2019年度ニューイヤーズパーティ

亀井先輩のご発声で乾杯!

1月12日、今年度のNYPが恒例通り、芝パークホテルで開催された。30年卒宮本・坪田先輩らの主宰されていたシニアワンダラーズの会とOB会公式行事とを合わせて行われるようになった新年会で、すっかり暦年行事として定着したが、今回は24年卒溝口先輩のご出席を得て、”OB会1年生”を任じる30年卒の川上君まで、年齢差は実に70歳、ありていにいえば曽祖父から孫の年代まで、合計128名(うち2名は現役)という大規模な集まりになった。

今年は鏡割りが登場。年男女が盛大に新年を祝った

実行担当の親睦委員会メンバーや女性として初めてこの会を取り仕切ったCLの久米行子君、司会者としておなじみの54年卒石倉周一郎君、ほか多くの関係者に感謝したい。

久米CL開会宣言

挨拶に立たれた27年卒亀井先輩は塾評議員から引退されたことを報告され、”数多くの三田会のなかでもベストテンに入る素晴らしい会であることに自信を持て”と結ばれた。

たしかに会員数などでいえば、大企業や地方組織で我々よりも大規模な会はたくさんあるだろうが、行事への参加とか、年台を越えた ”われらケイオー” の、福沢以来の ”社中” 精神の意義がこれほど濃密な会合はあまりないだろう。今後とも、”若手” の参加が増えていくことを期待しよう。

年代別出席者人数と全体に対する割合は20年代が5名で4%、以下30年代45名35%、40年代57名44%、50年代17名37%、60年代17名で13%となった。平成年代は今回は川上君のみだったが、次回からはもっとにぎやかになるだろう。現役からは部長の中川直輝、山荘の武藤遼、両君。

このあとはスキー合宿、春の日帰りプラン、と行事が続く。活発な各位の参加があることだろう。

締めのエール、今年は遠路かけつけた山田君(S49)が担当

グレープフルーツがなったよ! (五十嵐智・亀岡愛一郎)

(亀岡自慢のキンカン)

思いもかけず、編集子小学校(大田区立赤松小学校)時代の恩師、五十嵐先生からお便りを頂戴した。プライベートなことではあるけれど、とてもほんわかとした、暖かいやりとりをしたので、先生とこれで70年近く交友している友人との往復メールを、ご了承を得て紹介する。先生力作のグレープルーツの写真そのものはまだ頂戴していないが、同好の士というか園芸フリークの方から先生へのアドバイスでも頂ければ望外の幸せである(なお、五十嵐学級のクラス会はまだつづいていて、傘寿を迎えての小学校仲間との付き合いはまた格別に感じる。先生は卒寿を越えられてなお年齢を感じさせず、まさに矍鑠、いまだに愛車を駆って元気でおられる。まさにわれわれの理想の姿というべきか)。

*************************

(五十嵐―中司)

恭君がアメリカにいるときに、親孝行で、大森のお母さんへグレープフルーツを送りましたときお母さんが私に恭君の気持ちを汲んで、少しおすそ分けしてくださいましたが、とてもおいしかったので、思わすその種を一粒庭に埋めたところ、40年近く経った昨年秋頃二つほど、実を付けました。まさに奇跡です。大きさはテニスのボール位になっています。軟らかくなったら、取って食べてみようと毎日、眺めて居ます。味をみたらまたメールします。

(中司―五十嵐、亀岡)

メールを読ませていただき、一瞬、あっけにとられたというか、呆然としたというか、正に信じられない思いにとらわれ、無性に嬉しくなりました。ワイフにも見せましたが、二人ともこの事実を覚えていません。たしかに当時、アメリカで生活するということそのものが非日常的でしたし、グレープフルーツも珍しかったですものね。しかしほぼ半世紀たって命が芽生えるということ、感激です。美味しい実がなることをひたすら祈る気持ちです。

(亀岡―五十嵐、中司)

今日 午前中は今春初めての絵の教室に出席、帰宅し昼食後PCを開いたら先生と中司さんのメ-ルのやりとり 転送で入ってました。グレ-プフル-ツ約40年で結実との事 庭いじり好きの家内に話しました。

30年前 入間の家を新築、移転した際家内の友人がすでに実が少しついたキンカンの苗木をお祝いに頂きましたがその後 木はすくすく成長しましたが実は全く付かなかったのに一昨年から急に付き始め昨年秋は大豊作!柑橘類は「バカなり」と言って忘れた頃になりだすとの事です。家内は「キンカンジャム」を沢山作ってくれました。お昼 パンに塗ってます。美味しいですよ。先生の家の「中司さんのグレ-プフル-ツ」も今年の秋からはきっと沢山 実を付けますよ。

(五十嵐―亀岡、中司)

亀岡家のキンカンは苗木から30年かかり、私の家のグレープフルーツは種からだったので、40年もかかったのですね。家の柚木も30年以上経ってから、今年1個だけ実を付けました。家内が「譲る馬鹿30年ね」と言って笑いました。
40年前に亀岡君から頂いた「金木犀」は10月になると必ず「香り豊かな花」を樹いっぱいに咲かせます。それが終わると、「山茶花の花」が咲き始めます。年越した今日もその美しい「花」を咲かせています。改めて、亀岡君にお礼申し上げます。我が家の庭には、孫の「桃子」が生まれたとき、記念に植えた桃の木や「洋祐」が生まれた時のさくらんぼの木があり、梅酒を造る「梅の木」も毎年実がなります。加えてグレープフルーツ、我乍ら欲深だなと思っています。

(中司―五十嵐)

昨日、お葉書頂戴してご返事しようかと思っていたところです。わざわざありがとうございました。母の37回忌ということも、お知らせいただくまで全く気が付きませんでした。不肖の子供で申し訳ありません。

実は先週、大学の部の同期会があり、その席でひとりが ”ジャイ(慶応ではずっとこのあだ名でよばれていました)のお母さんは実に美人ですごくいい人だった”という話を突然はじめ、もちろん同席した仲間25人全部が母を見知っている
わけもなく、話が進むにつれて大笑いで終わったという事件?がありました。その直後に先生からのお便りを頂戴したことになります。暮れにワイフと二人して墓参りをしたばかりでしたし、なんだか妙な気持ちであります。
でも、このグレープルーツの話は本当にほんのりとしていい話ですので、亀岡の快諾も得ましたので、一部、小生の”ブログ”に紹介させていただきます。
改めて、ありがとうございました。いよいよ寒さ本番です。ご自愛いただきますように。

兼高かおるの訃報に接して (44 安田耕太郎)

TBS放映の「兼高かおる世界の旅」は、1960〜70年代よく観た好きな番組であった。学生時代に2年間休学して世界一周貧乏旅行をしたが(1968 – 70)、その決行をドライブした原動力の一つがこの番組であった。他に二冊の本からも影響を受けた。小田実著「何でもみてやろう」(1961)と五木寛之著「青年は荒野をめざす」(1967)。これら三つは全て外国を舞台にした旅行体験談と体験に基づく小説であった。海外旅行一般渡航者の外貨持ち出し額限度が米500ドル(360円/1ドル)であった当時、海外旅行は現実的でない夢のような存在であった。兼高かおるは日印混血の洗練された気品ある女性で、彼女の旅行体験番組に「いつか海外を旅してみたい」と魅了された。
世界旅行の最中メキシコはユカタン半島を旅していて、州都メリダを訪れた。とある現地のおじさんに市内の大学病院に連れて行かれた。会わせたい人がいる、が理由であった。
出て来た白衣を着た威厳に満ちた老人はドクトル・ヴィラヌエヴァ(Villa Nueva – 日本語では新村さんだ) と言った。彼はその病院の院長で、1919年当地にて、勤務していたニューヨークのロックフェラー医学研究所から派遣されて黄熱病研究に従事していた野口英世の助手をしていたとのこと。今からちょうど100年前。遭遇したのが1968年。野口後49年目であった。訪れる日本人など殆どいないメキシコ地方都市、懐かしい想いが強く日本人であれば誰でも、という感じで連れて行かれ、歓待されたのである。会った時ドクトルは多分70歳くらい、野口に仕えていたのが20歳前後ではなかったか。当時野口は42歳。
世界旅行から帰国後、「兼高かおる世界の旅」を観ていてビックリ。ドクトル・ヴィラ・ヌエヴァを訪ねた兼高かおると二人で歓談しているではないか!二年前に会ったばかりのドクトルと。現地では有名人であり、ノーベル賞候補に三度もなった野口英世の助手をしていたことも当然知っての取材撮影であったのだ。ついでながら、野口英世はメリダ滞在から9年後、研究で訪れていたガーナのアクラで研究テーマの黄熱病に罹り客死した、51歳。

メキシコから南下してエクアドルのアンデス山中 赤道記念碑を訪れた際、訪問者サイン名簿に兼高かおるの名前を見つけた。ほぼ同時期の偶然であった。

赤道記念碑 (Ciudad Mitad del Mundo –  スペイン語で世界の真ん中の意)

ナンカナイ会 2019新年会 (36 翠川幹夫)

晴れ空ではありましたが結構寒い「ナンカナイ会新年会」でした。

今年も皆で「タウンウォーク」や主が交代した「新・月イチ高尾山」で楽しく過ごせることを願っています。

*************************

今回の出席は26名、実働人数からすると62%を超える出席率であった。新年会、夏の集まりを設営してくれている翠川・安東・横山トリオの努力にはただ感謝である。

 

フェルメール展・リクリエイト版     (34 小泉幾多郎)

前にブログで書いた記憶がありますが、時折美術館に足を運ぶものの、大概は、新聞屋から入手したチケットとかで、数人で出かけることが多く、そもそもが美術鑑賞はそこそこに、その後の一杯の方が楽しみの連中ばかりですから推して知るべしです。それでも昨年1年間で、写真展等も含め20展示程は観ていますから、美術家の名前等はわかるようになってきました。

安田君のフェルメール対する蘊蓄の深さには感心するというより驚きでした。フェルメール全37作品のうち28作品の実物を観たというのですから。因みに小生は2012年のマウリッツハイス美術館展が東京都美術館で開催されたとき真珠の耳飾りの少女と、ディアナとニンフたちの2作品、2015年のルーヴル美術館展(国立新美術館)での天文学者のたった3作品のみです。しかし昨年8月、フェルメール展が、横浜そごう美術館あるというので、勇んでいったところ、「フェルメール光の王国展」と称する全37作品のリ・クリエイト(複製画)だったのです。最新の技術ですから、フェルメールの構図の見事さは勿論そのまま、ブルーの光の様子から光と陰の質感、繊細な色彩等、もともとフェルメールには映像的、写実的な表現が多いことから、光の粒の表現までの再現は無理としても最新のデジタルマスタリング技術による全作品が見られたことで大満足してしまったのでした。

安田君に教わったことだが、生物学者で、フェルメールオタクの福岡伸一氏が監修した権威あるものとのことです。この中の「手紙を書く婦人と召使」の作品だけが撮影可となっていました。このリ・クリエイト2月24日まで恵比寿の三越で展示しているそうです。 レクサスの真珠の耳飾りの少女他を動画で宣伝しているユーチューブも面白かったです(こういった性能抜群の新車の走りっぷりを見ると、今は生産していないトヨタプログレを20年間も騙し騙し乗っている者から見ると若返って新車を乗り回してみたい気持に駆られたりしますが、今年5月の車検で廃車するか否か?なやむところです)。

”エーガの日々” 拝見  (青木勝彦)

小泉さんのご友人で、映画評論家として名高い青木勝彦氏から光栄にもご感想をいただくことができ、また嬉しいことにご著書 ”私の追憶の名画” をご恵送いただくことになった。今後も折に触れてご投稿を頂くことが楽しみである。以下、小泉先輩あてメールの一部をご紹介する(身に余るおほめを頂いて嬉しいのであります!)。

*********************

中司恭様の「ああ、エーガの日々よ、帰れ」を拝読しました。脇役まで精通されている大変な映画通で、文章も上手く感心致しました。「荒野の決闘」はフォンダの名演(マチュアの凡演でも)で詩情豊かな西部劇の名作として日本では評価が高いですが、本国では「駅馬車」と比較されてか公開時は評価は低く、今も「駅馬車」と「捜索者」が代表作です。でも私もラストの名シーンは忘れ難いです。「第三の男」や「大いなる西部」という私のベストワン、2位を評価されているのに嬉しくなりました。

私の手持ち在庫がまだありますので住所、氏名、電話番号をお知らせいただけば拙著を謹呈させていただきたいと思います。
本は2年目の方が部数は少ないですが売れているようです。講演依頼が多くなり、今年は6回、自治会等の解説が月1回位あります。77歳になりますので仕事は区切りをつけて来年は自由な時間を楽しみます。

************************

この間の記事に書き忘れたことがあった。西部劇に絶対必要な悪役のなかに、かのジャック・パランス(”シェーン”でデビュー)の名前がなかった。ついでにつけくわえればアーネスト・ボーグナインなんてえのもいたっけ。

 

ネリカンからの手紙―ポピュリズム論議に付け加えて

新しい年になった。昨年末に起きた韓国海軍のお笑い種級の事件も考えてみるとこれから何かの発火点になるかもしれない。戦争もなく、治安も良好だった、というのが平成時代に対する国民の意識だということだが(NHK世論調査)、かつて大正デモクラシーと言われた平和の後に何が起きたかと考えてみると想像もつかないことが起きるかもしれない。しかし核のバランスの上に成り立っている現在の緊張がすぐさま戦火になる、というよりも、イデオロギーの如何を問わず起きているポピュリズム―大衆社会化ー個人の喪失、という流れは断ちがたいものになるのだろう。年の初め、昨年安田君との論議から始まったこのシリーズのまとめをしておきたい。

昨年末、40年の益田君からメールをもらった。彼とはスキー合宿を通じて知り合い(それまでは顔を知っている程度だったが)、お互い、ミステリや冒険小説が好きだとわかり、しばしば、意見や情報を交換するようになった。今回はジェイフリー・ディーバーの作品に登場する人物についてのだが、メールを転載する。

リンカーン ライムが黒人だったとは?(まだ存命だと思いますのでだったとは失言) 先日チャンネルを回してましたら、気が利いたと思われる映画の画面に出くわしました。黒人がベッドに寝てました。その会話で、リンカーンライム云々と聞き、まさかと、目と耳を疑った次第。

我々日本人からしますと、黒人か白人かは、男性についてはそれほど意識しないのではないでしょうか?それに拘った物語は無論別です。しかし白人のつもりで読んでましたので、仮に黒人と知ってましたら、物語の根幹から変わる事はないとは思いますが、会話につきましても、違った、感じ方、味わい方が出来たかもしれません。

 彼の興味は、同じ英語であるのに白人と黒人とでは発音や話し方が違うが、それが翻訳された状況ではわからない。もし原語で読んだらその違いがわかるだろうか、ということであった。もちろん僕程度の知識ではわからない、というのが答えなのだが、ここで引用させてもらったのは別の目的だ。

彼が言うように、つまりわれわれからすれば白人も黒人もひとくくりにすれば“ガイジン”であり、常に単一民族である ”日本人“対”非日本人“ という意識しかない。前回でふれた ”民族意識“ といったものは言ってみれば持ちようがない国であり、それは別の言い方をすれば、日本人である限り、その間には以心伝心とか、”わび・さび”とか、”おめえ、それをいっちゃあおしめえよ” というような、前提なしのコミュニケーションが成立していて、それを前提として社会制度や文化が成り立っている、すくなくとも成り立ってきた。フランス啓蒙時代以降、つねに ”理”が先行する西欧社会人には理解不可能な、われわれからすればこの国にのみ存在する”居心地よさ“は、僕が予想する ”大衆社会“ の到来によって変わってしまうのだろうか。

昨年11月26日の読売新聞に、ゴリラ野外研究の世界的権威、京都大学の山極寿一氏の話が対談形式で紹介された。山極教授は大略、次のように述べておられる。

生物の進化というのはネットワークという文脈で議論できる。ゴリラやチンパンジーは身体的な接触によってネットワークを作っている。したがって集団から物理的に離れてしまえば関係性は完全に断絶する。しかし人間は言葉というもの、それによって事物を抽象化する能力を手に入れ、それによってネットワークを発展させることで現代の社会を構築することができた。

しかし現代は距離や時間に関係なく世界規模で情報が伝達される時代であり、情報がどこまで伝達されるのか分からなくなってしまっている。同時にそのため、リアルなものから離れ、個々のものの個別性を意識する機会が減る。つまり現実を脳の中に投影したモデルを現実と思い、幻想を見るようになってしまった。

この対談の目的はべつのところにあるのだが、教授の指摘された問題こそ、“大衆社会”のもたらす根源的な問題なように思われ、今回の報告に付け加えた。

益田君の(引用されるのにご本人は迷惑かもしれないが)メールがきっかけで、日本人が共有する”以心伝心”的な一体感がこの世界的な変化のもとで、そのまま”大衆社会“のネガティブに変わってしまうのか、あるいは逆に(個人価値を至上の価値とする西欧文化には存在しにくい)一体感を持ち続け、将来にわたって”日本文化“を継承し得るのか、という問題を改めて感じた。益田君はまた別のメールで次のように書いてきた。正直なところ、僕の意見でもあるのだが。

ポピュリズムに関しましては、我々日本人に取りましては、主にヨーロッパ史においての紙の上で理解しているだけのように感じます。司馬遼太郎がいろんなところで言っていますが、日本が島国で良かった、鎖国して良かった、単一民族で良かったと。

今年もよろしくお願いいたします。

 

フェルメール展  (44 安田耕太郎)

日本美術史上最大のフェルメール展を上野に行って観てきた。これまでで最高値の入場料2,700円(驚!)。 7ヶ国17美術館が所蔵する全35作品のうち10点(8美術館から)が来日した。まず8点が上野で展示、1点は年明けに追加、1点は大阪のみ展示。所蔵する美術館にとって虎の子の絵画を併せて10点もを6ヶ月近くの長期に亘って拝借出来たのは歴史的快挙と言っていい。
            真珠の耳飾りの少女
フェルメール (Johannes Vermeer) は、7世紀半ば (日本は三代将軍徳川家光の治世)、オランダ(北部ネーデルランド)のデルフトに生まれ、43歳で夭折した。時はバロック全盛、芝居がかった場面描写が好まれ、躍動感溢れる感情と情熱が前面に押し出た表現が主流であった。代表的画家はルーベンス(フランドル – 現ベルギー)、レンブラント(オランダ)、ベラスケス(スペイン)、カラヴァッジョ(イタリア)、ラ・トウール(フランス)など。近隣列強諸国が押しなべて絶対王朝・王侯貴族が文化・芸術の担い手だったのと対照的に、プロテスタントのオランダは東インド会社に代表される海外に開かれた実利・開明的中産商業階級が社会の中核。威厳的な宗教・神話に基づく絵画が支配的であったカトリック諸国バロックと違い、風景画・風俗画が人気を博する萌芽がオランダ絵画を特徴付けた。全盛期17世紀半ばのアムステルダムにはプロの画家が700人もの多数いたと伝えられ、その代表がレンブラント。購入者の多くが中流階級であったことから、絵画のサイズもフェルメール作品も然りで小振りで家庭に飾られることが想定されていた。フェルメール作品も転々と持主が変わって移動したのである。
同時代にあってフェルメールの静謐で穏やかな絵画も南欧バロック本流とは大きく異なり、市井の庶民をモチーフにした風俗画が多い。19世紀後半の印象派より2世紀も昔に、明るい色彩、光と陰を見事に操る先駆者の一人としてフェルメールの稀有な才能がネーデルラントに出現したのは、後世の我々に与えてくれた天の恵みだ。約20年間の制作期間で35点と寡作で多くの謎に包まれた生涯であった。今では天文学的な価値ある彼の作品も、オランダ経済不況が絵画需要にも影を落として売るにも困り、11人の子沢山でもあって借金せざるを得ない時期(特に晩年) があったことが記録に残っている。
僕はオタクではないが海外出張の折に美術館を訪れ20年以上を要して、5ヶ国7都市8美術館にて23作品を目にした。今回の展覧会で未観5作品が新たに加わった。
フェルメールを気に入っている点は、同時代の先達カラヴァッジォやラ・トウール絵画にも見られるが(影響を受けたのかも知れない)、魔術師のように光と陰の微妙な柔らかい質感表現の妙と、映像的で写実的な繊細な色彩と空間表現の素晴らしさ、更には構図の見事さに魅了される。絵を真近で観たときの引き込まれる空気感は格別だ。絵の輝きとまるで呼吸しているエネルギーを感じる。画面構成の巧みな技は時代を経て近代絵画の父セザンヌにも受け継がれているかのようだ。数年前 絵師伊藤若冲絵画でも話題となった貴重な鉱石ラピスラズリ(瑠璃)を原料とする青の色彩は「真珠の耳飾りの少女」のターバン、「牛乳を注ぐ女」の前掛けエプロン、「天秤を持つ女」のガウン、などに見事に表されていて素晴らしい。故郷デルフト焼きの青に影響を受けたのかも知れない。ラピスラズリは原産地アフガニスタンから海路ヨーロッパへ運ばれたという。それでウルトラマリン(ultramarine“海を越える”の意味)とも呼ばれた。日本にも出島経由で持ち込まれていたのだ。普通の顔料の10倍高価だったらしい。ふんだんに使用したフェルメールの家計は苦しくなったと記録にある。
今回来日した作品の白眉「牛乳を注ぐ女」は風俗画の最高傑作だと思うが、使用人であろう質素な身なりの女性が着る黄色の服の質感がいかにもメイドのそれを表現していて見事だ。パンの表面のリアルさには驚嘆する。壁の釘の跡の真実感! 色白の北欧人にしては、仕事する手首から先は使用人らしく日焼けして黒く、他の部分は地肌が白い。注がれる牛乳の滴りの臨場感も特筆もの 。
   牛乳を注ぐ女
フェルメールは2世紀近くその存在が忘れ去られ、19世紀になってフランスの評論家トレ・ビュルガーにより”デルフトのスフィンクス“(謎)と呼ばれ再発見・再評価され、自然主義 写実主義の台頭に伴って印象派が登場した。
           デルフトの眺望
15年程前、アムステルダムに出張した折にハーグを訪れる機会があった。マウリッツハイス王立美術館ではフェルメール絵画の中で人気1、2位を争う、「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」を観た。因みにマウリッツはスペインとの独立戦争当時の将軍、ハイスは家。足を延ばし列車で15分のデルフトへ。「デルフトの眺望」の描かれた現場を探しまわり、実物を目の当たりにした時は気持が高揚した。セザンヌが幾枚も描いた南仏エクス・アン・プロヴァンス  (Aix-en-Provence) 近郊のサント・ヴィクトワール山を麓から眺めた時のように、はたまたセーヌ河下流の辺りジヴェルニー(Giverny)でモネの睡蓮の池を訪れた時のように。デルフトでは絵の中の運河のほとりに女性二人が立っている位置あたりから街を眺めたのである。絵に描かれた風景の半端ない現実感 (例えば、リアルな雲の下は暗く陰り、後方には陽がさして明るい風景となっている、手前砂浜の砂の粒立ち感など) にはフェルメールの天才が余すところなく発揮されている。風景画の大傑作である。350年の時空を超えて絵画の風景が現存している事実には、ヨーロッパの維持し存続する底力を思い知らされた。余談だが、ヨーロッパのレクサス宣伝に”The Art of Standing Out”と題してフェルメール 「真珠の耳飾りの少女」、ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」、エドワード・ホッパー「ナイトホークス」もどき動画をハイライトしている。ユーチューブを面白半分みて下さい。https://youtu.be/Llu1RuzQnSY

大衆社会のはじまり? (44 吉田俊六)

もうだいぶ前になってしましましたが、ポピュリズムをキーワードとしての社会洞察の意見交換を楽しまれているご様子、ジャイさんがフロムの「大衆社会」と結び付けての展開可能性について、意見を求められました。即答は不可能でありましてその後この宿題が頭の隅で熾火のごとくくすぶり続けておりました。
反応があまりにも遅くてごめんなさい。時事問題を語り合う会や読書会に参加する折に今、そして未来に向けての「大衆社会」の有り方に、見通しの手がかりを求めてきました。
フロムやリースマンの時代にヒントは頂いても、何かしら、そのままの解釈は厳しいのではないかとの、素朴な疑念があり、ITとパーソナル化の要素をどう噛み合わせるかの解決見通しがつけば将来の“大衆化” への論点がみえてくるのではと思ってきました。そこに、毎日新聞の記事で少しこのあたりに役立ちそうな内容のものをみつけましたので、“代返”コピペを添付させて頂きます。
(以下、吉田君から紹介のあった記事、対談形式で多少長いので、千葉氏本人の発言を主に、要点のみをまとめてご紹介する。理解の足りないことから吉田兄のご意向にあわない点はすべて編集子の責任である。記事にまとめられている本文の筆者千葉雅也氏は現立命館大学在職、気鋭の論客として知られている)

 

僕はインターネットが本格的に大衆化したと強く思っていて、ネットを基盤に本格的な『大衆の時代』が次の元号には始まると思っています。IT革命と言われた1990年代にネットを使っていたのは主にインテリ層で、『集合知』など人々の創造性をネットが後押しすると言われていました。2011年の震災以後、災害時の連絡手段や政治に対する不満表明のため、多くの人が参入し、ネットは大衆的なものが可視化される空間になりました。大衆の考えがこれほど言語化されイメージ化された時代はかつてなかったんです。歴史の新たな一段階と言えるほどです。

筆者写真、毎日新聞掲載

大衆と言うと、じゃあ、お前は大衆ではないのかという批判がありそうなので、これを「庶民」あるいは「世の中」としてもいい。ネット上では議論がかみ合わないとか、ささいなことで誤解されて炎上すると言われますが、実に多様な価値観、情報把握力の異なる人がいるわけですから、話が通じないのは当たり前なんです。

(南アフリカでネルソン・マンデラが解放された30年近く前には考えられなかった、人種差別や弱者敵視の発言を、今は一国の大統領が平然と語る。それも、ネット上の一部の大衆に故意に向けられた政治宣伝ととらえれば、不思議ではない。 ヘイトクライムの増大は人間自体が時代に押され突然悪化したというより、長く陰にいた者、隠されていた悪意が「ネットの大衆化」で単に表に出てきただけだと見る方が納得がいく)

人を刺激しやすい、さまざまなアイデンティティーへの攻撃的発言は、大衆的なものがほぼ全て可視化された結果なんです。もう一つ、現代を語るキーワードはニーチェが使った言葉「ルサンチマン(強者に仕返ししたい鬱屈した弱者の心)」だと思います。

特権に対する批判。なぜ自分ではなくあの人が得をしているのかという怨念(おんねん)です。特権層と自分を常に比べ、それが企業のマーケティングにも使われ、羨み、欲望をあおってインスタ映えのようにすぐに飛びつかせる。でも、消費しながらも個人はその都度、(自分の出自など)人生の条件を自覚させられているのです。あの人は最初から底上げされた条件で生まれ、自分はたまたま不遇に生まれ、損をしている。偶然、頼んでもいないのにこの世に生み出された揚げ句、不遇な状態であり続けるのは耐え難いと。そんな気分は昔からありますが、ネットで可視化されたことで、より意識するようになったのです。

それに加え、ポリティカル・コレクトネス(政治的きれい事)への反発が大きくなっています。そうしたスローガンの必要性はもちろんありますが、近代的な進歩主義は人間を単純化させる方に向いてきたとも言わざるを得ない。善を説くスローガンに不満を持つ人が反発している状況は無視できません。

人間の欲望はもともと否定性と肯定性の両方からできているのです。ところが今の『大衆の時代』には何事もわかりやすさが求められ、何が良くて何が悪いのかという単純な反応で皆けんかをしている。だから、それぞれ個人の中に肯定と否定(善と悪)を抱え込む両義性を復権させなければならないと僕は思っているんです。リベラルはよく知らない他者を弱者とみなして単純化するわけです。LGBTは多種多様なのに、かわいそう、優しい、正しい、愛に生きる人たちみたいに。でもLGBTにも意地悪な人もいますからね。毒舌な皮肉屋も。だから、表面的に人権や共生をうたって、個人の差異にきちんと向き合わないリベラルはネトウヨの映し鏡にほかなりません。

人間の差別性を露悪的に出すのでもなく、単に平和や友好を叫ぶのでもない、肯定性と否定性を併せ持つ人間像です。それをきっちり打ち出していく必要がある。従来型の人間性を果たしてどこまで延長できるのかということです。今のネット状況を見れば、多くの人が人工知能(AI)のようにパターン認識して善か悪かと即答しているようで、人間の方からAIに歩み寄り、劣化したかのように思えます。

グローバル型資本主義の進展が人に内面をなくす生き方を強い、皆がもがいている。そして、内面が衰えたからこそ、『傷ついた、傷ついた』とすぐに言う。。昔なら傷を自分固有の経験としてやりくりし、自分の中の負の面と向き合ってきたけれど、今はそれができなくなりつつある。だからいろんな人が過剰にハラスメントを問題にしているのです。内面の喪失、人間の単純化はある種の全人類的な時代の症状ではないかと思います。人間が心を失っていく過程で、叫んでいるという感じが僕にはします。

■人物略歴

1978年、栃木県生まれ。東京大大学院で博士号。パリ第10大学へ留学後、複数の大学講師などを経て立命館大准教授。主著に「動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」「勉強の哲学」「意味がない無意味」。

 

おすすめの2本見ました (川名慶彦)

中司さん

こんにちは、川名です。おすすめの映画2本観ました。
僕にとってどちらも、世代を感じさせる映画でした。
ストーリーは「シェーン」、映像的には「荒野の決闘」がよかったです。
簡単な感想ですが、またお会いしたときはいろいろと教えてくださいね。
ちなみに僕は、「マトリックス」や「ショーシャンクの空に」という映画が好きです。
良いお年をお迎えください。