NHKBSTVジャッキーロビンソンの実在ドキュメンターリー風映画『42 〜世界を変えた男〜』(42 せかいをかえたおとこ、原題: 42)は、 2013年制作のアメリカ合衆国の映画。
彼がいなかったら、現代の日本人の選手の活躍も無かった? 1940年代、 白人のみのアメリカプロ野球で初めての黒人として活躍、 尊敬を集める名選手「ジャッキー・ロビンソン」。 根強い人種差別を打ち破る挑戦「偉大なる実験」と呼ばれる一方、 厳しい試練でもあった。観客の罵声とチームメイトの冷たい視線。 孤独と屈辱の中ジャッキー・ロビンソンは、 後に続く人々のために「やり返さない勇気」 で立ち向かう生涯差別と戦い続けた生き方のプロファイルである。このタイトルの「42」 とはロビンソンが付けていた背番号で、現在アメリカ・ カナダの全ての野球チーム(メジャーはもとより、 マイナーリーグ、独立リーグ、アマチュア野球に至るまで) で永久欠番となっている。この作品はアメリカとカナダでは公開から3日で、2730万ドル( 約27億円)を売り上げて初登場1位となり、 野球映画史上最高のオープニング記録を打ち立てた。
アメリカのメジャーリーグベースボール(Major League Baseball:MLB)は1947年(昭和22年)のこの日、ジャッキー・ロビンソン(
ロビンソンはデビュー1年目から実力を発揮し、 一塁手として打率.297・12本塁打・48打点・ 29盗塁という成績を残してチームの優勝にも貢献し、 同年より制定された新人王を受賞し、後に続く黒人選手の道すじをつくった。
あらすじ
1947年、ブルックリン・ドジャースのGMであるブランチ・リッキー( ハリソン・フォード)-なかなの好演-は、 戦力補強をニグロリーグに求めた。若く、 差別に対して強い反抗心をもつタフガイであるジャッキー・ ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン) を気に入ったリッキーは、さっそくスカウト。 だが時代は黒人差別が強く残っていた1947年。 MLB初の黒人選手となるジャッキーのまえに立ちはだかる苦難は 、予想を超える激しいものであった。だが、当時はまだ黒人差別が激しく、 メジャーリーグも白人だけのものだった事から、 彼の入団は球団内外に大きな波紋を巻き起こす。 ロビンソンは他球団はもとより、 味方であるはずのチームメイトやファンからも差別を受けてしまい 、孤独な闘いを強いられる。 しかし相手球団の監督の罵倒や危険球に耐え、 必死にプレーする彼の姿が、 やがてチームメイトや観客の意識をも変えていく。
1947年、ブルックリン・ドジャースのGMであるブランチ・リッキー(
有色人種と関わることで、
レイチェル・ロビンソン(Rachel Robinson、本名:Rachel Annetta Isum )は、ジャッキーの妻(映画ではニコール・ベハーリーが演じている)である。ジャッキーの死後、1973年にジャッキー・ ロビンソン財団を設立し、 才能を持ったマイノリティの若者たちに奨学金の交付を行っている 。
故ジャッキー・ロビンソンの代わりにジョージ・W・ ブッシュ大統領から議会名誉黄金勲章を受け取るレイチェル・ ロビンソン(2005年3月2日)。
でもそんなアメリカでも未だ未だ人種差別は消えていない。
1990年米国に携帯電話事情を調査に行ったときにドジャースス タジアムを訪ねた。期待の野茂選手は出なかったが、 彼とて多分人種差別の中戦っていたと思う。そしてオオタニさーん。 彼もあれだけ人気があっても裏では未だ未だ差別と戦っていること と思う。矢張り「やり返さない勇気」が必要なのだろう。そんなことを思わせる『42 〜世界を変えた男〜』だった。
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