プレスリー(確か、名前はエルヴィス)につながる話

(きっかけ)

小田篤子です。ミニヴァー夫人もグリーンブックも好きなのですが、一時ジョナサン.リース=マイヤーズのファンの時がありました。”べッカムに恋して”…(アメリカに住むインド人の女の子がベッカムを大好きになり、両親に内緒でサッカーを始め、コーチのリース=マイヤーズに恋してしまう。)を観てからです。

(編集子: 前後関係不明なれど話のきっかけとしてはじゅうぶん)。

次には”奇跡のシンフォニー”(絶対音感をもった施設に入っている少年がギタリストの母とロック歌手の父に音楽祭でめぐり会う話)を観に行きましたら、偶然、リース=マイヤーズがいきなり画面いっぱいに写りビックリしました。父親で、ロック歌手の役です。

私はElvisのファン(亡くなってから)でメンフィスのグレースランドや、ラスベガスでのシルク ド ソレイユによる “VIVA  ELVIS” も観に行ったりしましたが、リース=マイヤーズは偶然”ELVIS”という作品でELVISを演じ、ゴールデン グローブ賞を受けていることも分かりました!

そして、この “パリより愛をこめて”は、これ又偶然に娘が映画館でみかけ、パンフレットを買ってきてくれた作品ですが、未だスパイ物なので観ておりません。やっと本日観ようと思います! (編集子注:なるほど。本日観た結果知りたい)

(久米)ここでElvisファンに遭遇するとは思いもかけませんでした。
凄く嬉しく思います。日本人はいまだに彼をプレスリーと呼ぶのが
許せないでおります。私は中学2年生以来熱烈ファンです。彼が亡くなった時は
思わず「私の青春が終わった」と感じたものでした。当時30私は30歳だった
かと思います。
ここの会でもその内Elvisの話題を投稿しようかと考えておりました。成長してから暫しElvis君から離れておりましたが60歳くらいから又熱が蘇り没後30周年のElvis Weekにはメンフィスに出かけハートブレイクホテルに宿泊致しました。その2年後にはバースデーウイークに再びメンフィスを訪れました。
Elvisに関する書物やらDVD、CD本当に良く収集したものだと感心しております。最近、少々いっときの熱も冷めたのか最近彼の音楽から離れております。
リース=マイヤーズが”ELVIS”という作品でELVISを演じ、ゴールデン グローブ賞を受けていること全く知りませんでした。貴重な情報ありがとうございました。

(中司)コブキよ、気安くエルヴィスなんて呼ぶな! おめえ、ゲイリーだとかグレゴリーなんて呼ぶのか?

(久米)先輩に盾ついて申し訳ありませんがElvisはElvisです。我等Elvisファンは誰しも、そう呼びます。決してプレスリーとは呼びません。

(小田)Giさん、ファンは皆エルビスといいます。湯川れい子さんが会場で発音練習を以前して下さいました! お昼に脂濃い物を食べ過ぎ胃が痛かったのですが、久米様のメールで治りましたq(^-^q)

(田中)俺を、新弥と呼んでも良いよ☺️あはは。

(菅原)エルヴィス・プレスリーは、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」と共に登場、ってのは良く覚えています。
本日は、その話しではなくエーガの話しです(以下、詳細はWikipediaによる。65年以上前のことなんか覚えていません)。それは、1955年の「暴力教室」(Blackboard Jungle)。米国の高校の凄まじさ、そのワルの代表が、後にテレビ「コンバット」で鬼軍曹をやったヴィック・モロー(残念ながら、事故で早逝しちゃいましたが)。グレン・フォードとかアン・フランシスが出てたってあるけど、完全に忘れた。でも、それ以上に衝撃的だったのは、ビル・ヘイリー(白人だったとは知らなかった)の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」です。これは、今でもその一部が口をついて出て来ます、下手なりに。確か、出だしがこの音楽(ロックン・ロール)で始まったんじゃなかったかな。でも、ビル・ヘイリーってのは、プレスリーほど、女の子がキャーキャー言うほどの良い男じゃなかったなー(失礼!)。

(中司)スガチュー、暴力教室のテーマがロックアラウンドザクロックだったのは正解。ま、何はともあれ、俺たちの高校時代、振り返ってみておやじや兄貴たちの戦後がおわって、”戦争を知らない子供たち” なんてフォークソングが出て(もう少し後だったが)、大げさに言えば若者の世界がコペルニクス的転換をした、あの頃のシーンだったよな。プレスリー、永遠なれ、か。