月いち高尾今年の納めW(日影沢BBQ)の帰途、旧甲州街道散歩としゃれていた時、同行の川名くん(KWVではないのだが、後藤三郎の友人、といっても現代風に言えばチョー若く僕らの孫の年代の好青年)から、”ジャイさんのころって、どんな映画を見てらしたんですか?“と質問されて、天狗飯店までのあいだ、雑談した。僕らの中学高校時代には、ボウリングもなければテレビも始まったばかり、”部活“をのぞくと映画くらいしか世界を知るすべはなかった。 “エーガ”といえば座席取りから始まってスクリーンに投射が始まるまでのわくわく感、終わった後の一種の放心状態までをひっくるめての体験だ、といまでも思っているのだが、川名くんともなれば、 “あ、ダウンロードしてPCでみますから” とあっさりしたものだ。昭和も遠くなりにけり、と思うのだが、彼との話がバスの時間で中断してしまったので、”ジャイさんの好きだった映画”について、続きを書く気になった。
彼の第一の質問だった ”一番良かった映画はなんですか“ という質問には文句なく答えられた。ジョン・フォード監督、主演ヘンリイ・フォンダ、ヴィクター・マチュア、リンダ・ダーネル ”荒野の決闘” (現題 My Darling Clementine)、これに過ぎる映画はない。僕らならだれでも口ずさむ、例の ”雪よ岩よわれらが宿り“ の原曲が流れる、牧場の板看板をかたどったタイトルバックから、多くの人が”数ある映画の中でも一番美しいラストシーン“と言う最後まで、まさに映画である。西部劇ファンの間では決闘シーンでワード・ボンドが見せる見事なファンニング(拳銃の連続撃ち動作)だとか、荒くれと思われていたドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)が酒場でハムレットのセリフをいうところだとか、ロングショットにひいた馬車と巻き上がる砂塵のシーンだとか、そのあと、肺病やみのホリディが、せき込んでハンカチを出す。その白さゆえに被弾してしまう、その時の表情とか、なにしろ、いいんである。
高校から日吉時代、まさに映画の黄金時代だった。住んでいた大森山王に名画座というのができて、戦前の傑作もずいぶん見た。 だが当時傑作と言われた中で見た ”禁じられた遊び” (Jeux interdits) のショックが大きくて、その後、あまり考え込むような作品は徹底して避けるようになった。だから世の中の映画通と言われるインテリ層には馬鹿にされるのだが、それはともかくとして、僕の波長にあった作品を上げてみる。
僕の西部劇遍歴からいえば、第二にくるのはウイリアム・ワイラー監督、グレゴリイ・ペック、チャールトン・ヘストン、ジーン・シモンズ ”大いなる西部“ (The Big Country)だろうか。ストーリーはともかく、題名そのもの、“西部” の大きさ、自然の大きさを描いた映画だ。主演二人の殴り合いのシーンを思い切ってロングショットだけでとり、風の音の間に殴り合いの音だけが響き、人間の小ささ、やりきれなさを表したところなど、うっとりとしてしまう。
ワイオミングの自然がタイトルバックの直後から息をのむように美しいのがジョージ・スティーヴンス監督、アラン・ラッドの ”シェーン“ (Shane) だ。話の筋は日本で言えば木枯し紋次郎の股旅ものだが、決闘の場面でラッドが見せた早撃ちの(正確な数字は忘れたが)スピードが話題になった作品である(クリント・イーストウッドの ”ペイル・ライダー“はこれのリメークである)。なお、アメリカ観光ルートの代表であるイエローストーンの少し南に位置するワイオミング州グランド・ティトン国立公園には、この映画の有名なラストシーンを撮影した場所が保管されている。
西部劇、と言えば代名詞にもなるのがジョン・ウエイン、資料によると生涯出演した作品は153本あるということだが、サイレント時代からの通算なので、題名だけではわからないが、西部劇がまず100本は越えていると思って間違いなかろう。僕自身、見たウエイン作品は43本あるが、西部劇でないものは8本に過ぎない。まさにミスターウエスタンだ。映画通と言われる人の間では、“駅馬車”(Stagecoach) が出世作とされているが、ジョン・フォード監督のもとでフォード一家、と呼ばれる常連(ヘンリー・フォンダ、ワード・ボンド、ヴィクター・マクラグレン、モーリン・オハラ、ミルドレッド・ナトウイック、ペドロ・アメンダリズ、ベン・ジョンソンなど)が必ず登場した通称 “騎兵隊三部作” (アパッチ砦、リオグランデの砦、黄色いリボン)や、だいぶ年になってからの娯楽的要素が強い ”リオ・ブラボー“、”チザム“、”エル・ドラド“ ”エルダー兄弟“ なども懐かしい。
だが僕が選ぶとすれば、その絶頂期に撮られた ”赤い河“(Red River)と ”捜索者“ (TheSearchers), それと ”リバティ・バランスを射った男“ (The Man Who Shot Liberty Balance)になろうか。なお、ウエインが映画の中で死ぬのは、”硫黄島の砂“(Sands of Iwo Jima)、遺作 ”ラスト・シューティスト“ (The shootisit)、それとこの”リバティ“ だけのはずである。
西部劇談義を続けると、心理的描写がなんとか、などと批評家たちも激賞した多少シリアスもの、ゲイリー・クーパーの ”真昼の決闘“ (High Noon)、ストーリー展開が抜群に面白かったジェイムズ・スチュアートの“ウインチェスター銃73”(Winchester ’73) が思い出される。ただ西部劇、といえばすぐにガンプレイに話が行くが、銃を扱った人からすれば、ライフルならいざ知らず、拳銃であんなに簡単に的にあてることはあり得ないそうだ。しかしいずれにせよ、最後に殺されるべき悪役は必ず必要で、出てくるだけで”悪いやつ”と分かってしまう俳優も懐かしい。ブライアン・ドンレヴィ、ネヴィル・ブランド、ジョン・アイアランド、リー・マーヴィン、リー・ヴァン・クリーフ、ヴィクター・ジョリイなどである。
もひとつ、若い人がどこまでご存知かわからないが、かの悲劇のモナコ王妃グレース・ケリーがデビューしたのが上記 ”真昼の決闘“ であることを付けくわえるかな。そういえば、うちのカミさんなんかが夢中だった、これまた悲劇的な死に方をしてしまったモンゴメリー・クリフトがはじめて出演した西部劇が”赤い河“だったことも言っておこうか。
残念なことに昨今、西部劇映画はすたれてしまって、いい作品にであう機会は減ってしまった。その中では、だいぶ前にはなるがケヴィン・コスナーの ”シルバラード”(Silvarado) と ”ワイルド・レンジ”(Open Range) は面白かった。特にワイルド・レンジの最後の銃撃戦は前記したように、現実的なものという批評があり、実際に10メートルと離れない距離であってもまず的に当たらない、ともかく数射つしかない、というリアルな場面がえんえんと続く。こういうリアリズムがいいのか、どうか、ロマンがないではないか、という議論も当然だが。
西部劇以外では、やはりかのハンフリーボガート、イングリッド・バーグマン ”カサブランカ“(Casablanca)、それとロバート・ミッチャムの ”さらば愛しき女よ“(Farewell My Lovely), もう一本ボガートものだがエヴァ・ガードナーの魅力をふんだんに見せた ”裸足の伯爵夫人“(The Barefoot Contessa),それとやはり、今では伝説的存在となってしまったが、”第三の男“(The Third Man)の四本ということになろうか。
特に”第三の男“、主演のジョセフ・コットンはどうでもいいが、オーソン・ウエルズの迫力、それとわき役だがトレヴァー・ハワードの演じる中年男ぶりにはただほれぼれしてしまうし、今や世界的クラシックともいえるテーマ曲が忘れられない。余計なことだが、”ポピュラー“ ナンバーの中で僕の愛好曲ベスト3がこのテーマにユーゴ―・ウインタハルターの ”カナダの夕陽“、それとフランシス・レイの”白い恋人たち“である。
ほかには第二次大戦欧州戦線に関するものは結構見た(太平洋戦線ものは数も多くないが、身近過ぎてみるのがつらく、敬遠してきた)。これはストーリーとしてよりも自分は高校で世界史を選択していないので、歴史知識の向上ということもある。抜群に面白くかつ史実をまなんだのが ”地上最大の作戦(なんと陳腐なタイトルかと思うが)”The Longest Day“とスターをならべただけ、と専門家の評価はよくないが、”遠すぎた橋“ ”A Bridige Too Far” の2本、製作意図は似ているがストーリーそのものも面白く娯楽映画的要素もあるのが “バルジ大作戦”(Battle of the Bulge) だった。
学びなおした史実はとにかく、この3本に出てくるエピソードで一番印象に残っているのが ”遠すぎた橋”で、ロバート・レッドフォードが演じた、白日下、敵から丸見えという条件で敢行させられる渡河作戦の描写である。その命令を部下に伝えたとき、全員が戦慄する。当然だろう。このとき、レッドフォードがこういうのだ。”Hey, don’t you have sense of humor ?” センスオブヒューモア、ということの大事さ、重要さはアメリカ人とつきあいがショーバイだった僕にはよくわかる。しかし、このような、自分の生命そのものが疑われている時も、彼らはその感覚を大事にするのか? これがアメリカ人であり、アメリカ文化の真骨頂なのか? いまでも僕には衝撃であり、教訓でもある。
映画から歴史を学ぶ。歴史家の中には司馬遼太郎の史観を悪く言う人も多いようだが、僕の日本史の知識はほとんどを彼の小説に負っている。なかでも ”坂の上の雲“はまさにそのような一つである。数年前、NHKがテレビ化したものも当然見たが、この印象というか感激はどうしても孫にも分かち合いたく、だいぶ出費にはなったがDVDの完全セットを購入して、かれの高校入学祝いにすべく、箱のまま、僕の机の下にある。
ま、それにしてもいい映画をテレビなんぞでなく、ましてやスマホなんてけちなものでなく、埃っぽい “エーガカン” で、それもシネコンなぞではなく、座席取りなんかやってから一息ついて、それから見てみたい。川名くん、いかが。それにしても My Daling Clementine, よかったなあ。も一度。