神戸ポートタワーからの景観  (大学クラスメート 飯田武昭)

まるで梅雨明けのような暑さの最中の行き先は少しは涼しい建物の中。昨日、4月にリノベーションを終えて再開した神戸ポートタワーに行って来ました。

横浜のランドマークタワーや港の見える丘公園からのビューにはとても敵いませんが、神戸ポートタワー展望階からのビューは神戸港と六甲山の間に神戸市街が広がる景色を堪能しました伊藤グリル(1923年創業)のビーフシチューも絶品でした。

数字にまどわされずに行こうぜ!  (44 安田耕太郎)

日本の国民総生産(GDP)は約600兆円。円安のためドル建て数字ではドイツの後塵を拝し、世界第4位だという。間もなくインドにも抜かれると予見されている。ただ、円の為替レートが昔の100円/$であれば、依然として第3位だから、順位にはさして大きな意味があるとは思えない。
今のアメリカ市場のトップに君臨する7大企業:通称“マグニフィセントセブン(Magnificent Seven – 映画 ”荒野の七人” の題名): アップル、Amazon、アルファベット(旧グーグル)、メタ(旧フェースブック)、Microsoft、NVIDIA(新興のAI巨人)、テスラ ー この7社の時価総額は合計で12兆ドル(2京・けい円)に達する。実はこの額は日英加3カ国に上場している全企業(約9,400社)の時価総額と同じなのだ。日本のGDPの3倍強である。トップのマイクrソフト1社で日本のGDPとほぼ同額の500兆円強の巨大さだ。世界最大の自動車メーカーで日本最大の株式会社トヨタ自動車株価総額40兆円の約13倍。トヨタの時価総額は世界第34位。
因みに、インバウンド観光客の増加で活況を呈する日本の観光業収入は年間約6兆円。日本GDPの1%、トヨタ一社の年商40兆円の1/7の規模である。現在、海外からの観光客数は3000万人強。トップのフランス8000万人強とは相当の開きがある。GDPの6割を占める消費が伸び悩んでは、観光業の貢献増大も焼け石に水だ。
それにしても、マグ二フィセント・セヴン(7社)の株価総額、日本GDPの3倍以上は、異常な資本主義の現象と言わざるを得ない。これがsustainableな現象として今後もずっと存続するとはとても考えられない。バブルの風船に針で穴でも開けるようなことがあれば、アメリカ経済、ひいては世界のそれ(特に資本主義国家・民主主義国家に於いては)はパニック状態に陥るのではないかと危惧される。世界の趨勢として、大宅壮一ではないが、「世界皆、総白痴ならぬ総金亡者・銭ゲバ化」している側面がある。憂うべき趨勢だ。人生における満足度・充足度は物理的・金銭的尺度でのみ推し量れないのは自明だ。Intangible (見えない・実体のない)な価値に重きを置くのは大切だ。
日本へ押し寄せる海外から来日する観光客の声を代弁してジャーナリスト達が日本の魅力を整理整頓してみると、金銭的・物理的尺度は見えない、日本人が日常当たり前と感じていることがらが、海外の人達からは日本の魅力と評価されていることがわかる。たとえば、
・何と言っても社会が安全で治安面のリスクがほとんどない・著しく小さい。女性が夜でも一人でも街を歩ける。小さい子供だけで外で遊んでいる、通学も親の付き添い無しで行っている。多くの国にとっては驚愕する素晴らしさのようだ。
・街・通り・公共施設・公園、どこも綺麗でゴミが落ちてない。
・礼儀正しく、親切でおもてなしのサービス精神が素晴らしい。
・休日も開店のコンビニ・スーパーマーケットと自販機。公共交通機関の発達・安全性・時間通りの運行。公衆トイレ完備(無料・綺麗)など生活しやすい。
・歴史・伝統・自然・テクノロジー・都会・田舎のバランスが素晴らしい。四季が美しく、食事が多種多様で美味しい、値段も手頃。

経済停滞、デフレ、個人所得伸び悩み、国力不振など負の面に脚光が浴びているが、日本の魅力・美点の素晴らしさを我々国民は有難く甘受して、人生の満足度・充足度の糧とすべきであろうと思う。

’(船津)安田耕太郎さん、その通り。「美しきニッポン」ですね!
しかし、人口間減少は今後の大問題ですね。マァエネルギー危機と食糧問題とバランスして江戸時代のような心豊かな國になるのかも
カメラ等も世界最先端ですが殆どが日本で作っていない。とか色々内容的には変化してきています。しかし、お金では無く貧しくても「心の優しさ」は変わっていかないと思います。

(編集子)ほかの人たちに比べて自分の海外生活は比較的短い間だったが、その間に感じたのは古き良きアメリカの終焉だったような気がする。ベトナム戦争で若者たちの心は乱れ、麻薬の乱用が始まり、トニー・ベネットが歌ったあのサンフランシスコも崩壊の淵にあった。敬愛すべきアメリカ、がすでに過去のものになりつつあった、そういう歴史的なタイミングだったのだろう。
トランプ政権が誕生すれば(希望するわけではないが歴史の必然として)戦争に、人種問題に、地球環境に対する大国アメリカの進路はさらにかわろうとするだろう。その時、チビ太が懸念する Magnificent Seven に代表される、資本主義の負の側面がどう変わっていくのか。その側面を駆け上ってきた代表ともいえるドナルド・トランプにとって正念場が訪れるだろう。かの国といまや不可分の関係にある我が国の政治はと言えば誠に頼りない限りだ。
だが、チビ太が指摘した我が国の美点利点は、アメリカよりはるかに長い歴史の国の、長期にわたる内戦や大規模災害や数えきれない失政の数々に関わらず、しっかりと残っている。つまりもともと、政治とは無関係な、いわば日本人に内在する ”なにか” が言わず語らずの間に継承されてきた。首相のひとりやふたり、ましてやだらしない野党がどうほえようがわめこうが、この国に住む、われら大和民族の生き方は変わらない。そう信じたいものだ。

“蛍の光” をめぐって

42年卒保屋野君の何気ないメールが引き金になった話題である。

(保屋野)先日、(シモさんの)原村山荘で、バンジョーを持ってきた同期のフランキー(五十嵐君)が「冬の星座」(木枯らしとだえてさゆる空より・・)を歌っていましたが、この曲はご承知の通りアメリカのヘイズ作曲の「モリー・ダーリン」というカントリー曲に堀内敬三が(全く違った)歌詞を付けたものです。これで想起されるのが、(アメリカ民謡で、荒野の決闘のテーマ曲)「愛しのクレメンタイン」と、このメロディーに西堀栄三郎等がテント中で(ヒマつぶしに)作詞した「雪山賛歌」ですね。これも、どちらも名曲です。

更に他にないか、と探したら、「故郷の空」(夕空晴れて秋風吹き・・)が浮かびました。この原曲は、スコットランド民謡「麦畑」で、大和田建樹が(全く違った)歌詞を付けたものです。これもユーチューブで聴き比べてみました。ちなみに、これを、なかにし礼が訳し、ドリフターズがヒットさせた、「誰かさんと誰かさんが麦畑・・」も有名ですね。

(安田)「蛍の光」と言えば、スコットランド民謡・非公式のスコットランド準国歌。原題は「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne。スコットランドの現地語(ケルト語)で、英訳すると逐語訳では old long since、意訳では times gone by となる。日本では「久しき昔」などと訳す。

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映画への登場となればなんと言っても、一推しのヴィヴィアン・リー主演の悲恋映画「哀愁」(Water Bridge、1940年)が忘れ難い。

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日本では卒業式とかお店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」というイメージが強いが、実は、英語圏の国では新年を迎えるときに歌うのが恒例。伝統的に、大晦日のカウントダウンのあと、新年になった瞬間に「Happy New Year!」とともに歌うようだ。

(保屋野)「蛍の光」の解説ありがとうございます。ネットによると、「麦畑」と同じルーツらしいですね。中に、「久しき昔」とありましたが、もう一つ、有名な「久しき昔」という曲がありますよね。原曲は、イングランド民謡「ロング・ロング・ア・ゴー」で「語れめでし真心・・」という歌詞です。またもう一つ「思い出」というのもあります。「垣に赤い花咲く昔の・・・」という歌詞です。

両方とも同じメロディーで「愛唱歌」として定着している珍しい楽曲だと思います。もう一つ、フランス民謡を原曲とする、「一日の終わり」(星影さやかに・・・)という曲もありますが、これは、ファイアーで良く歌った「燃えろよ燃えろ」と同じ曲ですね。

(金藤)日本では卒業式とか、お店の閉店時に流れるため、「お別れの歌」というイメージが強いですが、ダイソーでは 外国人の観光客には「蛍の光」では伝わらない?とさりげなく閉店時間であることを伝えながらも、快く帰ってもらえるような新しい閉店音楽を目指し、「Good Day 〜閉店の音楽〜」を制作し11日から店内で流しているそうです。

「Good Day ~閉店の音楽~」は、早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所との共同研究により得られた、閉店のイメージを持つ音楽の特徴に基づき、USENが制作したオリジナル楽曲。「郷愁感」をキーワードに小編成のオーケストラでゆったりとした曲調に仕上げたといいます。

(河瀬)蛍の光の元はスコットランドの歌と聞いていましたが、その解説映像ありがとうございます。

Auld Lang Syne (old long since) の歌を実際初めて聞きました。また映画「哀愁」の主題歌もそこからとったものなんですね。両者とも「時は去りゆく、別れる」雰囲気なので、日本の歌も「別れの曲」として歌詞ができていますが、英語圏の人がカウントダウン後にそれを歌うのは『明けて今朝は別れゆく』ことになっていないから?

ところで「蛍の光」の歌詞は『蛍の光窓の雪、文読む月日重ねつつ。。』ですが、自分が研修医の時の信濃町の環境は「トイレの鳩の巣、わが個室、文読めない日を重ねつつ。。」という惨状でした(後日注釈要す)

(編集子)蛍の光はともかく、Molly Darling とはまた懐かしい。1960年代、いまでいう カントリー という用語が定着せず、なんとなく ウエスターン などと呼ばれていて、小難しい顔をして名曲喫茶、なんてものに出入りしていた自称インテリには小馬鹿にされていた時代、エディ・アーノルドのレコードを買って来た時、(あ、これ、聞いたメロディだな)と気に入り、、アルバムについていた歌詞を覚えて歌うようになった。
KWV入部後、どこかのワンデルングで歌った(当時はキャンプサイトで新人は歌を歌わされるのがワンダーへのイニシエーションだった)ことがあった。
1年上の名総務、荒木庄平さんの周りには彼の人格にひかれてワンダーだけでなく多くの友人の輪があって、その中に塾レスリング部の中堅選手ながら私設のハワイアンバンドを率いていた河村先輩がおられた。某証券会社のサラリーマンだったが、勤務中のはずなのにホテルで歌っていて、そこへ運悪く上役が現れて大変だったという伝説の持ち主だった。彼が荒木さんから聞いたのか、小生がこの歌を歌ったということを知っていて、たまたま野次馬で聞きに行った、名前は忘れたがどこかのホテルでの演奏に飛び入りさせられ、Won’t you tell me, Molly darling….なんて歌わされたこともあった。Red River Valley を覚え、エーガの影響で River of no return それから My Rifle My Pony and Me に入れ込む前まで、小生のいわば ”持ち歌” だった。同期の歌姫(?)栗田ビーバー、鬼籍に入ってしまったが親友横山美佐子などがとても気に入っていてよく歌わされたものだった。歌は世につれ、か。

 

ラプソディ・イン・ブルー のこと (34 小泉幾多郎)  

ガーシュイン作曲「ラプソディ・イン・ブルー」が初演されたのが、1924年、今年で丁度100年になる。クラシック音楽は昔からピアノと管弦楽が掛け合うピアノ協奏曲が好き。どうやら映画からの影響が大きく「逢びき」で全編を覆っていたラフマニノフの第2番が数え切れぬクラシックの曲の中で、大好きになってしまったが、それ以上に、クラシックとジャズの融合と言われ、独特の味を持った「ラプソディ・イン・ブルー」が一番好きと言っても良いかも知れない。

これも映画「アメリカ交響曲 Rhapsody in Blue 1945」の影響大。The Life of George Gershwin の副題の通り、ガーシュインの楽曲が全編に散りばめられ、そのめまぐるしく挿入された曲と演奏に釘付けになる。「ラプソディ・イン・ブルー」の初演は、ガーシュインが2台のピアノ用に作曲したものをファーディ・グローフェがオーケストレーションしたものを指揮ポール・ホワイトマンのジャズバンドで、ニューヨークのエオリアンホールでの新しい音楽の試みと題されたコンサートで行われた。この席には、ハイフェッツ、クライスラー、ラフマニノフ、ストコフスキー、ストランビスキー、ゴドフスキー等といった名士達が立ち会ったとのこと。

映画はガーシュインの子供時代から亡くなる39年の生涯をアーヴィング・ラバー監督、ロバート・アルダ主演で活写。ミュージカルからの歌曲に始まり、ラプソディ・イン・ブルー、ピアノ協奏曲ヘ調、ポギーとベス、キューバ序曲等々ガーシュインの曲が演奏され、初演に携わった演奏者も多数出演している。スワニーを唄ったアル・ジョルスン、ポギーとベスの舞台が再現されベスを演じたアン・ブラウンがサマータイムを唄い、誰かが私を愛しているのトム・バトリコラやパリの場面で唄うヘイゼル・スコット、ブロードウエイの大プロデューサーだったジョージ・ホワイト等錚々たる顔触れ。特に実在の友人でピアニストのオスカー・レヴァントは、ラプソディ・イン・ブルーはもとより、ピアノ協奏曲へ調等々を演奏した。レヴァントは、その後も数々の映画「ユーモレスク1946」「巴里のアメリカ人1951」「バンドワゴン1953」「人生模様1953」等に出演し、ピアノ演奏はもとより、味のある演技を披露した。特に「ユーモレスク」でのフランツ・ワックスマンがトリスタンとイゾルデを編曲し、ヴァイオリンのアイザック・スターンとレヴァントが管弦楽と共に演奏したシーンは忘れられない。

あの時代レコードがSPからLPへ移行する時期だったが、レヴァント演奏のラプソディ・イン・ブルーはオルマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、コンチェルトは、アンドレ・コステラネッツ指揮ニューヨークフィルのレコードを購入
し、繰り返し聴いたものだった。その後多種多様な人たちの演奏によるラプソデ ィ・イン・ブルーを聴くことが出来たが、先日亡くなった小澤征爾が、2003年6月29日ベルリンフィルのヴァルトヴューネコンサートでのガーシュイン・ナイトで、盲目のピアニストマーカス・ロバーツ・トリオによる演奏との競演が異色だった。他に最近では上野樹里主演の「のだめカンタービレ最終楽章」に吹替演奏として中国のピアニストランランが出演し話題となった。ガーシュインの女性関係は、短い生涯に結婚はしなかったが、恋愛の数は重ねたらしい。映画では、無名時代からガーシュインの味方だったミュージカル女優ジュリー(ジョーン・レスリー)と道に迷うガーシュインとの関係で、酸いも甘いも噛み分けて自ら身を引く画家クリスティ(アレキシス・スミス)との関係に留めている。事実は最も愛したのが、ブロードウエイの女流作曲家ケイ・スイフトとの不倫関係で、彼女はポギーとベスの作曲に、さまざまのアドバイスを与えたという。その夫こそジュリアード音楽院の理事長ジェームス・ウオーバーグで、その初演時に正式に離婚したとのこと。

ラプソディ・イン・ブルーが組み込まれた映画は、その後ウディ・アレンの「マ
ンハッタン1979」しか記憶にないが、ガーシュイン作品を扱ったミュージカル映画は、この映画が発表される前から数多く、その後フレッド・アステアやジーン・ケリー主演によるもの等楽しませてくれている。「踊る騎士1937」「華麗なるミュージカル1938」「巴里のアメリカ人1951」「パリの恋人1957」「ポギーとベス1959」等。

最後に白状するが、この原稿を書くきっかけとなったのは、ポップスとクラシッ
クの統合によるボーダレスの名曲を放送することから発足した題名のない音楽会が放送60周年を記念し、少し前のことだが、4月13日にラプソディ・イン・ブルーの音楽会として、角野隼斗のピアノ弾きぶりで東京交響楽団と共演した際、初演100年ということを知ったこと。角野隼斗はソニークラシックと契約を結び、これからの活躍が期待される。

明治神宮菖蒲園 真夏日 (普通部OB 舩津於菟彦)

エーガ愛好会で書きたい銘エーガが沢山ありますが、筆が進みません。済みません。代わりに 6月12日 寄りも寄って東京真夏日の中明治神宮菖蒲園へ行って参りました。
日陰を成るべく歩くと風が爽やかでした。もう菖蒲も満開が過ぎていました。今年は根津美術館の杜若を撮り損ないましたのでエィヤーと老骨をおして重い器材を担いで行って参りましたがワンゲル出の雄姿と違いヨレヨレでした。駄作を。
持参器材 ①カメラ Nikon Zf レンズ NIKKOR Z 24-200mm 1:4.0〜6.3 VR ②カメラ ニコンZfc レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR ③コニカセミパール  レンズレンズ Ernst Leitz GmbH-Wetzlar Elmar9㎝  1:4   重いノナンの。

ここらあたりもクマが出没しています! (グリンビラ総合管理HPより転載)

今日は朝は曇り、日中は晴れましたが夕方になって八ヶ岳は雷がなっています。ところにより雨がポツポツと降っています。昨日12日はクマの目撃情報が2件(白州、須玉)ありました。

(北杜市連絡)北杜市役所林政課からお知らせします。
昨日、夜、白州町大坊集落内において、クマの目撃情報がありました。
付近の方は、十分注意してください。
目撃した際には最寄りの警察署または市役所まで連絡してください

乱読報告ファイル (58) われわれはなぜ映画館にいるのか  (普通簿OB 菅原勲)

新編「われわれはなぜ映画館にいるのか」(著者:小林 信彦。キネマ旬報社、2013年発行)。

久し振りに小林 信彦の本を読んだ。しかし、こう言う類いの本のいけないところは、見たい映画がゴマンと出て来てしまうことにある。

1932年生まれの小林が(今年で92歳!)、1960年から2010年にかけて主にキネマ旬報に書きまくった映画評の集大成で、東映の「仁義なき戦い」に始まって、コッポラの「地獄の黙示録」で終わる(最後に、対談が二本。スーダラ節の植木 等、評論家、芝山幹郎)。

小林の映画愛は並みのものではない。それを端的に示しているのが、例えば、1948年(昭和23年)の助演者(男女)のベストテンだ。少し長いが引用する(参考までに、当時、小林は16歳!)。

  • エドワード・エヴァレット・ホートン(「毒薬と老嬢」)
  • ジミー・デュランティ(「姉妹と水兵」)
  • ローランド・ヤング(「フィラデルフィア物語」)
  • ジャック・カースン(「毒薬と老嬢」)
  • ベン・ブルー(「嘘つきお嬢さん」)
  • ジェームズ・グリースン(「毒薬と老嬢」)
  • ジェームズ・スチュアート(「フィラデルフィア物語」)

(小林注:スチュアートはこれで1940年アカデミー主演男優賞を得ているが、私はこの役を主演と認めず、あえて助演に回しているが、無茶である)

  • ハリー・ダヴェンポート(「ラッキー・パートナー」)
  • スプリング・バイントン(「ラッキー・パートナー」)
  • 10.ピーター・ローレ(「毒薬と老嬢」)

主役を選ぶのはまだしも、助演までベスト・テンとは恐れ入るとしか言いようがない。この中で小生が知っているのは、スチュアートを除けば、2と6と10(小生のお気に入り)に過ぎない。小林は、高校1年当時こんなことをやっていたわけで、その映画鑑賞は年季が入っているし、何よりもイデオロギーとは凡そ無縁なところがなお宜しい。

この本を読了して矢も楯もたまらずどうしても見たくなったのがマルクス兄弟(ユダヤ系ドイツ移民。チコ、ハーポ、グルーチョ、ガンモ、ゼッポ、いずれも芸名)のバカバカシイ映画だ。全部で13本あるそうだが、途轍もなく面白いのは以下、最初の6本らしい。勿論、小生はまだ見ていない。残念ながら、最早、映画館ではやっていないだろうし、テレビでも期待できそうもないから、悔しいかな、J.ベゾス(アマゾン)のご厄介になるしかなさそうだ。

ただし、ギャグには特許などはない。従って、その後のパクリ(真似事)を見ている小生にとって、90年ほど前のマルクス兄弟が、果たして新鮮たりえるかどうか、いささかながら心許ないのは事実だ(例えば、当時一世を風靡した喜劇役者ダニー・ケイの「虹を掴む男」は1950年、日本公開され、それなりに面白かったのだが、半世紀後に見たそれは全く魅力を喪っていた)。しかし、オリジナルであるマルクス兄弟がそれをぶち破るだけの力を持っていることを期待しよう。

「ココナッツ」(1929年)

「けだもの組合」(1930年)

「いんちき商売」(1931年)

「御冗談でショ」(1932年)

「吾輩はカモである」(1933年)

「オペラは踊る」(1935年)

(大学クラスメート 飯田)小林信彦の著書「われわれはなぜ映画館にいるか」の内容を興味深く拝読しました。

昭和23年(1948年)日本での公開?映画の助演賞に至っては、私は疎開で信州安曇野の今は廃校になってしまった小学校3年生で真冬には全面に水を張りスケートリンクにした校庭で下駄スケートを履いて滑って、帰宅する時には厚い綿入れ半纏を着た鼻たれ小僧でした。ので、後年に観た「フィラデルフィア物語」以外は見ていません。

マルクス兄弟の13作品も含め、聞き覚えのある映画タイトルは「毒薬と老嬢」と「我輩はカモである」の2本でした。ダニー・ケイの「虹を掴む男」は、私も全く同感で、劇場では感激してみたものの、その後2回見ていますが、略、普通の作品と感じています。ダニー・ケイのオーバーアクションの喜劇役者の演技は「牛乳屋」シリーズの方が面白かったし、一方で彼の通常の演技俳優としての音楽映画「五つの銅貨」は私のベスト1に近い感動作で何度見ても良い映画です。

映画評論が本業ではない小林信彦氏の評論は半端ないですね。因みに、手元の淀川長治映画ベスト1000にある2本の論評を添付します。フランク・キャプラ監督の「毒薬と老嬢」、マルクス兄弟のベスト作品の「我輩はカモである」は機会があれば見たいと思います。

(編集子)よくあることだが、(昔、よく来たもんだ)などと懐かしい店に寄ってみて、(味が変わったなあ)と思うこともあって、こういう場合、特に食通、などと呼ばれる人たちは店の腕が落ちた、とかなんとかのたまうことが多い。しかし店は変わらないが、自分の舌の感覚が変わったからだ、という人は少ない。エーガだってそういうもんじゃねえかなあ。

普通部同期の仲間、参加歓迎ー日平会のこと  (普通部OB 船津於菟彦)

本日6月14日金曜日 12時〜9名参加で ”日平(ひびら)会” 初夏の集いを銀座三田倶楽部で開催。やや参加者が少なめでしたが、楽しく歓談致しました。出席者は岡野、宮坂、佐藤、河野、田中、水木、船津、日高、中司 の8名。
認知症の予防には”光輝高齢者は好奇心を先ず失わないこと。そして大事なのは仲間” ということです。人と話すと嫌なこともありますが、それを乗り越えて対話することが脳への刺激になるのかと思います。

日高さんが主唱して開催し、芝浦在の日平亭で始めて以来、て20年以上経過しているこの会もメンバーが大分減ってきていますが、好奇心に満ちて「くだることくだら無いこと」等々語り合える時間が2時間在ることは完全にボケ防止ですよね。参加したい方が居ましたら是非声を掛けて楽しく会が続くとこを祈念しています。お問い合わせは船津・岡野あてご連絡ください(防犯上、メアドそのほかは本ブログには記載せず)。

昭和29年卒業メンバーなら誰でもOKです。当日、銀座通りにも初夏の気分が漂っていました。それにしても異人さんが多いなあ。

梅雨の憂鬱はカクテルで忘れましょう (2) (バーアンノウン 川島恭子)

オペレーターという名前のカクテルはいかがですか。

ワイングラスかタンブラーに白ワインとジンジャーエールを同量入れ、レモン果汁(ポッカレモン可)ティースプーン1を加える。

パイロットが白ワインにジンジャーエールを入れて飲んでいたことから生まれたと言われていますが、真偽のほどは不明です。アルコール度数は5~7度で、さっぱりとした飲み心地。ジンジャーエールの量で度数を調整できるので、アルコールが苦手な人でもおすすめです。

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暫くぶりの尾瀬   (HPOB 麻生洋)

先週、数十年ぶりに尾瀬ヶ原に妻と行ってきました。 天気予報は生憎の雨。 完全防備、完全防水で準備万端、それでも鳩待峠を出発する頃は薄陽が指しており、軽装の老若男女が軽い足取りで歩いていく。 心の中で ”君たち、山の天気を甘く見るんじゃないよ 後で泣くことになるんだから” とほくそ笑みながら重い荷物を背負って木道を降りていった。。。。。。 結局その日は 一滴の雨も降らずじまい。 水芭蕉の群生や池塘に映る燧ヶ岳を見ながら舞茸握りも食べて、快適な尾瀬のトレッキングを楽しむことが出来た。

でも、少しぐらい降ってくれてもよかったのに!?
It is always shining when I bring an umbrella.
お後がよろしいようで

(編集子)たしか今頃はニュージーランドで羊飼いになってるはずのアソーちゃん、元気そうで何より。字はうまくなった?