、全編を流れるもの悲しさは否定できない。なお、真偽のほどは定かではないが、友人から聞いた話しでは、ロシアのウクライナへの侵攻に鑑み、最近、ヨーロッパでは「1812年」の演奏が禁止されたとのこと。しかし、チャイコフスキーに罪はない。

ここで思い出したが、ロシアにも、中国で言う「国恥地図」の概念、と言うより、独りよがりの妄想があり、その中にフィンランドも含まれていることだ(ただし、余談だが、フィンランドがNATO入りするのは間違いなく、そこにロシアが侵入すれば、第三次世界大戦となるのは避けられない)。加えて、1500kmにも亘る国境を接しているフィンランドとの国境近辺にロシアが軍隊を移動させたとの報道があったことも思い出した。しかし、どちらの音楽が傑作かどうかは別として、そうなったら「フィンランディア」が「1812年」を遥かに上回るのは否定できない。それにしても、フィンランドと言うより、シベリウスの音楽はドイツのそれとも違うしイタリアのそれとも違う、正に独特の音楽だ。単純に、北欧だからだと言うだけでは説明しきれない(例えば、若気の至りで、デンマークの作曲家、カール・ニールセンの交響曲第1番を聴いたことがあるが、極めてつまらない音楽だった)。こんな音楽がどうして生まれてきたのか、長年の謎だ。小生、勝手に辺境の音楽と呼んでいる。

 

エーガ愛好会 (137) 素晴らしき哉 人生

(保屋野)掲題映画、初めて観ました。評価の難しいエーガですね。超善人夫婦を演じた、ジェームス・スチュアートとドナ・リードはまさに「はまり役」でしたが、ストーリーはやや平凡で、最後に「天使」が助けてハッピーエンド、という展開もどうなのか。ただ、ネットでの評価は概ね高く、クリスマスには必ず上映される「特別なエーガ」だそうです。

これと似たような映画で先月観た「我ら人生最良の年」は3人の復員兵の、それぞれの「愛の物語」でしたが、アカデミー賞作品だけあって、こちらの方が私には面白かった。なお、この映画のテレサ・ライトや上記ドナ・リード・・・戦後の、ヘプバーンとかバーグマン、テーラー、モンロー等と比べて、オーラはないものの、気品があって、チビ太同様私も好きになりました。

(船津)全く同感。
良き時代のアメリカ映画ですね。淀川さんが泣きながら「映画っていいなぁ」と言いそうな作品ですね。今、アメリカもこんな時代を取り戻したいのかも。小津安二郎米国版。日本も然り。

(安田)お二人のご感想に同感です。「アメリカの良心を代表する俳優」と称せらるジェームス・ステュアート主演、戦後すぐの1946年制作映画となれば、絵にかいたようなハッピーエンドも頷けます。女優ドナ・リードこの「素晴らしき哉、人生!」と打って変わって、「地上より永遠」(ここよりとわに・From Here to Eternity1953年の汚れ役が忘れえず脳裏に刻まれています。アカデミー助演女優賞獲得。バート・ランカスターとデボラ・カーの映画史上に輝く波打ち際のラブ・シーン、フランク・シナトラやモンゴメリー・クリフトなど実力派俳優の熱演・・・と見応えある映画でした。

また保屋野さんに同意です。同じ1946年制作ウイリアム・ワイラー監督の映画「我らの生涯の最良の年」(The Best Years of Our Lives)の方が内容が濃くて様々の人間の人生を深く、しかもpositiveに描いていたと思います。出演した一押しのテレサ・ライトですが、この映画の他では、「偽りの花園」1941年ウイリアム・ワイラー監督、「ミニヴァー夫人」1942年アカデミー助演女優賞獲得、「打撃王」1942年(The Pride of the Yankees)、「疑惑の影」1943年(Shadow of a Doubt)ヒッチコック監督サスペンス映画などを観ました。それぞれ、ベティ・デイヴィス、グリア・ガースン、ゲーリー・クーパー、ジョセフ・コットン等の一流俳優と共演。大関・横綱格のオーラはないが、小結・関脇クラスとして“いぶし銀”の素晴らしい存在感を見せてくれていました。

 

 

ウクライナ・キエフのかつての姿  (HPOB 菅井康二)

今日(4/21)の深夜(午前2:50-午前3:49)に再放送されたので普通の人は視ていないと思われるが2019年取材し放映された番組である。画面での町並みと人々は現在のロシア侵攻後の状況とは全く異なる平和そのものにしか見えないのだが番組中の端々に2014年から続いてるロシアとの抗争の影が鮮明に見て取れる。アメリカの19世紀の作家アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」の「平和とは国際関係について、二つの戦争の期間の間に介在するだまし合いの時期を指して言う」という言葉を思い浮かべた。それにしても番組に登場したあの人々は今どうしているのだろう?と考えるだけで胸が痛くなる。

世界ふれあい街歩き「ウクライナ・キエフ」
https://bityl.co/BtJj

乱読報告ファイル (22) Fast Attack -  ひょっとしてウクライナもこんな具合か?

数日前の報道ではかのブルース・ウイルスが引退、とあった。シュワルツェネッガー、スタローン、セガールなどとともにアクション映画で一時代を画した人たちだが、そのあとに売り出したのが エンドオブホワイトハウス で登場したジェラルド・バトラーである。彼の主演で数年前に封切られた ハンターキラー は反乱軍に拉致されたロシア大統領を米軍潜水艦が救出するという奇想天外なストーリーが面白く、潜水艦同士の不気味な闘いも見ごたえがあった。この作品は米海軍中佐で実際に潜水艦の艦長だったジョージ・ウオレスという人が書いたもので、潜水艦物といえばかの 眼下の敵 深く静かに潜航せよ レッドオクトーバーを追え などが思い浮かぶが、やはり現代のエレクトロニクス技術満載の軍艦の描写となると経験者が書いたものの迫力は違ったものだった。

そんな経験から、著者名にひかれて Fast Attack と Dangerous Grounds という2冊をアマゾンで買い、始めに読んだのがこの本だが正直言って、期待外れ、前作にははるかに及ばない出来栄えだった。しかし後半にでてくるロシアとアメリカ大統領の設定が、まさにたった今、ウクライナを挟んで向き合っているプーチンとバイデンをそのまま借りてきたのかというようで、読んでいると現在のウクライナ侵攻の具合もこうだったのではないか、と思わせるのにびっくりもし、ある意味で背筋が寒くなる感じでもあった。

この話ではウクライナではなくバルト三国のウイークリンクであるリトアニアへの侵攻が伏線にある。ロシアの大統領はアメリカを最初からなめきっていて好戦的な行動を繰り返すのだが、米国側は国際協調とか国連とか響きのいいことを繰り返し、国民の支持率優先の対応を繰り返す。ロシアは秘密裡に米国東海岸の軍港沖やパナマ運河に潜水艦によって機雷を敷設し、米国海軍が実質上動けなくしたうえでリトアニアへ侵攻してしまう。この危機を救うのが2隻の潜水艦の活躍なのだが、話はハピーエンドではなく、米国海軍で臨機の措置をとった責任者をこの大統領は更迭してしまう、という政治屋の理屈で終わるのだ。

ロシア大統領は電話で米国大統領を電話会談で、もう威張り腐ったアメリカを信用する国なんかない。そちらが勝手に冷戦などとでっちあげたり、ベトナムでは負けるし国家建設だのレジーム改革だの、結局はオイル会社の言いなりになっている間に世界はアメリカのいう事など信じなくなっていると面罵する。米国の優位性を否定しNATOは単なる社交クラブにすぎない、というのだ。そして次の電話会談では一方的にロシア軍の封じ込めによって米国軍は港を出ることはできなくした。もし公海上でロシア軍に敵対すればそれは開戦を意味する、と脅しまくるのだ。リトアニア大統領はひたすらに米国がNATOを指揮して救援することを哀願するのだが、大統領はこれに応えない。そして国務省や国防省の進言を退けてこういうのだ。”東ヨーロッパのちっぽけな畑のために核戦争を始めろというのか?それがロシアの望むところなのに。私は核戦争を始めた大統領として歴史に残されるのは御免蒙るよ”、と。いまウクライナ紛争が惹起しているのは、結局NATOも米国も社交クラブにすぎないではないか、という疑惑であり絶望なのではないか? そんな気を起させたのがこの本の後味である。

(面白いことに、カリブ海からパナマへかけて秘密裡に機雷を敷設するロシア海軍の旗艦がモスクワ、となっている。ウクライナが沈めたはずだよな?)

(ウイキペディア)ジョージ・ウォーレスは米国オハイオ州東部出身で、元海軍中佐。ロスアンジェルス級原子力潜水艦USSヒューストンで1990年2月から1992年8月まで艦長をつとめた。1995年に22年間の軍歴を終えて著作家に転じ、現在はヴァージニア州在住。ドン・キースは1947年生まれ。ジャーナリスト出身で、作家デビューは1995年。小説や軍事ノンフィクションの著作が30作以上ある。

閑のあるまま―”三大” 何とか,の話 (2)

この企画、先回に引きつづき投稿の多かった、旅先の話題を提供する。さすが、ワンダーフォーゲル、という感じがする。国際派?の保屋野君のメールから始めよう。

三大なにがし、考えているうちに投稿し遅れてしまいました。遅ればせながら、私の思い出に残る風景をご紹介します。観光地では、次の3か所でしょうか。

①   オランダ(アムステルダム) キューケンホフ公園のチューリップ

②   ノルウエー         ガイランゲルフィヨルド

③   アメリカ          アーチーズ国立公園のデリケートアーチ

ワンダー仲間も数多く訪問されているアルプスで選ぶならば

①   ツエルマット   スネガからのマッターホルン

②   グリンデルワルド バッハゼーからのシュレックホルン

③   シャモニー    ラックブランからのモンブラン針峰群

一方、国内では細分してみると

(滝)

①   北海道(天人峡) 羽衣の滝

②   尾瀬       三条の滝

③   立山       称名の滝

(山)

①   北ア・針の木岳からの剣・立山連峰(初めての北アルプス)

②   南ア・聖岳からの赤石岳(初めての南アルプス)

③   東吾妻山(景場平)からの磐梯山(高2の時、一人で登った安達太良~吾妻縦走)

(渚)

①   五島列島(福江島)高浜

②   沖縄       オクマビーチ

③   陸前高田     高田の松原(今はあの「奇跡の一本松」のみ)

一般的にいわれている ”三景“ はご存じの通り松島、天橋立、厳島だがこれを選定したのは江戸時代初期にいた儒学者林春斎だとウイキペディアは解説している。彼は例えば松島についてはさらに細かく、

「壮観」大高森: 東側。標高105.8m。松島湾。..

「偉観」多聞山: 南側。標高55.6m。七ヶ浜町の北…

「麗観」富山: 北側。標高116.8m。

「幽観」扇谷: 西側。標高55.8m。

等と著書 日本国事跡考 に書き残したそうだ。ウイキをめくってみて、日本三景観光連絡協議会、という団体まであることを知った。保屋野説に従ってみると、“滝” でいままで日本三名瀑、といわれてきたのは日光華厳の滝、和歌山は那智の滝、茨城は袋田の滝という事になっていて、お定まりの百名瀑、となると北端は北海道オシンコシンの滝(50m)から沖縄マリドウの滝(20m)までずらりと並ぶ。小生2年生のリーダー養成でタケノコ沢直登をわりあてられ、美濃島とふたりで “こりゃだめだわい” と引き返して怒られたタケノコ大滝はこの中には入っていない。”山“となればこれは各人千差万別、展望と記録と感傷と疲労とありとあらゆるものが要素になるだろうから敢えて保屋野説に甲論乙駁、いろいろあるだろう。たとえば:

(小川)小生メンバーの名古屋ゴルフ倶楽部からは御岳の遠望が一番から、12番からはマンションの隙間から聖岳のピラミッド山容が厳冬快晴の日に遠望されます。小生が発見し話題になりました。

(保屋野)
名古屋から聖岳が見えるとは・・・あの辺では「恵那山」が印象的でした。市街地からの眺望では、何といっても松本からの「常念岳」が一番ですが、酒田からの「鳥海山」も素晴らしい。車窓風景では、大糸線からの「後立山連峰」や小海線からの「八ヶ岳」が有名ですが、先日蔵王に行った際、東北新幹線からの日光連山、那須連峰、安達太良山、吾妻山と連続する雪山風景を楽しみました。

というような具合になる訳だ。この辺の話題なら何とかついていけるが、渚、となるとこれは勝負にならない。小生が行ってみたい渚なら ”地上より永遠に“ で バート・ランカスターとデボラ・カーがいちゃついた浜辺か、ノルマンディ上陸の激戦地 オマハビーチ くらいな発想しか出てこないからこれ以上言及はしない。

安田耕太郎君は彼の世界漫歩の結果を本に書いているくらいだから、彼の蘊蓄は著書を読んでもらうとして、小田篤子さんのいわく、

それぞれに思い出のつまった、皆様の三大風景、もっと若い時に知りたかったですね。私は海外へは始めの頃は子連れで出かけていましたので、安田さんの本を読み、羨ましく思った風景は……

①アタカマ砂漠で、ヒッチハイクしたトラックから見た満天の星

(私は①にあげたMt.アシニボインのコテージのベッドの窓のカーテンをパッと開けた時見えた、満天の星。ひとつひとつが大きく、流れ星も見え、感激しました。)最近は昨年3月の千畳敷の星空です。

②ボリビアの誰もいない5,400mの山に犬と登ったこと。

③独りで登られた、マチュピチユの山

絶対独りでは行けません、ふたりでも無理ですね。

3年前、OB合宿で西穂コースを選び、快晴のもと、笠ヶ岳の遠望をもってわが3000米にピリオドを打った小生としては、ミッキーのひとことは何とも言い難い感傷を引き起こした。時は流れる、かな。

“場所” のテーマが続いたので、”飲食“ についてはどうかと思っているのだが、現時点ではまだ2点頂いただけである。いろんな分野のエキスパートがおられると思うので、投稿を待ちたい。

 

エーガ愛好会 (136)善き人のためのソナタ  (44 安田耕太郎)

006年アカデミー外国語映画賞を受賞したドイツ映画。東ドイツの反政府勢力を取り締まる監視体制の犠牲になりかけた市民を、体制側の監視員が自由と人間の愛・芸術の崇高さに目覚め、最終的には救うという映画。冷戦下の冷徹な体制側の取り締まりとそれを潜り抜けようとする自由を求める反体制側の緊迫感溢れるストーリー展開は、残虐な殺戮シーンなどはないが、見応え充分だ。舞台は1984年、東西の壁が崩壊する5年前の東ベルリン。戦後の東西冷戦下、東ドイツでは国民を統制するため、国家保安省(シュタージ・Stasi、ソ連時代のKGBと同等)が徹底して国民を監視していた。10万人の協力者と20万人の密告者が、全てを知ろうとするホーネッカー独裁政権を支えたという。共産主義体制の下、個人の自由な政治思想は許されず、反体制的であるとされた者は逮捕され禁固刑が課される……。東ドイツは、そんな暗く歪んだ独裁国家だった。

シュタージの秘密捜査員ヴィースラー大尉は、国家に忠誠を誓い、反体制的な思想を持つ市民の捜査と、後輩の育成に力を入れている。監視と尋問を得意とするヴィースラーは、次の任務として反体制派と目される劇作家ドライマンの監視を命じられる。手際よく彼のアパートに盗聴器を仕掛け、そのアパートの屋根裏部屋を拠点に、徹底した監視を始める。無感情に盗聴するヴィースラーの顔からは、人間味は見られない。

 

この指令には、ドライマンの恋人である舞台女優のクリスタを自分のものにしたいという、ヴィースラーの上司ヘンプフ大臣の私的な欲望が潜んでいた。そんなことは知らず、「国の裏切り者の正体をあばいてやる」との使命感を持ち盗聴に専念するヴィースラー。しかし、劇作家ドライマンと、その恋人クリスタの会話から紡ぎだされる自由で豊かな心に、次第に共鳴していく。毎日盗聴を続けていくうちに、ドライマンとクリスタの人間らしい自由な思想、芸術、愛に溢れた生活に影響を受け、冷徹なはずのヴィースラーの内面に変化が生じ始める。そして、ドライマンが友人の独裁体制に悲観した自死を悼み、友人から「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」という言葉と共に贈られた、善き人のためのソナタという曲を弾いたのだ。この美しいピアノソナタを盗聴器を通して耳にしたとき、ヴィースラーは心を奪われてしまう……愛し合っているはずの恋人同士、信じ合っているはずの家族や友人をも相互不信に陥れ、絆を引き裂いてしまう監視国家の理不尽さ、非情さ。それらに気づき始めるヴィースラーの心に、美しいソナタの音色が深く響く。そして彼は、人間らしい人間へと少しずつ変化していく。 

ドライマンと西ドイツのシュピーゲル誌の記者は東ドイツの知られたくない情報(ヨーロッパで一番多い自殺者数であったが、1977年に公表を辞めた)を誌面に載せることに成功する。当局側はドライマンを情報漏洩の犯人と睨み、漏洩した情報の活字をタイプライターの種類で特定して、秘匿しているに違いないタイプライターをドライマン宅に押し入り、隈なく家宅捜索する。だが、見つからない。恋人クリスタはドライマン宅のタイプラーター隠し場所を知っており、尋問を受ける。当局側は彼女が何か知っていると睨んだのだ。彼女は舞台女優剥奪や諸々の脅しに抗しきれず遂にヴィースラーに隠し場所を白状してしまう。ヴィースラーの上司も隣の部屋で白状の始終を聞いていて、直ちに監視捜索団をアパート部屋に派遣して白状された隠し場所(床下)を捜す。しかし、そこにはタイプライターはなかった。この2回目の家宅捜索にも現場に立ち会った、タイプライターをそこに隠した張本人のドライマン自身も驚愕する白状した恋人のクリスタは罪の意識にさいなまれパニック状態でアパートに向かうが、アパート前の路上でトラックにはねられて死去する。ドライマンは一部始終を目のあたりにして唖然として放心状態で彼女の遺体を抱き上げる。 

ヴィースラーは首尾良く事件を解決させえなかった責任を取らされシュタージを解雇され単純な郵便物開封の仕事に就く。ほどなくして翌年1985年、“ゴルバチョフがソ連共産党の書記長に選出” の新聞記事を目にする。それから4年後の1989年にはベルリンの壁崩壊を経験する。更に2年後、仕事の帰り、町の本屋の窓にドライマンの著書「善き人のためのソナタ」の広告をたまたま見かけ、中に入ってその本を買い求める。

絶体絶命の2回目のタイプライター家宅捜索時に、クリスタの自白で隠し場所を知ったヴィースラーは先回りしてアパートに忍び込み、タイプラーターを持って引き上げていたのだ。そのことをドライマンは確信して、著書の中に特筆したのだった。ヴィスラーの本屋の店員に「いや 私のための本だ」と言う時のヴィースラーの表情がはればれとして清々しい。

映画はフィクションであり、シュタージの冷酷さはこんなものではなかった、この映画で描かれていることは歴史的事実異なっているとの指摘もあったという。それは大した問題ではないと僕は思う。この作品が伝える当時の東ドイツを支配していた空気感は本物であったに違いない。当時の監視組織が振りかざしていた権力と、内部の倫理的な葛藤が好対照に描かれている。人間の中に存在する善と悪が、途方もなく複雑に交じり合い、そしてもつれ合うものであるかということを、描き上げた映画だった。見終わった後、哀しさと人間の温かさと歴史の重みが心に深く残る素晴らしい作品だ。ドイツ映画には馴染みがないので知らなかったが、ヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューエを始め、多くの一流俳優が出演しているということだ。

(平井)私も見ましたこの映画。フランスでは「もう一つの人生」というタイトルでした。とても心に残った映画でした。このような世界と時代があったのだなと、感慨深くも考えさせられた映画でした。

随分前にお友達とベルリンに行ったのですが、ベルリンの壁の崩壊から数年は立っていましたが、東ベルリンに入ると走っている車のスタイルも旧式で建物は古く、貧富の差は明らかでした。昼間からカフェにたむろする酔っ払いのおじさんたちがいて、更に友人とはぐれてしまい、西ベルリン側に帰って来る時に、小学生ぐらいの不良の女の子二人に絡まれそうになって、傍にいた紳士が追い払ってくれたので無事でしたが、とても怖い思いをしました。自由がない世界は荒むのですよね。20世紀にあんなに苦しい体験をしながら、21世紀に入っても尚且つ争いを止めない人類は何か度し難いですね。

(編集子)この映画自体は見ていないが、本稿は五木寛之が直木賞を受賞し世に出た作品、”蒼ざめた馬を見よ” を思い出させる。妙に正義感を振りかざすのでなく、国家観に振り回される個人の在り方を追求したこの作品に影響されて五木作品はだいぶ読んだ。”青年は荒野を目指す” とか ”デラシネの旗” “凍河” ”内灘夫人” などというタイトルが浮かんでくる(なぜだったかわからないが、代表作とされる ”青春の門” には惹かれることがなくて未読である)。映画ではニューシネマ、なんていう時期だったろうか。

“蒼ざめた” では、 圧制下にあり、強固な反体制で知られる作家が、自分の名前を偽って作られた贋作を理由に当局に逮捕される。しかし彼の良心は、”書くべき人が書くことができなかったーそれが私の罪なのだ。この本は私が書くべき本だったのだ"と言わせて、冤罪を逃れようとはしない。安田君の解説からの推論なのだが、この映画のテーマも同じなのではないかと思うのだ。

(そうすると―認知症予防に始めたドイツ語がようやく ”中級″ にたどり着いたレベルの人間のいう事ではないのだろうとは承知の上で言うとー VOM という前置詞を ”のために” とするのは誤訳ではないのか、と思うのだがいかがだろうか。VON が持つ本来のニュアンスからすれば、善き人 ”による” であって、特定の読者のためではなく、圧制に苦しむ同胞の中で、なお、”善き人” 足らんとする勇気のある人 ”による” 音楽なのだ、というのではないか、と思うのだが)。

コロナはこれからどうなっていくだろうか  (42 河瀬斌)

先が見えてこないコロナ問題について医療の現場からドクター河瀬の展望を書いて頂いた。船曳先輩からの貴重な情報と合わせて、われわれなりに正しい認識を持つようにしたいものだ。
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1)いつになったらコロナは終わる?
昨年の今頃、ある雑誌に全部で5年ほどかかるだろう、という文を投稿させていただきました。その理由の一つは、過去のペスト、コレラなどの世界の疫病の歴史で、感染が収束するまで5年ほど要していること、今回のウイルスは変異を繰り返すのでその位かかるだろう、という予測などから得たものです。Pandemicになってすでに3年経過しておりますが、あと2年ほど必要でしょう。
2)変異はどうして起こるのか?
ウイルスが無数の分裂増殖を繰り返す中で、多くの遺伝子の間違いが起こるのが変異です。感染が盛んにできる環境では変異も旺盛に起こっているのです。その大部分は消滅してしまう変異ですが、ウイルスの生育に都合の良い遺伝子変異が起こった場合、それらが生き延びて新しいウイルスが増殖する(現在のオミクロンBA2, XEなど)。
3)ワクチンが効かなくなる変異が起こらないか?
変異はコロナをまるで変幻自在の妖術者のように仕立てており、いつかワクチンも効かないウイルスが出現するかもしれませんね。
しかし専門家の意見(大阪大学免疫学、宮坂昌之先生)ではコロナウィルスにワクチンや抗体が効かなくなるような変異は起こらないだろう、ということですので、安心してください。
4)中国の厳しい「ゼロコロナ政策」でもなぜ感染が防げない?
それはウイルスが他に感染しやすい潜伏期間とPCRが陽性になる時期にずれ(遅れ)があるからです。すなわち1回のPCR検査では陽性かどうかわからないことも多いのです。PCRは繰り返せばウイルスの存在を99.9%知ると言われています。しかしそれでも100%ではないので、上海のような大きな人口の都市では検査の漏れが生じ、ロックダウンしてもオミクロンなどの感染力が強い場合は偽陰性となった人から食料配給や監視役などの業務を介して感染を広げてしまうのでしょう。
5)それでは今後世界はどうなる?
免疫学では「感染力の強いウイルスほど自滅するのも早い」と言われています。現在のオミクロン変異株は感染がどんどん早まっていますので、いずれウイルスの自滅も早まるでしょう。それまでワクチンを定期的に打ち、重症化を防いでいれば、いずれこの疫病は感染しても無症状か、罹っても軽くなり、インフルエンザ程度の疾患になってゆくでしょう。またワクチンを打たない若者でも繰り返し感染して自己免疫を獲得( I 型インターフェロンが作られる)してゆくでしょう(ただしその過程で後遺症を残すこともあります)。現に欧米ではそうなりつつあり、予防マスクもしないようですので、日本も今後は国境での規制が次第に緩和されると思います。
 ただし問題はワクチンのできない途上国で、そこから新しい変異株が輸入されることが問題です。結果として世界中ではCOVID-19ウイルスはなかなか完全には消滅しないため、急にワクチンをやめることにはならないことでしょう。ですからワクチンは一時的と考えず、今後は国産ワクチンの増産に力を入れるべきでしょう。個人カードの入力項目に基礎疾患やワクチン接種の項目を加えることも必要でしょう。またコロナ以前は健康保険制度の維持のために病院を潰すことばかり考えていた政府は、非常時の医療体制がいかに重要で早急には感染ベッドを増強できないことが身に染みたことでしょう。
6)コロナの長期流行が影響していること:
教育と文化:まず第一に影響を受けたのは学生の生活でしょう。友人ができにくかった、授業が十分でなかった、留学のチャンスを奪われたことなどは若者の将来にわたってその生き方に陰を落とすでしょう。また古き良き日本の伝統文化、祭、花火、舞踊、音楽などは今後保護しないと衰退の一歩を辿りますので、皆で支える必要があります。
働き方改革:いろいろな職種でリモートワークが進んでいます。最近の学会もハイブリッドといって現地参加だけでなく、学会発表を自宅のパソコンで見て質問もできる、という時代になりました。これによって自由な時間が増えたため、自宅の環境を見直すようになりました。帰宅途中で飲めないので自宅で飲む習慣がついたこと、アウトドアの指向など、コロナは今までの日本人の生活習慣を変えていますので、これらはコロナによる良い面の影響と言えるでしょう。