2025年9月6日、息子と中の湯温泉ホテルから焼岳に登り「日本百名山」の全山登頂を達成しました。
この日は台風一過の快晴で私にとっての快挙を祝うように北アルプスが一望できる眺望に恵まれました。今までに見た景色の中で最高のものでした。頂上では息子からサプライズで「日本百名山完登」記念のタオルのプレゼントがあり、妻も新穂高ロープウェイの終点から焼岳を見守ってくれました。
私は岡山平野の中でも干拓地の広大な田園地帯の出身なので登山とは全く縁がない少年時代を過ごしました。大学入学直後にKWVの部室に活動内容を尋ねに行ったところいきなり「そこにある運動着に着替えて走ろう」と言われ、そのまま訳も分からずに「FC」とかいうものに行くことになったのが始まりです。
KWV現役時代には19座に登り、就職後には職場に登山グループを作って5年間で13座を、併せて32座まで登頂しました。その後、私の職場生活は異動に伴う引越しが13回と多く赴任地などで家族と少しずつ山歩きを続けて60歳までにやっと半分の51座まで進めました。
61歳からは会社の執行部門の一線を外れたのでこれからは「黄金の15年」と称して精力的に活動し64歳で65座目の利尻岳に登り「エイジシュート」を達成しました。66歳で90座まで進んだものの2020年からのコロナ禍でしばらく登山は停滞せざるを得ませんでしたが、堀川先輩の百名山完登の偉業に触発されて奮起し、このたび72歳にしてやっと焼岳を最後に「百名山全山踏破」を達成することが出来ました。
「日本百名山」は言うまでもなく第一次登山ブームの1964年に文筆家で登山家の深田久弥が出版した山岳随筆集ですが、その選定基準は『品格・歴史・個性』を兼ね備える原則1500m以上の山と言われています。特に山岳信仰にまつわる地名は数多く残されていて全て登ってみてなるほどと思う山はいくつかあります。
例えば、よく分からないまま最初にFCで登った「鳳凰山」。地蔵岳の頂上にある巨石が大日如来に似ているから名付けられたという説や、8世紀に孝謙天皇が法皇となって登られたことから鳳凰山と名付けられ南御室、御座石(ミクライシ)などの地名が残されているという伝説もあります。随分と後になってから知った説で、ワンゲル1年生のころは登るのに必死でそんな余裕は全くありませんでした。
百名山踏破にあたり山登りの基本や楽しさを教えて下さったKWVの皆様、職場の山仲間や家族の皆に改めて感謝いたします。同行頂いた登山者の内訳は、KWV現役時代19座、OBになってからのKWV同期21座、会社のグループ20座、家族20座、単独行20座です。登山に同行して下さった皆様、誠に有難うございました。
人生の「バケットリスト」としての目標を達成したのでこれからは「月いち高尾」の運営を中心に近郊の山々をゆっくりと楽しみたいと考えています。
(編集子) CONGRATULATIONS !!
OB仲間には完了された人も多いと思うのだが、現時点では 39年の堀川義夫、42年の松本好弘 両兄しかわからない。ご存じの向きは小生あてご一報いただけるとありがたい。小生の記憶では32年の伊沢先輩が完走されたとま思うのだが確かではない。身近なところでは現役時代ご一緒した35年の故酒井征蔵さんもそうではないかと思うのだが、当時まだこのプログラムがなかったので、確認の方法はないのが残念。