ご存知のように、9日の欧州議会選挙で、
(船津)米国然り、欧州全体も然りで世のかな極右が承けるような世の中で
(安田)マリー・ル・
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
ご存知のように、9日の欧州議会選挙で、
(船津)米国然り、欧州全体も然りで世のかな極右が承けるような世の中で
(安田)マリー・ル・
映画上映時点で興味はあったのだが見逃したままになっていた作品をCSでの放映があると知り、録画しておいたのを雨の一日、ゆっくり見た。
以前話題を呼んだ、ロバート・レッドフォード、ダスティ・ホフマン 大統領の陰謀 の様な期待感を持って見たのだが、多少、印象は違ったものだった。元凶が大手の軍関係の会社で軍や警察の上層部に圧力がかかり捜査ができない、という設定はほかにもいくつもあって、トム・クルーズのジャック・リーチャーシリーズ第二弾 NEVER GO BACK もよく似たストーリー展開だった。ただ、こちらは最後の最後になってリーチャーの推理通り犯行現場を押さえて軍上層部の悪はついえる。その過程がスリリングだったのだが、この映画ではエンディングが主人公のトリックという言ってみればルール破りとなる、あまりさえない話だった。ただ記者の執念をギラギラした演技でみせたラッセル・クロウは見直した。
ただ今回、この主人公クローの上役になるのがヘレン・ミレンと分かって、うれしくなった。この人の主演作品はハッキリ言っていわば B級フィルムばかりで、(あれ、いつこの人見たんだったかな)という程度の知識しかなかったのだが、全く偶然に、ほぼ同じタイミングで別チャネルで放映されていた、ブルース・ウイリス主演のコメディタッチの武勇伝、RED を録画していたので、引き続きこちらをオンしたら、何のことはない、この作品で重要な役割をはたす女性スナイパーがなんと彼女だったのだ。そういうわけで、(いつ見たか)という疑問も解決。いずれもドンパチ勧善懲悪ものの典型2作を満足してみた。
映画ファンの話題となれば (一番好きな俳優はだれか) というテーマは避けられない。小生の場合も女優でいえばドロシー・マローンだとかローレン・バコールだとか、という名前は出てくるのだが、この人と さらば愛しき女よ で初めて見たシャーロット・ランプリングのふたりは同じような、言ってみればひとめぼれ、とでもいうような印象が深い。
何を言いたいのか自分でもわからないんだが、”消されたヘッドライン” はその程度の印象に終わってしまい、”大統領の陰謀” の向こうを張ったジャーナリズムもの、という期待はむなしかった、というお粗末の報告である。
(注)RED は RETIRED EXTREMELY DANGEROUS (引退してるがほうっておくとやばい連中) の略、だということである。これの第二作もそのうち放映されるのを期待する。
難しい事は言わないで、梅雨退治にキンキンに冷やしたビールかはたまた大切りの檸檬をうかせたジン・トニックでも片手に見るのに手ごろだろう。映画芸術派向けではないのは確かだ。
昨日一昨日と市内のあちらこちらで雷雨となりました。それにしても雨が多いですね。気が付くと道路わきのの草や畑の雑草も一雨ごとに大きくなってます…
日差しに映えてカルミヤが奇麗でした!!
(ウイキペディア解説)
カルミアはコンペイトウのような形をした、色濃い蕾を持っています。花が開くと皿形になり、色は薄く模様が入って、蕾の様子とは全く異なった印象を受けます。開いた花をよく見てみると、雄しべの先は花弁のくぼみの中に収まっています。この雄しべは、飛来した昆虫などによって刺激を受けると飛び出して、花粉も散るというおもしろい仕組みをもった花です。
NHKBS1としては、凄いことをやってのけた。4/26(金)
名監督ジョン・スタージェスの「OK牧場の決斗1957」は、娯楽性を重視したスタンスでつくられていたが、その10年後、ワイアット・アープを史実に基いて、その実像に迫ろうとこの
冒頭の決闘、ワイアット・アープにモーガン(サム・メルヴィル)
クラントン側は殺人罪で訴え裁判となる。史実の解明となると裁判の場面が多
捜索隊に追い詰められたクラントン一味の暴れ方は駅馬車を襲う等
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(ウイキペディア解説)
同一事件を描く従来の作品では、クラントン一家を敵役とし、両者の抗争の決着をOK牧場での決闘でつける、というストーリー形式のものが多い。史実は、クラントン一家をメンバーに含む集団とアープ一家との政治的背景を伴う対立が、OKコラル近辺の写真館横の空き地で半ば突発的に起こった銃撃戦を契機に、実力行使状態に陥り、闇討の殺害事件を経て、それぞれ別の保安官資格をもつ両者が互いに相手集団を無法者呼ばわりして法執行の名のもとに付け狙うという異常事態に発展したのが真相である。初めて史実の流れに基いて作られた映画がジョン・スタージェス監督の『墓石と決闘』で、それ以降に同事件を題材として作られる映画は、史実の流れに基づいたストーリーの組立をおこなっている作品が多い。
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(編集子)日本で言えば忠臣蔵のように、国民的人気のある題材で、今までに9回、映画化されているという。小生がみたのは ”荒野の決闘” ”OK牧場の決 闘” ”ワイアット・アープ” ”トウームストーン” そしてこの ”墓石と決闘” と5本になる。小泉解説にあるように、この作品とケヴィン・コスナーがワイアットを演じた ”ワイアット・アープ” はアープの実像に迫ろうとした点がほかの作品とは違った味を持つ。アープ本人はカウボーイ時代を生き抜いて、最後には事業にも成功するのだが、かならずしも満点ではなかった家族生活などを取り上げたのがコスナーの作品である。そういう意味では必ずしも見終わった後味はそれぞれ違うものになるだろう。
僕の映画歴で言えば別格の ”荒野の決闘” はともかくとして、ほかの四作品の中では、あまり評判にならなかったがヴァル・キルマーがドク・ホリディを演じた ”トウームストーン” が好みである。
5月25日の「春ワン」
ズン六がわざわざ書いて来るのだから、なんぞ名のある花だろうと推測、以下投稿者のおすすめによるウイキペディア解説を載せておく:
バイカツツジは北海道から、本州、四国、九州と広く分布するツツジである、にもかかわらずバイカツツジが知られていない理由は3つある。
ひとつは咲く時期である。6月下旬から7月下旬までという梅雨時に咲くから。梅雨時にはそもそも登山者が少ないので、バイカツツジの花を見ることそのものが少ないのだ。
もうひとつの理由は花が小さいことだ。バイカツツジはツツジ属としては花が小さく直径2cmしかない。レンゲツツジは花の直径は5-8cmもある。花が小さいツツジはほかにもたくさんあるが、そのようなツツジはたくさん集まって咲くことが多い。
最後になかなか花が見つからない理由が、花は葉が展開した後に、わざわざ葉に隠れるように斜め下を向いて咲くからだ。花を探すためには、わざわざ一枚一枚葉の下を覗き込まなければいけないのである。
尚、漢字では 梅花躑躅 と書く。読めるけど書けない字がまた一つ増える。
(44安田)トランプは評決で有罪となったが、
今の米国の状況は、ボンクラな小生には全く理解し難い。暗殺があったとして、1960年代のアノ米国が懐かしい。でも、もとに戻ることは絶対にないでしょう。
(在サンフランシスコ HPOB 五十嵐恵美)今パリにいます. Trumpの陪審員による有罪評決も此方で聞きました. 依って、シリコンバレーでの反応(或いは世論)との事ですが解り
(在パリ 平井愛子)トランプ有罪のニュ-スでは、
話がそれてしまいました。
(編集子)ま、どっちへ転んでもよその国でその国の人が親分を選ぶんだから我々としてはその結果を受け入れるしかない。ただ一つだけ望むのはあの国の分断がこれ以上激しくならないことだ。
残念なことにどこの国にも HAVE と HAVE NOT が存在するのは確かだ。have か have not が資産といった物理的問題であるならばその分断はわかりやすい。しかし倫理感とか広く言えば知性とか言った事柄での分断は存在を数量的に表すことは難しい(単に学歴、だけでは把握できないはず)。日本がどうだ、という事も即断はできないが、江戸時代にさかのぼってこの国の中には武士道、とか商人道とかいう無言無形のルール、 ”日本人だからわかる” 倫理観があり、それがあらゆる面で無道な行動を制約していることは我々が誇るべき資産だと思っている。
しかしミスタートランプを支えているラストベルトやおよそ他の国のことなど関心のない農村部に住む人たちにこういう倫理性を求めるのは難しいだろうし、かたやエクセルマネジメントの数字を信奉するグローバリゼーション論者たちに一度立ち止まって考える気持ちを起こさせるのはさらに難しいだろう。スガチューが嘆いているように、確かに希望の星だったJFKは凶刃に倒れたとはいえ、60年代70年代のアメリカは問題を抱えているとはいえ、話の通じる国だった。平井さんが嘆くように今回の大統領選が不良と悪人の間でたたかわれ、その結果が世界の平和や地球的問題への貢献を妨げることにならないように、と祈るだけだ。
先回、小泉さんの ”アラモ” 評のところで ゲッタウェイ のことを思い出したことを書いた。このマックイーンの代表作、ストーリーを覚えている方なら、終盤近く、マックイーンが銃砲店に飛び込んで銃を買うカットをご記憶だろう。このカットのことを、HB短編小説の作家であり、自身,ハンティングの名手でもあった稲見一良(いなみ いつら)は其の著書 ”ガン・ロッカーのある書斎” で次のように書いている。
映画 “ゲッタウェイ” で、警官に追われたスティーブ・マックイーンが銃砲店に飛び込んで12番径の散弾銃を買う。字幕ではネグられてしまったが、”ダブル・オー・バック!” と指定して鹿弾を一箱(25発)買う。(中略) すさまじい迫力でパトカーを破壊し、エレベータを墜落させ、ギャングを倒すショットガンの銃声を試写室で指折り数えていると25発、つまりちょうど一箱撃った。その瞬間、マックイーンは銃を捨て、素早くベルトの拳銃を引き抜いたものだった。
”ダブルオーバック”は、一個が7mm もある大粒弾が九個詰まった強力な弾丸だそうで、マックイーンが ダブルオーバック! と言った時、店主は ”塀でも倒すのか” ときいているくらいだ。稲見は作家としてそれほど知られた人ではないが、アマゾンで中古本を買ってみると、自分の銃とのつながりを主題にした、きれのいい短編がいくつかあった。不治の病に侵されていることを知った人間だけが書けたのか、と思われるトーンのある作品が多いとされているが、”ガン・ロッカーのある書斎” は我々一般の人間がおよそ知らない銃器に関する知識や背景や歴史を知るにはまたとない参考書として、ガンプレイの出てくる作品を読むときのサブテキストの役を果たしている。
ジョン・ウエイン壮年期の傑作 ”赤い河” を何度目かに見たとき、この映画の原題名 Red River が、小生の無二の愛唱歌となっている Red River Valley と関係があるのか、という事に思い至って多少の調査をしたことがある(本ブログ2020年5月15日付け ”赤い河をめぐって”。実はこれが ”エーガ愛好会” シリーズの第一号である)。その時、もう一つ気がついたことがあって、書いたことをここでコピーしてみる。
終わり近くになって、バックに流れるテーマ曲が、 Red River Valley と並んで僕の愛唱歌である My Rifle my pony and me (これもウエインの代表作 リオ・ブラボー で、ディーン・マーティンが歌いリッキー・ネルソンがギターを弾く、なんせ、いいんである)と同じことに気がついた。そこで終わった後、何もあるまいがダメモト、とおもいながらグーグルに ”Red River, My Rifle and Me” と入れてみたら、なんと!一発でアメリカ人の女性が同じ質問をしていて、その道の専門の人が明確に答えをだしているではないか。この広い世界で同じ経験をした人がいるということもうれしかったが、この解説によると、この2本は主演ジョン・ウエイン、監督ハワード・ホークス、音楽ディミトリ・ティオムキンという共通点があり、1959年に作った ”リオ・ブラボー”にティオムキンが原曲をそのまま使ったのだそうだ。
エーガ或いは映画、を見る見方は人によって千差万別だろうが、再見、再再見にはこういうトリビアに凝ってみるのも一興ではないか。”やっこ” 金藤情報によると6月4日 (あさって!)にわが ”ゲッタウェイ” の放映があるとのことなので、何回目になるか、また見るつもりだが、今回は稲見のいう ”25発” を数えてみよう。各位にも試してみてもらいたい気もするがどんなもんだろうか。
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(いなみ いつら、1931年1月1日 – 1994年2月24日)は、記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。