“玉手箱” 論争について    (44 安田耕太郎)

1.         山は頂上が高ければ高いほど、基本的には裾野も大きく広がる。スーパーコンピューターに代表される最先端技術の先頭争いが、今後の国の命運を決めかねない時代になってきている。

デジタル分野、AI, ナノ分野、脱炭素化技術、ロボット工学、バイオテクノロジー・生物工学分野、遺伝子工学、量子物理学分野、エネルギー創出分野、宇宙工学分野、キャッシュレス技術・・・など枚挙に暇がない。オール日本の知能を結集し、そのレベルを向上させることは不可欠だ。その観点から、スーパーコンピューター「富岳」、「ハヤブサ2」などの快挙は諸手を挙げて歓迎すべき慶事である。未来志向の先端技術の成功例は全体を牽引する象徴的且つ実践的な役割を果たすはずだ。

2.       山の頂上の中核を担う“知”、“脳” となる人材の育成が鍵を握るだろう。それを可能にする財政的・経済的な予算措置を講じるのは必須だ。果たして総花的に分厚い中間層を育成することを最優先させているかに見える現在の学校教育が、未来のより高い“頂上”を構成する人材の確保に質的にも量的にも対応できるのか否かについては大いなる論議があろう。改善・改革の余地は大いにあると思っている。第二次産業の成長・拡大とそれに伴う製造技術の優秀さが、戦後の日本の経済成長を支えたのは疑いない。そんな労働集約大量生産型仕事に必要とされたマンパワーは定型的作業に適した平準化された大量の労働力であった。日本の教育もまさにその優秀な人材を供給するようにデザインされていたのである。そんな謂わばハードの時代は過去のものとなり、今後は第三次産業が中核となるいわゆる先端技術と情報の優劣が帰趨を決めかねないソフトの時代へと移ってきている。必要とされるマンパワーの質と量も、前時代とは明らかに異なってきている。その意味からいっても、「ハヤブサ2」や「富岳」の快挙は成功の実例として、後に続く人材に対するする動機付け、勇気づけの役割は大変大きく重要である。

3.     国民から集めた税金を原資とする必要不可欠なプロジェクトに対する投資は近視眼的な費用対効果の数値で測ってはいけない。限りがある原資の使途配分については、担当する当局の知恵、先見性、未来を読む慧眼が求められる。翻って見れば、コロナ禍のマスク供給に費やした400億円にちかい税金の無駄使いなどはやめてもらいたい。役人の鼎の軽重が問われたのである。

4.       次には、世界との交流はあらゆる分野で益々重要になっていく。日本の外に打って出る人材の育成と確保もmustだ。この点、内向き志向、上昇志向の欠如、目標・野心或いは夢の乏しさなど消極的にみえる若者たちの思考と態度は大変危惧される。国連と諸々の下部機関、世界銀行、世界保健機関(WHO), 国際通貨基金(IMF)、国際労働機関(ILO), 国際原子力機関(IAEA)など100を超える機関が世界には存在している。それらの組織の重要ポストをも日本人が占めることも重要な外交となり得る。謂わば国のソフトパワー戦略の一環になり得る。上記に述べた#1 と#2の視点とも呼応しつつ共通する重要な課題であろう。

5.      オリンピックに関しては、今の段階で “延期” 或いは “中止” を決定することも発表する必要もない。飽くまで実施するを前提で知恵を絞って計画を進めるべきだと思う。ただし、決定権はIOCが有しているので、彼らの専権事項である。必要な準備期間を考慮すれば来年の2月が3月が決定の最終期限であろう。僕個人的には実施は無理だと思っている。

ついでに言えば、オリンピック開催時期に関する最大の問題は、財政面でアメリカの大手テレビ局に頼らざるを得ないIOCは、アメリカ国内の人気スポーツの最盛期である秋を、優先させるそれらテレビ局の影響力に屈して真夏の不適当な時期に開催せざるを得ないのが現実である。これほど「選手と観客First」を無視した暴挙があろうか! オリンピックが金銭的な影響力に蹂躙されていると云っても決して過言ではない。北半球のオリンピックは昔、すべて秋開催であった。1964年10月10日、快晴の国立競技場の開催初日を鮮明に記憶している。