”湯沢の高橋さん” とご一緒でした (36 後藤三郎 翠川幹夫)

高橋さんご出展の作品

堀川さんの企画で雪の中を大変貴重な体験をされたようで何よりでした。私共は同じ日に浅貝の青年会新道や稲包山の登山道の開発を含めて長年お世話になっている元湯沢町役場の観光開発課長をされていた高橋貞義様の絵画展に六本木の国立美術館でご一緒させて頂きました。KWVのOBがチビさんを中心に15年以上登山道の開発と維持をやって来たこともありあの山岳路が稜線伝いに谷川岳から新潟・群馬・長野の志賀高原まで繋がると言う壮大な開発計画が実現できるなら我々にとりましても誠に嬉しい話です。参考までに高橋さんの作品と昼食をご一緒したメンバー(ぺた子と私が映っていませんが)の写真を添付します。
(後藤三郎)

(翠川幹夫)上記メールに記載されている「示現会展での高橋貞良様の作品の前での写真」を送ります。

19年4月 月いち高尾  (39 堀川義夫)

 

2019年の4月10日(月)は意識して日程を決めたわけではありませんが、奇しくも天皇陛下のご成婚60周年記念日であり、また、妹尾先輩の一周忌にあたる日となりました。

今回のプランは、平成の代があと20日ほどで令和の代になりますので武蔵陵墓地の参拝をして皇室に敬意を表し、その後、多摩森林科学園の桜見物、最後に「ろくざん亭」でのちょっと贅沢な昼食会とした、珍しく山には行かない企画でした。

日 時 2019年4月10日(月)

参加者 中司、中司(八)、高橋、遠藤、岡、深谷、宮本、平松、小泉、椎名、船曳、船曳(愛)、町井、堀川、岡沢、多田、蔦谷、立川、藍原、相川、柏木、久米、久米行子、保屋野、関谷、川名、 以上26名

参加者は26名と、食べ物が企画に入ると集まりが良いようです。。悪天候で各電車が遅れ、全員集まることができたのは10時20分ころで、大きなボタン雪の降る中を元気に出発しました。

当日は、近来稀なことに高尾周辺はみぞれからボタン雪となり、冬並みの気温(5℃前後)でダウン着用、手袋、マフラーなど防寒に大わらわでしたが・・・これまた珍しい雪景色の武蔵陵は荘厳で大変美しく、ご成婚記念の祈祷が行われたようで、神官が粛々と退場していく列は荘厳さに満ちていました。桜は雪の白さと同化してあたり一面、満開の桜のごとく素晴らしい景色を見せてくれました。なかなか見られない景色です。

昼食は1時間ほど予定を早め、迎えに来てもらったマイクロで以前から一度行ってみたいと思っていた「ろくざん亭」に行きました。「ろくざん亭」は、高尾山の金毘羅台コースの登山口にあります。ご主人は山梨のご出身だそうで、趣のある建物は数件の民家を移築して30年ほど前に開業したそうです。昼には丁度良い春らしい料理に舌鼓を打ち、酒が進みました。

(船曳)早速のreportありがとうございました。写真もきれいです。なんと驚くべきことに、今朝の東京新聞を開くと、 “ほっとなび” というコラムに、『多磨森林科学園』が紹介されています。まだまだ楽しめる桜の副題付きです。さらに別の  “行楽ガイド“  欄には「多磨森林科学園と多摩御陵を訪ねる」というプラン迄載っています。偶然の一致とはいえ、いかに時宜にかなった企画だったかを証明していました。なお新聞では4月11日付の記事であり、天皇家御結婚60周年との関連は触れておりませんでした。素晴らしい企画に感謝しております。

(久米)早速に報告と写真ありがとうございます。写真では雪の中の荘厳な武蔵野陵墓の雰囲気が良く出ていて感心致しました。ちょうど平成天皇ご夫妻のご成婚記念行事と重なり、雰囲気のある場面に遭遇できたのは幸運でした。多摩森林科学園は以前から訪ねてみたいと思っていた所です。各種の桜が雪の中に見ることができて滅多にない景色を見ることができました。吉之助はもう一度ゆっくり訪ねてみたいと申しております。しかしさすがKWVのメンバーです。あの寒さの中しっかりと予定を消化、雰囲気のあるランチも楽しみました。ありがとうございました。

(深谷)昨日は、お疲れ様でした。「平成」を締め括るに相応しい素晴らしい企画を有難うございました。4月には珍しい大雪というおまけまでつき、忘れられない一日となりました。
(保谷野)昨日はお疲れ様でした。またユニークな企画、ありがとうございます。多摩御陵の大雪と満開の桜、そして(一度行きたかった)ろくざん亭の美味しいランチ・・・大勢の皆さんとの楽しく思い出に残るイベントでした。

神代曙のこと

”おめえ、一度くらい花見に行ったらどうだ?” と小泉さんの声が聞こえるような気がしてきて,深大寺植物園へ行ってみた。植物園、であって花見の場所ではないので、”花見” の雰囲気はむしろ入り口へたどり着くまでの道筋のように思えた。新聞ではずっと我々が桜といえばソメイヨシノと思っていたのが世代交代を強いられ、次代の桜はジンダイアケボノという種類になると報じていたので、それをとりあえず探してみた。

ところが説明を見たらなんとこれが品種改良の原木だと知り、感激。アケボノ君がソメイ君とどう違うか、などはすっかり忘れてしまった。花そのものよりもなんとまあ素晴らしい命名をしたものだとおもわれる看板が次々と目を引き、花見でなく看板見で終わった半日だった。先輩、すみません。

そんじゃあおめえ、何しに行ったんだ?という先輩のお叱りはありましょうが、ともかく、”桜とはなんだ” について、出口にあった標識でご勘弁を。

PS  調布に来てはや10年たったが、いまだになぜ 神代 と 深大 とがあるのか、わかっていない。国花の名前としては当然,神代だろうと思うが、咲いている地名は深大。興味深大…….とは言わないよな。

 

(少し気が早いけど)秋の日帰りはこんな理想郷です! (51 斎藤邦彦)

4月7日(日) 秋の日帰りワンデルングの調査行として「シダンゴ山」とBC予定地の「滝沢園キャンプ場」に行ってきました。本番の「秋ワン:東丹沢山域」は10月26日(土)とまだまだ先なのですが、シダンゴ山は日本一の馬酔木(アセビ)の山として有名なので春に登ることにしたものです。登山口の寄(ヤドリギ)にある「大寺の枝垂れ桜」は満開で見事でしたが、残念ながらシダンゴ山頂上の馬酔木はほとんど終わっていてわずかしか残っていませんでした。

名物の「肩富士」(前衛の山に遮られて富士山の左半分しか見えない頂上の景色)は春霞の中で薄っすらと望めました。春の暖かい陽だまりの中で多くの人が丹沢から相模湾までの展望を楽しんでいました。その後タクシーでBC予定地の「滝沢園キャンプ場」を実査に行き大倉からバスで渋沢駅に戻りました。

 丹沢地域の山菜料理などを出す食堂として前日にチェックしていた渋沢駅前の「いろは食堂」に午後2時頃に入りました。私は全く知らなかったのですがこの食堂はいわゆる「登山客ご用達」の店で有名登山家や日本山岳会のメンバーを始め、各地域、各企業や大学の山岳部の登山者が多く出入りする店で「山と渓谷社」の社員も長年利用しているそうです。店の壁には多彩な名刺がたくさん貼ってあり、その中にはKWVの堀川先輩のものではないかと思われる名刺も含まれていました。

経営は80歳のご夫婦で51年間に亘ってここで登山者を相手に店を切り盛りしているとのことで春の息吹を感じる「筍の刺身」や「うどの天ぷら」などをご馳走になりました。店は比較的広く約40人は入れると思います。秋ワンの日に12人用の椅子席の個室を予約しました。気さくな女将が「10月までに下見に来た時もぜひ立寄ってほしい」とのことでした。ということで、山行の調査よりも2次会の居酒屋の調査の方の実効が上がった一日でした。

(日帰りWはすっかり恒例行事として定着したが、担当学年によっては人数の点で負担が増えてきているようだ。ご苦労様です。今回調査行メンバーは下記のとおりのツワモノぞろい。たしかに2次会のほうが盛大だったものと推察! 左から51斎藤邦彦、51五十嵐隆、51金子隆、52安藤潔、の各君)

アマチュアの楽しみ―シリコンバレースタイル (もとYHP 五十嵐恵美)

小金井市での演奏

(編集子注:恵美さんは筆者YHP在職中の同僚、米国現地での企業へ転職し結婚後、カリフォルニアはメンロパーク住まいを続けている。HP時代の仲間との楽しい交流はずっと継続。今回は数日の滞在であったが親しい友人が集まり旧交をあたためた)

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“シリコンバレーの近況やトランプ下での状況”の投稿をというエディターからのリクエストであったが、初稿は最も書きやすいサブジェクト、”個人の近況” に独断で変更し、自己紹介も兼ねて、下記、題して”アマチュアの楽しみ”。

今春の帰国は友人家族親族との再会の他に A P A (エイパ Amateur Music Player’s Association JAPAN 日本アマチュア演奏家協会)のメンバーと、 A P Aと提携している筆者が所属するACMPのグローバル メンバーとのコラボ。ACMP (Associated Chamber Music Players) は米国の室内楽演奏家のネットワーキングの組織で、ACMPの前身は1940年代後半にNew York で設立されたACMP (Amateur Chamber Music Players) である。今年1月に入ってから、筆者が偶然にも3月帰国の予定であった為、急遽、同時期に開催されるA P A主催の第4回国際室内楽音楽祭に飛び入り参加が決まった。ヨーロッパ、アジア、北米から約30人のアマチュア演奏家が集まり、中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果が3月30日にコンサートという形で発表、演奏された。

今回、東京でコラボした曲は、カリフォルニア州メンロパーク市で筆者が数年前に結成したピアノ トリオ グループ  Monats-Trioが、帰国直前のリサイタルで演奏した、メンデルスゾーン作曲ピアノ トリオ OP49。東京でコラボしたメンバーは、日本人のピアニスト、英国人のチェリスト、筆者がバイオリンで、3月30日の発表会前にたった3回の音合わせという、スケジュールだけはプロ並のスピードで、集中されたリハーサルが3月最終の週に開始された。(ちなみに、日本ではメンデルスゾーンのトリオを演奏家が”メントレ” と呼んでいるのを今回知る)

トリオのメンロパークでの演奏風景

筆者のカリフォルニアの音楽仲間Monats-Trioのメンバーは、上海生まれの中国人のピアニスト、ドイツ人のチェリストという、シリコーン バレーでは日常になっている典型的な国際色の豊かさ。エンジニア、サイエンティスト、等、技術系の人の中には技術的にもまた知識の豊富さからいっても(おそらく日本でも同じことが言えると思うが)クラシック音楽Enthusiastsが多い。よってシリコーン バレーではアマチュア室内楽が盛んに弾かれている。

Monats-Trioの場合、ピアニストはすでに引退しているアナログ関係のエンジニア、チェリストはSLACに勤務する現役の物理学者。今回、東京でトリオを組んだメンバーは全員すでに引退していて、ピアニストは音大を出たピアノ教師、チェリストは(まだお若いとお見受けしたが)元弁護士、筆者はシリコンバレーで約30年広報関係の仕事をして2011年に引退したという全員、文化系。

おそらく個人の性格によるところも大きいのではないかとは思うが、米国のMonats-Trioの場合、大変にリラックスしていてあまり他のプレーヤーの批判はしない。黙々と一回のリハーサルに4-5時間は弾く。反して、今回の東京でのトリオは、批判ではないが曲想に関するコメントが飛び交う。一般論で言えば、技術・理科系の寡黙な性格と、文化系の多弁な性格の違いである所も大きいと思う。

「本来、アマチュアとは “愛する人” のことであり、自分のためだけに物事を究めることができる人のことをいう。」「音楽の世界に置き換えてみた場合、プロは五回に一回しか失敗しないが、アマチュアは五回に一回しか成功しない、という話を聞いたことがある。」(辻栄二、アマチュアの領分)。

”アマチュアの領分”の筆者辻栄二氏に同感するところが多い。「今までは、プロとアマチュアの二つに区分された平版な状況しかなかった。しかし、これからは、非同質社会、高齢化社会、情報化社会、生涯教育社会、クリスタル時代、余暇時代、感性の時代、等々といった言葉の数々に象徴されるように、プロはプロで非凡な人たちの集団でよし、アマチュアはアマチュアで何らの権威におもねることなく、自由に音楽を楽しむことのできる時代 ―多極化、多様化された時代― とみてよいのではないだろうか。」「また、高齢化社会に到達すると、いやでも生涯教育、余暇対応の比重が高まり、これまでの定型化されたメニューによるものではなく、様々なカードを自分自身の判断で選んでその組み合わせのなかに自分の生き方を発見しなければならなくなるし、またそういうことができるようになるであろう。国際化が進むと、外国との文化摩擦を通じて、これまでの同質的、集団的な思考パターンや生活様式に何らかの考察や対応をせまられることとなる。また、情報社会では、ファミコンを枕にして育ちコンピューター・アレルギーのかけらもない世代が自分自身の基準で情報を選択するようになる。」 辻氏の著書が発行された1990年から既に30年経った現在、辻氏の語るアマチュアの世界、多極化多様化された時代、はすでに米国でも、恐らく日本でも、また世界の多くの他の国で現実になっていると思う。

室内楽を弾かれる読者の方々はご存知だと思うが、室内楽を楽しく同じメンバーで長年弾いていくにはメンバーの性格の適合性によるところが大きい。今回の東京でのコラボはアマチュアとしては成功であったと思う。コラボの後、トリオのメンバー全員が来年もまたコラボしようと笑って別れた。令和2年3月30日、再び中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果を披露できるか、あるいは世界のどこかの街での再会、共演ができるか、今から楽しみだ。

 

花見しかすることがない訳じゃないけど (34 小泉幾多郎)

小生卒業の高校は神奈川県立平沼高校。入学(1951年) 2年前までは女子の名門神奈川県立第一女子高等学校だったが、1950年男女共学になり、平沼高校となった。女子高時代の先輩に岸恵子、草笛光子、小園容子といった女優, 最近では、テレビ朝日8時からのニュースキャスター羽鳥慎一(早稲田大)が後輩。この時のクラス仲間と毎年恒例にしているクラス会の花見、今年は湯河原。

万葉公園の桜

83歳ともなると参加者も減り、男5名、女6名計11名。日帰りで計画したのに女性軍は折角湯河原の温泉に行くのだからと前日旅館泊、夜更けまで話し込んだようだ。一人を除き未亡人、文句を言われる人もなく自由気儘な生活だろうが男性は全員日帰り。

湯河原着からバスで美術館前へ行って女性軍と合流、町立湯河原美術館を鑑賞。月刊誌文芸春秋の表紙絵を2000~2010に亘って飾った平松礼二画伯が館長でその絵を中心に常設館には有名日本画家のこの地ゆかりの作品が並ぶ。他に現代作家展として渋谷武美という人の彫刻が展示されていた。昼食は庭園に面したミュージアムカフェで地元豆腐店十二庵の豆乳スープセットの定食。美術館前を流れる藤木川に沿って下り光風荘へ。

われわれ生誕の翌年1936年の2.26事件の東京以外の現場が此処で、吉田茂の岳父に当たる前内大臣牧野伸顕が家族使用人と共に滞在中襲撃されたのだった。牧野伯爵は無事脱出したが、護衛巡査が死亡し、負傷者も出たという。その時の貴重な資料が多数保存されていた。此処から万葉公園へ。藤木川から分かれた千歳川沿いに川のせせらぎを聴きながら散策。入口には万葉の歌碑があり、「足柄の土肥の河内に出つ”る湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」万葉集4500種の中に、ただ一首、温泉のこんこんと湧出している様を詠ったものだそそうだ。新しい元号が、万葉集からの「令和」に決まったことから、この地も人気が出ることは間違いない。

千歳川の花

滝が小規模ながら二つあり、其処から大きい規模の独歩の湯に到着。郷土資料展示室を見たりして、千歳川沿いの道を下る。千歳川の北側が湯河原、南側が熱海で熱海側に桜並木が続く。桜並木が消えたところでちょっとだけバスに乗り湯河原駅へ。花見と共に芸術と歴史にも浸ることのできた一日だった。

(編集子 なにか高校時代の甘酸っぱいオモイデなんかも確認されたのでは?)

アサ会今年の花見 (34 小泉幾多郎)

本門寺五重の塔 本稿の写真は矢郷君撮影による

日時 4月4日 参加者:佐成、椎名夫妻、城田、田中、西川。西島、平松、藤野、船曳夫妻、真木、松本圭、矢郷、林田、小泉 計16名

林田君の幹事で、洗足池と池上本門寺の花見を開催。例年夫妻で参加していた妹尾君がいなくなり寂しいことだが、これも夫妻で参加していた永野君、茂手木君が都合で不参加となり、これだけで例年に比べ6人少ないことになった。

池上線の洗足池駅11時集合。洗足池公園は駅前の眼の前で桜と池が見渡せた。

先ずは、勝海舟のお墓へ。勝海舟と民子夫人のお墓が仲良く並んでいた。勝海舟が官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中洗足池畔に憩い、その風景にうたれ此処に別荘を構えたという。此処に勝海舟記念館を本年夏までに完成予定にしているとのこと。池の周りの桜は丁度満開でした。再び洗足池駅に戻り、池上線で池上駅へ。徒歩15分で池上本門寺へ。眼前に仁王門から96段あるという階段が望めたが、我々は向かって右側にある池上会館からエレベータを使い本門寺の前へ。どうしても階段を登りたいという人が3人おりました。上へあがると矢張り五重塔が目立った。桜とのコラボレーションが此処での見ものとなっている。

この五重塔の近くに、明治の文豪幸田露伴のお墓があったが、その墓碑銘は、わが西川加耶子さんの御尊父で昭和の三筆と言われた西川寧(ヤスシ)氏が書かれたものだった。西川さんによれば、五島慶太氏や山本周五郎氏等からも依頼されたそうです。会食は池上会館の2階で、白梅の間を借り切ってゆっくり寛ぎ、今年のアサ会花見は無事終了。

4月4日,快晴

京王線仙川駅。区画整理のため伐採されるはずだった桜が市民の運動でそのまま残り、毎年、みごとに咲く。

2019春季 OB会ゴルフ大会

開会にディフェンディングチャンピオン佐藤君(48年)挨拶

3月29日、春のゴルフ大会が先回に引き続き37年菅谷君のホームコース、府中カントリクラブで開催された。天候は予想よりも穏やかだったが、名物桜の花にはほんの数日、早かった。

参加者は32年卒荻原さんから52年卒の諸君まで、年齢差20年に及ぶダイナミックレンジとなった。また、今回から80歳以上はゴールドティも使用可能になった(編集子もそのひとりだが同様、意地になって使わなかった人も多数)。府中CCは数年前からゴルフカート使用が義務付けられており、”歩く” ことに関してのハンディはなかった。

結果、トップは昨年に引き続き佐藤充良君だったが、”連覇禁止”条項(自民党にも教えてやったらどうだ)のため、2位の斎藤邦彦君(48・44)が優勝。ベストグロスは猛打にいささかの衰えも見せない藍原瑞明君(42・42)が獲得。余談だが”連覇禁止”のほか、”表彰時本人不在” のため、繰り上げが2件発生するという椿事の多い大会となった。

次回幹事は今回のスコアにより、斎藤邦彦、藍原瑞明、それと地主菅谷国雄の諸君と発表されている。

PS 帰途はほとんどの人が倶楽部バスで多摩センター駅へでて二次会へ繰り出したようだが、駅のアプローチに入る直前に渡る乞田川沿いの桜が当日、まさに満開であった。土地勘が多少ある編集子はこのあたりを散策し、飲み会には出遅れてそのまま帰宅して驚かれた。

イチローのこと、映画のこと (44 安田耕太郎)

イチローについて、もとより今回の東京開幕戦が引退セレモニーとして設定されていたのは理解していたが、世界の安打製造機がここまで落ち込むとは予想していなかった。オープン戦での盗塁を見たとき、こんなピッチの上がらない走りなのかと驚いたし、またバッティングのスウィングスピードがまるでスローモーションのようで、三振も多過ぎたし動体視力の衰えは隠すべくもなく、潮時を実感した。
メジャーに行った時現地の悲観論にバカじゃあないかと、彼の成功を確信していたし、実際途方もない成績を残してくれた。レーザービームの強肩、韋駄天の盗塁、幾度と観た5打数5安打。新人でメジャーに行っていればピート・ローズの最多安打数を抜いていたに違いない。但し、華奢で非力な10代後半の少年が入団させてもらえたかは分からない。
生で一度は観てみたい選手がいるものだ。サッカーのマラドーナ、メッシ、ボクシングのモハメド・アリ、短距離走のウサイン・ボルト、バスケットボールのマイケル・ジョーダンなどだ。全盛期のイチローもこのエリート集団に入る。なので、彼はずうっと我らがヒーローである。
映画の話。ボヘミアン・ラプソディーの話題がブログ紙面を賑わせていたが、アカデミー賞授賞式の生中継をテレビで観た。今年2019年のアカデミー賞作品賞を獲得したグリーンブックGreen Bookを観た。
似たようなテーマ、白人と黒人の友情を描いた1967年制作の映画「夜の捜査線」(In the heat of the Night) が印象 に 残っている。南部の白人警察署長ロッド・スタイガーが、東部から来たフィラデルフィア市警警部シドニー・ポアチエを間違って殺人犯として逮捕、黒人に対する偏見と差別意識で侮辱する。やがてポアテュエの身体を張って事件解決にぶつかる姿勢と人柄に敬意を抱く、格調高い映画であった。時代を特徴付けた社会的テーマを両スター俳優が見事に演じた。わずかな仕草でそれが繊細に示されていた。当時は人種偏見葛藤問題を抱えながら、白人と黒人の絆、協調、友情を描いた知的な大人の映画だった。作品賞とロッド・スタイガーはアカデミー賞主演男優賞を獲得。アメリカ映画界の理性を感じた映画であった。
グリーンブックは黒人ピアニストと、雇われた白人イタリア系の運転手が、車で南部地域への演奏旅行に出かける。色々な都市が垣間見えて良かった。時は1962年、人種差別が色濃く残る南部を舞台に二人の葛藤、対立、友情を描く。白人目線で描いて、人種差別問題を爽やかに映画チックに取り扱っているのがやや物足りない。現実はこんなもんじゃあなかったのでは。50年前の夜の捜査線に軍配をあげる。次はボヘミアン・ラプソディーを観に行きます。