父親が大事にしていた掛け軸の一本を覚えている。
駒とめて 暫しは我を忘れけり 朝日に薫る 山桜花
誰の作品だか覚えていないが、明治の元勲のだれかである。まさに 坂の上の雲の時代、といっていい香りがする。
令和の最初の憲法記念日、快晴、無風。釜無川左岸にひろがる農地は平和そのもの、日本の原風景のなかにたゆたっていた。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
2019年4月30日の夜をまだうすら寒い(昨夜はストーブを焚かなければだめだった)小淵沢ですごすことになった。今日も小雨で新緑は窓から眺めるだけだったが、そのため、昼間から(ジャイアンツの連敗を含めてだが)テレビを見るという小生にはめったにない一日で、ご退位に関する番組を堪能することになった。天皇家の系譜の話とか、神話にまでさかのぼる事柄とか、各地での今回のご退位という歴史的事実に対する反応とかをつぶさに見て、改めて感ずることが多かった。
まず第一、平成という30年。天皇は政治には関係されない立場だから、我々の知る明治から昭和20年までの史実と比較することはできないが、結果、この30年、世界中で不穏な空気が漂い、各國で数多くの人が(理由はともかく)非業の死に直面した間、戦争という国家的事件の結果亡くなった日本人は僕の知る限りではイラク(だったかな)で事件に巻きこまれた外交官の方をのぞけばいないはずだ。少し前に自衛隊幹部の人がPKOで派遣した自衛隊員の事情をつぶさに語っていたのをテレビ番組で見て、これがほかの国々の軍幹部だったらどのように対応しただろうかと思ったことがある。政治、経済、社会問題、そのほか、日本にも数多くの倫理に欠ける行動や世界観の欠如や、言い出せばきりがない問題課題が山積している。しかし何をおいても、結果として国民を戦争で失うことなく、おそらく世界一安全で清潔な国が30年の間存在したという歴史的事実には変わりはない。僕はかたく信じているのだが、僕らみんなが姿を消した後、後世の歴史家は間違いなく、昭和後半から平成30年の間の日本は最高の時間を持った、と評価するにちがいない。それを実現したのが ”アメリカ追随政治” だろうが ”無定見政府” だろうが (こればかりはとても起きそうにないが)”幸福実現党”だろうが、何でもいい。評価されるべき結果は大多数の国民が肯定し、慈しみ、無意味に異国で命を落とすことがなかった時代だった、ということに変わりはない。世界の民主主義の理想とされているアテネだって経済を支えていたのは奴隷であり、アメリカ人が無条件に崇拝する ”建国の父”たちだって同じことだったのだ。
第二は、番組で紹介された、日本全国で、国民がこの30年という時間を、天皇の在位とともに本当にいつくしんできた(いる)という事実である。繰り返すがこの間、天皇が政治に責任を持たれたわけではない。しかしみんなが”平成”という時間の経過を天皇という存在の中に意義付けていること、それこそが、”国民の象徴でありたい” と努力された天皇の業だったのではないだろうか。そしてその国民が生き方の基本としている基盤はやはり”和”ということにつきるのではないだろうか。そう考えれば、”令和” という年号はどうやって決まったのかは知らないが、全国民が ”和” を尊ぶ、という伝統をあらわしていると思う。
グローバリゼーション、という一種の魔術のもとで、個人の能力、個人の存在、といった価値が何よりも大事であり、そのためには日本人が変わらなければならない、ということが叫ばれて久しい。僕自身、このような主張に反対するわけではない。しかし企業という場ではあるけれども グローバリゼーションなるものの光と影とにいち早く直面した経験からいえば、日本あるいは日本人が守り続けてきて、今後も守り続けなければならない価値、それが ”和” だ、ということを改めて感じたことだった。
(この拙文を ”アップ” するのは令和元年5月1日零時、ということにする。残念ながら明日甲斐の国の空は雨、”元日に霊峰富士を見る”という目論見は実現しないようだが。)
先日の白幡池・菊名池のことでは、お互い懐かしき思い出の一助と
先日ぶらりと大倉山公園によってみたら、ハナミズキが白い花を咲
(舟橋―小泉、関谷)
このように沢山の人がいる中でのこのような接点があったことは世の中本当に狭いものとも言えますね。驚きます。港北区の区の木・ハナミズキ、区の花・梅のこと情報ありがとうございました。大倉山公公園も懐かしい所です。ハナミズキの写真ありがとうございました。素晴らしいです。横浜へ行く機会が結構ありますので白旗池、菊名池、大倉山公園を訪れる機会を作ってみます。
17日、OB理事会二次会でのほろ酔いのままで書いた ”クラブハウス” についての記事にここ10日間で頂戴した反応をご紹介する。紙面の都合で原文に多少手を加えさせていただいた。諾否に関係なく、実務上のことでお寄せいただいたメールは割愛する。
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(5)KWV三田会で気楽にいつでも集まれる場所を持つことは望みであり夢でもあります。適当なところがあれば実現したいですね。否定的なことを言えばいろいろありますが検討してみるのは賛成です。集まれる所が難しければ書類、物品等を保管するトランクルームを借りるのも一案かと思います。
(7)気楽に集まれる場所があること。面白い企画だと思います。ただ、気になる点もあります。ひとつは、今年75歳になる我々42卒の代の集まりでも、健康問題で参加者が年々減少していることです。数年前までは最低でも10数名がすぐに集まりワイワイガヤガヤとやっていましたが、最近では5~6名しか集まらないことが多々あります。これからはもっと減っていくのではないか、借りた場所が宝の持ち腐れになってしまうのではないかという心配です。ふたつ目は、これまではKWVの各種集まりでも50年卒ぐらいから下の代の新規参加が少なく、数年後を考えますと借りた場所を維持管理していく人がいるのだろうかという懸念です。「使った人の自主管理」が原則ですが、それでも中心になって目を光らせている寮長(或は大家さん)のような存在が必要ではないかと思っております。私たちが元気な間はいいのですが、集まる仲間が減っている現状を考えますと、数年後が心配になります。もう10年若ければこのようなことは考えなくても良かったと思いますが・・・。逆に言うとこのような場所があれば参加者が増えるという期待もあります。S34年~37年卒などの代の方々が私たち以上にお元気にこのような企画をお考えになったり、また夏合宿やスキー合宿を引っ張っておられるのが、後に続く私たちの代の大きな励みになっておりますので。
(8)嬉しいご提案 待ってました~大賛成!今後は家から毎日お部屋に通いましょう。ホステスにして頂ければ、若返るわッ!
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いろいろなご意見をなるべくたくさん頂戴して、酔い覚めなどではない状態で現実に即した提案をしたい。もちろん、否定意見も大歓迎なのでお考えを、できれば5月末ごろまでにお寄せていただきたく思っている。特にOB会実務で苦労されている現執行部メンバーのご意見をいただければありがたい。
中司君と横河電機同期入社のものです。
彼のブログの 花隠し、花筏 記載の中に白幡池、菊名池のことが書かれていました。
私のふるさとの池です。菊名池は我が家から100m、今は埋め立てられ昔の1/10になっています。ボートが沢山浮かび、毎日のように給食の残りを橋の欄干から落とし鯉への餌撒きをしました。白幡池は我が家から1km弱釣りをよくしました。高校先輩の岸恵子の家がすぐ側。
両方とも我が幼少の頃の遊び場。懐かしき思い出。胸キュンです。ありがとうございました。
(小泉返信)
舟橋利信様の白幡池、菊名池を懐かしむ投稿をみました。懐かしき思い出、胸キュンとありましたが、こちらも何となく昔を思い出してしまいました。高校先輩の岸恵子ということは、平沼高校出身?小生は男女共学になって2年目の入学でした。折角男女共学の高校に入り、クラスも当然男女一緒だったのに、2年生になったら、どうも勉強に身が入らぬと曲解?する先生がいて、男女を分けてしまいました。ということでOBになってのクラス会は、今でも1年生の時のクラスでやっています。
妙蓮寺か白楽あたりに住んでいたとしたら、もしかしたら中学校は、浦島丘中学?小生は当時、新子安在住で、歩いたり東神奈川駅まで電車に乗ったりして通ってました。高台で港が良く見えました。当時は漁師町?の学童が多く結構ガラが悪かった?
ひょんなことで昔を思い出しました。こちらからもありがとうと言いたいです。
地球環境問題や災害支援など、いろいろな形での運動があちこちで、地味だが確実な成果を上げてきているようだ。われわれOB会有志による大震災支援などもその一例だが、編集子の高校時代、会社時代を通じての親友、ヤマこと山川陽一君とご子息勇一郎氏が長きにわたって多摩地域に自然エネルギーの活用を広げようと努力されてきた結果が、雑誌 ビッグイシュー に掲載された。この雑誌はホームレスの人々への支援などを中心に活動している団体の発行のため、一般の目に留まることはあまりないようで、小生も今回はじめて読む機会を与えてもらった。ヤマのOKをもらったわけではないが、掲載ページの一部をご紹介する。
タイトルにした 多摩エンパワー、多摩電力 が山川父子が中心となって起こした、多摩地域に自然電力(ソーラー発電)を供給しようと始めた運動の成果である。彼らがどのような経過でここまできたか、についてはここでは祖述しないが、典型的なサラリーマン生活を卒業してなお、自然問題にみずからかかわり (同君は義塾山岳部OBで日本山岳会で環境問題についての指揮をし、一方では我々にもなじみの深い高尾山の植林活動の創立メンバでもある。36年鮫島君は高尾での活動に加わっていて旧知の間柄)、素志を貫徹した姿勢にはただ敬服するしかない。また勇一郎君は若くして自然保護にかかわる道を選び、豪州でそのための教育を受けてきたプロであり、ヤマの理想の実現に真正面から取り組んでおられる。今後の発展を祈りたい。さらにご興味を持たれた場合は小生あてご連絡いただければ山川君にご紹介する。
なおビッグイシューは一般書店では販売しておらず、山手線や都内JR主要駅、新宿では駅周辺のデパートなどで入手できる。発行元メールは info@bigissue.jp 。
また雑誌の発行元である 有限会社ビッグイシュー日本 の提唱するの運動には企業または個人単位での参画も可能であるらしい。
本屋でいつも通り立ち読みをしていて偶然、”リバタリアニズム” というタイトルの本に出くわした。この考え方がいまアメリカの中間層を揺るがしている思想だ、というカバーにつられて買ってきた。著者は渡辺靖氏、最近よくテレビの討論会にも出てくるおなじみだったせいもある。このタイトルを同氏は自由至上主義、と訳している。一言で言えば公権力を極限まで制限し、”他人に影響しない”範囲で個人にはすべてが自由だ、という発想だという。その理想にしたがって、どのようなことが起きているか、についてはここでは繰り返さないが、この発想が現在のトランプ政権の行方にまで影響するという見立てであれば、ことは重大かもしれない。
今までの大まかなつかみ方で言えば、現存する支配層を維持しようというのが保守であり、改変を迫るのが革新、というのが定義であった。欧州では歴史的に見て絶対王権が存在していたわけだから、支配層に対する市民層の自由、という区別がそのまま保守・革新の定義だった。アメリカにはそもそもそういう歴史がないが憲法に明確に自由、ということが書かれているから、その是非・解釈・政策への反映をめぐるのが保守か革新か、ということになる。しかしリバタリアンの主張は今までの保守(共和党)でもなければ革新(民主党)でもなく、個々の問題について論点が異なる。よって、この思想の支持者の行方が、もしかするとトランプの再選か脱落を決定する要素になる、というのが渡辺氏の観察だ。
”リバタリアニズム” なる事象はまさにアメリカという国だからこそ起こり得るのだと思うが、日本の現状との接点について渡辺氏が本の最後に述べられていることについては全面的に同意できる。日本での保守と革新、という対立、その結果導き出される国の方向とか、政策というものがどういう過程を経て論議されているのか、本書の意義で言えば、リバタリアンというようないわば極論が出るよううになるまで、まじめに論議されているのだろうか、ということである。
われわれが在学したころ教わった資本主義国の福祉国家への転換路線、という動きはあちこちでほころびを見せている。昨年、ふとしたことから安田耕太郎君(44年)と一緒に成城大学講座で学んだ ”ポピュリズム” 旋風もその一つの表れだろう。そのような混迷のなかでも社会福祉路線が行き詰まり、少子高齢化という現象にさらされ、真の ”革新” が必要な日本なのに、今の政治で議論されていることの不思議さ、欧米ならば ”革新” 陣営が先導するはずの公権力による施策が ”保守” とされ、対応すべき革新勢力からはなんら実現可能な対案が見えてこない、という不思議さを同氏は憂慮する。参院選が目前に迫るいま、また僕らは不毛の選択を迫られるのだろうか。
やや詳細すぎて多少持て余す感じもあるが、本書(中公新書、定価800円)は決した高くはないと思う。一読をお勧めする。
昨晩、恒例の理事会後の二次会で何人かの人と(アルコールの力もあずかってさ、もちろん!)OB会でクラブハウスをもたないか?という話が出た。一晩たって、紹興酒の酔いもさめた時点で、いい案だと思うので提案をしたい。ぜひとその方向に意見がまとまってくれればと思うし、そのためには本稿を使って意思集約ができればなおうれしいと思う。
きっかけは石田君の事務所に置かせてもらっている関係文献などのことであった。彼のご厚意に甘えて場所を使わせていただいているのは感謝に堪えないが、思い切ってしかるべき場所に小さな部屋を借りないか?というのが、簡単に言えば提案である。その時出たことばだが、規模1000人と称してもいい親睦団体がその本部という場所がない、ということ自体が奇異なのではないか、ということが理論的(!)裏付けである。小生のアイデアを書く。
(1)都内のしかるべき場所(帝国ホテルだペニンシュラのスイーツがいいなんてこたあいわねえ)に、今様に言えば中古のワンルームマンションを借りる。テーブルに椅子が10脚ほど、トイレにキチネット、くらい。冷蔵庫にオーブンくらいは誰かが中古品を寄付するだろう。あとは石田事務所に置かせてもらっている創部以来の貴重な資料やら(これも主に寄付―ずいぶん終活を始めている人も多い―もちろん小生も含めて―を期待しよう。山の本を捨てるのは惜しいが家族には厄介扱い、という例はたくさんあるはず)を置くスペース。この世の中だから固定電話はいるまいがPCくらいはほしいか。
(2)借り賃はOB会で負担する。別記する方法で採算は何とかなる気がする。800人もいるOBの中に遊休マンションを持ってる人とか、そのギョーカイに詳しい人が一人くらいいるんじゃねえか?
(3)会費を納入した会員には希望により1000円程度でカードキーを貸与する。
(4)ここではまずOB会公務(各種委員会会合、打ち合わせ、現役とのミーティングなどが〉優先使用する。
(5)キーを貸与された人は、このルームに入り,資料の閲覧、KWV仲間との会合(小人数の学年ならば同期会でもいいだろう)などに自由使用ができる。当然だが公序良俗に反することなき範囲での飲食 (持ち込みもキチンでの料理もOK)は可能だし、近くにしかるべき場所があれば出前を取ることで格安の会合ができるはず。孤独癖のある人の読書や詩作の場所、山行の資料調べ、などなど、コストの削減ができるはずだ。
(6)採算だが、
A.各種委員会の場所を提供することで、従来どこかで場所を借りてきたことによって発生したはずの費用が倹約できる。
B.使用料として毎回ひとり500円程度を支払う。
C.10-20人分程度最小限の食器調味料などを常備しておけば、会合費用などを節減できる。器具備品の設置はもちろん、上記会員の善意を期待して無料で行うことが原則。
D.(小生はこれが主眼) 仲間と落ち合ってバカ話をする気楽な場所として、個人ボトルなどを置かせてもらえば相互に費用節減ができる。つまり、”都内にある山荘出張所” か、はたまた “令和のジジ” というのが、ま、ありていに言えば小生のイメージなのだが。毎回、ホステスやコックを買って出るひとがいればこれまた望外の幸せなり。
如何でしょうか。本稿での意見交換を期待して待つ。
(注)”若手” および 現役・現役並の方へ:”ジジ” とは36年卒の住吉康子が並木通り裏に営業していたスナックで、KWV仲間のみならず塾体育会OB連の巣として親しまれていた場所です。残念ながら2009年3月31日に廃業。詳しくは ”ナンカナイ会そのふみあと”287ページ参照。
4月例会は平成最後にふさわしい時機を得た企画でした。感ずるところありて一首。
(遠藤)
よりによってピンポイントで悪天になるとは!お陰様で思い出深い武蔵野散策でした。ありがとうございました。(関谷)
ブログの中に、先輩からハッパをかけられた記述があったことから
あの桜と雪のコラボの日の前日の9日、朝日新聞一面に、ヘリから
散った花びらが竜のような模様を描いている写真が載っていたので
帰り多摩川駅で下車、多摩川堤に広がる多摩川台公園に立ち寄る、
13日、白楽駅下車5分の白幡池へ。お爺さん?達が岸辺にのんび