売れない自転車屋を辞め、
紫陽花の季節ですね (HPOB 金藤泰子)
(船津)時は皐月から水無月へと過ぎていきますね。
けふや切らんあすや紫陽花何の色 正岡子規
梅雨の憂鬱はカクテルで忘れましょう (1) (バーアンノウン 川島恭子)
エーガ愛好会 (269) アラモ (34 小泉幾多郎)
「アラモ」放映とは当然あのジョン・ウエインが製作、監督、主演
1960」とばかり思って観たが、あれから44年も経った200
登場人物は殆んど変わ
俳優名を新*旧で
場面にまで至るのだった。それでも80代の後半にまで至った者に
(編集子)新聞のテレビ欄にあった記事でデニス・クエイド主演、とあったのでジョン・ウエイン版とどう違うか、楽しみにしていたのだが、吹替になっていたので気分が載らず、結局最初の部分だけでスイッチオフしてしまった。小泉さんが言われるように、新旧の配役の比較をどうしてもしてしまうし、今回のフィルムで多少馴染みがあったのはクエイドだけだった、ということも気が載らない原因だったかもしれない。このあたりが、映画、ではなくエーガ、といいたい年齢の限界かもしれない。
出張でテキサス州オースティンへ行くことがあり、例によって週末をごまかしてサンアントニオまで行き、”アラモ” の現場である伝道所(教会なのだと思っていた)は見てきた。ウエイン版の映画だともっと大規模な建物かと思っていたのだが、意外に小さかった記憶がある。しかしやはりそれとなく厳かないわば鎮魂、と言って雰囲気が、なんだか強制されるような妙な気持ちにさせられたものだ。サンアントニオというのはテキサスの砂漠の中の殺風景な街だと思い込んでいたのだが、水もあり、柔らかな感じのするいい街だった。たしかマックイーンのゲッタウェイもこの街が背景にあったのだと思うのだが。
龍崖山に挑戦しました ー 24春季日帰りワンデルングー (41 齋藤孝)
龍崖山(りゅうがいさん)は標高246mの小さな里山だった。山友達16名と挑戦した。
メンバーの中には4月にネパール・アンナプルナ(8,000m級)を目指し麓にどうにか到達したツワモノもいる。
こんな小山をバカにしてか連中は、登山口から酒盛りを始めた。酔っぱらい登山になる。
ぶつぶつ独り言を繰り返しヨタヨタと登り続ける。熊に変装した覆面ポリスに捕まるおそれもある。 登山免許を念のためしっかりと確認した。
3時間強フラフラと徘徊山歩きしてからBC集合地の河原に到着した。
約100名の老齢ワンダラーはパーティーを盛大に楽しんでいた。
************************************************
世の中にOB会という組織はゴマンとある。ただ多くの場合、その内容はたまに会って昔はよかったなあと愚痴を言い合って飲んだくれる会にすぎない。KWVのOB会(正式名称は慶応義塾大学ワンダーフォーゲル三田会)は (いくつになろうが現役時代やってたことを無理してもやる会)という創業の精神・雰囲気を持ち続け、卒業年度に関係なく部に在籍した全員が対等に意地を張りあい、同期同窓というよりも,いわば ”縦のつながり” を保っていこうとする年齢不問想い出共有年功序列保存型共同体である。その年中行事の一つである ”日帰りワンデルング” の2024年春季版が5月25日、最年長は昭和33年卒からできたてのOBまでが合計100名参加、奥武蔵山稜地域(エラソーに聞こえるけど飯能のちょっと奥のほうのあたり)で開催された。今回のチーフリーダーであった昭和55年卒島田光雄発の正式報告(OB会員にはHPにも関係記事がある)を紹介する。この正式報告が届く前に冒頭の投稿がとどいたでそれを先に紹介した。間違っても斎藤某のほうがえらいわけではない。
***********************
奥武蔵は少し遠隔になるため6年ぶりの開催となります。
懐かしのSPレコードのこと (大学時代クラスメート 飯田武昭)
最近になって20数年間聞く機会の無かった手持ちのポップス系のLPレコードを聞き直していました。
その中に埋もれていた2枚の78回転のSPレコードをもう一度は聞き直したいと思って、CD化をしてくれる業者をネットで検索したところ新潟県と埼玉県にそれぞれ一件の業者と兵庫県は隣の西宮市に一件見つかりましたが、前2社は78回転SPはお断りと注記あり、後者の西宮市の業者に電話してみました。電話口では多分出来るでしょうと言ってくれたもののSPレコードプレイヤーは注文も略無いので格納中とのことでした。先日、2枚のSPレコードを持って行くと、≪最近は一年に一回くらいしか注文が無く、前回は廣澤寅蔵の浪曲のSPレコードのCD化注文だった≫とのことで笑ってしまいました。 一週間くらいで出来ると言ってくれたのが3日目に電話あり、直ぐにピックアップに行きました。 完成したCDを昨日からJVC(ケンウッド)とSONYのPersonal Audio Systemで聞いて、ちょっと満足しているところです。
2枚の78回転SPレコードは次の分です。
- 映画「ピクニック」からTheme from “PICNIC“ & MOONGLOW and Theme from“ PICNIC“(DECCA-レコード)(テイチク(株))
- 映画「わが心に君深く」からOverture&Serenare(MGM-レコード)
映画「ピクニック」は主役の風来坊ウイリアム・ホールデンが村娘のキム・ノヴァックを誘って提灯の下がる川面のステージで踊るダンスシーンで流れる曲の“ムーングロウ“ですが、この曲はジャズのスタンダード・ナンバーとして多くの演奏家が演奏しています。この映画ではジョージ・デューニングが音楽を担当し、モーリス・ストローフ指揮のコロンビア・ピクチャー・オーケストラの演奏によるもので、この映画シーンには他に比類を見ない見事な演奏と大変に気に入っています。
映画「わが心に君深く」はアメリカのポップス及びミュージカル分野で活躍した作曲家シグムンド・ロンバーグ(1887年~1951年64歳没)の半生を描いたミュージカル映画で主演はホセ・ファーラー。ミュージカル・ショウの場面で歌い踊るスターの顔ぶれがローズマリー・クルーニイ、シド・チャリシー、ジェーン・パウエル、ハワード・キール、ジーン・ケリー、アン・ミラー、トニー・マーティン、ヴィック・デーモン等が次々と登場する豪華さも印象に残りました。 劇中の歌曲もDeep in My Heart(わが心に君深く)やSerenade(セレナード)、Drinking Song(乾杯の歌)などの心に沁みる名曲が多いと思っていますが、劇場公開以外のテレビ放送ではお目にかかったことが無い幻の名画です。
私にとっては忘れられない映画のワン・シーンと一本の映画です。
(関谷)私も探したらMario LanzaのThe Student Prince のEPアルバムがありました。60年前、1963年7月にロンドンで入手したものです。飲酒できる年齢でもなかったのに”Drink, Drink, Drink”とやっていたのでしょうかね!
又、断捨離を免れた、坂本九の「上を向いて歩こう」のイギリスでの初盤レコードも出てきました。最近、Beatlesの古いレコードが高値で落札されたとか! お宝になりますかね!
(飯田)1963年と言えば、私がドイツに最初1年間(海外研修生として
それにしてはThe Student Prince のEP盤(Drink,Drink,Drink・・・・)を買っ
坂本九のEP盤も珍しいですが、何でも鑑定団の検定人としては、
エーガ愛好会 (268) 荒野の用心棒 (34 小泉幾多郎)
マカロニウエスタンは、黒沢 明の「用心棒1961」をセルジオ・レオーネ監督が独自に解釈、西部劇に焼き直した1964年に始まったと言える。6
魅力的なのは
物語は、メキシコ国境に近い町に流れ者ジョー(イーストウッド)
黒沢
初夏の草原ー”郷愁” という感覚
この写真はなにか。その道のエキスパートであるコイズミ、とかフナツ, とかヤスダ、なんて連中がよこすプロ裸足のシャシンに対抗しようなんて気持ちなんかあるわけもないし、またおスタとかズン六に (この花の名前教えて!)なんて言って(またですかあ? ったく!)なんて怒られるためでもない。
写真の上部に写っているのはこの一角の6キロほど北(画面右側になる)の、今は住宅地になっている窪地からわき出した水がこの先1キロばかりで多摩川にそそぐ小川で、大栗川という。今は多摩市と呼ばれるこのあたりは、明治天皇の行幸があり、野点を楽しまれたあたりには明治天皇ゆかりの場所として聖蹟記念館という施設があり、記念館回りは見事な桜の名所として古くから親しまれていた。京王電鉄が大栗川が裾を洗う台地に住宅地を開拓したとき、それまでは古い地名で関戸、とよばれていたあたりに聖蹟桜ヶ丘、という地名をつけた。小生がその一角に越して来たころは、京王線の駅からこのあたりはこの写真にあるような、草花一杯の草原だった。さきごろ祖母になった長女は駅から、今はスターバックスなんて無粋な奴が幅を利かせてるあたりから、蓮華を積んで帰ってきたこともあったし、大学生の父親になりたての長男が、抱えるのがやっとの大きさの見事な鯉を捕まえて興奮して帰ってきたのはこの大栗川でのことだった。
色々な事情で現在の場所に引っ越してもう10年になる。どういう縁があったのか、今の場所も京王電鉄が開拓した初めての住宅地で、落ち着いた雰囲気のいい街になっているし、なんといっても食品スーパーにコンビニに郵便局に歯医者に内科医にスポーツジムにおまけに交番まで自宅から5分以内にあり、娘一家とは隣あわせ、数寄屋橋まで45分で行ける便利さもあるという万事ラッキーな場所で、理髪店もそのサークルの中に実に4か所もあるのだが、整髪だけは今でも月1回、桜ケ丘まででかける。かの地に越して後、はじめて訪れたときは写真の手前側、田んぼの中にあった小山理髪店はその後、川を越えた場所(写真で言えば左上の位置)に移り、絵にかいたような職人肌の親父さんが他界した後、現在は2代目の通称よっちゃんが長男のたかちゃんと二人で運営している。時間がかかろうが何だろうが、ほぼ半世紀、カリフォルニアにいた時期は別として、コヤマ以外で整髪したことは2回しかない。バーバーコヤマ、なんて気取ってるが多摩訛りむき出しのよっちゃんとの会話が何とも言えず楽しいし、ともかく桜ケ丘、という場所がなんともなつかしいのである。
この流れを越えて坂を5分も登れば、縁あって現在の場所へ越すまでは終の棲家、ときめていた家の前に出る。設計の初期からかかわり、納得し満足していた家だから、懐かしい気持ちは大いにある。だがこの10年間、よっちゃんには毎月会いに来るのだがこの坂を上ったことは一度もない。実は親しくしていた人から、門の前に植えてあったメタセコイアの樹が切られてしまった、という話を聞いたからである。まだ日本人の海外渡航が難しかったころ、ロシアを訪れた父が種を持ち帰り、自分で育てたものを移し替えてくれた、自分にとっては想い出深い木だった。それが切られてしまった、ということが、誠に自分勝手な思い入れとわかってはいても口惜しいというのか寂しいというのか、もやもやしたものがあるからである。ジョニー・キャッシュの Green green grass of home の歌詞に there’s an old oak tree that I used to play on …..という一節があるのを思い出したりすると切なさというのかなんというのかわからないがそういう気持ちが増すようだ。
いわゆる 故郷、と呼ぶべき地をもたない小生にはこの土地はそれに最も近い土地である。こういう感情がもしかすると郷愁、というものかもしれない。郷愁、という単語を確認しようと例によってウイキペディアをひもとけば、(異郷のさびしさから故郷に寄せる思い。ノスタルジア)と定義が載っている。
生意気盛りの中学3年のころだったとおもうが背伸びしてヘッセの 郷愁 に挑戦したものだった。この本の原題は Peter Kamenzind で、主人公の名前である。これに 郷愁 という訳を充てたのがだれだったのか、小生は知らない。ヘッセはドイツ教養主義文学の代表的存在とされていて、この本もまた主人公の人間的成長を描いたものだ。主人公は確かに最後に故郷に戻ってはいくのだが、それが (異郷にいて感じる寂しさ)からきたものだとは思えない。なぜこういう訳を充てたのか、今となっては調べるすべもない。
僕の中にわだかまっている感覚というか感情はむしろ、藤村の”千曲川旅情の歌” の雰囲気なのかもしれない。
小諸(こもろ)なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌(も)えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺
日に溶(と)けて淡雪(あわゆき)流る
あたヽかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞(かす)みて
麦の色わづかに青し
旅人の群(むれ)はいくつか
畠中(はたなか)の道を急ぎね
暮れ行けば浅間(あさま)も見えず
歌哀(かな)し佐久の草笛
千曲川(ちくまがわ)いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒(ざけ)濁れる飲みて
草枕しばし慰む