まるで梅雨明けのような暑さの最中の行き先は少しは涼しい建物の中。昨日、4月にリノベーションを終えて再開した神戸ポートタワーに行って来ました。
横浜のランドマークタワーや港の見える丘公園からのビューにはとても敵いませんが、神戸ポートタワー展望階からのビューは神戸港と六甲山の間に神戸市街が広がる景色を堪能しました伊藤グリル(1923年創業)のビーフシチューも絶品でした。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
経済停滞、デフレ、個人所得伸び悩み、
’(船津)安田耕太郎さん、その通り。「美しきニッポン」ですね!
しかし、人口間減少は今後の大問題ですね。マァエネルギー危機と
カメラ等も世界最先端ですが殆どが日本で作っていない。とか色々
42年卒保屋野君の何気ないメールが引き金になった話題である。
(保屋野)先日、(シモさんの)原村山荘で、バンジョーを持ってきた同期のフランキー(五十嵐君)が「冬の星座」(木枯らしとだえてさゆる空より・・)を歌っていましたが、この曲はご承知の通りアメリカのヘイズ作曲の「モリー・ダーリン」というカントリー曲に堀内敬三が(全く違った)歌詞を付けたものです。これで想起されるのが、(アメリカ民謡で、荒野の決闘のテーマ曲)「愛しのクレメンタイン」と、このメロディーに西堀栄三郎等がテント中で(ヒマつぶしに)作詞した「雪山賛歌」ですね。これも、どちらも名曲です。
更に他にないか、と探したら、「故郷の空」(夕空晴れて秋風吹き・・)が浮かびました。この原曲は、スコットランド民謡「麦畑」で、大和田建樹が(全く違った)歌詞を付けたものです。これもユーチューブで聴き比べてみました。ちなみに、これを、なかにし礼が訳し、ドリフターズがヒットさせた、「誰かさんと誰かさんが麦畑・・」も有名ですね。
(安田)「蛍の光」と言えば、スコットランド民謡・非公式のスコットランド準国歌。原題は「オールド・ラング・
映画への登場となればなんと言っても、一推しのヴィヴィアン・ |
日本では卒業式とかお店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」
(保屋野)「蛍の光」の解説ありがとうございます。ネットによると、「麦畑」と同じルーツらしいですね。中に、「久しき昔」とありましたが、もう一つ、有名な「久しき昔」という曲がありますよね。原曲は、イングランド民謡「ロング・ロング・ア・ゴー」で「語れめでし真心・・」という歌詞です。またもう一つ「思い出」というのもあります。「垣に赤い花咲く昔の・・・」という歌詞です。
両方とも同じメロディーで「愛唱歌」として定着している珍しい楽曲だと思います。もう一つ、フランス民謡を原曲とする、「一日の終わり」(星影さやかに・・・)という曲もありますが、これは、ファイアーで良く歌った「燃えろよ燃えろ」と同じ曲ですね。
(金藤)日本では卒業式とか、お店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」
「Good Day ~閉店の音楽~」は、早稲田大学マーケティング・
(河瀬)蛍の光の元はスコットランドの歌と聞いていましたが、
ところで「蛍の光」の歌詞は『蛍の光窓の雪、
ガーシュイン作曲「ラプソディ・イン・ブルー」が初演されたのが
これも映画「ア
映画はガーシュインの子供時代から亡くなる39年の生涯をアーヴ
あの時代レコードがSPからLPへ移行する時期だ
し、繰り返し聴いたものだった。その後多種多様な人たちの演奏に
ラプソディ・イン・ブルーが組み込まれた映画は、その後ウディ・
ンハッタン1979」しか記憶にないが、ガーシュイン作品を扱っ
最後に白状するが、この原稿を書くきっかけとなったのは、ポップ
クの統合によるボーダレスの名曲を放送することから発足した題名
エーガ愛好会で書きたい銘エーガが沢山ありますが、筆が進みませ
日陰を成るべく歩くと風が爽やかでした。もう菖蒲も満開が過ぎて
持参器材 ①カメラ Nikon Zf レンズ NIKKOR Z 24-200mm 1:4.0〜6.3 VR ②カメラ ニコンZfc レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR ③コニカセミパール レンズレンズ Ernst Leitz GmbH-Wetzlar Elmar9㎝ 1:4 重いノナンの。
新編「われわれはなぜ映画館にいるのか」(著者:小林 信彦。キネマ旬報社、2013年発行)。
久し振りに小林 信彦の本を読んだ。しかし、こう言う類いの本のいけないところは、見たい映画がゴマンと出て来てしまうことにある。
1932年生まれの小林が(今年で92歳!)、1960年から2010年にかけて主にキネマ旬報に書きまくった映画評の集大成で、東映の「仁義なき戦い」に始まって、コッポラの「地獄の黙示録」で終わる(最後に、対談が二本。スーダラ節の植木 等、評論家、芝山幹郎)。
小林の映画愛は並みのものではない。それを端的に示しているのが、例えば、1948年(昭和23年)の助演者(男女)のベストテンだ。少し長いが引用する(参考までに、当時、小林は16歳!)。
(小林注:スチュアートはこれで1940年アカデミー主演男優賞を得ているが、私はこの役を主演と認めず、あえて助演に回しているが、無茶である)
主役を選ぶのはまだしも、助演までベスト・テンとは恐れ入るとしか言いようがない。この中で小生が知っているのは、スチュアートを除けば、2と6と10(小生のお気に入り)に過ぎない。小林は、高校1年当時こんなことをやっていたわけで、その映画鑑賞は年季が入っているし、何よりもイデオロギーとは凡そ無縁なところがなお宜しい。
この本を読了して矢も楯もたまらずどうしても見たくなったのがマルクス兄弟(ユダヤ系ドイツ移民。チコ、ハーポ、グルーチョ、ガンモ、ゼッポ、いずれも芸名)のバカバカシイ映画だ。全部で13本あるそうだが、途轍もなく面白いのは以下、最初の6本らしい。勿論、小生はまだ見ていない。残念ながら、最早、映画館ではやっていないだろうし、テレビでも期待できそうもないから、悔しいかな、J.ベゾス(アマゾン)のご厄介になるしかなさそうだ。
ただし、ギャグには特許などはない。従って、その後のパクリ(真似事)を見ている小生にとって、90年ほど前のマルクス兄弟が、果たして新鮮たりえるかどうか、いささかながら心許ないのは事実だ(例えば、当時一世を風靡した喜劇役者ダニー・ケイの「虹を掴む男」は1950年、日本公開され、それなりに面白かったのだが、半世紀後に見たそれは全く魅力を喪っていた)。しかし、オリジナルであるマルクス兄弟がそれをぶち破るだけの力を持っていることを期待しよう。
「ココナッツ」(1929年)
「けだもの組合」(1930年)
「いんちき商売」(1931年)
「御冗談でショ」(1932年)
「吾輩はカモである」(1933年)
「オペラは踊る」(1935年)
(大学クラスメート 飯田)小林信彦の著書「われわれはなぜ映画館にいるか」の内容を興味深く拝読しました。
昭和23年(1948年)日本での公開?映画の助演賞に至っては、私は疎開で信州安曇野の今は廃校になってしまった小学校3年生で真冬には全面に水を張りスケートリンクにした校庭で下駄スケートを履いて滑って、帰宅する時には厚い綿入れ半纏を着た鼻たれ小僧でした。ので、後年に観た「フィラデルフィア物語」以外は見ていません。
マルクス兄弟の13作品も含め、聞き覚えのある映画タイトルは「毒薬と老嬢」と「我輩はカモである」の2本でした。ダニー・ケイの「虹を掴む男」は、私も全く同感で、劇場では感激してみたものの、その後2回見ていますが、略、普通の作品と感じています。ダニー・ケイのオーバーアクションの喜劇役者の演技は「牛乳屋」シリーズの方が面白かったし、一方で彼の通常の演技俳優としての音楽映画「五つの銅貨」は私のベスト1に近い感動作で何度見ても良い映画です。
映画評論が本業ではない小林信彦氏の評論は半端ないですね。因みに、手元の淀川長治映画ベスト1000にある2本の論評を添付します。フランク・キャプラ監督の「毒薬と老嬢」、マルクス兄弟のベスト作品の「我輩はカモである」は機会があれば見たいと思います。
(編集子)よくあることだが、(昔、よく来たもんだ)などと懐かしい店に寄ってみて、(味が変わったなあ)と思うこともあって、こういう場合、特に食通、などと呼ばれる人たちは店の腕が落ちた、とかなんとかのたまうことが多い。しかし店は変わらないが、自分の舌の感覚が変わったからだ、という人は少ない。エーガだってそういうもんじゃねえかなあ。
本日6月14日金曜日 12時〜9名参加で ”日平(ひびら)会” 初夏の集いを銀座三田倶楽部で開催。や
認知症の予防には”光輝高齢者は好奇心を先ず失わないこと。そ
日高さんが主唱して開催し、芝浦在の日平亭で始めて以来、て20年以上経過している
昭和29年卒業メンバーなら誰でもOKです。当日、銀座通りにも初夏の気分が漂っていました。それにしても異人さんが多いなあ。
先週、数十年ぶりに尾瀬ヶ原に妻と行ってきました。 天気予報は生憎の雨。 完全防備、完全防水で準備万端、それでも鳩待峠を出発する頃は薄陽が指しており、